第四十五話「工作員シャロン:前篇」
今回はシャロン視点です。
二月四日の朝。
二日酔いの兄を宿に残し、私は商業ギルドの支部長ウィルス・スペンサー氏と彼のライバル、ダニー・クラーク氏に会いに行く。
前日、ロビンス商会のバート・ロビンスさんに事前約束をお願いしており、彼といっしょに両氏と面会する。
スペンサー氏には、面会の目的はザック様のお酒造りと食材探しに関する情報収集と伝えてあり、世界を股にかけるスペンサー商会なら、ザック様が知らない新たなお酒の素材や食材が見つかるかもしれないという理由をつけている。
クラーク氏とはその後に面会する予定だけど、こちらは正直にスペンサー氏を警戒しているから協力してほしいと伝えてある。
ロビンス商会でバートさんと合流すると、そのまま二百mほど離れたところにあるスペンサー商会に向かった。
「スペンサー氏は商売になる相手には愛想よく対応してくれますが、そうでない相手、特に格下の者に対しては高圧的に出ることもあるそうです。幸い、私の店はスペンサー氏の店と取引がございますから、普通に付き合っていられるのですが、内心では何を考えているのか分からない御仁です……」
私はバートさんの話を聞きながら、この後の面会のことを考えていた。
私が整理したのはラドフォード子爵様、バートさん、魔術師ギルドのブレナン次長から得た情報。
その情報から、危険なのは皇太子派よりレオポルド皇子派だということが分かった。これは帝都に入る前からザック様もおっしゃっていたことだけど、昨日得た情報で確信した。
(スペンサー支部長が何をしようとしているのかを知ることが一番重要。正しい判断には正しい情報が必要って教えていただいたわ……)
レオポルド皇子派が危険なのは冒険に出る可能性が高いから。
今のところ、皇太子の廃嫡の話は噂レベルでしかないし、皇子もルークスとの戦争で大きな戦果を上げていない。この状況で皇帝が倒れでもしたら、レオポルド皇子が皇帝になる夢は果たせなくなる。
つまり、できるだけ早いタイミングで仕掛ける必要があるということ。
とはいっても、もっと危険なのはジギスムント皇太子。
彼の派閥の領袖インゴールスロップ公爵は保守的な人物だから、現状維持を狙うはずだけど、皇太子は感情に任せて動くタイプで気まぐれにロックハート家に何かしてくるかもしれない。特に女性にだらしないところが危険だと思っている。
私は情報を整理したメモを見ながら、レオポルド皇子派を牽制しつつ、皇太子の動きを封じる方法を必死に考えた。
そして、ある結論に達し、商業ギルドの支部長ウィルス・スペンサー氏に踊ってもらうことにした。
スペンサー商会は大通りに面した立派な建物で、中に入ると商談に使うためのテーブルがいくつも並んでいた。そのどれもが艶やかに磨き上げられていて、テーブル一つで何千クローナもしそうなほど上等なものだった。
バートさんが商会の人に声を掛けると、すぐに奥にある応接室に案内される。
約束の時間の十分ほど前に到着しており、少しだけ応接室で待たされる。その時間を利用して応接室を観察した。
応接室の壁にはトリア大陸の大きな地図が貼り付けてあり、サイドボードには美しい工芸品が並んでいる。
(サルトゥースやラクスの物が多い感じね。ジルソールの物もあるわ……本当に手広くやっていそう……)
五分ほどでスペンサー氏が秘書らしい若い女性と共にやってきた。スペンサー氏はでっぷりと太っていてお腹が大きく突き出ている。小さな丸い眼鏡を掛けている顔は微笑んでいて、一見すると人の良さそうな雑貨店の店主に見えるほど気さくな感じを受ける。
「お待たせしましたかな」と言って右手を差し出してきた。
「ウィルス・スペンサーと申します。有名なザカライアス・ロックハート卿の婚約者の方にお会いでき、光栄にございます」
私はすぐにその右手を取り、
「突然の訪問にご対応頂きありがとうございます。ロックハート家の従士ガイ・ジェークスの娘、シャロンと申します」
私の名乗りに微笑を返すが、その目の奥では別のことを考えている気がした。
「本日のご用件はロビンス殿から伺っております。何でもザカライアス卿の食材探しの一環とか」
「はい。帝都で最大手の貿易商は御社だと伺いました。世界中の物産を取り扱っておられ、北はサルトゥース、南はジルソールまでどのような物でも手に入ると」
私の言葉に「どのような物でもというのは大袈裟ですよ」と笑うが、眼鏡の奥の目は笑っていない。
「ザカライアス様はペリクリトルやアルスで手に入れにくい、サルトゥースとジルソールの食材に興味を持たれております。今日はどのような物があるのかを確認し、後日の交渉の参考にさせていただきたいと考えております」
