第六十一話「帝国学術院訪問:前篇」
ダン視点です。
僕はラドフォード子爵夫人ヴィクトリア様に連れられ、貴族街の南にある帝国高等学術院の前にいた。
「どう? なかなかのものでしょ」
ヴィクトリア様は微笑みながらそう言うが、返す言葉が出てこない。
ここに着く前はザック様たちが宰相閣下と面談するということで頭が一杯だったけど、目の前の光景に一瞬、そのことを忘れたほどだ。
僕の目の前には宮殿かと思うような美しい光景が広がっている。
白い石が敷かれた道と大きな噴水、芝生が敷き詰められた庭、そして、その先には中央に大きな時計台がある四階建てのレンガ色の建物。
道には濃い青色の短いマントを着けた学生が本を片手に持ち、友人たちと楽しく会話しながら歩いている。
ようやく出てきた言葉は「す、凄いですね」というありきたりなものだった。
「見た目と大きさだけなら、ドクトゥスのティリア魔術学院に引けは取らないわね」
そうおっしゃるけど、実際には全く比較にならない。
ティリア魔術学院はドクトゥスの城や騎士団用の建物を流用しているため、見た目だけならどこにでもある城塞都市の建物と変わらないし、学院自体も狭く、幅二百m、奥行きは百メルトほどしかない。
ここ帝国学術院の敷地は東西に一km、南北に五百mほどで、ドクトゥスなら旧市街の半分の面積を占めるほどの広さだ。
広さだけでなく、重厚さの中にも開放感があり、素晴らしい学校だと心から思った。
「でもね、中身は大したことがないのよ。ドクトゥスの私塾にすら及ばないんだから」
「そ、そうなんですか? 僕には全然そんな風に見えませんけど」
「卒業生である私が言うのよ、間違いないわ。フフフ……」
ヴィクトリア様はそう言って笑うが、そこは笑うところじゃないと思う。
「そんなことより行きましょう」
「えっ? 受付とかはいらないんですか?」
「ここは貴族街に入れる人なら自由に出入りできるから」
そう言って歩き始めてしまう。
ティリア魔術学院では入口で訪問理由などを説明し、武器を預けないと入れなかった。
確かに貴族街に入るためには特別な許可もいるし、厳重なチェックも行われるから安全上は問題ないのだろうけど、貴族と取引がある商人でも入れるということなのかと思ってしまう。
貴重な書物なんかもあるはずなのに自由に入って紛失することはないのだろうか?という疑問が頭に浮かぶが、それを口にすることなく、ヴィクトリア様に遅れないようについていく。
ヴィクトリア様はシンプルな感じの深いグリーンのドレスに白い毛皮のコートを羽織っており、一緒に歩く僕は帝国の騎士がよく着る青色の服に白いズボン、黒い革のブーツに長剣という姿だ。
この学術院の雰囲気とはかけ離れており、ご子息の様子を見に来た貴婦人とその護衛にしか見えないんじゃないかと思うほどだ。
「娘はローレンシア様のサロンを借りると言っていたから、まずはそこに行くわよ」
公爵令嬢のサロンに平民の僕が入ってもいいのかと思わなくもないけど、それを聞く雰囲気じゃない。仕方なく、ヴィクトリア様についていくけど、建物に近づくにつれて周囲から注目されているのに気づいた。
やはり浮いているからだろうとは思うのだけど、斥候職のならいで敵じゃないと分かっていても視線がどうしても気になってしまう。
校舎の中に入ると、思った以上に明るい。
帝都の建物はガラスを多く使っているから全般的に明るいんだけど、ここは明り取り用の窓の配置が特にいいのだろう。
まだ十時前という時間にも関わらず、斜めに入る光が磨き上げられた廊下を照らしており、影が気になることはなかった。
校舎の中ではヴィクトリア様にあいさつする人が多く、その都度に止まっている。
そして、必ず僕が何者かという感じで見るけど、聞かれる前にヴィクトリア様が先に紹介してくれる。
「フェリシアの婚約者、ダン・ジェークス君よ。あのザカライアス・ロックハート卿の腹心にして義兄弟になる人よ」
ザック様の名は思った以上に知られていた。僕を紹介する度に「あのティリア魔術学院の首席の……」という感じで驚いているのだ。
「ここはティリア魔術学院をライバル視しているから、ザカライアス卿のことはみんな知っているのよ」
僕がなるほどと思って頷くと、
「でも、本当のザカライアス卿のことは誰も知らないわ。あれほどのお酒好きだってことはね……フフフ……」
そう言って僕にウインクする。
どうもこの人は苦手だ。僕の周りにはこういったことをする人がいないからだろう。
苦手だけど嫌いじゃない。からかってくるのだけはちょっと勘弁してほしいけど、今はザック様たちのことが気になって仕方がない僕のために、いつも以上に気を使っているんだと思う。
