第十六話「商会長との交渉」
前半はザック視点、後半はデオダード視点です。
九月二十六日。
アウレラの大手商会、デオダード商会に交渉に来ているが、どんな因果か商会長ヴェルノ・デオダード自らが応対することになった。
どうやら俺の正体に気づいているようだが、遠目に見ただけで看破したことに警戒心が湧く。
キトリーさんが最初に挨拶を返す。
「ティリア魔術学院で教鞭を執っております、キトリー・エルバインと申します」
キトリーさんの正体には気づいていなかったのか、ヴェルノは僅かに驚きの表情を見せる。
本来ならロックハート家の名を出すつもりはなかったが、相手が気づいているようなので素直に名乗る。
「エルバイン教授の助手を務めております、ザカライアス・ロックハートです。彼女は私の妻、シャロンです。お見知りおきを」
そう言いながら、鍛冶師ギルド支部長のザムエルの紹介状を手渡す。
ヴェルノは紹介状を見ながら、「高名なザカライアス卿でしたか」と言うものの、驚きの表情は見せていない。
「ティリア魔術学院の教授に、ロックハート家の方々とは驚きました。当商会にどのようなご用件でお越しになられたのでしょうか?」
打ち合わせ通り、キトリーさんが話を進める。
「私の研究の関係でジルソール島に渡る必要があるのです。こちらではジルソールとの交易を行っておられると聞き、乗船させていただけないかと確認しにきました」
行き先が意外だったのか、僅かに眉を上げるが、すぐに表情を戻している。
「ジルソールですか……確かに当商会ではガラス製品や干果などの取引を行っておりますが、最近では二ヶ月に一度船を出すかどうかという状況です。一ヶ月ほど前に出港しており、今のところ次の便は決まっておりません。これから冬になりますので、恐らく春になるまでジルソール行きはないかと」
間が悪いことに既に出港した後で、海が荒れる冬を避け、春まで出港されない可能性が高いという。
そこでキトリーさんは俺に視線を送ってきた。交渉を代われということだろう。
その視線に小さく頷く。
「では、どのような条件なら船を出されるのでしょうか? 例えば、ジルソール行きの荷物があり、その運送料を稼げると分かれば船を出されるとか」
「それはありえますが、ジルソールに高い運送料を払ってまで荷物を運びたいという荷主はおりません。また、帰りを空にするわけにはいきませんから、ジルソールで特産品を買い付けなければなりませんが、今のジルソールでは儲けが出るほどのものがほとんどないのです」
「ジルソールのガラス製品の競争力が落ちているからでしょうか?」
「その通りです。事情は私よりザカライアス様の方がご存知だと思いますが」
ジルソールの主要産業はガラス製品だ。
俺がシーウェルワインのボトル作りを指導したことから、帝国南部で土属性魔術師によるガラス製品の生産が活発になった。それだけならいいのだが、俺の指導した方法は低コストで比較的高品質のガラス製品が作れるため、帝国内で生産されるようになった。
その影響をもろに受けたのがジルソールだ。
船を使って輸送するため、どうしても流通コストが上乗せされる。まだ、熟練職人が作った芸術品には価値があるが、若手の職人が作る量産品は品質でも劣り、帝国内だけでなく、アウレラなどでも帝国製に取って代わられつつあった。
「小型の船とはいえ、数十名の船乗りが必要です。ジルソールまでは順調にいっても二ヶ月、往復で四ヶ月以上にもなります。彼らに払う給与や食費などだけでも、二十万クローナは必要です。それだけではなく、船の整備や消耗品の購入などを考えると、三十万クローナ以上の利益が出ると見込めなければ船を出すことはありません」
詳しく聞くと、全長三十メートルほどの比較的小型の船舶でも船乗りは最低五十人必要で、一人当たりの人件費は四ヶ月で四千クローナ、四百万円にもなる。それを単純に掛け算すると、二億円の人件費が掛かることになるらしい。
いろいろなところで儲けているので、手持ちの資金だけでも五十万クローナ以上ある。つまり、チャーターすることは不可能ではないということだ。
しかし、チャーターという選択肢は採れない。金は出せるが、それほどまでしてジルソールに行かなければならない理由を、キトリーさんを含め、第三者に話せないためだ。
「そうですか。どのような条件が揃えば、ジルソールに向かう船は出せそうでしょうか」
「その点について、こちらから提案があるのですが」と切り出してきた。
「当商会といたしましては取引いただいております鍛冶師ギルドからの紹介もあることですので、最大限の努力をしたいと考えております。しかしながら、先ほど申し上げた通り、損失を出すようなことまでは考えておりません。これは創業者により定められた社訓に反するからです」
「おっしゃることはごもっともです」
「ですが、先行投資を否定しているわけではございません。ザカライアス様がドワーフの鍛冶師方に売れると思う商品をジルソールで見つけていただくという条件であれば、長期に渡って安定的に収益を上げる商品の発掘ということで、ジルソールに船を向かわせることは可能です」