私の言葉にスペンサー氏は秘書に合図し、数枚の紙を受け取る。
「昨日お話を伺った後、事前にまとめておきました。これをご覧ください。サルトゥースで手に入るのは……」
そう言って一覧表を指差しながら説明していく。保存が利く食材ということで、北方の塩漬けの魚や乾燥させたハーブや茸などが並んでいた。
「……この辺りが我が商会で扱っているものですが、いかがですかな?」
「素晴らしいです! この中にドワーフの鍛冶師の皆さんが喜びそうなものもありそうですね」
「鍛冶師方の好みはロックハート家の方々の方がご存じでしょうが、私どもでお手伝いできることは何でもおっしゃってください」
その言葉に「ありがとうございます!」と感激したように答え、「では、このリストは頂いてもよろしいでしょうか?」と無邪気に聞こえるように演技をする。
スペンサー氏は私の演技に気づくことなく、「もちろんです」と言って手渡してきた。
私は紙を受け取りながら、ここまではうまくいっていると心の中で安堵する。
スペンサー氏に警戒されることなく、逆に鍛冶師方への商売の糸口になると思わせることに成功した。
しかし、ここからが本番だと気合いを入れなおす。
「これほどいろいろと取引されているということは、たくさんの船をお持ちなのですね」
「いえ、それほどでもありませんよ。社有船もありますが、輸送を専門とする業者に輸送を委託することもありますから」
「では、支店が世界中にあるのですね。どこにあるのですか?」
ここでも無邪気な子供のように目をする。
兄やメルちゃんに見られたら引かれると思うレベルの演技で、あとで思い出したら恥ずかしくて悶えると思う。
「ええ、サルトゥースの王都ラウルスはもちろん、ノルド海の港にもいくつか出張所がございます。内陸ですとラクス王国にも、王都フォンスの他に十箇所ほど支店がございます……」
そう言って壁に貼ってある地図を指差しながら説明していく。
「素晴らしいですね。ザカライアス様は常々、いろいろなところを旅したいとおっしゃっておられます。その土地にいかないと手に入らない物がたくさんあるからと」
「そうでございますね」
「ラスモア村でドワーフの鍛冶師方がお祭をされたのですが、その時に多くの食材が集まりました。でも、スペンサー様のところはそれ以上! これならザカライアス様も満足されると思います……」
私の言葉にスペンサー氏は「いえいえ」と謙遜しながらも満足そうな顔をしている。
ここがチャンスだと思い、目的の話に持っていく。
「……これほど世界中から商品を集めておられるということは、皇室の方々にも献上されておられるのですか?」
「ええ、もちろんです。皇帝陛下がお気に入りのラウルスの陶器は我が商会が納めたものです」
「皇室の方が食されるような珍しいものはありませんか?」
「皇太子殿下がお求めになるフォンスの白ワインは絶品かと。ザカライアス卿はこちらの方が興味を持たれますかな。ハハハ」
思ったより早く目的の名が出た。ここで一気に勝負に出る。
「ええ、フォンスの白ワインは飲んだことがありませんので。皇太子殿下もお酒がお好きなのですね。スペンサー様はお会いされたことがおありですか?」
「ええ、もちろん。何度も拝謁させていただいております」
ようやく私がしてほしい話になった。ここからが正念場だ。
心の中でもう一度気を引き締め直すけど、顔は無邪気なままにしておく。
「私にとっては雲の上の方なのです。どのような方なのか興味がありますわ」
「皇太子殿下は光の神が降臨されたかと思うほど容姿に優れておられ、大変ご立派な方です。皇帝陛下に即位されれば、太陽帝と呼ばれることでしょう」
スペンサー氏は皇太子を褒めちぎる。
「でも、レオポルド殿下も素晴らしい方だとエザリントン公爵様がおっしゃっておられましたわ。今もルークスに鉄槌を下そうとがんばっておられるとか」
私は挑発するため、皇太子のライバル、レオポルド皇子の名を出した。
「いや、それは違いますぞ。確かにレオポルド殿下は戦上手ではございますが、皇帝陛下が戦上手である必要はないのですから。しかし、エザリントン公がそのようなことを……」
「恐らくロックハート家への配慮ではないかと思います。当家はルークスの光神教に酷い目に合わされておりますので」
そこでバートさんが光神教のことを補足する。
「何年か前に光神教がカウム王国から追い出された事件を覚えておりませんかな。あの時、ロックハート家の方々は光神教の司教に嫌がらせを受けておるのですよ」
