第四十七話「工作員シャロン:後篇」
今回は三人称です。
二月四日の午前十時頃。
シャロンが立ち去った後、商業ギルドのプリムス支部長、ウィルス・スペンサーはすぐにチャールズ・インゴールスロップ公爵の屋敷に向かった。
事前の連絡もなく、手土産も持たないという普段ならありえない行動だが、彼は今得た情報をすぐに公爵に伝えねばと焦っていたのだ。
(数日前にエザリントン公は帝都に戻っている。あの公爵なら既にラングトン大公らと交渉している可能性は高い。一刻の猶予もならん……)
スペンサーの焦りがインゴールスロップ家の使用人に伝わったのか、すぐに公爵との面会が叶った。
「なにやら急いでおるようだが、何かあったのか」
いつもなら夕方から夜にかけて訪れるスペンサーが、午前中の早い時間に面会を申し出たことから、公爵も不審に思っていた。
「実は……」と言って説明を始めた。
説明を終えると、公爵は腕を組んだまま不機嫌そうに宙を睨んでいた。
「……つまりだ。エザリントンがロックハートと結んだだけでなく、レオポルド殿下支持に回るということか。私もエザリントンが娘を使っているという噂は聞いておる。しかもそれが上手くいっておるということもな。しかし、エザリントンは宰相ほどではないが慎重な男だ。それがこうも容易く情報を漏らすというのは、謀略の可能性があるのではないか?」
公爵の言葉にスペンサーは自分が焦りすぎていたことに気づいた。
(いかにロックハート家の婚約者とはいえ、十五、六の小娘の言葉に踊らされてしまった。よく考えれば、あのエザリントン公が何の考えもなしに情報を広めることなどありえない……)
そう考えるものの、この失態をどう繕うかに頭が向いてしまう。
(このような失態を犯したと知られれば、閣下の信頼を失ってしまう。そうなればクラークが私を蹴落とそうと画策するだろう。さて、どうしたものか……いや、これは好機かもしれん。いずれにせよ、皇子派と中立派を分断せねばならんのだ。それが前倒しになっただけと考えれば大した失敗ではないはずだ……)
彼は冷静さを装い、「それはございません」と答え、
「情報はザカライアス・ロックハートの婚約者の娘から得たものです。エザリントン公もあの娘が単独で私に接触してくるとは考えないでしょうし、謀略に使うにしてももっとふさわしい者を使うはずです。そう考えれば、偶然得られた情報と考える方が自然ではないでしょうか」
インゴールスロップ公はスペンサーの説明に「うむ」と言って考え込む。
「確かにそなたのところに偽の情報を流すにしても、エザリントンがその娘を使うことは考えられぬな。使うとすれば、取引のある商人であろう」
「はい。シーウェル家と取引のあるロビンスが同行しておりましたが、彼からは有用な情報は一切出てきませんでした」
「ならば、その情報は真ということか。うむ、よく伝えてくれた。私はこれからエドモンド殿を呼び出す。そなたも同席せよ」
インゴールスロップ公は同じ皇太子派のエドモンド・ギャビストン公爵と協議するため、使者を送った。
連絡を受けたギャビストン公は馬車を飛ばしたのか、一時間もしないうちにインゴールスロップ邸に到着する。
「何か急ぎの用とのことだが、どのようなことですかな、チャールズ殿」
「スペンサーが無視できぬ情報を持ってきたのだよ。その情報だが……」
インゴールスロップ公はスペンサーから聞いた話を伝えていく。
「……エザリントンがロックハートと結び、宰相一派は鍛冶師ギルドという力を得た。軍と鍛冶師ギルドは関係が深い。レオポルド殿下に肩入れすることは充分に考えられる」
ギャビストン公はその話を聞いて驚くが、一方で疑念も抱く。
「エザリントンが鍛冶師ギルドと良好な関係となったからといって、あの宰相が中立という立場を捨てるでしょうか? にわかには信じられません」
「確かに私も同じことを思ったが、エザリントンや宰相が我らに何か仕掛けてくるとして、その理由がない。レオポルド殿下が大勝利を収めたのならともかく、今のタイミングというのは考えられん」
ギャビストン公はインゴールスロップ公の言葉に「確かに」と頷くが、
「これはエザリントンの謀略では? 私にはあの慎重な宰相が冒険に出るとはどうしても考えられないのです。エザリントンが独断でことを進め、なし崩し的に宰相の承認を得ようとしているのではないでしょうか?」
