第三十三話「草原に向かうべきか否か」
前半がザック視点、後半が第三者視点です。
四月二十五日。
アウレラに到着した翌日の朝。
昨夜、鍛冶師ギルドで帰還祝いの宴会が行われ、いつも通り遅くまで飲んでいたため、頭が少し重い。
昨日はジルソール行きの船を用立ててくれたデオダード商会に蒸留所建設計画について説明を行った。その際、ルークス聖王国の現況について商業ギルドが持つ最新の情報を得ている。
デオダード商会の商会長ヴェルノ・デオダードの見立てでは、カエルム帝国とルークス聖王国との開戦は避けがたく、聖王国は大きなダメージを受けて崩壊の危機を迎えるだろうとのことだった。
彼自身、最愛の両親の晩年を台無しにされたことを恨みに思っており、聖王国と光神教が崩壊するならそれでもいいと言い切っていた。
その情報を聞いた後、ジルソールの創造神神殿で天の神から聞いた話を思い出した。
カエルムは神々の力の均衡が重要で、虚無神はその均衡を崩すことで世界を崩壊に向かわせようとしていると言っていた。
また、ルナともう一人の召喚者である光の神の御子、レイ・アークライトはその均衡を保つために、この世界に呼んだとも断言している。
それらのことを考えると、神々の力の均衡を崩そうとする光神教が滅びることは悪いことではないような気がする。
朝食の時、そのことをリディたちに話してみた。
「神々の力の均衡を保つのなら、光神教は排除すべき対象じゃないか? 別に帝国やカウム王国じゃ、光神教じゃなく光の神殿が機能しているんだから」
俺の問いにリディが「そうね。光神教がなくなった方がみんなが幸せになる気がするわ」と頷いている。
シャロンも賛成の意見を口にする。
「ルキドゥスと闇の神の力のバランスを崩すために光神教を作ったのがヴァニタスだと考えると、聖王国を助けるのはヴァニタスを助けることになる気がします」
「あたしには難しいことは分からないが、シャロンの言っていることがもっともな気がするね。光神教はルキドゥスを崇めて、ノクティスを邪神と言って貶めているんだ。ヴァニタスにしたら、光神教が強くなってくれた方が都合がいいってことだろ。てことは、あたしらにとっては潰れてくれた方がいいってことじゃないのかい」
ベアトリスも賛成したが、メルだけは納得した様子が見えない。
「メルはどう思う?」と話を振ると、考えをまとめているのかゆっくりとした口調で話し始めた。
「ヴァニタスがそんな単純なことを考えるのでしょうか? 古代文明を滅ぼしたやり方はザック様でも驚くくらい巧妙だったんですよね。だとしたら、今回ももっと嫌らしいやり方をしてくる気がするんです。ただ、私にはそれがどう関係するのかよく分からないんですが……」
最後は自信がないのか、小声になる。
「メルの言うことも一理あるな。もう一度よく考えた方がいいかもしれない」
そう言いながらもう一度考え直す。
敵が狙っているのが神々の力の均衡を崩すことなら、人々の信仰心を巧みに利用するだろう。
ヴァニタスは五百年もの時間を掛けて光神教を育て、ルキドゥスとノクティスの力のバランスを崩そうと画策している。
この策についてはある程度成功したものの、光神教はルークス以外で勢力を伸ばせず、策略が行き詰っているように見える。
しかし、神々が危機感を持っていることは間違いない。そのためにルナを召喚し、ルナを導くために俺をこの世界に呼んだのだ。更にルナと対になるアークライトも召喚している。
つまり、ヴァニタスは俺たちが気づいていない方法で神々の力の均衡を崩そうとしており、そのことに神々は気づいた。それで危機感を持ったのではないか。
「ヴァニタスが聖王国を滅ぼすように動くとして、どんなメリットがあるんだろうか」
俺がそう口にすると、メルが自信なさ気に答える。
「押して引くと大きくバランスを崩します。ニコラスさんと模擬戦をするとフッと力を抜かれて勝手に足が前に出るみたいに……」
身振りを交え、自分の得意な剣術で例えた。
「じわじわと上げた光神教の影響力を一気に落とせば、結果としてルキドゥスの力が落ちることになるってことか……」
シャロンもその説明に納得したようで、
「光神教の信者は純朴な人が多いと聞きます。そして戦場に立つのはその純朴な信者たちです。今回の戦いでは神の名で戦争を主導していますから、多くの信者が亡くなれば遺族を含め、光神教に反感を持つ人が増えることは間違いありません。それだけならいいのですが、怒りの矛先がルキドゥスに向くことも考えられます」
