第七十五話「屋外での晩餐会」
前半は第三者の一人称、後半が三人称です。
私はエドガー・ステッドマン。チェスロック公爵家に連なる子爵家の当主であり、チェスロック領の交易に関する責任者でもある。
チェスロックはウェール半島の最南端に位置し、果実や香辛料など、他の領地では生産できない特殊な農産物が多い。その取引は領地の繁栄に非常に密接に結びついており、私の責任は重い。
今日はロックハート家陞爵の晩餐会に出席するため、シーウェル侯爵家の屋敷に来ている。
正直な話、最初に聞いた時には断ろうと思った。屋外での立食形式と聞いたからだ。
もちろん、シーウェル侯爵家の料理と酒に興味はあったが、この寒空に屋外で食事をしても寒さで味など分からないだろう。美姫とのダンスでも楽しめるなら別だが、食事だけということで私の興味を引くことはなかった。
出席している理由だが、それは招待状を持ってきたイグネイシャス・ラドフォード子爵の強い勧めがあったからだ。
そのラドフォード子爵だが、昔からの付き合いというわけではなく、つい最近面識を持った。
カカオの取引について協力してほしいというもので、私としては売れ行きのよくないカカオが売れるならと取り扱っている業者を紹介したり、生産計画などを教えたりしている。
彼は美食家として名高く、実際、彼と共にいった料理店は非常に質が高い食事を提供してくれた。
その彼が今回の料理は今までにない趣向であり、自分なら大ホールではなく、屋外の会場に行くと言い切った。
更に皇帝陛下が絶賛したというシーウェルワインを飲めると聞き、彼の言葉に賭けてみることにしたのだ。
御館様とは玄関ホールで別行動となり、庭園に案内される。毛皮のコートを着込んでいるが、やはり寒さを防ぐことは難しいとすぐに後悔する。
寒さについて文句を言っている者が多いので、私と同じ思いをしているのだろう。
ただ、今回は無理やり参加した者が多いという話であり、また、皇太子派とレオポルド皇子派が同席しているため、互いにみっともないところを見せないようにしているらしく、あまり強い口調ではない。
大ホールから乾杯の声が聞こえ、それを合図に屋外でも酒と料理が提供され始めた。
五十人ほどいる出席者に給仕たちが次々とグラスを運んでいく。
私のところにも赤毛の美少女がグラスを運んできた。
「ラスモア村の発泡ワインです。どうぞご賞味ください」
そう言ってニコリと微笑みグラスを手渡す。
私の娘と言っていいほどの年齢であるが、その屈託のない笑顔に僅かに心がときめく。まあ、チェスロックの者は男女問わず、恋を楽しむのでいつものことだが。
受け取ったワインは細長い美しいグラスに入っており、篝火のオレンジ色の光を受け、黄金を溶かしたような美しさを見せている。無限に湧き上がる泡が聖なる泉のようで、見ているだけで飽きない。
そのグラスに口をつけると、爽やかな酸味と白ワインの甘みが口に広がる。その美味さに思わず、「美味い」と呟いたほどだ。
先ほどの少女が再び戻ってきた。その手には小さな皿があった。
堅パンのような小麦を焼いた物に、ほぐした肉のような物を載せた料理が置いてある。
「クラッカーに角ウサギのリエットを載せた物です。そのワインによく合うと思います」
その時、私は革の手袋をしていたが、その料理はそのまま摘めるようになっていることに気づき、その配慮に感心する。
台になっているクラッカーごと口に放り込む。
塩気と脂が強いウサギ肉だが、臭みはほとんどなく、香ばしいクラッカーと共に食べると、肉独特の香りが口に広がった。
リエットだけでなく、何か別の食材が隠されていたようだ。やや強い酸味とハーブのような香りが後を追いかけるように広がっていく。
「エザリントンのピクルスが入っています。白ワインビネガーの酸味とハーブがとてもよく合うんです」
「そうだな。これは見事だ」
「ワインを飲まれるともっと美味しいと思いますよ」と言って微笑んでいる。
私のような四十前の貴族に物怖じすることなく話しかける少女に興味を持ったが、今は言われた通りにワインを口にする。
「ほう。これは」と言葉が漏れるほど美味い。
脂肪分と強い塩味が柑橘入りの水で流したかのようにきれいに流れていく。流れていくだけではなく、ワインのブドウの香りが何ともいえない幸福感を作り出す。
赤毛の少女に声を掛けようとしたが、既に他の出席者に料理を運んでおり、話をすることはできなかった。
美味いつまみとワインを楽しむが、すぐに空になる。
すると見計らったかのように赤毛の少女が次の酒を運んできた。
「エザリントンの白ワインです。酸味が少し強いですが、白い花のようなやさしい香りのワインです。どうぞ」
そう言ってグラスを差し出してきた。
