第五十七話「宰相の思惑:後篇」
前半は宰相の視点で、後半がザックの視点です。
儂はアレクシス・エザリントン公爵を呼び出し、ロックハート家との面談のことを伝えた。
話を聞いた彼は表情を少し引き締め、
「マサイアス、ロドリックの二人も私の予想を上回っておったようです。私のところでは片鱗こそ見せましたが、そこまでの剛毅さは感じませんでしたよ。その二人にザカライアス、シャロンの智謀が加われば、北東部の抑えには充分でしょう」
さすがはアレクシス殿だと感心する。
帝国北東部はラクス王国との国境に近く、自由国境地帯と呼ばれている土地だ。自由な気質といえばよいように聞こえるが、帝国の秩序が及ばぬ不安定な土地ともいえる。
何事もなければ活発な商業活動により、活気のある土地であるが、いかんせんアクィラ山脈に近すぎる。もし、魔族が本格的に侵攻してきた場合、帝国北東部が魔族の橋頭堡となりかねないのだ。
特にペリクリトル市は危険だ。
貧弱な防壁しかない割に物資は多く、土地も肥えている。
魔族がどのように眷族を増やしているかは分からぬが、少なくとも食糧と魔物は容易く補給できる土地なのだ。
しかし、あの場所まで帝国軍が進軍するには順調にいっても数ヶ月、兵站のことを考えれば半年程度の時間が必要になる。
最も近いラクス王国は帝国の動向を気にして王国軍を大量に派遣することは難しい。恐らく、傭兵を雇って派遣する程度のことしかできまい。
つまり、あの場所を占拠されれば、半年近い時間を魔族に与えてしまうことになる。
それだけの時間があれば、周辺の町や村は完全に魔族の手に落ちるだろう。
南北、そして西にも城塞都市があり、そこを抑えられると、ペリクリトル周辺を攻略することは更に難しくなる。年単位の時間が必要になるということだ。
早期に対処するためには冒険者ギルド、傭兵ギルド、カウム王国、ラクス王国の協力が不可欠だが、今の帝国はカウム王国以外との関係がよいとは言えぬ状況だ。
帝国の組織で最も近くにあるのが北部総督府となるが、北部総督府には治安維持に必要な戦力しかなく、軍の出先機関もない。
また、北部総督には一定の外交権限が与えられているが、大規模な軍の行動を認めるような決断は歴史的な背景を考えずとも難しい。
あの自由国境地帯は帝国領における力の真空地帯といえる土地なのだ。
今回のロックハート家の陞爵は、まさにその真空地帯を埋めるよい機会といえる。
ロックハート家は北部総督であるラズウェル家と縁戚関係にあり、更に各ギルドとの関係も良好だ。ラクス王国とは特に結びつきはないが、鍛冶師ギルドを使えばラクスからも協力を引き出すことができるだろう。
そして、ロックハート家は剛毅にして民の安寧を何よりも重んじる家風だ。仮にラクス王国に助けを求めるという事態になった場合でも、帝国内での自らの立場が悪くなろうと、民を助けるために必ず動く。
それらのことをアレクシス殿は考え、儂に言ったのだ。
「うむ。マサイアス、ロドリックが当主であるうちは皇帝陛下がどなたになろうと、彼らの帝国への忠誠は変わらぬだろう。そう考えればロックハート家を帝都に呼ばぬ方がよいというザカライアスの意見は間違っておらぬな」
「恐らくですが、そのことも考えていたのでしょうね、彼なら。今は時期尚早ですが、いずれ私の配下になってほしいと思っております。いや、義理の息子の方がよいですな。あれほどの男が我が嫡男に仕えてくれれば安心できるのですが」
「そうじゃな。スティーブンは性格的に謀略に向いておらぬからの。それを言ったら儂のところも同じなのじゃが」
アレクシス殿の嫡男スティーブンは儂の秘書の一人だが、公爵家の嫡男としてはいささか物足りない。特にザカライアスを見た後では。
政策の立案や組織の運営が未熟という点は、まだ二十歳であるということを考えれば許容できるが、あの優しすぎる性格は元老には向かぬ。
儂もできる限り鍛えておるが、生来の性格は一朝一夕では変えられぬ。
