第三十二話「ジルソール蒸留所建設計画」
前半は主人公視点、後半は第三者視点です。
四月二十四日の午後三時頃。
フィニス島からアウレラに戻ってきた俺たちはまず世話になった鍛冶師ギルドに行った。そこで新しい蒸留酒の話をしたため、異様に盛り上がったが、支部長のザムエル・オビッツらに無事帰還したことを報告できた。
次に行かなければならないのは、今回のジルソール行きで船を用意してくれたデオダード商会だ。船を用立ててもらう際、ジルソールで蒸留酒が造れないか調べることが条件となっていた。
サツマイモに似たジルソール芋を使った蒸留酒と、杜松の実に柑橘類やハーブを使ったジンを候補として計画書を作ってある。
商業地区の宿にチェックインした後、デオダード商会の本店に向かう。
世界最大の商業都市アウレラだが、聖王国と帝国の戦争の噂が影を落としていた。港湾地区であり海運関係が多いためか、何となく閑散とした感じで、歩いている人々の表情も暗い。
それでも新興の大手総合商社デオダード商会は別だった。元々ラクス王国やサルトゥース王国にも多くの支店を抱えており、帝国側の影響を受けにくい。そのため、多くの商人が出入りしており、建物の中に入っても商談スペースはほぼ満席という状況だった。
手が空いている従業員を探すが、なかなか見つからない。
「商会長に会うのは難しそうですね」とシャロンがいい、ベアトリスも「今日は鍛冶師ギルドで宴会だから待ち続けるわけにもいかないしね」と相槌を打っている。
それでも俺たちは目立つようで、一人の従業員が近づいてきた。
「何か御用でしょうか?」とその若い男性従業員が聞いてきたが、すぐに「お戻りになられたのですね」と言ってきた。
運がいいことに前回対応してくれた従業員で、俺たちのことを覚えてくれていたようだ。
「すぐに応接室にご案内します」と言った後、別の従業員を捕まえ、「商会長を呼んでください。ザカライアス様がいらっしゃいました」と伝言を託していた。
「お忙しそうですから別の日でも構いませんが」と遠慮しようとしたが、
「商会長より最優先の商談と伺っておりますので」とやんわりと断られる。
前回と同じ最上級の応接室に通され、茶を飲みながら五分ほど待っていると、ヴェルノ・デオダードが入ってきた。急いできたのか、少し息が荒い。彼の後ろには三十代後半の従業員が二人とそれより少し若い二人の従業員が付き従っていた。
「お待たせして申し訳ございません」と大きく頭を下げる。
慌てて立ち上がり、頭を下げる。
「こちらこそ事前連絡もなしに押しかけて申し訳ございません。昼過ぎに到着しましたので、まずはお礼と報告を、と思ったものですから」
「まずはご無事にお戻りになったことにお祝い申し上げます。さぞ大変だったでしょう……」
船は出していないが、帝国と聖王国の状況はしっかりと掴んでいるようだ。
「いろいろと協力いただき、ありがとうございました。おかげさまでエルバイン教授の研究もうまくいきそうです……」
礼を言った後、本題に入る。
「……依頼の件ですが、提案を二つ用意しました。この計画書をご覧ください……」
そういって百ページほどの計画書を渡す。
「これが計画書なのですか……」とヴェルノは驚いているが、それに構わず説明を始めた。
「すべてを説明すると時間が足りませんので、概要だけ説明いたします。計画書を見ていただき、疑問点については問い合わせていただければご説明に参ります。数日はアウレラに滞在する予定ですので……では、まずジルソール芋を原料とした蒸留酒造りについて説明します。二ページ目をご覧ください……」
ジルソール芋を使った蒸留酒造りについて蒸留所の概略予算、建設予定地と概略工期、原料の確保方法、人材の育成方法、輸送と販売などの注意点について説明する。
「……これが第一案ですが、上手くいかなかった場合、もしくは事業拡大の次の手として第二案を準備しております。これは通常の蒸留酒に独特の香りを加えたもので、柑橘類との相性がよい酒です……」
そういってジンについても同じように説明する。
「……簡単ではございますが、ご依頼の蒸留酒生産計画の説明を終わらせていただきます」