口をつけると、先ほどの発泡ワインとは全く異なり、キリッとした酒が喉を流れていく。
「エザリントンでも最高級のものではないのかな?」
私がそう呟くと、少女は微笑みながら「おっしゃる通りです。エザリントン公爵様から頂いたものです」と答える。そこで話をしようと顔を向けると、彼女と同じ年くらいの少年が料理を運んできた。
「エザリントンのハタのフライです。新しいエザリントン名物にすると公爵閣下がおっしゃっておられた一品です」
その手には銀色の盆があり、串を打たれたフライが並べられていた。
その一つを手に取り、口に運ぶ。
「熱い!」と言ってしまうほど揚げたてのフライだった。
「あそこで揚げていますので熱々です」と言って会場の端にある屋台を指差す。
「これは秘密なんですが、大ホールよりここの方が冷めていない分美味しいんですよ」
そう言ってニコリと笑うと、次の客にフライを勧めにいった。
フライと白ワインを楽しみ終わると、次の料理の香りが漂ってきた。馴染みのある香りで魚介のスープのようだ。
ワインの酒精で身体は温まりつつあるが、未だに寒さを感じており、温かいものがほしくなっていたところだった。
その魚介のスープはティーカップに入っており、中には小さく切ったパンが浮かんでいる。
ゆっくりとそのスープを飲んでいると、白ワインが用意されていた。先ほどの物とは違うが、エザリントンのワインだという話だった。
この組み合わせも抜群に美味かった。
私がその味を堪能していると、ラドフォード子爵が現れた。
「楽しんでおられますかな」
「これほどとは思いませんでしたな。さすがはシーウェル家。外にいるとは思えぬほど楽しませてくれる。さすがはラドフォード殿だ」
私の言葉に彼は首を横に振る。
「私はほとんど関わっていないのですよ。素材の仕入先を紹介した程度ですな。ハハハ」
そう言って豪快に笑う。
その言葉が信じられず、「それは真ですか」と聞いてしまったほどだ。
「この料理の数々はザカライアス・ロックハート殿が考えたもの。さすがは酒神の申し子ですな。これほどの寒空に誰一人控え室に向かわれない。実をいうと、誰も部屋に入らないと我が家の者が心配しましてな。それで見に来たのですよ」
確かに宴が始まってから一時間近い時間が経っている。ただ酒を飲んでいるだけなら、我慢できずに暖かい部屋に逃げ込んだことだろう。
「しかし、これほどの料理と酒を出せるのはシーウェル家だけでしょう」
「そう言っていただけるのは真にうれしいのですが、この後の赤ワインを飲まずして、その言葉はまだ早いかと。あれこそ神の酒と呼ぶにふさわしいものです」
シーウェル家の赤ワインをまだ飲んでいなかったことに今更ながら気づかされた。シーウェルと言えば赤ワインだが、確かに白ワインしか飲んでいない。
「この後も存分にお楽しみください。特に次から出てくる赤ワインは私が自信をもってお勧めする。もし、寒さや疲れで別室に向かわれるなら、赤ワインを持ってきてほしいと給仕たちに伝えていただきたい」
この言葉は私だけでなく、出席者全員に聞こえるように言っていた。それほど自信があるのだろう。
「ステッドマン殿には後ほど時間を頂きたいのだが、よろしいですかな?」
「もちろん。シーウェル家の家宰たるラドフォード殿と話をさせていただけることは私にとっても願ってもないこと」
これは世辞でも何でもない。
シーウェル家は昨年から急速にワインの売り上げを伸ばしている。更に蒸留所の建設計画もドワーフたちと合意していると聞いているので、間違いなく発展する。
それにも増して重要なことは美食の街として有名なことだ。
チェスロック領は農産物を売ることで現金収入を得ている。もちろん税収も一定以上あるが、領外からの収入は非常に重要だ。
チェスロックは果実やスパイスなどでは潤っているが、小麦などの穀物の収穫量は少なく、大半を領外から購入している。その分を差し引くと、赤字ではないもののトントンといったところなのだ。
もし、美食の街シーウェルでチェスロックの生産物が流行るなら、それは帝都やエザリントン、ラングトンなどの大都市でも間違いなく流行る。それだけの宣伝効果がある街なのだ。
更にラドフォード殿から聞いた話では、ワインの祭を開催するらしい。そうなれば、一気に知名度が上がり、その宣伝効果は計り知れない。
そんなシーウェル家を取り仕切るラドフォード殿と懇意になることは、チェスロック家にとって非常に有益なことなのだ。
だから、断るという選択肢はありえない。
そんなことを考えていると、次のワインが出てきた。
今度も赤毛の少女で、愛らしい笑みを浮かべながらグラスを運んできた。
「シーウェル領ムーラン村の赤ワインです。まずはワインだけでお楽しみください」