「うむ。確かに考えられるな……いずれにせよ、鍛冶師ギルドと宰相が手を結ぶのは不味い。早急に手を打っておくべきだろう……」
ギャビストン公も「おっしゃる通りですな」と賛同し、
「まずはエザリントンに探りを入れてはいかがでしょうか? 彼も今この時点で我らが動くとは思っておらぬでしょう。油断しているエザリントンから、宰相がどこまで関与しているのか探るのがよいかと」
「うむ。ちょうど今日の午後にエザリントンと話をする機会がある。そこで探りを入れてみよう」
インゴールスロップ公はスペンサーに対して指示を出す。
「そなたも商人を使って情報を集めよ。帝都でおかしな動きがあればすぐに連絡するのだ」
「承知いたしました。直ちに手の者を使い、情報を集めます」
スペンサーはギルド支部に戻ると、情報収集を部下に命じた。
その日の午後、インゴールスロップ公はエザリントン公との協議の場でさりげなくロックハート家について探りを入れた。
「……そう言えば貴家のローレンシア殿とロックハートの次男の仲が噂になっておるようだが、遂に貴公も愛娘を手放す気になったのかな」
冗談めかしながらそう聞くと、エザリントン公も笑いながら答えていく。
「なかなかに難しそうです。我が娘たちは乗り気なようなのですが、相手のザカライアスが……インゴールスロップ殿はザカライアスのあだ名を聞いたことがありますかな」
エザリントン公はローレンシアだけでないことを暗に仄めかす。
「いや、知らぬが」
インゴールスロップ公は突然話題が変わったことに戸惑いを隠しきれない。
「全方位のハーレム王子なる二つ名を持っておるそうですよ。我が娘たちも魅了されてしまったようです。困ったものですな。ハハハ」
「エザリントン殿はよいのですかな? 相手は子爵家になるとはいえ、騎士の次男に過ぎぬ。あまりに釣り合わぬと思うのだが」
エザリントン公は真剣な表情に瞬時に切り替える。
「確かにそうなのですが、身分で切り捨てるにはあまりに惜しいのですよ、あの男は。宰相閣下にその話をしたところ、あの者が帝都に到着次第、即座に召喚するとのこと。閣下であればあの者の価値にふさわしい仕事を与えるでしょうな。そうなれば身分のことなど時間が解決してくれるかと……」
エザリントン公の言葉に、インゴールスロップ公は衝撃を受けながらも笑みを絶やさないように努力する。
(エザリントンはロックハートと本気で結ぶ気のようだな。宰相に取り入り、地位まで準備しておる……中立派がレオポルド殿下を支持したという話が真かということを確かめる必要がある……)
彼は「なるほど」と頷き、
「さすがはエザリントン殿だな。それほどの男を既に取り込んでおるとは。しかし、ロックハートは対ルークスの主戦派ではなかったかな? 確か鍛冶師ギルドを使って総大司教の首を挿げ替えたと聞いたが。まだ次男は二十歳にもならぬ若者、宰相閣下と衝突しないか心配だな」
「確かにその懸念はありますが、宰相閣下に軽くあしらわれるだけでしょう」
エザリントン公のあいまいな言葉に、インゴールスロップ公はどう捉えていいのか悩む。
(おや? ここでレオポルド皇子への支持を仄めかすかと思ったのだが……まだ、宰相の承認は得られていないということか? だとすれば、エザリントンの独断か。いや、この男が容易に明かすはずがない……分かったことは、エザリントンとロックハートが手を組んだということだけか。それならば、まだ打つ手はある。宰相が反対すれば、エザリントンも強引には進められぬ……これ以上突いては警戒される。今はこれでよしとしておくべきだろう……)
インゴールスロップ公は「確かにそうだな。ハハハ」と笑い、話はそこで終わった。彼はすぐにギャビストン公にその情報を伝えた。
インゴールスロップ公との会話を終えたエザリントン公は、皇太子派が思ったより早く動いたことに驚いていた。
(少なくともあと数日は動かぬと思っていたのだが、思いのほか動きが速い。ローレンシアたちの噂が功を奏したと考えたいところだが、それだけではない気がするな。宰相閣下のお耳にも入れておくべきか……いや、まだ早い。閣下が過剰に反応されると事態が更に拗れるかもしれん。もうしばらく様子を見るべきだろう……)
彼は部下に命じて商業ギルドへの監視を強めるよう命じた。