「ああ、思い出しました。確かにそうですな。なるほど……」
私が狙ったのは、ロックハート家はエザリントン公爵と手を結んだことを示した上で、ロックハート家を含む中立派が、皇太子よりレオポルド皇子を支持していると思わせること。
御館様やザック様の許可を頂かなければ、このようなことをしてはいけないことは分かっている。でも、自分の手で何とかしたかった。
「第二軍団の軍団長であられる皇太子殿下がルークスを征伐してくださると思っておりましたのに……でも、その代わりにレオポルド殿下が憎い光神教を懲らしめてくださいました。私たちは本当に感謝しているのです。レオポルド殿下に」
この一言でスペンサー氏の顔色が変わった。私は止めの言葉を彼に放つ。
「ロックハート家の皆さまが帝都に入られましたら、ザカライアス様は宰相様にお会いになります。これはエザリントン公爵様がおっしゃっておられましたので間違いないのですが、その場でザカライアス様は今後のことをいろいろと……」
語尾をあいまいにして口が滑ったように見せる。
私はこの話をスペンサー氏が誰にどう伝えるのかを考えた。
その結論は間違いなくインゴールスロップ公爵に中立派がレオポルド皇子支持を決めたと伝えるということ。
インゴールスロップ公もこの情報は無視できないから、動かざるを得ない。
動くにしてもこの話は大きすぎるから、皇太子派がロックハート家に関わっている暇はなくなる。恐らくだけど、中立派に対して何らかの工作を仕掛けるはず。
これで当初の目的は達成できると思うけど、これだけでは少し弱い。皇太子派を混乱させるにはスペンサー氏と対立しているクラーク氏を動かす方がいい。
その後、リストを見ながら食材の話などをしてスペンサー商会を後にする。
スペンサー商会を出た後、もう一つの訪問先、クラーク服飾店に到着した。ここも大通りに面しており、スペンサー商会とはギルドの建物を挟んで百メルトほどの距離しか離れていない。
クラーク服飾店も大きな建物で、中にはドレスの生地にするシルクの布がたくさんおいてあった。私には興味はないけど。
応接室に案内されると着飾った紳士が現れる。
四十代半ばでスラリと背が高く、整えられた髭と撫で付けた茶色い髪が紳士であると主張している。さすがに貴族相手に服を売っているだけのことはあると思うほど洗練されていた。
「ダニー・クラークです」とやや低い声で名乗った。
その名乗りとともに私の右手をとって口付けをする。
突然のことでビックリしたけど、顔には出さずに「はじめまして、シャロン・ジェークスと申します」と挨拶を返す。
「今日はスペンサー支部長のことで懸念がおありと伺いました。最初に申しておきますが、私はスペンサー氏に含むところはございません。ですので、お力になれることは少ないと考えております」
さすがに帝都のやり手の商人らしく、最初に牽制してきた。
「ええ、もちろんです。私もスペンサーさんをどうこうしてくださいと、お願いする気はありません」
そう言って笑みを作る。
この笑みにはスペンサー氏のところで見せた無邪気さはない。逆に少し冷たく感じるくらいの表情を作っている。それが本当に冷たく見えるかは分からないけど。
「では、ご懸念についてお聞かせいただけませんか?」と話を促してくる。
「スペンサーさんがロックハート家についていろいろと調べておられます。調べるだけならよいのですが、インゴールスロップ公爵様にロックハート家を皇太子派に引きこむ相談をされているのではないかと考えております。既にご存知かと思いますが、ロックハート家はエザリントン公爵様とよい関係となっております。もちろん、このことは宰相様もご存知であり、強引な引き抜き工作は当然、宰相様への敵対行為と取られるでしょう……」
ここで相手の様子を窺う。しかし、クラーク氏の表情に変化はなかった。
「……既に噂は流れておりますが、エザリントン公爵様のご令嬢、ローレンシア様とプリムローズ様はザカライアス様のことを気に入っておられます。そしてザカライアス様も満更ではございません。婚約者の私にとっては残念なことですけど……」
そう言って少し俯く。
「……ですが、ザカライアス様がお決めになるなら仕方ありません。それよりも今回のことで重要なのは、このお二人はエザリントン市のドワーフの鍛冶師方にも気に入られたということです。つまり、ザカライアス様とご令嬢との関係が拗れるようなことになれば、鍛冶師ギルドも敵に回るということなのです……」