グラスには美しい紅玉色のワインが篝火の光を受けて煌いている。これまでのワインもそうだが、いずれも美しく、視覚からも味わえるかのようだ。
グラスに口をつけようとしたが、その上がってくる香りに思わず手を止めてしまった。
周りの客たちも同じように手を止めている。
「これがワイン……信じられん」
そう呟くほど圧倒的な香りだった。赤ワインの芳醇な香りなのだが、その中に完熟したベリーのような甘い香りが隠れている。
「少し口に含んでからゆっくり飲まれると美味しいですよ。私はそうやって飲むのが好きです」
赤毛の少女がそう言いながら私の横を通り過ぎていった。
何度も飲んでいるような口振りだが、そんなことが気にならないほどワインに集中していた。
その時、大ホールから歓声が聞こえた。何の歓声かは分からないが、今はこのワインが気になり、それどころではない。
言われたとおり、口に含んだ後、ゆっくりと飲み込んでいく。
言われなければその圧倒的な美味さに一気に飲み切ってしまったかもしれない。それほどに香りと酸味、渋味のバランスがよかった。他の赤ワインにある木樽の香りなどは微塵も感じず、ただひたすらに熟成したワインの香りだけが、私を包んでくれる。
私の周りでも歓声が上がっていた。そして、私も彼らと同じように感歎の声を知らぬうちに零していたようだ。
「このワインにはこちらをどうぞ。器が熱くなっていますので、下のお皿の部分だけを触ってください」
出されたものは温められた器に入った牛肉料理だ。布を敷いた皿の上に器ごと載せられている。
「牛肉の赤ワイン煮です。シーウェルの名物料理の一つです。冷めないうちにどうぞ」
牛肉は一口サイズに切ってあり、ナイフを使うことなくフォークだけで食べられる。
よく煮込んであるのか、ホロッとした感じに仕上がっており、ほとんど噛む必要がないほどだ。
よく味わった後、赤ワインを口に含む。
「確かにこれはよく合う。何という美味さだ……」
ソースに溶け込んだ肉の旨みと赤ワインの爽やかさ、スパイスの複雑な香り……私の表現力では表せないほどの旨みを感じる。
それだけではなく、冷めにくくするため、器を温めるという気遣いに感動していた。
添えてあるパンをソースに浸し、それをつまみにすると、あっという間にワインがなくなってしまった。
ラドフォード殿の言う通り、今日出席しないという選択はなかったと実感する。それほど満足できる料理と酒だ。
そう考えていると、赤毛の少女がもう一つ赤ワインを持ってきた。
「こちらが先ほどのものを熟成させたものになります。イグネイシャス様が“至高のワイン”と表現されたものです。これには後ほどチーズを用意しますので、ゆっくりと召し上がってください」
そう言って赤ワインを置いていく。
ラドフォード殿が“至高のワイン”と言ったことは貴族社会では非常に有名な話だ。皇帝陛下と一部の公爵家にのみ贈られたワインであり、それが飲めるとは思っていなかった。
このワインは、私には表現することができない。
先ほどのものより更に深く、そして柔らかくしたものだが、それ以上の言葉が思いつかないのだ。
用意されたチーズは柔らかい物から堅い物まで五種類あったが、それぞれが違う香りを演出してくれ、これほど美味いチーズの食べ方はないと思わせるほどだった。
名残を惜しみながら至高のワインを飲み切る。
「最後のワインはカウム王国の王妃カトリーナ殿下からいただいた甘口ワインです。添えられているパウンドケーキとご一緒にどうぞ」
そう言って赤毛の少女はグラスとパウンドケーキの載った皿を置き、立ち去った。
甘口のワインはあまり好みではなく、今の幸せな香りの名残を楽しんでいたが、周りの貴婦人たちが「これはとても美味しいですわね」と言っているのを聞いて飲んでみることにした。
甘口ながらもしっかりと香りがあり、適度に冷やしてあるため、べたつく感じがない。更にパウンドケーキを口に入れると、中に入っているドライフルーツとナッツ、焼いた小麦の香りが甘口のワインを更に引きたてる。
そこで料理は終わり、給仕たちがそれぞれに割り当てられた部屋に誘導する。
今回の晩餐会だが、これほど他の者と会話しないものは珍しい。特に立食形式ということで自由に話ができるのだが、料理と酒に集中し過ぎて外交を行う気が起きなかったのだ。
私も赤毛の少女に声を掛けられる。
「ラドフォード子爵様のお部屋にご案内します」
そこで私は彼女に話しかけた。
「君の名を聞いてもいいかな? シーウェル家に連なる者なのかね」
少女は優雅に頭を下げながら、自らの名を名乗った。
「ロックハート家の家臣ヘクター・マーロンの娘、メリッサ・マーロンと申します」
そこでようやくこの少女の正体が分かった。