説明は三十分ほどで終わったが、ヴェルノを始め、商会側は黙っていた。
「説明を端折りすぎて分かりにくかったでしょうか? もしご不明な点がございましたら、補足させていただきますが」
「いえいえ、充分すぎるほど詳細な説明でした。ただ、私の理解が追いつかないだけです」
俺の言葉にヴェルノが慌てて否定する。
「事後になりますが、既に鍛冶師ギルドには簡単に説明しており、オビッツ支部長も全面的に協力するとおっしゃっておられます。近日中に鍛冶師ギルドより話があるのではないかと」
ヴェルノは「それは助かります。私に説明できる気がしませんので」と安堵の表情を浮かべていた。
「計画書はこれから確認させていただきますが、これほどのものを作っていただけるとは思っておりませんでした。船を用立てるくらいでは全く釣り合いません」
俺としてはそれほどとは思っていないので社交辞令なのだろう。それでも相手がそういってくれたので乗ることにした。
「では、情報をお持ちでしたら教えていただきたいことがあります」
「私が持つ情報で他のお客様に迷惑をお掛けしないものであれば、よろこんでお答えしましょう」
「では、ルークス聖王国の状況、特に開戦の可能性、時期など、ご存知のことがあれば教えていただけないでしょうか」
ヴェルノは少し考えた後、
「聖王国が戦端を開くのは時間の問題でしょう。我が商会が掴んでいる情報では夏頃にラークヒルで大規模な戦いが起きることは間違いないかと。これについて商業ギルドも同様の見解です」
ガートブレックのギルド支部で聞いた話と同じだった。
「それでは“光の神の現し身”が現れるという話はご存知でしょうか?」
「もちろん知っています。それらしき人物についても心当たりがあります。白き軍師ことマーカット傭兵団のアークライト氏では?」
俺の言葉にヴェルノは目を見開く。
「さすがはザカライアス様ですね。情報が入りにくいジルソールにいらっしゃったのに既にご存知とは」
「ミリース谷とペリクリトルの戦いで活躍した若き英雄と聞いています。光神教が気に掛けているとも。それだけの情報があれば誰でも思いつくと思います」
「なるほど。では、新しい情報をお聞かせしましょう」と言って話し始めた。
「ペリクリトル攻防戦でアークライト氏と共に戦った聖王国の魔族討伐隊が二月にアウレラに入りました。その際、指揮を執っていたマッジョーニ・ガスタルディという司教と話をしております。彼が言うにはアークライト氏は光神教の総大司教に啓示があった神の御遣いだというのです」
「光神教の司教が……ですが、言ってはなんですが、彼らは狂信者ですからその言葉をもって“ルキドゥスの現し身”というのは根拠としては弱いのではありませんか」
「確かにその通りです。ただ気になるのは魔族討伐隊の農民兵たちの言動です。彼らはアークライト氏を神の如く崇めていました。話を聞いてみたのですが、彼は虐げられていた農民兵に同情し、暖かい食事と柔らかな寝台を与えたそうです……」
ルークスでは国民皆兵制を採っており、貧しい農村から徴兵された農民が兵士になっている。彼らは奴隷のような扱いを受け、多くの者が故郷に帰ることができないと言われていた。
「……それだけではありません。激戦で傷ついた農民兵たちに魔力が切れるまで治癒魔法を掛け続け、戦死した兵を前に涙し、手足を失った兵には自らの私財を与えようとしたそうです。行きにも見ているのですが、その時は痩せ細り、満足に行軍できないのではないかと思っていたのです。ですが、帰りは負傷兵には馬車が与えられ、他の者も充分な食事と休息が与えられておりました。すべてはアークライト氏の指示だそうです」
「なるほど。光神教の聖騎士とはまるで違いますね。確かに話を聞く限りでは富める者、貧しい者に関わらず遍く光を照らす、“ルキドゥスの現し身”と呼ぶに相応しい人物のようです」
「噂以外に得た情報もございます。といっても偶然得られたもので、私個人の話になるのですが……」
「それはどのようなことでしょうか? 差し支えなければお聞かせいただけませんか?」