リディがそれに大きく頷く。
「そうね。今までルキドゥスを崇めていた人たちが一気に反対側に回れば、大きな混乱が起きるんじゃないかしら」
「ありうる話だな。ルークスの人口は三百万。それだけの人が一気に崇めなくなれば、ルキドゥスの力は確実に弱まる。それだけじゃない。他の神々すら否定するようになるかもしれない。そうなれば混乱どころの話じゃないだろう。その隙を突いてヴァニタスが何か仕掛けてきたら、神々も後手に回るしかないな」
そこまで話し合った時、あることを思い出した。
(ルナたちはジルソールに向かうために帝国に入るんじゃなくて、戦争を止めるために帝都に向かうとは考えられないか? だとしたら、どうやって戦争を止める? 宰相辺りと交渉しても聖王国が諦めなければどうにもならないんだ……)
昨日、ヴェルノに草原の民たちが動けば戦争を止められると話したことを思い出した。
「草原の民を動かすことはできると思うか?」
「唐突ね」とリディが驚くが、すぐに「無理じゃないの」と否定する。
「私もリディアさんと同じ考えです。人馬族は戦うことと草原以外に興味を持っていませんから」
メルもリディの意見に賛同する。
「可能性はあると思います」とシャロンが発言すると、ベアトリスが「それはないんじゃないかい」といい、
「ルークスの連中がロックハート家くらい強ければ、戦闘狂の人馬族も戦いたがるかもしれないが、数が多いだけの敵と戦いたいとは思わないはずだよ」
「性格を考えればその通りです。ですが、人馬族には神から与えられた使命があったはずです。それが何かは分かりませんが、神々が二千年前から準備していたのなら、人馬族が動く可能性は充分にあると思います」
二千年前、カエルム帝国が草原地帯に進出した際、人馬族は激しく抵抗した。その当時、常勝の名をほしいままにしていた帝国軍が人馬族に手も足も出ず、中部域と南部域の境界であるフォスデールの街まで押し寄せられ、一時はエザリントン付近まで攻め上られるのではないかと皇帝が危機感を持ったほどだ。
しかし、人馬族の族長たちに彼らの信じる地の神の神託が下り、人馬族は帝国に恭順した。
その神託が何かは族長と戦士長のみしか知ることが許されていないが、神々から与えられた使命を果たすために待ち続けている。
「そのことは忘れていたな……確かに可能性はある。だとすれば、草原に行くのもありだな」
「結論を急ぐ必要はないと思うわ。光神教が潰れた方が神々にとってはいいことかもしれないじゃない」
リディの反論に「もう少し考えてみるよ」と素直に頷いた。
朝食を終えた後、情報収集を兼ねてアウレラ市内を散策する。
昨日も感じたことだが、半年前より海運業は景気が悪くなったようで、港湾地区は活気がない。しかし、街全体で見ると経済活動は悪くない。
話を聞いてみると、十二月のペリクリトル攻防戦により、魔族の侵攻の恐れがなくなったことと、ペリクリトル市の復興需要があるためだ。
ペリクリトル市は大胆な作戦により勝利を得たものの、街の四分の一を焼いたことで多くの市民が家を失っている。主要な産業が魔物の討伐ということで、アウレラ経済に直接的な影響はなく、更に魔族討伐協定によって各国からの支援が受けられるペリクリトルに商魂逞しいアウレラの商人たちが食いついている状況なのだそうだ。
また、昨年十月頃に始まった魔族の侵攻により、ラクス王国との貿易が滞っていたが、魔族の脅威が去ったことから多くの商隊がアウレラ街道を行き来している。但し、この好景気も帝国から品物が入荷しなければすぐに冷え込むと考えているようで、今のうちに儲けられるだけ儲けようとしているらしい。
噂を集めていくが、デオダード商会で聞いた通り、魔族の襲撃以降、ペリクリトル周辺やアルス街道では平穏な状況で、ラスモア村を含め街道近くの町や村が魔族の襲撃を受けたという情報もなく、特に急いで戻る必要はなかった。
世界一の商業都市での買い物を楽しんだ後、宿に戻ると、デオダード商会から連絡が来ていた。
宿の受付から、「何でも聞きたいことがあるそうで、お時間をいただければと言っていました」と教えられる。
蒸留所建設計画の話なので、俺一人でデオダード商会に向かう。
