第五十六話「宰相の思惑:中篇」
今回も宰相の視点です。
結局、前・中・後篇の3部になってしまいました。
二月十一日の午前。
儂はロックハート家に対し、儂とアレクシス・エザリントン公爵に協力するよう強要した。
しかし、彼らは、いや、次男ザカライアスは儂の言葉を巧みにかわし、表面的な協力を断ってきた。
儂は彼の考えに合理性を感じたが、更に強く出た場合、どう反応するかが気になり、鍛冶師ギルドを用いた謀略をもって協力せよと強く命じてみた。
ザカライアスは「恐れながら」と言ってから話し始めた。
「鍛冶師ギルドの影響力を宰相閣下が利用されることがよいこととは思えません」
口こそ出さなかったが、内心では「ほう」と答えていた。
ロックハートが常々言っている“信義に基づかないことを友にさせるわけにはいかない”と答えるだろうと考えていたのだ。
「“よくない”とはどのようなことか。具体的に申せ」
「はっ」と頭を下げてから、再び儂の目をしっかりと見つめる。
「宰相閣下は今まであえて特定の勢力と協力関係を築かれなかったと聞いております。これは皇太子派、すなわち商業ギルドと、レオポルド殿下派、すなわち軍部に対し、閣下が完全に中立であり、いかなる勢力の権益をも考えぬと誰の目にも明らかにするためではないでしょうか……」
そこで儂の目を探るように見てきた。
実際にこの者の考えることは一部合っている。
商業ギルドにしても軍にしても、儂がすることは帝国のためだけと考えておる。実際その通りでもあった。
しかし、それは単に今まで後ろ盾になる勢力がいなかったからに過ぎない。つまり、意識して行ったことではなく、結果としてそうなっただけだ。
もし、力のある組織の力を背景にできれば、もう少し楽に政策が実行できたと思っているほどだ。
もっとも、自己の利益しか追い求めぬ商業ギルドや、自己の存在意義を見出すために戦を起こそうとする軍が後ろ盾であっても、儂はその者たちのことを配慮するつもりはなかったが。
儂が自己の考えに没頭している間もザカライアスの話は続いていた。
「……もし、宰相閣下が鍛冶師ギルドの力を背景に政策を実行されれば、両派閥は鍛冶師ギルド、更にはカウム王国の権益も考慮されていると考えるのではないでしょうか。そうなった場合、今は反目している両派閥が手を握ることすらありえます。商業ギルドと軍、すなわち、金と暴力という強大な力が融合される可能性を秘めているのです」
正直なところ、その危険は考えておらなかった。
結果として後援組織を持たなかったため、そのような視点で考えたことがない。
よくよく考えれば、軍はともかく、商業ギルドは何をするか分からぬ組織だ。
実際、ルークスを密かに支援しながらも、敵対する帝国では最高権力者の座を争う一画を堂々と支援しておる。それだけではなく、自らに不利益となる者は躊躇いなく暗殺や謀略をもって潰していた。儂自身も危うい目には何度もあっている。
儂の持論だが、商業ギルドは追い詰めすぎてはならぬ。急進的な対応は思わぬ行動を引き起こす。じわじわと真綿で締めるような追い詰め方がよいのだ。
「言わんとすることは分からぬでもない。しかしじゃ。それではエザリントン公が宰相となったらどうなるのじゃ? アレクシス殿は第四軍団長、軍での人気も高い人物だが」
その問いにも答えを考えておったのか、迷うことなく答えていく。
「公爵閣下は軍にも影響力をお持ちですが、商業ギルドにも一定以上の影響力をお持ちです。特に商業ギルドに対しては、アウレラの本部と帝都の支部の力関係を利用し、巧妙に影響力を行使されておられるのではないでしょうか。もし、そこに鍛冶師ギルドという要素が入った場合、そのバランスが崩れ、商業ギルドとの関係が破綻することも考えられます」
儂は目の前の小僧が恐ろしくなり始めていた。
アレクシス殿はエザリントン市の通行を容易にすることで、海運業を主とするアウレラの商人に打撃を与えている。その結果、帝都の商人たちはアレクシス殿を賞賛しておる。
それだけなら帝都の商人を味方につけただけだが、彼はエザリントン市の港の利用料を帝都より下げ、アウレラの商人たちにも利益を与えている。そのため、アウレラの商人たちは彼を侮りがたい人物と評価していた。
少しでも目端の利く者なら気づくこと自体、難しくない。実際、儂も同じことを考え、手を貸しているのだ。
しかし、そこに鍛冶師ギルドが加わった場合の影響まで考えるとなると、話は変わってくる。
商人たちは利に聡い。そして思った以上に彼らは保守的だ。
