第四十六話「工作員シャロン:中篇」
ダン視点です。
二月四日の正午頃。
妹のシャロンは午前中に商業ギルドのプリムス支部長ウィリス・スペンサー氏に会いに行くというメモを残して出かけていた。
そのメモには午後から鍛冶師ギルドに行くと書かれており、二日酔いの僕は大人しく待つしかなかった。
正午の鐘がなった少し後、妹が戻ってきた。
「二日酔いは大丈夫?」
「ああ、薬のお陰で随分楽になったよ。それより、スペンサー氏と会ったんだろう。今更言っても遅いけど、大丈夫なのか?」
僕たちが御館様とザック様から頼まれたのは情報収集だけだ。特にザック様からは「無理はするな」と厳しく言われていたのだ。
「ええ、大丈夫よ。というか、商業ギルドは多分これで大丈夫。後は魔術師ギルドというか、レオポルド皇子派を何とかしないと」
僕には何のことか全く分からなかった。
ロビンス商会のバートさんと話をした後、僕は鍛冶師ギルドに行ったし、その後は酔い潰れてしまったから、妹が魔術師ギルドでどんな情報を得たのか聞いていないのだ。
「すまないが、どんな状況なのか教えてくれないか。僕にはさっぱり分からないよ」
「それは仕方がないでしょ。酔い潰れてしまったんだから」
妹はそう言って睨んでくるが、すぐに表情を緩め、
「今から鍛冶師ギルドに行くから、歩きながら話をするわ。歩けるわよね?」
少し吐き気は残っているが、半日寝ていたので歩けないほどではない。
鍛冶師ギルドまでは六kmほどあるから、一時間以上掛かる。その間に話は聞けるだろう。
今日は昨日までの雨も上がり、晴れ間が少し見えている。
歩きながら話を聞いていくと、妹はこの一日で驚くべきことをやっていた。
魔術師ギルドのプリムス支部の次長を味方に引きいれ、イシャーウッド支部長の行動を探らせることと時間稼ぎに協力させることに成功した。
更に商業ギルドに対しては、支部長であるスペンサー氏に中立派がレオポルド皇子支持に回ったという偽情報を流して混乱させた上、次期支部長の座を狙うクラーク氏を鍛冶師ギルドの名を使って脅して無理やり協力者にした。
僕の頭では理解が追いつかないけど、妹の説明を聞く限り、皇太子派はロックハート家に関わっている状況でなくなるし、仮にスペンサー氏がロックハート家に対して何かしようとしてもクラーク氏が邪魔をしてくれる。
何となく分かったけど、本当にここまでやってよかったのか疑問が残る。
「ザック様から無理はするなって言われているんだぞ。大丈夫なのか?」
「ええ、だからできる範囲のことしかしていないわ」とさらりと答えてきた。
何ともいえない気分になるが、今更言っても取り返しはつかない。
それなら妹のやることに協力した方がいい。妹はこういうことをさせたら、ザック様の次に上手くやれる。
「分かった。じゃあ、この後どうするかを教えてくれ」
妹はニコッと笑った後、「お兄ちゃんは物分りがよくて助かるわ」と言い、この後の説明を始めた。
「鍛冶師ギルドではレオポルド皇子派への牽制のためのお願いをするわ。魔術師ギルドのイシャーウッド支部長がラングトン大公に会いにいって、ロックハート家を引き込む方法を教えるはず。その方法なんだけど、皇太子の素行の悪さを利用するって言うものなの。ブレナンさんはロックハート家を守るために皇子派に入れという話をされたけど、多分違うと思う」
「違う? どう違うんだい?」
「私がイシャーウッド支部長なら、皇太子にリディアさんや私たちのことを話して手を出させる。そうなれば、ザック様はもちろんお怒りになるし、ドワーフの鍛冶師方も立ち上がるわ。そうなったら帝都は大混乱になるから、皇太子は責任を取らされて廃嫡される。だから、ラングトン大公はその話に乗るかもしれない……」
妹の話は恐ろしいものだった。
イシャーウッドは自分の復権のために、次期皇帝に恩を売る策を行おうとしているというのだ。