校舎の階段を上がっていく。手すりは高級な家具のようにピカピカに磨き上げられていて、窓から差し込む光が反射している。
階段には高そうな絵が何枚も飾ってあり、踊り場には大きな花瓶に花が生けられている。二月も半ばというこの季節に、これだけの花を揃えるのは大変なんだろうなと、美しさより先にそんなことを考えてしまう。
四階に上がると鎧に身を固めた兵士が二人立っていた。
「ヴィクトリア・ラドフォードよ。こちらはダン・ジェークス。ローレンシア・エザリントン様のサロンに招かれているの」
「聞いております。お通りください」
オーブの確認をすることなく、それだけで通される。僕の剣も預けなくていいみたいだし、警備が甘いように感じた。
「私は何度も来ているから顔パスなのよ。本当はオーブで身元を確認するわ」
「剣を持ち込んでもいいんですか?」
「ええ、大丈夫よ。帝国は武力をもって大きくなったから、武力の象徴である剣を預けることはしないの。もちろん、魔術師の杖は駄目だけどね」
そんなものかと考えながら廊下に出ると、そこには赤い絨毯が敷かれていた。
「ここからは伯爵家以上の方の部屋があるの。だから、他の階よりよくなっているのよ」
なるほどと納得する。絨毯だけじゃなく、窓際にも花が飾られており、他の階とは雰囲気が違う。
ヴィクトリア様が立ち止まり「ここよ」と言って扉を指差す。
そして、ノックをして中に入っていく。中に入ると仄かに紅茶の香りがする。
そして、一人の女性が窓際に立っていた。
窓の光で逆光となり、顔はよく見えないが、ふわりと広がる美しいブロンドの髪が本物の金でできた糸のように見えた。
「はじめまして」とあいさつをされ、慌てて僕も頭を下げる。
「ロックハート家の家臣、ガイ・ジェークスの嫡男ダンです」
「フェリシア・ラドフォードです。母の悪巧みに無理やりつき合わせてごめんなさい。本当にこういうことを真面目にやる人なの、うちの母は」
「あら、これはダン君にとってもいいことなのよ。それにあなたも乗り気でしょ」
突然、母と娘のやりとりが始まり、僕はどうしていいのか戸惑ってしまう。
「ほら、変なことをいうからダン君が困っているじゃない。それに立ち話もなんでしょう」
「そうね。それではジェークス様、こちらへどうぞ」
子爵令嬢に様付けで呼ばれて更に固まってしまう。
「ジェークスかダンとお呼びください。様付けは……」
僕の言葉にフェリシア様が振り返る。
ちょうど光の角度が変わり、はっきりと顔が見えた。
ヴィクトリア様と同じく、白い肌に通った鼻筋、少しシャープな感じの顎のラインが現れ、少し冷たいかなと感じる蒼い瞳が僕を見つめる。
「あら、私たちは婚約者ですのよ。夫となる殿方を立てるのは妻となる者としては当然のことですわ」
貴族のしきたりに疎い僕にはそれが正しいことなのか分からない。
困っているとヴィクトリア様が「こら、ダン君をこれ以上困らせないの」と言ってくれたので、からかわれたのだろう。
まだ会って数分だけど、こういうところは親子なのだと納得した。
「ごめんなさい。では、私もダン君と呼ばせてもらうわ。あなたもフェリシアと呼んでくださいね」
「では、フェリシア様と呼ばせていただきます」
僕の言い方にヴィクトリア様が笑っているが、話が進まないと思ったのか、椅子に座るよう促した。
僕たちは窓際にある丸テーブルを囲むように座ると、すぐに奥にいたメイドがお茶を運んでくる。
紙のように真っ白な薄いティーカップが、きれいに絵付けされた皿に載っている。
これだけでいくらするんだろうと思うほどだけど、僕の場合、ザック様のグラスを使うことが多いから緊張するようなことはない。
「大丈夫そうね」とフェリシア様が言ってきた。
首を傾げていると、
「そのカップとソーサーはローレンシア様の物なの。つまり、エザリントン公爵家所有の物で、物凄く高いものなのよ。あなたはその価値が分かった上で普通に手に取ったでしょ。言っては悪いけど、帝都の貴族から見たらロックハート家は辺境の騎士に過ぎないわ。その家臣はただの兵士と変わらないって思っている人も多いの。それだけ堂々としていられるなら、この先も大丈夫だと思ったのよ」
「あなた、初対面なのによくそんなことが言えるわね。そういう性格だから婚約者ができないのよ」
ヴィクトリア様はフェリシア様を嗜めると、
「ごめんなさいね、ダン君。半月ほどだから我慢してね」
「私の性格はお母様似だと聞いているわ……」
毒舌の応酬に聞こえるけど、二人は楽しげだ。多分、僕が緊張していないように気を使ってくれているんだろう。
