第五十四話「神々の敵の気配」
前半はザック視点の一人称、後半は三人称です。
三月一日。
アクィラの奥地の調査を初めて三日目。
初日は渓谷に沿って東に、二日目は尾根を迂回するように南に向かったが、特に目ぼしいものはなかった。
そのため、今日は北に向かう。
北には山脈が東に張り出した尾根があり、標高は徐々に上がっていく。しかし、木々が疎らな東側の斜面とは異なり、森が尾根まで延びており、上空から姿を見られる危険は少ない。
雪を載せた針葉樹の森の中を進んでいく。斜面の勾配はきつく、木々の密度も高いため、思うように進めない。
「歩きにくいね。ここで襲われたらあんたたちの魔法に頼るしかないよ」
ベアトリスが槍を杖にして歩きながらぼやく。
「これだけ遮蔽物があるんだから、誘導型の魔法が使える俺たちの方が圧倒的に有利だ。そう考えたら悪いことばかりじゃない」
ベアトリスの懸念も分かるが、俺が言ったことも事実だ。
この世界で誘導型の魔法を使うのは俺たちくらいだろう。もしかしたら、魔族にはいるのかもしれないが、恩師であるラスペード先生ですら誘導型の魔法の存在を知らなかった。
つまり、今までの魔族の侵攻でも使われたことがないということだ。
また、これだけ大木が多いと範囲魔法を使うことも難しいため、微妙な調整ができる俺たちの方が更に有利になる。
「でも、ここだと撤退する時が不安ですね」とメルが言ってきた。
足元には根雪があり、ところどころ凍結しているため、足を何度も滑らせている。新雪ほど足にまとわりつくわけではないが、他の季節に比べたら移動速度は半分以下に落ちているだろう。
何度か休憩を挟み、三時間ほど北に進む。
距離にして二、三キロメートル。木の間から見える地形を見る限り、標高差は三百メートルほどだろう。
先を見るとまだ上り坂になっているが、あと二、三百メートルで一つ目の尾根を越える感じだ。ここまでも魔物の気配や痕跡はなく、危険な兆候は見当たらなかった。
「とりあえず、あそこまで行ってから、先に進むか、尾根沿いに登るか考えよう」
俺の提案に全員が頷く。
最後の上り坂はほとんど這うような感じで登るほど勾配がきつくなる。今回もダンが先行しており、彼が尾根の先を確認してから全員で登ることにしていた。
呼吸が早くなり吐き出す白い息が煙のように見える。
あと五十メートルほどの場所でダンを除く五人が大木の根元にもたれかかるように座る。
俺の視線の先には慎重に登っていくダンの姿がある。できるだけ音を立てないように一歩ずつ慎重に足を運んでいることが分かる。
十分ほどで尾根の頂点部分に到着した。
そこで背嚢から望遠鏡を取り出す。
ゆっくりとした動きで周囲を見回していくが、突然動きを止めた。そして、滑るように後退してきた。
ダンの顔がはっきりしてくると、寒さで赤くなっていた頬が青白く見える。
「何があった?」と聞くと、
「尾根の先に地竜と一つ目巨人がいました。近くに妖魔らしき翼を持った魔物もいました」
「戦っていたの?」とメルが聞くと、ダンは頭を振る。
「いや、ドラゴンもサイクロプスも大人しく座っていたんだ。まるで仲間のように……」
本来なら地竜とサイクロプスは縄張りを同じにすることはない。ごく稀にだが、両者が戦っている姿が目撃されることもある。
「誰かに使役されているって感じか……周囲に監視の目はあったか?」
「監視かどうか分かりませんが、妖魔が何体か飛んでいました」
「直接見てくる。ダンだけ一緒に来てくれ」
そう言って尾根を登っていく。
登りきったところで慎重に木々の間から顔を出す。俺たちが来た方と反対側の斜面は切り立った崖になっており、二百メートルほどの深さの谷になっていた。
その谷底に僅かな広さだが、岩が転がる平地があった。距離にして五百メートルほどで、望遠鏡を使わないと見づらいが、確かに地竜とサイクロプスがいた。
ダンの言っていた通りの光景に言葉を失う。しかし、精神力を総動員して、可能な限り情報を収集していく。