「個人的と言っても秘密にするほどのことではありません。私の父、ロリス・デオダードは昨年の五月に旅の途中で闇の神の下に旅立ちました。その最期を看取った人物がレイ・アークライト氏だったのです。私もペリクリトルの話を聞いて驚いています……」
彼の父、先代の商会長ロリス・デオダードは妻を亡くした心の傷を癒すため、旅に出ていた。その途中、病に冒され、エルフの薬師に治療を依頼するため、サルトゥース王国に行ったそうだ。
薬師から不治の病といわれ、故郷であるアウレラを目指したが、ラクス王国の地方都市で力尽きた。その時、ロリスの護衛を請け負った傭兵がアークライト氏で、献身的な行動に旅の資金と獣人の奴隷を贈る遺言書を書いたそうだ。
「……私がその情報を得たのは昨年の八月頃でした。父の最期を穏やかなものにしてくれた彼に礼がしたいと探したのですが、ラクス王国での政変やその後のペリクリトル攻防戦で連絡が取れないままです。ですが、彼について情報を集めるほど、まっすぐで正義感の強い青年であることが分かりました」
「そのような関係が……」ということしかできなかった。
「私としては彼に光神教に関わってほしくないと思っています。父と同じように人生を滅茶苦茶にされるだけでしょうから」
「では、そのために何か行動を起こされているのでしょうか?」
話の流れで聞いたが、商業ギルドの戦略に関することであり、答えが返ってくるとは思っていない。
「……ザカライアス様にならお伝えしてもいいでしょう」と呟き、
「ギルドは聖王府の役人たちに賄賂をふんだんに送り、更に教団の枢機卿にも接触しております。あわよくば総大司教を変えられればとも……」
どれだけの金をつぎ込んでいるのかは分からないが、最高権力者である総大司教の首を挿げ替えるということは並々ならぬ決意の表れだ。
「……ですが、現総大司教ベルナルディーノ・ロルフォは教団内だけでなく、聖王まで懐柔し、政治基盤は磐石です。特に以前の政変で政敵をすべて葬っていますから、ロルフォに対抗できるだけの人物が見つからない状況なのです」
「他に打てる手はないのですか? 例えば経済的に締め付けるとか」
「それも難しいです。アウレラが経済援助しなければ、ペリプルスに支援を求めるだけでしょう。ペリプルスも我々に打撃を与えられるなら、色よい返事をするでしょうから。もっとも彼らが聖王国に人はともかく金は出さないでしょうが」
ペリプルスはアウレラと海上の覇権を争っているが、決して裕福な国ではない。主要な港や商業圏をアウレラに押さえられ、隙間を狙って商売を行い、その金で海軍を増強してアウレラの力を削ごうとしている。
それにペリプルスは大陸の政治に興味を示していない。帝国だろうが、聖王国だろうが、アウレラにダメージを与えてくれるなら何でも協力するという姿勢なのだ。
「つまり政治的に総大司教の暴走を止めることは不可能で、戦争は不可避であるということですか」
「そうなりますね。できるとすれば、総大司教ですらためらうほどの圧倒的な戦力を帝国が用意し、出兵を取りやめるくらいです。ただ、聖王国は二十万以上の兵を動員しますから、狂信者たちが圧倒されるほどの戦力だとすると、帝国は正規軍団のすべてを投入しなくてはなりません……」
帝国の正規軍団の定員は二万人。軍団は全部で十個あるから二十万になる。数は同数だが、聖王国も正規軍団の実力を嫌というほど知っている。農民兵主体の聖王国軍二十万なら二個軍団四万人でも充分に互角以上の戦いができるため、それだけの数があれば狂った指導者でも諦めるだろう。
しかし、十個軍団といえば正規軍のすべてであり、特に第一軍団は皇帝直卒の近衛兵であり、出征はありえない。
また、一個軍団を動かすだけでも膨大な軍資金が必要であるため、聖王国軍が二十万から二十五万を動員するとしても、四個軍団八万人を動員すれば多い方だろう。合理的な考え方をする宰相エザリントン公が無駄な出兵を許すはずはないからだ。
「……ザカライアス様もお分かりの通り、これは非現実的な話です。あの宰相なら最も効率のいい数を的確に判断するはずです」
「そうなると現実的な手はないということですね」
俺の言葉に引っかかったのか、ヴェルノが首を傾げる。
「今の言い方ですと現実的ではない策ならあるように聞こえましたが?」