商売を行うにはある程度安定していた方がよいのだから。
鍛冶師ギルドのドワーフたちは彼らとは相容れぬ価値観を持つ者たちだ。
商人たちも自らの価値観に合わないから即排除するほど狭量ではないが、それでもそのような組織を後ろ盾にしている人物を信用してよいのか不安になる可能性は高い。
今のアレクシス殿なら商人たちも自分たちが理解できる存在として認めているが、そこに不安要素が加われば、彼の政治手法に疑問を持たれかねないのだ。
この者は自分が得ている限定的な情報から、それを分析し、正確に洞察した。僅か十六歳の少年がそれを行ったことに戦慄にも似た感情が湧き上がったのだ。
「では、儂もアレクシス殿も鍛冶師ギルドの力を背景にせぬ方がよいと言いたいのじゃな」
「いいえ」と首を横に振る。
その意外な行動に儂は常には取らぬ行動を取ってしまった。
普段なら考えぬままに言葉を発しないのだが、その時は思わず、「言うておることが矛盾せぬか」と言ってしまったのだ。
「鍛冶師ギルドを味方につけることは閣下にもエザリントン公爵閣下にも有益であると考えます」
「そこが矛盾しておると言うておるのじゃ!」
ここでも感情の赴くままに口を挟んでしまった。
いつの間にかザカライアスのペースに巻き込まれていた。そのことを自覚し、心の中でゆっくりと深呼吸をする。
「鍛冶師ギルドの力を背景に政治を動かすことは商業ギルドに警戒心を抱かせます。特にロックハート家を利用する方法は劇薬と言ってもよいでしょう。しかしながら、“個人”としてドワーフたちを味方につけることは、必ずしも商業ギルドを警戒させるものではありません」
ここまできてようやく、この者が言いたいことが理解できた。
「つまりじゃ、ドワーフと個人的に懇意になれということじゃな。ロックハートが絡めば、ドワーフがどう動くか分からぬが、ロックハート以外が相手ならドワーフたちも安易には暴走せんと」
「御意にございます。ロックハート家が望んだことではございませんが、我が家が鍛冶師ギルドに何かを頼めば、過剰な反応をすることは簡単に予想できます。しかし、どのような影響が出るかは全く予想できないのです。我らがドワーフたちを政治に利用しないと決めた理由の一つでもあります」
先ほどまでの戦慄が少しだけ消えた。
この者は非常に合理的だ。単に友誼を優先しているだけでなく、合理的に考えてドワーフの政治利用をやめるように言ってきたのだ。
恐らくだが、儂に合わせてその考えを披露したのだろう。
儂は合理的な考えをせぬ者を認めん。いや、帝国の政治に関与しなければ、好きに考えればよいが、この大国の政治に関与する者に合理性がないことが許せぬのだ。
儂がルークス聖王国を嫌う理由の一つに、宗教という価値観のみで政治を動かそうとしていることがあげられる。
逆に何度も煮え湯を飲まされておる商業ギルドの存在を認めてもよいと思っておるのも同じ理由だ。彼らは“金儲け”という価値観だけで動いているが、金儲けは合理的でなければできぬ。そのため、彼らの考え方は非常に合理的なのだ。もっともそれが帝国にとってよいことばかりではないが。
儂のことを考えて、そのような話に持っていったのだろう。
儂は再びこの若者との会話を楽しむことにした。
「言わんとすることは理解した。その上で今一度問う」
そこでマサイアスらにも強い視線を向けた。彼らは儂の視線に頭を僅かに下げる。
「先ほどのザカライアスの言では、ロックハートはドワーフを政治に利用せぬと言った。しかしじゃ、先日、帝都のドワーフたちは儂に警告に来た。それはロックハート家の者が仕向けた結果じゃ。このことについて、そなたらの考えを聞かせよ」
そこでマサイアスが「此度のことは我が失態でございます」と大きく頭を下げる。
「失態であることは分かっておる。この事実に対し、どう対処するのかを問うておるのじゃ」
「鍛冶師たちに接触した我が従士には既に罰を与えております。また、ザカライアスの婚約者シャロン・ジェークスに対しましては、婚約の無期限凍結を言い渡しております。その上で、我らロックハート家は帝国に更なる忠勤を励むことをお約束いたします」
「その程度で謝罪になると思うてか? 帝国の威信を傷つけた罪は重い。帝国に対して忠勤を励むでは謝罪になっておらぬのではないか」
今回は先ほどとは異なり、恫喝するような言葉は使わなかった。既に恫喝してどうこうなるような相手ではないと思ったからだ。
「父に代わり、私から説明いたします」と言ってザカライアスが話し始めた。