「地竜が十mくらい、サイクロプスは七から八メルトというところか」
距離が離れており、自信はない。
「僕もそれくらいだと思います。あの妖魔の大きさが二メルトだとすればですが」
「あれは大魔だな。前に見た奴と翼の特徴が似ている。飛んでいるのは妖魔だろう……」
妖魔らしき魔物が十体ほど渓谷の上を旋回していた。
そして、あるものを見つけ、「あれは!」と思わず大声を上げそうになる。
望遠鏡で覗いた先に先日見た魔族らしき姿があったためだ。五百メートルほど離れているのに、背筋に冷たいものが流れるのを感じるほどで、思わず身を隠してしまう。
ダンは俺から望遠鏡を受け取ると、魔族の姿を探す。
「奴が言っていた魔族だ。どの程度の能力を持っているか分からないが、あまり見るなよ。向こうが勘付くかもしれない」
俺の言葉にすぐに身を隠すが、ダンの額に冷や汗が浮かんでいた。
「あのヴラドと同じくらいという話でしたから覚悟はしていたのですが……恐ろしい力、禍々しい妖気のようなものを感じます……」
「俺もだ」と言ってもう一度望遠鏡を受け取り、観察する。
魔族は地竜たちに近づき、更に大魔に声を掛けていた。視線を感じられると厄介なので、その周囲を中心に見ていく。
最初に見たとおり、大きな岩がゴロゴロと転がっている谷底だった。春から夏に掛けては雪解け水が流れるのだろうが、今はほとんど流れていない。
更に上流から下流に向けて確認していく。
上流側である東には滝があり、急峻な崖が壁となっている。下流側は渓流の跡が続き、緩やかに南に曲がっていた。
もう一度、魔族のいる辺りを見ると、地竜たちが下流に向かって歩き出していた。
そして、魔族は北の斜面に向かって飛んでいく。
五十メートルほど上がった場所にある大きな岩に降りる。岩の陰に消えていくが、よく見ると洞窟らしきものがあった。
「あの大きな岩の奥に洞窟がある」といってダンに望遠鏡を渡す。
「確かにありますね。あそこに魔族が入っていったんですか?」
「そうだ。ただの拠点ならいいんだが、まだ隠し玉がある気がして仕方がない……」
俺が悩んでいると、
「妖魔がこっちに来ます!」とダンが小さいが鋭い警告の声を発した。
即座に身を隠し、更に下にいるリディたちにもハンドサインで身を隠すよう指示を出す。
妖魔は俺たちのいた場所から三十メートルほどの場所を通過していった。運良く見つからなかったようで、そのまま別の場所に飛んでいく。
「撤退するぞ」と小声で指示を出し、リディたちの待つ場所に向かう。
リディたちと合流すると、簡単に事情を説明し、
「急いでリッカデールに戻るが、敵の偵察に見つからないことが最優先だ……」
そう指示を出し、来た道を慎重にだが、急いで戻っていく。
尾根を滑るように降りていくと、突然強い悪寒を感じた。
それは俺だけではなく、リディたちも同じだったようで、思わず斜面で立ち止まってしまう。
「今のは何だ……」という俺の呟きに、誰も答えない。
俺が感じたのはさっきまで見ていた尾根の向こう側からだった。
最初は魔族が近づいてきたのかと思ったが、力の質が全く違う。魔族の気配には強力な力と共に生命力を感じた。
しかし、今回の悪寒には生命の力を全く感じなかった。以前戦ったアンデッドの王ヴラド・ヴァロノスにも生命の力は感じなかったが、ヴラドの場合、生命に対する負の力を感じた。
しかし、今回はそれすら感じない。
純粋な力、それも人とは相容れない全くの異次元の力という印象を受けた。
リディは弓を握り締め、不安そうに後ろを振り返っている。
ベアトリスは険しい表情で虎の耳をピクピクと動かしながら、鋭い視線で周囲を警戒している。
メルは愛剣の柄を握り締め、落ち着きを失ったかのように周囲を見回し、シャロンは両腕で自らを抱き締めるようにして震えていた。
ダンは弓を構え、息を止めて尾根の向こうにある洞窟を見るかのように斜面を凝視している。
「あの洞窟から感じた気がします……」
ダンの声は緊張で掠れていた。