ヴェルノの提案は俺にドワーフが好むつまみを探してこいというものだった。それもジルソールにしかなく、高い輸送費を払ってもドワーフたちが継続的に買う物という難しい条件で。
この提案は彼にとってもメリットが大きい。
まず俺の提案したつまみであれば、ドワーフたちは間違いなく購入する。そして重要なことは、ドワーフは酒に関することであれば、金に糸目をつけないという点だ。
普通の客であれば、値切り交渉は当たり前だが、ドワーフなら言い値で買う可能性が高い。つまり利益率を高く設定できるため、収益性は高く、更にドワーフは大量に消費するだけでなく、人間より長命であり、長期に安定的に収益を上げることができるのだ。
「ありがたい申し出ですが、行ってみなければ提案できるかすら分かりません。それに仮に見つかったとしても、それが長期間保存できるのか、輸送中に劣化しないのかという問題があります。その検証なくして、無責任に提案することはできません」
船旅で二ヶ月、それも定温コンテナなどない状態で亜熱帯地域を運ばなければならない。干した物でもカビによる劣化の恐れがあるし、油漬けの物でも密封が上手くいかなければ激しい揺れの船で運ぶにはリスクが伴う。
「蒸留酒を造ることはできないのでしょうか? ジルソール特産の原料を使えば、世界に一つだけの珍しい酒としてドワーフの皆さんには喜ばれると思うのですが」
予想外の話だった。確かに酒が造れればドワーフたちは喜んで買うだろう。
しかし、麦の生産量が少ないジルソールではウイスキーは難しく、ワインがあるためブランデーは作れるが、ジルソールでしか作れないものではない。
他にもラムはフィーロビッシャーの特産だし、ウォッカは原材料的に難しい。
「酒ですか……それなら可能性はありますが、すぐに商品化はできませんよ。蒸留所の建設、職人の育成には数年単位の時間が掛かりますから」
「もちろん理解しております。ここアウレラの蒸留所建設に我が商会もお手伝いしておりますので」
アウレラにも蒸留所は造られており、既に三年熟成の物は出荷されている。鍛冶師ギルドが主体でやっているが、原料の調達や樽の製作などギルドでは対応できない部分が多いので、デオダード商会がその辺りに協力しているのだろう。
一応腹案はある。ジルソールには柑橘が多く、様々なハーブがあると聞いている。更に安いワインも多く、蒸留酒の原料も確保できる。
つまり、ジンの材料はすべて揃うということだ。
懸念があるとすれば、以前失敗している点だろう。ドワーフのベルトラムですら、俺が造ったジンを薬臭いと言って敬遠したのだ。
更にジンは原料となる醸造酒とボタニカルと呼ばれる香り付けの香草類や柑橘類があれば、どこでも作ることができる。つまり、ジルソールでなくとも生産は可能ということだ。
そのような懸念はあるものの、今は船を出してもらえるかの方が重要だ。自信があるように見せて船を出してもらわねばならない。
「ドワーフに受けるかどうかは分かりませんが、ジルソール名産の新しい蒸留酒なら作れないことはないと思います。いずれにしても現地を見てみないと分かりませんが」
俺の言葉にヴェルノが驚く。
「さすがは酒神の申し子と呼ばれる方ですね」と言いながら苦笑する。
自分で言ったものの本当にできるとは思っていなかったようだ。
「では、船を出していただけるということでよろしいですね」
「もちろんでございます」と爽やかに即答する。その信頼が逆に申し訳ない気持ちにさせた。
「成功するかも分からない提案です。今回のことで赤字を出すことになるのではありませんか」
「その点は問題ありません。大きな赤字を出すようなことはいたしません」と笑う。
「しかし、先ほどの話では儲けを出すのは難しいと……」
「ジルソールにも行きますが、最終目的地は帝都にする予定です。帝都であれば利益を上げる商品はいくらでもありますから。少し遠回りする程度だと思っていただければよいかと……」
帝都プリムス行きの船をジルソール経由にする。プリムスとジルソールは海路で七百キロほど離れているが、全体行程から見ればさほど遠回りという感覚ではないらしい。
「では最後に確認ですが、今回の条件としてはザカライアス様に新たな蒸留酒の可能性を探ってもらい、その製造方法については当商会に独占的に教授していただくということでよろしいでしょうか?」
独占的というところに引っ掛かるが、今考えている酒ならすぐに真似できる。
「ええ、それで構いません。ですが、普及を妨げるようなことはしないということでよろしいですね」
念のため言質を取っておこうとしたが、ヴェルノは真顔で「もちろんです」と答え、わずかに怯えるような表情になる。
「そのようなことをしたらドワーフの皆さんが敵に回ってしまいます。そのような恐ろしいことはいたしません」
確かに酒造りに関して他者を排除するような行動を採れば、ドワーフたちが介入するだろう。
「出港日は追って連絡いたしますが、祭の後になることは決定です。船員たちも祭を楽しみにしていますので。皆さんも存分にお楽しみください」
十月一日は秋分の日であり、各地で収穫祭が行われる。商業都市アウレラでも秋祭りとして盛大に行われるそうで、今日も何となくそわそわしている感じだった。