僕は知らないうちに微笑んでいたようで、二人がそれに気づき、僕を見る。
「呆れているのかしら?」とフェリシア様が言うと、「ロックハート家の皆さんは素直な方ばかりだから仕方がないわ」とヴィクトリア様が即座に答える。
「いいえ、楽しそうだなと思って……すみません」
そう言って頭を下げる。
「まあいいわ。では、これからのことを説明するわよ」とヴィクトリア様が真面目な表情で話し始めた。
「あなたたちは両家が決めた婚約者同士。文通はしていたけど、今日初めて会った。そして意気投合して学術院や帝都を見てまわるの……」
ヴィクトリア様の説明は以前に聞いていたとおりだった。
フェリシア様とできるだけ目立つように歩き、彼女の知り合いにあったら婚約者であることをアピールするのだ。
僕に演技を期待されても困ると伝えると、
「ダン君はそのままでいいわ。この子に振り回されて少し困っている感じの方が自然だから」
詳しくは聞いていないが、フェリシア様は自由奔放な方らしい。
「早速だけど、学術院を案内してあげなさい。できれば、知り合いに見せ付けるようにしてね。分かった、フェリシア?」
フェリシア様は「分かっているわ」とちょっと頬を膨らませている。最初の印象よりかわいいなと思ってしまった。
「私はローレンシア様にごあいさつしてくるわ。夕方までいろいろと案内するのよ」
「午後の講義はどうするの? 出たいのだけど」
「休みなさい」と即座に否定される。フェリシア様は不服そうに少し口をとがらせている。
「講義の間、僕はどこかで待っていますよ」
僕がそう言うと、ヴィクトリア様が「午後の講義は何かしら」とフェリシア様に聞いた。
「数学よ。幾何学」
「そんな頭が痛くなるものに出たいの、信じられない……まあいいわ。聴講生の制度はまだあったわね。それに申し込んでおくから、一緒に出席しなさい」
幾何学というのはザック様に聞いて知っているけど、僕が苦手な奴だ。図形の面積とか辺の長さを計算する学問だ。
僕の顔を見てヴィクトリア様が笑いながら、
「分からなくても聞いているだけでいいから。私もそうだったし」
「私が教えてあげるから大丈夫よ」とフェリシア様も励ましてくれる。
「多分全然分からないと思いますので、気にせず勉強してください」
そんなことを話した後、僕たちは立ち上がった。
フェリシア様に声を掛けようとした時、ヴィクトリア様がそれまでとは違う真剣な声音で話しかけてきた。
「ザカライアス卿たちのことが心配だろうけど、今のあなたにできることはないわ。言い方は悪いけどそれは事実なの。だから、今はあなた自身を守ることを考えなさい。それがあの人たちにとって一番役に立つことだから」
「ありがとうございます。そうですね。僕にできることをやることにします」
そう言って頭を下げる。
「話はそれくらいにして行きましょう」と言って、僕の右腕に左腕を絡めてくる。
フェリシア様は白いブラウスに膝丈くらいの黒と白のチェックのスカート。それに黒いベストと濃い青の短いマントのようなものを着ている。
右の二の腕に柔らかい感触があり、顔が熱くなる。
きっと真っ赤になっていると思う。そんな僕のことを気にすることなく、「では、行きましょう」と言って歩き始めた。
身長は女性にしては高い方だけど、僕より十五cmくらい低い感じで、歩き始めるとふわっとした髪が耳元をくすぐる。
校舎の外に出たところで、「ビックリしたでしょ」とニコリと笑う。
「お母様とはいつもあんな感じなんだけど、仲が悪いわけじゃないわ」
「ええ、すぐに分かりましたよ」
そんな感じで話をしながら、学校の中を散策していく。
この辺りは高等学術院ということで、僕と同じくらいの歳の学生が多い。午前十時過ぎなのに授業を受けることなく、外で本を読んでいる人が多い気がした。
そのことを聞いてみると、
「ここは自由な校風なの……」とおっしゃった後、ニコリと笑った。その笑いは少し憂いのある感じがした。
「……と言いたいところだけど、成績はほとんど爵位で決まっているから、真面目に勉強しようという人が少ないのよ。私やローレンシア様のように真面目に打ち込んでいる人なんて、ほんの一握りしかいないわ」
ザック様から聞いたことがあるが、帝国の学術院は爵位によって点数が加算され、伯爵家以上の子弟は素行不良でもない限り落第することはなく、少し勉強すれば上位になれるらしい。
「だから、私はザカライアス卿にお会いしたいの。あのティリア魔術学院で首席だったのだから。それにあなたの妹のシャロンさんにもね」