「帝国内には正規軍団より強力な軍がいます」
俺の言葉にヴェルノは「思い当たるものはありませんが」と首を傾げる。
「人馬族と遊牧民です。人馬族は五万人、遊牧民は二十万人と言われていますが、その大半が戦士です。それも帝国の騎兵を凌ぐ最強の騎兵なのです。それに聖王国は人馬族に対してトラウマを持っています。以前の戦いで完膚なきまでに叩きのめされていますから。その人馬族たちが数万も出兵すると分かれば、聖王国軍も引き返さざるを得ないでしょう」
「確かにそうですが、人馬族は皇帝の要請を受けてしか動かないのでは? そもそも今回のような勝ち戦では要請することはないでしょうし……なるほど、ですから現実的ではないということですか」
ヴェルノの言う通り、人馬族たちは皇帝の要請によってのみ出陣するが、危機的な状況以外に要請したことはなく、今回もそれに該当しない。
僅かな沈黙が場を支配したが、ヴェルノが静かに話し始めたことで沈黙が破られた。
「私としては聖王国が滅びたいというなら勝手に戦わせればよいと考えています」
「商業ギルドとは関係なく、ご両親の無念を晴らすためにですか?」
「その通りです。もちろん無辜の民が多く死ぬことになるでしょう。ですが、彼らにも罪はあると思っています。あのような聖職者と呼ぶ価値もない拝金主義者や狂信者を崇めているのですから。私に言わせれば天罰です。ルキドゥスの正義の鉄槌という言葉を光神教は好んで使いますが、まさにその鉄槌が彼らに落ちるだけなのではないかと思っていますよ」
彼の両親は光神教の奇跡を頼って裏切られ、余生を穏やかに暮らすという望みを絶たれている。光神教と聖王国が滅びるなら、故郷アウレラが滅びることになってもいいとすら考えているようだ。
これ以上この話題を続けても意味がないと考え、俺たちが泊まる宿を教え、商会を後にした。
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ザカライアスらが去った後、ヴェルノは大きくため息を吐く。
(それにしても彼は何を目指しているのだろうか? 聖王国は一度滅びて再生させた方がよいと思うのだが……)
ザカライアスが開戦を回避させようと考えていることに違和感を持ったのだ。
しかし、“ジルソール蒸留酒プロジェクト”と銘打った計画書が目に入り、その考えを振り払った。
そして、彼の横にいる従業員たちに視線を向ける。
「まずはこの計画書を読み解かねばならんな。さすがは酒神の申し子と呼ばれるだけのことはある。まさかこれほどの計画書を出してくるとは思っていなかった」
最年長の従業員がそれに大きく頷き、
「本当にそう思います。先ほどの説明も概略とおっしゃられていましたが、私にはそう思えませんでした」
ヴェルノは計画書をパラパラとめくり、あるページを開く。
「ここを見てくれ。十年分の必要な物資、資金、人材が月単位で書き込まれている。まだどんな味になるか分からないという酒なのにだ」
「その前のページもおかしいですよ。建設予定地と輸送ルートだけなら分からないでもないのですが、その土地の有力者の名前と家族構成、興味を示すものまで調べてあるんですよ。本当に研究のためにジルソールに行ったんですかね」
「いずれにせよ、まずは計画書を読み解かねばならん。ザカライアス様がここにいらっしゃる間に疑問点はすべて解決しておくのだ。担当を決めるから明日の朝までに目を通しておいてくれ」
そういって計画書の綴じ紐を外し、従業員たちに配っていく。
「朝までに理解できるんでしょうか……」と一番若い従業員が涙目で訴える。
「分からぬところがあれば、それを書き出せばよい。ザカライアス様は数日とおっしゃったが、我々のために滞在を伸ばしていただくことはできん。だから、二日で完全に理解できるようせねばならん!」
力強くそう宣言すると、立ち上がるが、
「これは我が商会の命運を左右するかもしれない大プロジェクトだ。この計画書の存在は最高機密として扱い、プロジェクトが動き出すまでは家族に話すことも禁ずる」
こうしてデオダード商会のジルソール蒸留酒プロジェクトを始動させた。