「俺もそう思う。だが、魔族じゃない。これは人や魔物が出せる力じゃない……」
俺の言葉に全員が頷く。
「神々の敵……かしら……」
リディの呟きに、「恐らくそうだ……」と答えることしかできない。
「あのヴラドより遥かに力はある。あたしらで勝てる敵じゃない……」
「私もそう思います。でも、どうしたら……私たちはみんな死んでしまうのでしょうか……」
ベアトリスとメルがいつになく弱気になっている。シャロンは更に酷く、口を開くことすらできないようだ。
それほど衝撃的な力を感じたということだろう。
「ともかく、今はリッカデールに帰ることだけに集中する。敵のことは帰ってから考えよう。難しいかもしれないが、さっきの力のことは忘れるんだ。そうしないとつまらないミスを犯す」
朝までいた拠点にたどり着くが、敵の気配はなく、見つかることなく逃げ切れた。
拠点に戻ったが、誰も口を開かない。その夜、食事を摂ったが、中々寝付けなかった。どうしてもあの力を思い出してしまうのだ。
それでも翌日には何とか気力を取り戻し、二日後の三月三日。俺たちは無事リッカデールに帰還した。
■■■
魔将のアシュタルは主である虚無神の命令通り、大型の魔物を従えることに成功する。
彼が従えたのは地竜と一つ目巨人、更に多頭蛇竜だ。ランドドラゴンは成竜となっているが、サイクロプスはまだ完全な成体ではなく、やや小型だ。それでもオーガの倍以上の身長があり、巨人というにふさわしい体躯をしていた。
(更に手勢を加えたいが、魔物を狩りすぎたようだ。先に従魔することが分かっていれば……)
妖魔召喚のため、三級や四級相当の魔物を狩り続けたため、拠点としている古代遺跡の近くに適当な魔物はいなくなっていた。
後手に回ったことを悔やむが、ヴァニタスの状態が安定しない状況で、アシュタルが拠点を長期間離れることはリスクが大き過ぎる。
しかし、大型の魔物を従えたことから、ザカライアスたちをおびき出し、ヴァニタスの生贄にすることに決めた。
これについてはヴァニタスの許可を得ているが、テイムした魔物はアシュタルの指示しか聞かない。そのため、ヴァニタスの状態が安定するタイミングでリッカデールに向かうことになっている。
アシュタルはザカライアスたちが偵察に来ていることに気づいていなかった。
ただ、何となく視線を感じていた。
「念のため、周囲の警戒を強めておけ。だが、無闇に手は出すな。見つけたら、すぐに報告するのだ」
しかし、彼の指示は無駄に終わった。
遺跡の中にいたヴァニタスが突然、力を放出し、妖魔たちはその力に怯え、動けなくなってしまったのだ。
更にテイムした地竜たちは狂ったように暴れ出し、近くの岩を砕き、大木を薙ぎ倒していく。
アシュタルは遺跡の中でその力を感じた。
眷族となった際にも圧倒的な力を感じたが、今回のものは更に強いものだった。彼ほどの力を持つ魔物であっても、その力に圧倒され、思わず跪いてしまったほどだ。
「あ、主に何が……」
アシュタルは気力を振り絞ってヴァニタスの下に向かう。そこには頭を掻き毟り、野獣のように咆哮を続けるヴァニタスの姿があった。
「主よ! 何が! 何が起きたのですか!」
「……寄り代が……逆らっておる……グァァ!……我から身体を取り戻そうと…ガァッ!……」
咆哮と悲鳴の間で切れ切れに話す内容から、寄り代である黒魔族のサウル・インクヴァルが反抗していることが窺えた。
しかし、アシュタルにできることはなく、ヴァニタスの傍らに控えていることしかできない。
十分ほどでヴァニタスの状況が落ち着く。
「ようやく諦めたようだ。梃子摺らせたが、これで寄り代の魂は完全に消えた」
「では、ここから動くことが可能ということでしょうか」
「否。今すぐには動けぬ。我がこの世界に定着するには月が一巡する必要がある……」
「分かりました。では、ひと月後に行動を開始すると考え、準備を行います」
アシュタルはヴァニタスの下を去ると、暴れている従魔たちを鎮めるため、外に向かった。




