第三十話「ダンの決意」
ダンの視点です。
三月二十五日。
純白のドレスを纏ったメルが僕の前にいた。その瞳には涙が浮かんでいるが、それは悲しみの涙ではない。幸せに感極まった涙だ。
この時が来ることは昔から分かっていた。そう、物心ついた頃から。
メルがザック様を愛しているのを知ったのはいつのことだろう。先代様の厳しい訓練を受けている時か、リディアさんの授業を受けている時か……その辺りのことははっきりとは思い出せない。
二十歳になったメルは本当にきれいになった。前は大きな目とそばかすが幼い印象を与えていたけど、今ではそばかすもなくなり、よく動く瞳も大人の女性という感じで落ち着いている。
彼女が僕のことをただの幼馴染としか思っていないことは知っているし、それ以上の関係になることを僕自身望んでいない。本心を言えば望んでいるかもしれないけど、もし本当にそんなことになったら彼女が悲しい思いをした後だから。
「メル、おめでとう。シャロンも」
妹が横にいたことに気づき、咄嗟に付け加えた。妹には分かっていたようで嬉し泣きで赤くなった目が少しだけ笑っている。
「ありがとう、ダン……」
メルは伏し目がちに僕にそう言うと、一歩近づき軽く抱き締めてくれた。
「駄目だろう、花嫁が別の男に抱きついたら」といつもの調子でからかう。
「大丈夫よ。ザック様なら分かってくださるから」
「そうだね……」といってから彼女の肩に手を置き、もう一度「おめでとう」といって彼女の身体を離した。
本当はもっと彼女を感じていたかった。でも、それ以上彼女の体温を感じていると決心が鈍る。そう思ったから。
ザック様が僕のところへやってきた。
「ザック様、メルと妹をよろしくお願いします」
僕がそう言うとザック様は「ああ、任せてくれ」といって僕の肩をポンポンという感じで軽く叩く。
すぐに他の人が祝福に来たため、ゆっくりとその場を後にした。
結婚の式典が始まると、なぜか僕の手にはジョッキが握らされていた。横を見ると、アルスから来たドワーフの鍛冶師方がいて、その一人であるヨハンさんが何も言わずに渡してくれたみたいだ。ヨハンさんは僕の剣を打ってくれた人でここでもアルスでもよく一緒に飲む人の一人だ。
ジョッキの中にはヨハンさんの自慢のビールがたっぷりと入っていた。
「まあ飲め」と言って自分のジョッキを上げた。
僕も慌ててジョッキを合わせる。そうすると、周りにいた鍛冶師方も一斉にジョッキを上げ、
「ザックとメル、シャロンに乾杯じゃ! ジーク・スコッチ!」
ヨハンさんが銅鑼声で叫ぶと、ドワーフの皆さんも「「ジーク・スコッチ!」」と唱和し、一気にジョッキを呷る。
僕も慌てて「ジーク・スコッチ!」と叫び、そのままジョッキに口をつけた。
ラガービールの苦味が口に広がる。普段はもう少しすっきりしていた気がするけど、今日はなぜか苦味ばかりが気になった。
鍛冶師方は一瞬にして消えた。ビールをおかわりしにいったのだろう。
予想通り、ビールが満たされたジョッキを持った鍛冶師方が現れた。そして、今度は僕の鎧を作ってくれたウードさんがジョッキを上げた。
「それではダンにも乾杯じゃ! ジーク・スコッチ!」
「「ジーク・スコッチ!」」
皆さんは僕が落ち込んでいると思って励ましに来てくれたようだ。
ということはこの後、酔い潰されることになる。でも今日はそれでもいいと思った。
夜が更けていく。
鍛冶師方の宴はいつも通り夜を徹して行われる。僕もそれに付き合うため、一緒に大きな焚き火の前に座っていた。
いつもならザック様もいるのだけど、今日は新婚初夜ということで日が暮れた後に引き上げている。その代わり、リディアさんとベアトリスさんが付き合ってくれた。
二人とも特に何も言わずにドワーフの皆さんと飲んでいる。気を使われると悲しくなるからちょうどいい。多分二人もそしてドワーフの皆さんも分かっているんだろう。
その夜はリディアさんが何度か解毒の魔法を掛けてくれたけど、やっぱり酔い潰れた。そして、二日酔いになった。
いつの間にかリディアさんたちはいなくなっていた。その代わりエレナさんが横にちょこんと座っている。
「おはようございます」と回らない頭であいさつをする。
「おはようございます」と笑顔で応えてくれた。
エレナさんが僕のことを気にしていることは何となく知っている。すらりと背が高く、気品のある感じの人だから、僕もメルのことがなければ好きになっていたかもしれない。