相変わらず繁盛しているが、すぐに俺を見つけて応接室に通される。すぐに商会長のヴェルノが現れ、大きく頭を下げる。
「お忙しい中ご足労いただき、ありがとうございます。昨日いただいた計画書を見せていただいたのですが、お聞きしたいことがございまして……」
彼を含め五人の従業員がいるが、いずれも目の下に隈があった。
「もしかしたら徹夜されましたか?」と聞くと、すぐに「いえいえ」と言って大きく首を横に振って否定する。しかし、従業員たちの疲れた表情を見る限り、深夜まで検討していたことは間違いない。
「どの部分が足りなかったでしょうか? 投資した資金の回収の計算が簡略化しすぎていることは理解しているのですが」
投入すべき資金は設備規模によって三パターン作ってあるが、ジルソールでの人件費や材料の輸送費が読めないため、資金回収の前提が上手く設定できていない。そのため、かなり乱暴な計算しかしていなかった。
このことは計画書作成時から気になっており、そのことを聞いてみたのだ。
「いえいえ。これだけの計算をしていただいて不足などとは露とも思っておりません。それ以前に計算方法から教えていただきたいのです」
「計算方法ですか?」
計算自体難しいものは使っておらず、商業都市でも指折りの商会が理解できないとは思えない。
「ええ、計算の考え方自体です。お恥ずかしい限りですが、この計画書に記載されている数値の設定方法や前提条件が全く分からなかったのです」
その言葉で彼らが何を教えてほしいのか理解する。計算以前に前提条件などの説明を省いていたこと思い出したのだ。
「申し訳ありません。自分で計画して実行することが多かったので、その辺りの説明を省いてしまいました」
俺が軽く頭を下げると、更に恐縮されるが、若い従業員は「この計画をご自分で作って実行……」と表情を無くして呟いていた。恐らく呆れているのだろう。
「それでは簡単に説明します。まず設備投資費ですが、簡略化するために建物と蒸留設備、醸造設備、貯蔵設備に分類しました。それぞれの減価償却率と期間を設定し……材料費はジルソール島で調べた芋の価格に、一般的な石炭価格と樽の製造費から割り出しました。蒸留酒製造に伴って需要が増加することを考慮し、最初の五年は年五パーセント上昇すると仮定しています。もっともジルソールの樽の質は低く、職人ごと養成しないといけないので、その数値でいいのか全く読めないのですが……」
ヴェルノたちは必死にメモを取っている。
「……人件費は蒸留職人と醸造職人、樽職人、一般労働者の四区分に分けました。単価ですが、職人についてはラスモア村に研修に来ている職人を参考にしておりますが、一般労働者の単価は帝国本土より安く設定しております。これについては根拠が明確でなく申し訳ないのですが……金利については鍛冶師ギルドが低利で貸し付けるという前提としております。御社が自己資金で始める場合は市中金利で再計算が必要となります……」
十分ほど説明するが、ヴェルノらの表情は冴えない。
「やはり分かり辛かったでしょうか? 前提条件を整理したペーパーを明日中に持ってきます」
ヴェルノは「助かります」と頭を下げるが、従業員は無表情なままだ。
「他にはどの点が不明でしょうか? 申し訳ないですが、芋の醸造については私も経験がないのでどの程度の見込みかあやふやな表現になっています。これについては芋をラスモア村に運び、スコットたちに確かめてもらおうと思っているのですが、輸送の問題があってすぐには……」
「その点は問題ございません。あやふやとおっしゃいましたが、試行錯誤分も考慮してあると書いてありましたので、リスクは充分に盛り込まれていると考えています。ですが……」
どうにも煮え切らない。
「ご出発はいつをお考えでしょうか? もし明日もお時間をいただけるなら、この計画についてもう一度ご説明をお願いしたいのですが……もちろん、その分のコンサルタント料はお支払いします」
特に急いでいないので問題はないが、さすがに自分の計画書に対しコンサル料はもらえない。
「特に急いでいませんので、明日一日説明することは可能です。それに計画立案の一環ですから、お金はいただけません」
「本当に助かります」と頭を下げるが、報酬については譲らない。
「お時間をいただくのです。その分は何らかの報酬はお支払いします」