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私の直感は当たった。
ザカライアス卿と知った時、彼に便宜を図るつもりでいた。さすがに空船を出すつもりはなかったが、今回の提案のように帝都行きの船をジルソール経由にする程度のことは大きな損失に繋がらないからだ。
ただし、こちらが一方的に便宜を図ると言えば、聡明な彼は私が鍛冶師ギルドや帝国上層部とのコネクションを露骨に狙っていると警戒したことだろう。だから、新たな商品の開発という名目でこちらの意図を隠したのだが、それ以上の提案を受けてしまった。
新たな蒸留酒、それも酒神の申し子ザカライアス卿が考え出したものとなれば、ドワーフたちはどれほどの犠牲を払おうとも飲もうとするだろう。
そして重要なことはザカライアス卿が酒で失敗することはありえないという点だ。つまり、この話は最初から成功が約束されているのだ。
ただ、それでも気になることがある。
あのザカライアス卿がエルバイン教授の研究に協力するためだけに、ジルソールという南の果ての島に行くのかということだ。
確かに十歳で世界最高峰の教育機関ティリア魔術学院に首席で入学し、千年に一人の天才と呼ばれていたことは知っている。更に魔法陣の研究では第一人者であるラスペード教授に並ぶと言われており、鍛冶師ギルドの魔法陣が劇的に進歩したことはザムエル・オビッツ支部長から聞いている。
それ以上に重要な点は、世界に影響を与える点では帝国の宰相や聖王国の総大司教に匹敵するといわれている人物だということだ。
実際、彼の行動により、帝国宰相と総大司教の双方に大きな影響があった。その二人が現在の地位に就いた陰にザカライアス卿がいることは目端の利く商人なら誰でも知っている。
そんな人物が神々というあやふやなものの研究のために半年以上という時間を掛けるだろうか。
更に言えば、彼自身公言していることだが、専念したいと言っている酒造りすら放り出している。それほどまでに重要な研究なのかもしれないが、どうしても疑問が消えない。
しかし、このことを口にしなかった。
仮に別の思惑で動いているとしても、私が知る必要はないだろうし、下手に知ってしまうより、今回のように大きな仕事が舞い込むなら自らの好奇心を鎮めたほうが得策だと考えたためだ。
私は主だった者を集め、ザカライアス卿との交渉の話をした。
父の代から共に苦労している者たちであり、すぐにこの仕事の大きさに驚いていた。
「さすがは旦那様です。これほど大きな仕事を何の情報もなく手に入れるとは」
「全くです。一見の客に旦那様が話しかけたのには驚きましたが、最初から気づいておられたとは……」
「それは過大評価だよ。何となくおかしいと思ったことは事実だが、これほどの仕事になるとは全く考えていなかった」
そんな会話をしていると、帝都担当者が「しかし危険ではありませんか」と口にした。
「何がかね?」と聞くと、
「ロックハート家は光神教とトラブルになったことがあったはずです。既に十年近く前の話ですが、総大司教の代替わりの原因になったのではなかったでしょうか。更にいえば、ザカライアス卿が声明を出したことで、鍛冶師ギルドが聖王国から鍛冶師を引き上げております。つまり、聖王国にはザカライアス卿に恨みを持つ者がいる可能性が高いということです」
その点は私も考えていた。
「確かにそうだな。それにザカライアス卿を人質にして鍛冶師ギルドと交渉するという暴挙に出ないとも限らない。彼の国は理性より本能的に動く愚か者が多くいるから。恐らくだが、ザカライアス卿もそのことに気づいている。だから、我が商会に足を運んだのだろう」
「なるほど」と多くの者が納得する。
私の両親は光神教によって幸せに過ごすはずだった晩年を奪われている。金も相当毟り取られたが、あの程度の金ならくれてやってもいい。
だが、父と母が闇の神の下に行くまでの平穏な時間を彼らは奪った。そのことが私には許せない。
私だけでなく、ここにいる者たちは皆同じ思いなのだ。
「聖王国に対しては細心の注意を払って行動するつもりだ。賄賂で済むならいつもより多めに出しても構わん。しかし、絶対にあの方たちに危害を加えさせてはならん! これは勘に過ぎないが、あの方が父と母の無念を晴らしてくれる気がするのだ」
ただの願望かもしれないが、私には今回のジルソール行きが光神教にダメージを与えるような気がしていた。
ザカライアス卿が光神教を嫌っているという話は聞いているし、実際にそれが行える力を持っている。
いつかあの不条理の塊のような光神教に鉄槌を下してくれるのではないかと密かに期待している。
「船長は誰だったかな。うちの船乗りは皆信用できるが、今回はいつも以上に臨機応変の対応が必要になるだろう。私から直接そのことを話したいのだ」
「今停泊しているのはルアード・セルビー号ですから、ダンカン船長です」
「ダンカンなら打ってつけだ。一等航海士はラムゼイだったな。あの男なら港町の情報にも通じているから無用なトラブルに巻き込まれることはなかろう。念のため、他の客は乗せるなと伝えておこう」
私は信頼する二人の船乗りを呼び出し、今回の航海について説明した。二人は驚くものの、私の頼みを快く聞いてくれた。