「……次の皇帝の派閥と太いパイプができれば、ワーグマン議長の任期もそれほど長くないし、イシャーウッド支部長もギルド本部に返り咲けるはず。彼にとってはリスクが少ない方法だから、悪くない手だと思っているんでしょう」
「そこまでは分かったけど、鍛冶師ギルドに何をしにいくんだ? ギュンターさんでもこんな話はどうしようもないと思うんだけど」
僕の質問に「そうね」と答え、
「ことが始まってしまったら止めることはできないけど、始まる前ならやりようはあるわ」
「どんな話をするんだい?」
「後で分かるわ」
妹はそう言って笑うだけで教えてくれなかった。
途中で昼食を摂り、体調もほぼ元に戻った。しかし、この先のことが不安で気持ちの方はあまり晴れていない。
鍛冶師ギルドに行くと、昨日対応してくれたアランさんが現れた。
「お体は大丈夫ですか?」と心配そうな表情を浮かべて聞いてきた。やはり、昨日は相当酷い状態だったようだ。
「ええ、何とか大丈夫です。昨日はありがとうございました」
誰が運んでくれたのかは分からないけど、お礼を言っておく。アランさんはすぐに真面目な顔になる。
「支部長がお待ちです。少しですが、情報が集まりましたので、後ほど説明します」
まだ半日くらいしか経っていないのに、もう情報を得ているらしい。さすがは鍛冶師ギルドの職員だと感心する。
支部長室に入ると、ギュンターさんが出迎えてくれる。
「元気そうじゃな!」と言って、いつも通りバシンと腕を叩く。
シャロンも挨拶をし、すぐに本題に入っていく。
「まずはこちらからの情報じゃ。アラン、お前から説明を頼む」
「それでは私から説明させていただきます。当支部で得た情報ですが、魔術師ギルドのイシャーウッド支部長がラングトン大公への面会を申し出ているというものです。これは帝国軍本部に武具を納めている商人から聞きましたので、確度が高い情報だと考えます……」
アランさんの説明では、イシャーウッドが帝国軍の重鎮ラングトン大公に使者を送り、数日後に面会する予定というものだ。
僕は少しだけど疑問を持った。
鍛冶師ギルドに出入りしている商人が元老である大公の面会相手がなぜ分かるのかということだ。そのことを聞いてみると、
「私も不思議だったのですが、魔術師ギルドの職員が帝国軍本部を訪れること自体珍しいことと、その職員が帝国軍のいろいろな関係者に声を掛けたことから、大きな噂になったそうです」
理由は分からないが、魔術師ギルドがミスをしたようだ。
僕の印象だと、魔術師ギルドは頭のいい人が多く、そう言ったことで失敗することはないと思っていた。
そのことを妹に言おうとして横を向くと、妹の表情が僅かに笑っている気がした。
僕はそこでピンときた。昨日のうちに妹が手を打ったのだと。
「他の情報ですが、商業ギルドについては特にありません。ですが、ロックハート家の情報を多く拾えましたので、ご存知かもしれませんが、お伝えいたします……」
アランさんの情報は、ローレンシア様たちとエザリントンで楽しげに過ごしていたこと、更にエザリントン公爵様がそれを暗に認めておられることだった。
「……更にロックハート家の方々が五千匹のゴブリンを倒して貧しい村を無償で救われたことは帝都中で大きな噂となっております。数万のアンデッドを倒したことと合わせて、ロックハート家は帝国一の武門と賞賛されておりました。既に吟遊詩人が詩にしているとも聞いております」
「五千ですか! 僕たちが倒したのは五百ですよ! それにアンデッドも一万三千ですし」
それに対し、ギュンターさんが「そうなのか? 儂も数千のゴブリンと聞いたんじゃが」と首を傾げている。
「噂には尾ひれが付くものですよ。特に人気の高い方々の場合は」
アランさんが笑いながらそういうが、僕にはどうしても腑に落ちないことがあった。
ロックハート家はカウム王国でこそ知名度は高いが、残念なことに帝国ではそれほど名を知られていない。