その後は特に会話をすることなく、一緒に焚き火の前で座っていた。本当なら二人とも朝の訓練があるのだけど、僕は酔い潰れることが分かっていたからベアトリスさんに休むよう言われている。多分、エレナさんもリディアさんかベアトリスさんに何か言われて、ここにいるんだろう。
「何を黄昏ておるんじゃ!」と言ってゲオルグさんがビールの入ったジョッキを目の前に差し出した。
「今日もやることがあるんですけど……」といって断ろうとしたが、
「ゴーヴァン殿とマットには許可をもらっておる。今日は儂らに付き合え」
アルスの鍛冶師方は明日の朝、ボグウッドの町に向けて出発する。本来なら今日出発しないといけないんだけど、お酒がなくなるまで動かないことと、ギルドの職員さんや商人たちが片付ける時間が必要なので、ここで昼まで飲んでから研修所で飲み直す。
「明日までですか!」と思わず声を上げてしまった。
でもすぐにリディアさんたちの気遣いだと気づき、「分かりました」と言ってジョッキを受け取った。
二日酔いであまり飲む気はしなかったけど、すぐにリディアさんが現れた。
「遅くなってごめんなさい。すぐに解毒の魔法を掛けるわ」
わざわざ魔法を掛けるために来てくれたらしい。
魔法のお陰で少し楽になったが、胃の辺りのムカつきは残ったままでドワーフの皆さんが食べているようなコッテリとしたもの、ソーセージやベーコンの炙ったものは受け付けない。
「これをどうぞ」とエレナさんがミルクで小麦を柔らかく煮込んだ粥をくれた。
「ありがとう」と言って受け取り、スプーンですくって食べる。ほのかに甘い味付けでポリッジというよりデザートのようだった。
「美味しい?」とエレナさんが聞いてきたので、「美味しいですよ」と答えた。
他愛のない会話だけど、今の僕にはとても心地良かった。
その日は結局研修所に泊まり、家に帰らなかった。エレナさんはお昼過ぎに帰ったが、リディアさんとベアトリスさんは最後まで付き合ってくれた。
翌日、二日連続の二日酔いに悩まされながら、館ヶ丘の訓練場に向かった。汗を流したかったが、どうせ訓練で汗だくになるため我慢した。
訓練場にはメルも参加するために来ていた。いつも通りの姿で何も変わるところはないのだけど、メルの姿がいつもと違って見えた。
いつも通りの訓練だが、さすがに二日続けてドワーフの皆さんの宴会に参加したことから全然動けない。
何度も先代様やウォルトさんに叱られるけど、こればっかりは仕方がない。
朝の訓練が終わった後、ザック様が声を掛けてきた。メルとシャロンも一緒だ。
「随分飲まされたみたいだが、大丈夫か?」
鍛冶師方に飲まされ続けたと聞いて心配してくれたようだ。
「大丈夫ですと言いたいところですけど、今はゆっくり寝たい気分です。その前に汗は流したいですけど」
「離れのシャワーは使えるようにしてある。ウルリッヒたちが昼頃に帰るから、それまではゆっくり寝てくれ」
そう言って僕の腕をポンポンと軽く叩く。
メルとはまだ話をしていないけど、どうしても顔を見ることができない。こういう時は時間が必要だと誰かに聞いた気がするけど、本当にそう思う。
シャワーを浴びてすっきりした後、実家に戻った。
父さんは既に朝食を終え、今日の偵察の準備をしていた。
「明日は偵察の指揮を執れるな」と聞いてきたので、「大丈夫」と答えると、父さんは僕と目を合わせることなく、
「分かった。とりあえず今は寝ろ」
僕は「分かった」とだけ答え、自分の部屋に向かった。
部屋に入ると、すぐにベッドに倒れ込む。
睡眠不足と飲み疲れですぐに睡魔が襲ってくるかと思ったが、いろいろなことが頭に浮かび、中々寝付けない。
天井を見つめながら、ぼんやりとこの先のことを考えていた。
僕はこの先、どうしたらいいのか。今まで通り、ザック様やメルと一緒にいてもいいのか。
もし、ザック様が村を出ると言ったら、僕はどうしたらいいのか。ついていくべきか、それとも村に残るべきか。
僕はジェークス家の嫡男だ。だからといって跡を継がなければならないと決まっているわけじゃない。
男子は僕しかいないが、妹のユニスが婿を取るという選択肢もあると父さんが言っていたことがあるからだ。
今のところ、ザック様がこの村を出ていく可能性は低いと思う。ルナさんを守るのにこの村は最適だから。これはザック様自身がおっしゃっていたことなので間違いない。
ただ、敵は神々が恐れるような存在だ。