我が息子ジェレマイアは更に不満だ。
今年三十八となるが、ほとんど歳が変わらぬアレクシス殿と比べるとどうしても見劣りしてしまうのだ。
「ジェレマイア殿は閣下の跡を継ぐにふさわしい方ですよ。まあ、父親の目で見てしまうと辛い評価になることは分かるのですが」
息子とアレクシス殿は仲がよい。
息子は財務次官であるが、財務卿のインゴールスロップ公に会うよりアレクシス殿と会っている時間の方が長いと自分で言っているほどだ。そのため、気を使ってくれたのだろう。
「そうとも言えぬが……今はその話ではないな」
「ええ。ロックハートのことでしたね。閣下はどうされるおつもりですか?」
意外な問いが来た。
「先ほど答えた通りじゃが?」
「長期的にはそうですが、ロックハート家が帝都にいる間のことです。帝都を出るまでは我らの同志であるかのように見せるのであれば、利用せぬ手はないかと」
なるほど、さすがはアレクシス殿だ。あのザカライアスの智謀を利用しろということのようだ。
「確かに利用せぬのはもったいない話じゃな。帝国のために活用するのであれば、あの者も本望であろう」
アレクシス殿は人が悪そうな笑みを浮かべて頷く。恐らく儂も同じ笑みを浮かべているのだろう。
「あの者は我らとは違う物の見方ができます。策を考えさせれば思わぬ考えが出てこぬとも限りません」
「そこまで言うということは何か考えがあるのかな?」
そこでアレクシス殿は大きく頷いた。
「我々が抱えている最大の懸念について、考えさせてはいかがでしょうか?」
「なるほど。ルークスに勝利した後のことじゃな。確かにそれは面白い」
対ルークス戦は第二軍団、第四軍団の出征で勝利はほぼ確定している。
戦に絶対はなく、楽観しすぎと言われかねぬが、アレクシス殿と北部総督府軍が連携すれば、敵軍に打撃を与えるだけという戦略目的なら、間違いなく勝利を収めることができる。
しかし勝利した後には大きな問題を抱えることになるはずだ。
それは皇太子殿下が戦功を上げ、インゴールスロップ公らの発言力が強くなる、つまり、商業ギルドの声が大きくなるということだ。
しかし、レオポルド殿下も充分な戦功を上げている。当然、ラングトン大公らが反発することは予想されるから、元老院は大いに荒れるだろう。
「今回の第二軍団の出征はある意味ロックハート家を守るためでもあるのです。そもそもザカライアスの婚約者シャロンが策を弄し、出征を決めたといっても過言ではありません。ならば、ロックハート家に対応を考えさせることは当然といえるでしょう」
「そうじゃな。それがよい」
そう答えるものの、儂に考えがないわけではない。もちろん、アレクシス殿も何らかの案を持っておるはずだ。その上で若いザカライアスの意見を聞きたいということなのだ。
「それでは私がそれを命じてきましょう。さて、どのようなことを思いつくのか、今から楽しみです」
「全くじゃ。今日は朝から愉快なことが多くてよい。ハハハ!」
アレクシス殿も儂の笑いに誘われるように笑い出した。
■■■
二月十一日。
朝一番から宰相アービング・フィーロビッシャー公爵に呼び出され、詰問を受けた。宰相に呼び出されたのは、父マサイアス、兄ロドリック、そして俺の三人で、宰相から再三に渡り彼の派閥である中立派に属するよう強要された。
三人で何とか断り続け、中立派に属するものの、表立っては与しないことで決着をみた。
その後、父と兄は宰相府の役人から子爵への陞爵の式典についての説明があったが、俺は関係がないため、宰相府を出ようと思った。
しかし、ラドフォード子爵は別件で屋敷に戻っており、警備が厳しい皇宮から一人で帰るわけにもいかない。
仕方なく建物の一画にある長いすが置いてあるだけの待合室のような場所で時間を潰すことにした。
(最後の方は少し調子に乗りすぎたかな。どうも酒の話になると歯止めが利かない。まあ、そのお陰で宰相も呆れて罰を与えなかったようだから、怪我の功名といえないこともないんだが……)