「フェリシア様なら気が合うと思いますよ。二人とも勉強が好きでしたから。僕は全然駄目ですけど」
少し歩いた後、木漏れ日が落ちるベンチに座る。
ここ帝国南部は真冬でも日差しがあれば暖かいから、短時間なら苦にならない。
三十分ほど話をしていると、再び視線を感じた。校舎の陰から数人の女生徒が顔を覗かせて僕たちを見ていたのだ。
僕が彼女たちに視線を向けると、慌てて逃げ出した。やはり僕たちのことを見ていたようだ。
昼食を摂るため、学生食堂に向かった。
「味はあまり期待しないでね。お父様が絶賛するロックハート家の食事とは比較にならないから」
「僕たちも毎日美味しいものを食べているわけじゃないですよ」
「そうなの? でも凄いわね。あのお父様が絶賛するなんて。初めて聞いた時、ビックリしたのよ、聞き間違いじゃないかって」
「ザック様、いえ、ザカライアス様はお酒と食事に拘る方ですから。それもビックリするくらいに」
「面白そうね。普段の話を聞かせてほしいわ……」
そんな話で盛り上がりながら、学生食堂に向かう。
ここでも爵位によって差が付けられているようで、伯爵以上の上級貴族用と子爵以下の下級貴族用、平民用の三箇所に、食堂が分けられている。僕たちは下級貴族用の食堂に向かった。
正午には少し早い時間だが、すでに多くの学生たちが並んでいた。
食事は無料なので好きなものを取っていく。
「その肉はやめた方がいいわ。その魚も。美味しくないから。こっちのシチューならまだ食べられると思うわ……」
二人で食事を選んでいくが、どうも周りの視線が気になる。
「滅多に男の人と食事をしないから。普段はローレンシア様たちと一緒にいるか、一人でいることが多いのよ……」
そんなものかと思っていると、一人のぽっちゃりとした男子生徒が僕たちの前に立ち塞がった。
「誰かと思ったらフェリシア嬢じゃないか。君が男といるとはビックリだよ」
「モーティマー様には関係ありません。周りの皆様の邪魔になりますわ。どいていただけませんこと」
険悪な雰囲気に周囲がざわつく。
「その男は何者なんだ? 学生じゃないことだけは間違いないが」
「私の婚約者ダン・ジェークス様です」
婚約者というところで、モーティマーと呼ばれた男子学生は大きく顔を歪める。
「ジェークス? 聞いたことがない。どこかの田舎騎士か何かなんだろうが目障りだ。失せろ」
そして、僕に向かって顎をしゃくるようにして出ていくように言った。
「ローレンシア様のお名前で許可をいただいておりますけど? それとも今から確認してみますか? モーティマー家のダミアン様がローレンシア様のお客様が気に入らないから出ていけとおっしゃっていますと」
「い、いや、ローレンシア様の客なら問題はない……しかし、本当に婚約者なのか? そんな話は聞いたことがないぞ」
「嘘など言いませんわ。ローレンシア様やプリムローズ様はご存知ですけど、あなたに言う必要を感じなかっただけです」
フェリシア様はこのモーティマーという男が嫌いなようだ。僕もあまり関わりたくないタイプだけど。
やり込められて何も言えなくなり、ぷりぷりと怒ったまま食堂を出ていった。
「ご不快にさせて申し訳ございません。本当にああいう手合いが多くて困ってしまうわ」
「いいえ。フェリシア様は何も悪くありません。今のは向こうが一方的に悪いと思います」
ザック様と妹が魔術学院でいじめにあったように、ここでもいろいろとあるみたいだ。
食事はフェリシア様がおっしゃったように大したことはなかった。帝都に来た翌日に食べた食堂の定食の方が美味しいくらいだ。
そのことを話すと、
「そんなところがあるのね。私はシーウェル市では街に出るのだけど、帝都では貴族街からほとんど出ないから。本当に羨ましいわ」
食事にはワインをつけることができるそうだが、お勧めしないとのことだったので飲んでいない。多分、ザック様なら不味いと分かっていても好奇心に負けて飲むんだろうなと考え、そのことも話してみた。
「本当にお父様と同じね。美味しくないと言っても、必ず味だけはみるの。それでその後にいつも“もう少しマシなものはないのか”って怒っているのよ。おかしいでしょ」
「ザック様も同じです。“もっと管理をしっかりすれば多少はマシになるのに”ってぶつぶつと言っていることが多いですから」
そして、二人で顔を見合わせて同時に噴き出した。
帝国高等学術院のイメージはイギリスの古い大学です。
もちろん行ったことはないので、WEBで見た画像や映像からイメージしたものです(笑)。
最近ダンの出番が多い気がします。
どこかでメルの話を書きたいのですが、なかなか難しい……