「ロックハート家は宰相閣下およびエザリントン公爵閣下と鍛冶師ギルドとの間を取り持つことを提案いたします。それもロックハート家が閣下の派閥に入ったと見えぬように」
予想はしていたが、具体的な方法が一つしか思いつかない。
「具体的にはどうするのじゃ? まさか、北部総督のように、鍛冶師たちの宴会に参加せよというのではなかろうな?」
さすがに宰相たる儂が平民である鍛冶師の宴会に出ることは難しい。これは家格がどうという話ではなく、宰相が鍛冶師に媚を売っているように見え、政敵たちが攻撃材料に使って来る可能性が高いからだ。
それ以上に気になっていることがあった。
儂にはドワーフたちの宴会に出るほどの体力はない。そのため、無意識に表情をゆがめていたようだ。
ザカライアスは僅かに微笑んでいるように見えた。
「そのようなことは考えておりません。もちろん、ドワーフとの関係を強化するためには“酒”が必要でございますが」
「“酒”を使ってどうするのじゃ?」
「既にエザリントン公爵領では提案しておりますが、ドワーフたちが愛して止まぬ蒸留酒の生産に協力いたします。詳細を調べてみなければなりませんが、閣下のご領地では今までにない酒が作れる可能性がございます」
その言葉は意外だった。
我がフィーロビッシャー領は帝都の南に位置し、温暖な気候と豊かな水資源から、農業が盛んな土地ではある。
しかし、シーウェルはもとより、エザリントンほどのよいワインができる土地ではなく、気候的にもビールの醸造に向かない。そのため、他領に売るほどの味ではなく、自領で消費する分しかワインやビールは作っていない。
目で先を促すと、先ほどのまでの緊張した面持ちとは異なる、明るい表情で説明を始めた。
「ご領地では砂糖を生産されていると聞いております。その砂糖の精製時に出る廃糖蜜は安く出荷されており、これを原料に酒を造れば、比較的安価に蒸留酒を造ることができるでしょう。そして、重要なことはその酒が他の地では造れないということです。独特な味わいに仕上がれば、それを好むドワーフたちが顧客となり、フィーロビッシャー公爵家に対して、好意的になることは間違いありません……」
十六歳の少年が楽しげに酒について語っている。
果たして同一人物なのだろうか、先ほど感じた恐ろしさとは一体なんだったのかと思うほどの変わりようだった。
「……既に蒸留酒の原料となる醸造酒が砂糖の搾りかすから造られていることは確認しております。原料に廃糖蜜を加えれば、生産量は飛躍的に伸ばせますし、廃糖蜜に付加価値を与えることが可能となるのです。まだ造っていないので何とも言えませんが、原料から想像するに、ドワーフたちの好みのものに仕上がる可能性は充分にあると思います。これを貴領で生産すれば、ドワーフたちは……」
儂は思わず、「うむ。そちの提案は何となく分かった」と遮ってしまった。彼があまりに楽しげに説明しているため、先ほどのギャップが大きく、頭が付いていかない気がしたのだ。そこで間を置くため遮ってしまった。
儂の思いとは別にザカライアスもしゃべりすぎたと気づいたようだ。
少しばつの悪い顔をして、「調子に乗り過ぎました。申し訳ございません」と大きく頭を下げている。
それで少し落ち着きを取り戻した。こんな方法でペースを取り戻したのは何十年振りだろう。
少し頭が回るようになったため、疑問点を心の中で整理する。そして、そのことを確認した。
「しかし、それだけで鍛冶師ギルドとの関係を強化できるのか? 我が領内にはギルドの支部はない。そのようなところでは蒸留器なるものの製造もままならぬではないか?」
儂が調べた範囲の話だが、蒸留器の製造にはドワーフの鍛冶師が必要であり、それも数ヶ月の修業を経たドワーフでなければならない。
つまり、一定以上の腕を持った鍛冶師がいなければ、蒸留酒の製造はできないと聞いていたのだ。
「その点はご心配ありません。本日、鍛冶師ギルドのプリムス支部を訪問する予定となっております。その際にシーウェル侯爵閣下もご同席され、シーウェル市に支部の創設と蒸留所建設への協力を依頼されることになっております。もし、閣下がお望みでございましたら、私からギュンター・フィンク支部長を始め、主要な鍛冶師方にフィーロビッシャー領でも同様の対応をしていただくよう依頼いたします」
儂の懸念に対し、迷うことなく答えてきた。そのあまりの手際の良さに開いた口が塞がらない。
その時唐突に、先日アレクシス殿が儂に言った言葉を思い出した。
『……恐らくですが、彼は何か考えているはずです。それも我々が思いもつかぬことを』
確かに儂には思いもつかぬことだった。