今回のアンデッド騒動で噂になったとしても、帝都に来たことがないから人気が高いとは言いがたいと思う。そのことを聞いてみたら既に調べてあったのか答えが返ってきた。
「ここ一ヶ月ほどで一気に名前が知られたという感じですね。東部の商人たちがよく話題にしていたと記憶しておりますが……」
どうやら、僕たちの知らないところでいろいろな勢力が動いているらしい。
「ここ二日ほどの話ですが、ロックハート家がシーウェルだけでなく、エザリントンでも酒造りを手伝うらしいという話が上がっていました。これはエザリントンやシーウェルの商人たちが流しているようです」
これはエザリントン公が流させた噂だろう。これについては事実であるので問題ない。
「武具を扱う商人たちはロックハート家が宰相閣下の中立派に入ることは間違いないという認識になっているようです。一番の理由はシーウェル侯爵家との関係でしたが、エザリントン公のご令嬢の話で確信になったと言っている者が多かったと思います……」
なし崩しで中立派に入ることになっても大丈夫なのかと思わないでもないけど、僕にできることはない。
「分かりました。大体私の予想通りです」と妹が礼を言った。そして、「ギュンターさんにお願いがあります」と言って頭を下げる。
「何じゃ? 儂にできることなら何でもやってやるぞ」
その言葉で妹は顔を上げる。
「最初にお話しておきたいことがあります。これは私が考えたことであって事実かどうか確認できていません。その前提でお聞きください」
そう前置きしてから話し始めた。
「私が調べた範囲では、魔術師ギルドのイシャーウッド支部長がラングトン大公に面会を申し出た理由は、ロックハート家に恩を売り、レオポルド皇子派に引き入れる方法を伝えるためということでした。しかし、恐らくそれ以外の意図があると考えています……」
妹は僕に話したことを淡々と説明した。
その口調とは裏腹にギュンターさんの顔が徐々に怒りに歪んでいく。妹の説明が終わると、搾り出すような声で確認してきた。
「つまりじゃ。ザックの嫁に皇太子が手を出し、儂らがそれに怒り狂って暴走し、帝都を混乱させる。それを理由に廃嫡してレオポルド皇子が皇太子になると……」
噴火寸前の火山のような不気味な静けさが支部長室を支配していた。妹もそれを感じているはずだが、全く意に介していない。こういう時の妹は本当に胆力があると思う。
「はい。ですが、これは私が考えたことです。証拠は何一つありません」
「だとしてもじゃ、その可能性はあるとお前は踏んでおるのじゃろう?」
妹は大きく頷いた。
「それで儂にどうしてほしいんじゃ。皇太子が手を出すまで指を咥えて見ておる気などないぞ」
「宰相様に謁見することは可能でしょうか?」
意外な言葉だったのか、ギュンターさんの表情が怒りから驚きに変わった。
「宰相に謁見じゃと? できんこともないが、会ってどうするんじゃ?」
「宰相様にこう言っていただきたいのです。皇太子殿下がドワーフの友に手を出そうとしていると聞いたので警告に来たと。もし、そんなことになったら、帝国内のドワーフはアルスに引き上げると言っていただきたいのです」
「確かに儂らの友に手を出すのなら、儂らは帝国を見限る。それを宰相に言うだけでよいんじゃな」
「はい。宰相様ならすぐに意味を理解されるはずです。あとは宰相様が魔術師ギルドやレオポルド皇子派を何とかしてくれるはずです。できればザック様たちが帝都に入る前に終わらせておきたいので、できる限り早く謁見していただければ助かります」
妹は宰相閣下を動かして事態を収拾させるつもりだ。
僕はそんな妹の策に懸念を抱いた。
宰相閣下はザック様が恐れるほどの人物だ。そんな人がこちらの都合に従って動くのか。皇太子や皇子派以上に厄介な人物にロックハート家の安全を任せても大丈夫なのか。
ギュンターさんも相手が宰相閣下ということで迷っているのか即答しない。