どんなことが起きるか分からない。その時、僕はどんな選択をしたらいいのだろう。
そんな考えがグルグルと回る。
何となく感じていることがある。
それは近い将来、ザック様がこの村を出ていくのではないかということだ。
理由ははっきりしていないけど、ルナさんが神々の敵と戦うことになるなら、ザック様は必ず助けるはずだ。そうなったら大好きなこの村に被害が出ないように出ていくと思う。
そうなった時、僕はどうしたらいいんだろうか。昔から何度も考えているけど結論は出ていない。
僕も二十歳を過ぎた。
大恩ある主家、ロックハート家に対する責任が僕にはある。例えジェークス家を継がないにしても。
突然、ザック様が話してくれたことを思い出した。
『大人になるっていうことは責任を取るっていうことだ。嫌な結論を先延ばしにしてダラダラと生きていけば、その瞬間はとても楽だ。でも、いつかそのことで後悔する。だから、決断を先延ばしにして後悔するな。これは経験者の俺だから言えることだがな』
僕は決めた。
決めた途端、突然睡魔が襲ってきた。
三時間ほど眠ったところで母さんが僕を起こしにきた。森での行動が多くなったから人の気配で目が覚めるようになったため、母さんが入ってくる前に起き上がる。
「そろそろウルリッヒさんたちが出発する時間よ」
僕はそれに「ありがとう」と応え、手早く着替えていく。
外に出ると、鍛冶師ギルドの馬車が館ヶ丘に向かってくるのが見えた。お城の方を見ると、御館様や先代様、ザック様たちが丘を下ってくる。
馬車で丘を上がる手間を省くために下で見送りをするようだ。
ザック様たちに合流し、一緒に丘を下る。特に何も言っていないが、ザック様が僕の変化に気づいたようだ。
「すっきりした顔をしているな。整理がついたか」
でも少し勘違いしているようだ。僕がメルのことで悩み、その整理がついたのかというニュアンスに聞こえたからだ。
「ええ、整理がつきました。後でお時間をいただけないですか」
「ああ、構わないよ。二人だけの方がいいか」
小声でそう聞いてきた。僕は頭を振り、「できれば六人で話したいです」と答えた。
ウルリッヒさんたちを見送った後、ザック様たちが住む離れにいった。
メル、シャロン、リディアさん、ベアトリスさんも集まり、シャロンがお茶を入れる。
全員にカップが配り終えたところで、僕はゆっくりと話し始めた。
「僕はジェークス家を継ぎます。ですから、もしザック様が村を出ることになっても、僕はついていきません」
予想外の言葉だったのか、リディアさんが声を上げようとした。しかし、ザック様がそれを片手を上げて制し、「そうか……」と呟かれた。
「私のことが原因なの? 今まで通りじゃ駄目なの」とメルが訴えてきた。
「メルのせいじゃない。ずっと昔から考えてきたことなんだ。僕はメルもザック様もみんなも大好きだ。でも、ロックハート家の家臣の一人でもあるんだ。それも領地の安全を守る武官という責任ある立場なんだ」
「でも……」とメルは何か言おうとしたが、ザック様が「分かった」とおっしゃり、
「今後はジェークス家の仕事を優先するということだな。まあ、ガイが隠居でもしない限り、今までと大して変わらないということだ。それに俺たちが村を出ていくというのも今のところ考えていないしな」
「はい。基本的には今まで通りです。もちろん、御館様から命じられたらザック様たちについていきますけど」
「そういうことだ」とおっしゃり、僕の横に来て「よく決断したな」と言って肩をポンと叩いた。
子供の頃から変わらない、僕のことを褒めてくれる時の合図のようなものだ。
その後、両親にも同じことを話した。父さんは「そうか」と言って頷き、それ以上何も言わなかった。母さんは少し違った。
「じゃあ、早く結婚相手を探さないといけないわね」
母さんは僕のことをからかっているわけではなかった。その目は真剣で、僕は返す言葉を失った。
「だって、ジェークス家の“三代目”のことを考えないと。あなたは危険な森にたくさん入るのよ。今までは一緒だったザック様やリディアさんとは別に。だから真面目に考えておきなさい」
確かにそうだけど、このタイミングで言われても何もいえない。
「エレナさんのことは真剣に考えなさい。あの人はあなたのことを待ち続けているのよ。待つことの辛さはあなたが一番分かっているんじゃないの。だからきちんと考えるのよ」
母さんの言葉に僕は頷くことしかできなかった。