我がフィーロビッシャー領の主要な輸出品の一つに砂糖があるが、その副産物や廃棄物でドワーフが喜ぶ酒を造るというのだ。
これは二重の意味で素晴らしい提案だ。
価値の低い副産物や無価値の廃棄物に高い価値を付加して新たな商品を作りだす。そしてその商品の顧客への影響力を得る。
内政と外交を合わせたような考え方であり、儂が好む合理的な思考とも合致する。
「うむ。詳細な調査が必要とのことじゃが、調査する前にドワーフに告げてもよいのか?」
「問題ございません。調査は生産量と輸送に関することが主となります。輸送については海上輸送を行えば輸送費は抑えられますし、生産量も砂糖の出荷量から想定しましたが、恐らく充分な量を作れることは間違いありません。唯一の懸念はこのプロジェクトの指揮を執る方と会っていないことだけです。万が一、情熱のない方ですと、鍛冶師ギルドとの友好関係を築くという目的の点では失敗する可能性があります」
こやつの頭の中ではほぼ計画はでき上がっているようだ。これほどまでに酒造りに情熱を傾けているとは思っていなかった。
そして、そんな思いが口をつく。
「そなたはまさに酒神の申し子じゃな」
「私は単に酒が好きなだけでございます。そのような大層な存在ではございません」
「先ほどとは打って変わって口が回るようじゃな」と揶揄すると、しゃべりすぎていたと思ったのか、はっという感じで表情が変わり、大きく頭を下げる。
その表情が何とも言えなかったため、儂も笑いを堪えられなかった。
「ククク……それほど酒が好きであれば、領地から引き離すわけにはいかぬ。酒神の祟りがあるかもしれぬからな……ハハハ!」
久しぶりにアレクシス殿以外と話していて、声を出して笑った気がする。
笑いを納めた後、儂の結論を言い渡した。
「鍛冶師たちが儂に要求を突きつけた件は不問に付す。ロックハート家は密かに儂とアレクシス殿に協力せよ。特に各ギルドの動向については可能な限り情報を流すのじゃ」
そこで三人は「はっ!」と言って頭を下げる。
「今日の話は有意義じゃった。今後も帝国のために尽くせ」
それだけ言うと、ロックハート家の者たちに下がるように命じた。
彼らが出ていったことを確認し、椅子に深く沈みこむ。
そして、先日のアレクシス殿を思い出していた。交渉相手としては侮れぬが、領地発展の目途がついたと喜んでおったことを。
あの楽しげな表情の意味がよく分かった。
確かに面白い男だった。得ることはできなかったが、逆にその方がよかったと思わせるほどだ。
実際、我が派閥にとっては大きな収穫があった。
各ギルドに関する情報の収集手段の確保だけでなく、五大ギルドのうち、鍛冶師、魔術師という二つのギルドに対する影響力を手に入れた。
更に冒険者、傭兵という二つのギルドにも一定の影響力を行使でき、更に最も難敵と考えている商業ギルドの情報を得ることも可能となった。
また、ザカライアスがこちらの意を汲み、先手を打ってくれることも期待できる。
後はロックハート家が背かぬように手を打ち続ければよい。
しかし、それは難しいことではないと思っておる。マサイアス、ロドリックが当主であるうちは、私利私欲に走りさえしなければ彼らが背くことはない。
秘書にアレクシス殿を呼ぶよう命じた。
彼は宰相府に来ており、すぐに現れた。
彼は執務室に入ってくるなり、「いかがでしたかな」と笑みを浮かべて聞いてきた。どうやら、儂が上機嫌だと気づいたようだ。
「確かに楽しめた。あれほどの逸材はおらぬじゃろうな。しかし、儂ではあれに首輪は付けられぬ」
「そうですね。私も一時期、配下に加えたいと考えましたが、今は考えを改めてよかったと思っております。あの者とは協力関係、いえ、互いに利用しあう関係の方がよい気がしておりますよ」
「うむ。その点には全面的に賛同する。あれを御し得るものは酒神しかおらぬよ」
「まさにそうですな! ハハハ!」
アレクシス殿は大きな声で笑った後、「では、ロックハート家の処分は取り止めですかな?」と聞いてきた。
儂は頭を振り、
「ロックハートには罰は与えぬが、ドワーフたちに与えることにした」
儂の言葉にアレクシス殿が首を傾げた。
「つまり、我が領地の発展に協力させるという罰を与えるのじゃ。それによって、彼らに恩恵があったとしても、それは儂の関知せぬこと」
「なるほど。その話は面白そうですね。詳しく聞かせていただけませんか?」
結局、酒なのか! それで解決するのか!
この世界を動かすのは酒のようです。私もそろそろ諦めないといけない気がしてきました……