「宰相様が恐ろしい方であることは重々承知しています。ロックハート家が混乱の元凶となるなら排除しにかかるかもしれないということも」
「そうじゃ。あの男は帝国のためならどのようなことも厭うことはない。儂らが脅しても聞かぬどころか、ロックハートごと儂らを潰しに掛かるかもしれん」
「はい」と妹は即答し、更に真剣な表情で訴えていく。
「ですが、宰相様は帝国の安寧を一番に考える方であるとも聞いています。幸い、エザリントン公爵様は私たちの味方になってくれます。公爵様がどのような情報を伝えているかは分かりませんが、少なくともロックハート家に帝国を混乱させるつもりはなく、逆に混乱を生じさせないように努力していることは伝わっているはずです。それなら宰相様が帝国のために一番よい方法で事態を収拾してくれるのではないかと思うんです」
確かにエザリントン公爵様はよい人だった。あの人なら信用できるとザック様もおっしゃっていた。
そう考えると、いきなりロックハート家を犠牲にするとは考えにくい。だけど、こんな危険な賭けに出ていいのかと不安になる。
僕は思い切って妹に聞いた。
「宰相閣下はどんな手を打つと考えているんだ? お前なら予想しているんじゃないのか」
僕の問いに「一応は」と答え、ギュンターさんたちに説明を始める。
「恐らく皇帝陛下に皇太子殿下を遠ざけるように進言されると思います。私ならルークスで戦っているレオポルド殿下と交代するように進言します。皇太子としてふさわしい功績を上げるためという理由で。これなら皇太子派も反対できませんから。もちろん、今以上の兵力を与えるという条件になるので、他の軍団も率いていくことになると思いますが」
「ありえる話じゃな。元々皇太子が率いる第二軍団は外征軍じゃ。本来なら第三軍団ではなく、第二軍団がルークスに行くべきところをラングトン大公らの反対にあってレオポルド皇子が出征したのじゃから」
「皇太子殿下が出征するだけならロックハート家に不都合はないけど、それだけで済むとは思えないんだけど」
僕の問いに「そうね」と答え、
「ロックハート家が中立派に入るという条件が付くと思うわ。多分、ザック様を帝都に残せという話になると思う」
「それじゃ駄目じゃないか。ザック様には村に残ってもらわないと……」
そこでそれ以上の理由をいえないことに気づき口を噤む。僕の尻すぼみの言葉に妹が被せるように理由を説明する。
「ええ、ラスモア村の蒸留所を放り出すわけにはいかないから。それに研修所のこともあるし」
「うむ。確かにそうじゃな。そこまで分かっておるなら、それに対する策も考えておるんじゃろう?」
「もしそうなった場合ですが、ギュンターさんたちにまたお願いすることになると思います。ザック様が村を離れたらスコッチの品質向上に支障をきたすから、ドワーフたちはこぞって反対すると伝えて頂ければ……実際、ようやく村で落ち着いてお酒造りに取り掛かれるのですから」
「うむ。ザックが帝都にいてくれた方が儂らとしてはうれしいんじゃが、スコッチの味のためといわれれば否とは言えん。よかろう。宰相に会ってロックハート家に手を出せば、ドワーフが黙っておらんと脅してこよう。アラン、済まんが謁見の手続きを頼む。帝国の全てのドワーフの代表として宰相に会いたいと伝えるんじゃ」
アランさんは「かしこまりました」と言って出て行こうとしたが、妹がそれを止め、一通の封書を渡す。
「これをエザリントン公爵様のお屋敷に届けていただけないでしょうか」
アランさんは「お任せください」と言って足早に部屋を出ていった。
このことも聞いておらず、ザック様からの指示と違うことに不安が残る。
しかし、既に賽は振られてしまった。あとはうまく行くことを祈るしかないと腹を括った。
だんだん話がおおごとになっていく気が……シャロンはどうやってまとめるつもりなんだろう……