先ほどまでのやり取りを思い出し、冷や汗をかきながら反省していた。
宰相との面談は強い緊張を強いられていたため長く感じたが、実際には一時間も経っておらず、まだ十時の鐘も鳴っていない。
父たちの打ち合わせは午前中一杯掛かるという話なので、二時間以上ここにいることになる。
先ほどの反省を頭の中で行いながら、誰もいない広い待合室でぼんやりと父たちを待っていた。
三十分ほど経った頃、人の気配を感じ後ろを振り向いた。
そこにはアレクシス・エザリントン公爵が笑みを浮かべて立っていた。
「暇を持て余しているようだな」
「確かにすることはございませんが……」
相手の意図が分からず、あいまいに答える。
このタイミングでここに来たということは、宰相と会っている可能性が高く、どのような話になるか分からないためだ。
「警戒する必要はない。よかったら、私の執務室に来ないかね。クレメント殿のところでの話などを聞きたいのだよ」
クレメント・シーウェル侯爵らと協議したシーウェルワインの品質向上、ブランデーの生産の話を聞きたいと言ってきた。
「分かりました」
この場を離れていいのか判断に迷うが、元老でもある公爵からの誘いを断るわけにはいかない。
待合室の外にいる職員にエザリントン公の執務室に行くと伝え、公爵の後を歩く。
「どうだったかな、宰相閣下との面談は?」
なぜか上機嫌でそう聞いてきた。
結果は知っていそうだが、知らない前提で話をする。
「有意義な面談でした。宰相閣下よりロックハート家が増長していると叱責されましたが、最後には我らの言葉を受け入れていただきました」
「そのようだね。それにしても、フィーロビッシャー領での蒸留酒造りはいつから検討していたのかね? 閣下も驚いていたよ。あれほど明確に成功すると言い切られるとは思わなかったと」
やはり話を聞いてきた後だったようだ。
「昨年の四月に行われました鍛冶師ギルドの酒類品評会で、帝都の商人よりサトウキビを使った酒があると聞いておりました。サトウキビは当然糖度が高いですから、酒精も充分にありますし、実際エザリントン市のパストン商会で話を聞きましたが、やはり同じことを言っておりました。酒精さえ充分なら蒸留酒にすることはさほど難しくありません」
「なるほど、すでに調べておったのか。しかし、飲んだこともない酒で造った蒸留酒が、確実にドワーフに受けるとはいえないのではないかね?」
「確かにおっしゃる通りですが、甘い香りの蒸留酒はりんご酒を使ったカルバトスがございます。この酒はドワーフに一定の評価を受けておりますので、サトウキビを使った酒も受け入れられることは確実です」
「酒神の申し子がそう言うのなら、間違いないのだろう」
そんな話をしながら宰相府の奥に入っていく。
宰相の執務室とはやや離れた二階にエザリントン公爵の執務室はあった。
公爵は扉を守る騎士に軽くあいさつをして中に入っていく。その騎士は俺のような少年が公爵に付いていくのを見て、上級貴族の子息だと勘違いしたのか、公爵だけでなく、俺に対してもビシッと敬礼する。
俺はそれに会釈を返して中に入るが、騎士の顔には僅かに疑問が浮かんでいた。上級貴族の子息の行動ではなかったからだろう。
執務室は宰相の部屋とは異なり、帝国の公爵にふさわしい豪華さだった。毛足の長い絨毯とマホガニーでできた重厚な執務机、壁には金や銀の糸をふんだんに使ったタペストリーが飾られている。
奥には公爵の護衛であるダレル・ルーサムが直立不動で立っており、執務室の一部かと思うほど溶け込んでいた。
ルーサムに軽く会釈をし、公爵に勧められるまま、応接用のソファに座る。
「とりあえず、おめでとうと言っておこう」
恐らく、宰相に罰せられなかったことを言っているのだろうが、何の話か分からないため、「ありがとうございます」とだけ答えておく。
「閣下は呆れて……いや、感心していたよ。君はまさしく酒神の申し子だとね。あれほど楽しげに酒造りを話すとは思わなかったと笑っておられた」