何度か押し問答をし、アウレラの名物料理などを教えてもらうことで決着した。
アウレラは海に面しており海産物が豊富だ。特に大河であるファータス河の河口に近いこともあり、新鮮な貝類が名物だ。ラスモア村では手に入らない貝料理を教えてもらい、デオダード商会を後にした。
その後、リディたちと合流し、教えてもらった料理店に向かった。
■■■
ヴェルノ・デオダードはザカライアスから受領した蒸留所建設計画について頭を悩ませていた。
昨日、計画書を受け取ってから他の仕事を放り出して理解しようと努力した。
受け取った当初は彼自身アウレラ近郊の鍛冶師ギルド所有の蒸留所建設に関わったことがあったことから、ある程度理解できると思っていた。しかし、その緻密な計画案にお手上げだった。
四月二十五日の午後、ザカライアスから話を聞いた後、鍛冶師ギルドの職員を呼び、計画書を見せた。
「ザカライアス様らしい見事な計画書ですね」
職員は笑顔で計画書を読みながら感心していた。ヴェルノは職員の理解力に驚き、
「これが理解できるのですか?」と尋ねた。
「もちろん無理ですよ」と当たり前のように答える。
その言葉にヴェルノはがっくりと肩を落とすが、職員はそのまま言葉を続けていく。
「ですが、何をすべきかさえ分かれば建設はできますし、運用も可能です。何といってもザカライアス様が立てた計画なのですから」
「少し無責任ではないですか。これだけの計画書をいただいたのに理解もせずにただ従うだけというのは」
職員は言葉を選び損なったと思ったのか、「言い方が悪かったですね」と言って頭を下げ、
「ザカライアス様の計画書には特徴があります。それは状況によって計画を変更できるようにいくつかの案が示されていることです」
「それは分かります。ですが……」
「我々のやるべきことは計画を進めるにあたって、状況を的確に把握し、その時々で計画書にあるどの案を選択すべきかを判断することです。そのためにはある程度計画書を理解する必要はありますが、専門的過ぎてすべてを理解することは不可能です。これを理解できるのはザカライアス様とシャロン様、あとは蒸留責任者のスコット様くらいでしょうね」
「確かにそうですが……」と言うものの納得した様子はない。
職員は昔を懐かしむかのように遠い目をしながら、自らの体験を語り始めた。
「私も最初に計画書をいただいた時に悩みました。ザカライアス様がいらっしゃらないアウレラで鍛冶師方が熱望し、失敗が許されない蒸留所の建設という事業を成功させられるのかと……そのことをスコット様に話したら、あることを教えていただきました」
「それはどのようなことでしょうか」とヴェルノは藁にも縋る思いで職員を見る。
「スコット様はこうおっしゃられました。“計画書には自分たちが苦労したことがすべて盛り込まれているから、とりあえずこれに従って進めていき、どうしても合わない時に原因と対策を考えてはどうか”と。また、“やってみなければ口で言っても分からないことは存在するのだから”とも……ただ、その後に一言おっしゃいました……」
ヴェルノが首を傾げているが、それに構わず、思い出し笑いをしながら続けていく。
「……“ザカライアス様は簡単な計画しか作れないから、ある程度読めば分かると必ずおっしゃるが、それはあの方だけしか通用しない”とおっしゃられたのです。我々凡人には難しすぎる計画書であっても、あの方にとっては簡単に見えているから注意しなさいという意味でしたね。スコット様も昔はずいぶん苦労されたようです」
そこでヴェルノは肩の力が抜けた。
「確かにそうですね。しかし、明日一日ザカライアス様にお付き合いいただくようにお願いしてしまいました。どうすればいいでしょうか」
「一つ一つ、この時にはどうしたらいいかと聞いて、それをメモしておけばいいと思いますよ。あの方のことですから、計画書に書いていないリスクなんかも考えていらっしゃいますから」
ヴェルノは「そのようにします」と安堵の息を吐き出し、僅かに余裕が戻る。
「それにしても達観していらっしゃいますね。さすがは鍛冶師ギルドの方だ」
そこで職員は初めて真剣な表情になった。
「人間、諦めが肝心なのです。できないことはできないと……そう考えねば、蒸留所建設などやっていられません。これはあなたもこの後に感じることでしょうが」
その言葉にヴェルノの顔から余裕が消えた。