「つまり、鍛冶師ギルドと揉めたくなければ、手を出すなとおっしゃりたいのですかな? 我々としても鍛冶師ギルドと無駄に揉める気はありませんが、だからといって手を拱いている気もありません。我々商人は交渉という武器を使って日々戦っております。その武器を使わずに無為に過ごすということは、商人としてはありえません。そうですな、ロビンス殿?」
クラーク氏はバートさんに話を振った。
この人の方が侮れない。私にとって味方であるバートさんに自分に近い意見を言わそうとしているのだ。
「そうですね。確かにある程度力を持った商人ならば、無為に時を過ごすことなく、交渉によって打開しようとするでしょうな。ですが……」
バートさんの言葉を「その通りです」と言って遮る。
「しかし、商業ギルドは悪辣な手を使うことはありません。あくまで交渉によって事態を打開したいと思っているだけなのです」
クラーク氏は交渉を行うだけなのだから認めろと言ってきた。しかし、商業ギルドが策略を使わないはずはない。
私は浮かべていた笑みを消した。
「では、商業ギルドはロックハート家とエザリントン家の間を引き裂くつもりだと……」
ここで少し間を置く。まだ、クラーク氏の顔には余裕の笑みが浮かんでいた。小娘一人に何ができると思っているのだと思う。
「……分かりました。この後、鍛冶師ギルドに行く予定がありますので、そのことをフィンク支部長に伝えましょう。ギュンターさんはラスモア村にも来られたことがありますから、私も懇意にさせていただいておりますので」
あえてファーストネームでギュンターさんのことを呼び、親密な関係にあることをアピールする。そして、そのまま立ち上がろうと腰を浮かす。
「い、いや、そう結論を急がなくとも……」
初めてクラーク氏が動揺を見せた。私がここまで強引に話を進めるとは思っていなかったみたい。
普通の交渉ではこういった場合、自分に有利に持っていこうと更に言葉を重ねる。
でも私は強引に交渉を打ち切り、彼を無視して立ち上がった。そして、座っている彼の目を見下ろしながら、冷酷に聞こえるように話し始めた。
「既に結論は出ているのではありませんか? 支部長はともかく、次期支部長の最有力候補と言われるクラーク様は、ロックハート家とエザリントン家の仲を割く行動をとると宣言されました。これは交渉であっても同じこと。私としては商業ギルドの有力者の方が動くことは、ギルド全体が動くことと同じだと思っています。それでは貴重なお時間を頂き……」
私はあえて“次期支部長”という言葉を使って、彼を脅した。
もし、この事実が鍛冶師ギルドに伝われば、鍛冶師方が暴走することは火を見るより明らか。その結果、クラーク氏は商業ギルド内での信用を一気に失う。それで彼は焦っている。
「お、お待ちください。先ほどの私の言葉はあくまで一般論です。わ、私個人としてはロックハート家とよい関係を持ちたいと……」
「では、私に協力していただけると」と言って追い討ちを掛ける。
「も、もちろんですとも。私が必ずや支部長を止めてみせます」
私は完璧を目指し、更に声を低くする。
「私はザカライアス・ロックハートの婚約者として、あの方の想いを踏みにじる行為を許しません。もし、商業ギルドが少しでもおかしな動きをしたら、仮にそれがスペンサー氏が行ったことであっても、あなたご自身が積極的に行ったとみなします。そして、クラーク服飾店は“ドワーフの敵”であると、近い将来ロックハートの名を持つ私の口から鍛冶師ギルドに伝えます。この意味はお分かりですよね」
私の言葉にクラーク氏は「いや、それは、もちろん……」と言葉にならない。
これで彼はスペンサー氏を見張るしかない。そして、私の流した情報によって踊るスペンサー氏を牽制しなければならなくなった。
これで商業ギルドは大きく混乱するはず。相手も馬鹿じゃないから、混乱はすぐに収まるかもしれないけど、それでも半月くらいは時間を稼げたと思う。
まだ焦っているクラーク氏を無視して、「では、お暇させていただきましょう」と微笑みながらバートさんに帰ることを促す。
バートさんもこんな展開になると思っていなかったのか、慌てて立ち上がった。
クラーク服飾店を出た後、バートさんが「シャロン様に逆らってはいけない……」と小声で呟いているのが聞こえた。
「どうかしましたか?」とわざと笑みを浮かべて聞くと、
「い、いえ、何でもありません」
そう言って焦っていた。
私も別に怖がられたいわけじゃないけど、今はザック様をお守りするためには恐れられた方がいい。
ブラックシャロン再び……今回の一番の犠牲者は協力者であるはずのバート・ロビンス氏ですね。
調子に乗って書いていたら、二万文字近くになってしまったので3話(前中後篇)に分けます(笑)。