俺は答えようがなく、あいまいに笑うしかない。
「宰相閣下はロックハートと手を結べたことに満足しておられた。私としても最高の結果だと思っている。ロックハートは辺境にあってこそ力を発揮できる。君と同じ認識なのだ。その上で君に聞きたいことがある」
「どのようなことでしょうか?」
「皇帝陛下のお世継ぎについてだ」
聞いてくる可能性はあると思ったが、ストレートに聞いてくるとは思っていなかった。しかし、この件については、答えは決まっている。
「私の身分では、そのご下問に答えようがございませんが?」
「分かっておるよ。それでも君の意見が聞きたいのだ。ジギスムント皇太子殿下とレオポルド皇子殿下。君ならどちらを支持する?」
そのストレートな問いに、黙るしかない。
「警戒するのは分かる。しかし、私個人としては君の意見が聞きたいのだ。この場限りとするし、何を言おうと責任は問わん。だから、率直な意見を聞かせてほしい」
そう言われても素直に答えるわけにはいかない。
「では、お答えします。私にはどちらとも言いようがございません。これは保身というより、情報が少なすぎるためです。私の耳に入っているのは精々、巷に流れる噂程度。そのようなあやふやな情報では答えようがないのです」
「なるほど。確かにそうだな」と公爵は納得したように見えた。しかし、それで話は終わらなかった。
「では、帝都を離れるまでに情報を集めてくれたまえ。これはロックハート家、そして、君自身にも関わってくることなのだから。その上で君個人の考えを聞きたい」
「そこまで私の意見に拘るのはなぜでしょうか?」
「あの宰相閣下が君のことを手放しで褒めていたのだ。自分が打つ手に対して、すべて先回りする洞察力は瞠目に値するとね。私自身も感じていたことだが、君の考え方は私や閣下とは異なる。どう言っていいのか難しいが、視点が違うのだよ。だから、参考意見としてぜひとも聞きたいと思っている」
正直な話、皇帝の世継ぎ問題に絡みたくはない。しかし、この公爵は意外にしつこいから答えざるを得ないだろう。
「可能な限り情報を集めてみます。その上で答えさせていただきますが、今と同じ結論になる可能性があることだけはお伝えしておきます」
「それで構わない」と言って笑みを浮かべる。
そして、話題を変えてきた。
「これは宰相閣下からの要請でもあるのだが、帝都に滞在している間に対ルークス戦の勝利後の対応を考えておいてくれたまえ。必要な情報は我が嫡男スティーブンに伝えてくれれば、宰相閣下が用意してくださる」
まだ出征してもいないのに勝った後の話というのもおかしな話だが、公爵は何度もルークスと戦っており、充分な戦力と確かな戦略目標が与えられているらしく、勝利は揺らがないと思っているようだ。
しかし、その問いに対し、公爵と宰相の目的を掴みかねる。
「それはどのような意味でしょうか?」
「そもそも今回の第二軍団と我が第四軍団の出征は、君の婚約者シャロンが狙ったことだ。ならば、後始末も考えるのが当然だろう。無論、君の意見がそのまま採用されるわけではない。我々も当然考えているからな」
シャロンのことを出されたら断りようがない。
「承りました。どこまで具体的な案が作れるかは分かりませんが、全力で立案します」
「その件はよろしく頼む。では本題に入ろう。シーウェル侯爵領の話を聞かせてくれぬか。クレメント殿やラドフォードからも聞くつもりだが、やはり酒神の申し子たる君に聞きたいのでね」
公爵の表情はそれまでのやや硬いものから、いつもの柔らかいものに変わっていた。
その後、父たちが戻ってくるまで、ワインや蒸留酒の話で盛り上がった。
久しぶりに政治家とやり合う話は楽しかった!
気付くと前・中・後篇で1万9千文字を超えていた……最初は一万ちょっとで、一話にするか二話にするかで悩んだくらいだったのに……なぜなんだろう?
次話からまた少し趣が変わります。