その日の夕方。
ダニー・クラークは懇意にしているギャビストン公の屋敷にいた。
彼は部下にスペンサー商会に情報収集に行かせ、ウィルス・スペンサーがインゴールスロップ公の屋敷に向かったという情報を得たためだ。
(やはり動いたか。何をするつもりか知らぬが、宰相を敵に回すようなことを閣下に吹き込まねばよいが……)
彼はスペンサーが何をするつもりかをギャビストン公に確認し、危険がありそうならそれを阻止するつもりだった。
ギャビストン公が現れると、すぐに本題に入る。
「スペンサー支部長がインゴールスロップ公爵閣下に会われたと聞きました」
「うむ。私もスペンサーに会っている。新たな情報を得たということだった」
「差し支えなければ、そのことについて教えていただけないでしょうか」
「それほどの情報ではなかった。スペンサーの持ってきた情報はロックハートとエザリントンが結び、中立派がレオポルド殿下支持を決めたというものだった。だが、チャールズ殿が探りを入れたのだが、エザリントンの独断だったようだ」
「それではとりあえず様子を見るということでしょうか?」
「いや、宰相がレオポルド殿下を支持しないように動く。具体的にはエザリントンとロックハートの関係を破綻させて、鍛冶師ギルドの支持を失わせる……」
クラークは不味い状況だと頭を抱えたくなった。しかし、精神力を総動員して平静を装う。
「確かに宰相閣下がレオポルド殿下を支持されては困ります。しかし、エザリントンとロックハートの仲を割くのはいかがなものかと」
「それはなぜだ?」
「ロックハートを敵に回すことは危険だからです」
「危険? たかが成り上がりの子爵風情ではないか」
「その平民上がりの騎士が光神教の総大司教の首を挿げ替えているのです。彼らの力を侮ることはルークスの愚か者と同じ轍を踏むことになりかねません」
ギャビストン公は「確かにそうだが……」と考え込む。
「ここは静観すべきところではありませんか? ラングトン大公らが動き出したのであるなら別でございますが、今はまだエザリントン公が単独で動いているに過ぎません。第一、ロックハート家がレオポルド皇子の支持に回ったとして、宰相閣下がそれで動くとは私には思えないのです」
「その点はチャールズ殿も同じことをおっしゃっていた。私もそう思わないでもないが、エザリントンは侮れん」
「ラングトン大公とケンドリュー公に対する監視を強めて、エザリントン公と接触があった時点で動く方が確実ではないかと。エザリントン公のことですから、我々が焦って動くことを狙っている可能性もあります。軽々しく動くべきではないかと」
ギャビストン公は「チャールズ殿に相談する」と言って判断を保留したが、内心ではクラークの言葉に傾いていた。
(たかが小娘の言葉で我らが動くのは軽率であろうな。宰相が現状を大きく変えると決めねば、エザリントンや大公が何をしようと事態は動かぬ……)
翌二月五日、ギャビストン公はインゴールスロップ公に面会した。
「一晩考えたのですが、やはり今動くのは危険ではないかと」
「どうしたのだ?」
「現時点で中立派がどちらかの派閥に肩入れする理由がありません。宰相とエザリントンは我々が反応して動くことを期待しているのではないかと。我々が不用意に動き、それを口実に商業ギルドの力を削ぐ。それが彼らの狙いのような気がするのです」
インゴールスロップ公は彼の考えを吟味する。
(確かにそうだ。特に宰相は商業ギルドの力を削ごうと何度も画策している。我々が妨害しているから、まず我々の発言力を低下させた上で、行動を起こそうとしている可能性は充分にあるな……)
そう考えた彼は「さすがはエドモンド殿だな」と相好を崩した上で、
「恐らく大公たちにも何か手を打っているはずだ。それを見極めてからでも遅くはない」
その後、スペンサーからの情報で魔術師ギルドがラングトン大公に接触しようとしているという情報が入った。
インゴールスロップ公はその情報を耳にした時、自らの考えが正しかったことに安堵する。
(エザリントンと魔術師ギルドの間に接点はない。だとすれば、宰相が動いたと見るのが妥当だろう。危うく宰相らに踊らされるところだった……)
シャロンの策は見事に成功した。
しかし、現時点では単に皇太子派に対する牽制が成功したに過ぎなかった。