ザカライアス・ロックハートの婚約者の一人だということに。
ラドフォード殿の執務室に入ると、そこには意外な人物が待っていた。
私は片膝を突き、彼女の右手を取ってあいさつを行う。
「チェスロック公爵家の家臣、エドガー・ステッドマン子爵でございます。プリムローズ様にお会いでき、光栄に思います」
そう私の前にいたのは、エザリントン公爵家の次女、プリムローズ・エザリントン公爵令嬢だったのだ。
挨拶を終えると、プリムローズ様が真剣な表情で話し始めた。
「ステッドマン子爵様にお願いがあるのです。ラドフォード子爵様のお話に協力していただきたいのです」
どのような話なのか想像もできない。
今までプリムローズ様が政治に絡む話に出てきたことはなかったはずだ。最近ではザカライアスに惚れて降嫁するのではないかと噂があるが、それでも政治に絡むような噂はない。
「プリムローズ様、それではステッドマン殿も困ってしまうでしょう。まずは話を聞いていただきましょう」
そう言ってラドフォード殿が代わりに話し始めた。
話はそれほど大きな話ではなかった。チェスロックのカカオを増産してほしいというものだ。それも百年という長期契約を結ぶというとんでもないものだ。更に増産のための資金として、十年分を先払いすると言ってきた。
「あのカカオには無限の可能性があるのです。ですので、お願いします。ぜひともたくさん作ってください」
そう言ってプリムローズ様が頭を下げる。
私は慌てて「顔をお上げください」と言い、
「今のお話を書面にしていただきましたら、御館様に上申いたします」と答えるしかなかった。
次期宰相の令嬢に頭を下げられて、考えさせてくれと言えるほどの胆力は持っていない。
ラドフォード子爵が絡むということは美食に関することであり、チェスロック領にとっても悪い話ではないだろう。
しかし、一つだけ確認しなければならないことがある。
「この件はエザリントン公爵閣下が関与されているのですかな?」
私の問いにラドフォード殿ではなく、プリムローズ様が答える。
「これは私の一存です。父は関係ありませんし、この件では相談もしておりません」
ラドフォード殿を見ると僅かに苦笑しているので本当のことなのだろう。
プリムローズ様と言えば、甘味に強い関心をもっておられると聞いたことがあるので、その関係なのだろう。
「私にできることは必ず協力させていただきます。チェスロック公爵領にとってもよいお話ですので」
その時の私はいささか酔っており、あまり深く考えなかった。
翌日、ラドフォード殿から書面が届いた。
契約書の書式に則っており、すぐにでも契約できるほどだ。これほどまでに迅速な準備を行っていることに違和感を抱く。
ラドフォード殿は美食家というイメージが強いが、非常に有能な文官だ。儲け話にならないことにこれほど周到な準備は行わないだろう。
しかし、公爵令嬢の前で協力すると言った手前、御館様を説得して進めなければならない。
なぜなら、妙齢の公爵令嬢はどこに嫁ぐか分からないからだ。
チェスロック家のご嫡男には婚約者がおられるが、他の公爵家に嫁がれることは大いに考えられるし、皇室に嫁がれ皇妃殿下になられることすら考えられる。
そのような権力の中枢に入るかもしれない女性を敵に回すことは、私のような下級貴族にとっては命取りだ。
その後、御館様に報告したが、興味を示すことなく、「シーウェル家の頼みなら聞いてやれ」と即座に了承してくださった。
聞いたところではあの至高のワインを特別に土産としてもらっているらしく、その際に今回の協力について内諾されていたようだ。
これだけの準備をしているということは相当な儲け話なのだろう。惜しいと思う気持ちもあるが、この件では向こうの思惑通りに進めておき、他のことで譲歩を引き出せばいいと思い直した。
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後にチェスロックはカカオの生産で大いなる利益を上げた。
遊休地を使って増産した分をすべてラドフォード子爵とロビンス商会が買い取ったためで、安定的な収入を得ることに成功したのだ。
ただ、チョコレートの需要が伸び始めた時、チェスロックではラドフォード家との契約を破棄し、他の商会にも売るべきという話が持ち上がった。当時、ラドフォード家の買い値の二倍を出すという商会が現れており、入札すれば数倍の利益が上がると考えられたからだ。
しかし、それは実行されなかった。
ステッドマン子爵が契約の破棄はチェスロック公爵家の名に傷を付けるものであると強く主張したためだが、他にもある人物が裏から手を回したためと言われている。
もう一話、宴会の話が続きます。




