第七十二話「厳戒態勢」
トリア暦三〇一七年十月八日の夕方。
俺たちは故郷ラスモア村に帰ってきた。
南のカウム王国で二つの村を全滅させた謎の集団の姿はなく、村に被害は出ていない。
だが、村の様子はまさに戦時という感じで、完全武装の自警団員たちがそこかしこに見られ、普段なら自宅で団欒しているであろう村人たちが、館が丘に避難している。
丘を登りきると、家族や従士たちが総出で出迎えてくれる。しかし、いつもとは異なり、男たちは完全装備でそれぞれ武器を手にしており、母たちにはやや疲れた表情が垣間見られる。
父が相好を崩しながら「良く戻ってきてくれた」と言うと、皆からもお帰りという声が掛かる。
「ザックが戻った! これで何も心配は要らぬ!」
祖父がそう言うと全員が頷く。
「私がいなくても大丈夫でしょう?」
「オークが相手ならばな。だが、相手が魔族ならば、我らだけでは分が悪い」
獅子心と呼ばれた祖父が、そんなことを口にするとは思ってもいなかった。
「バイロンから話は聞いておるから、弓の訓練は欠かしておらん。だが、空を飛ぶ敵を撃ち落とせるほどの腕の者はヘクターとガイくらいしかおらん。数体程度ならともかく、小魔ですら数が増えれば対処が出来ん……」
確かに空を飛ぶ標的に当てるのは至難の技だろう。メルの父ヘクター・マーロンとダンとシャロンの父ガイ・ジェークスのようなレベル五十オーバーの腕前ならともかく、一人前と言える程度の腕では牽制にしかならない。
元カウム王国の指揮官バイロン・シードルフは最前線であるトーア砦――カウム王国の東にある要衝――で翼魔系の魔物に煮え湯を飲まされている。その時に戦ったのは最弱と言われている小魔だが、それでも砦の防衛戦では空中から放たれる闇属性魔法による攻撃で多くの兵士が傷付き、砦陥落の原因となっている。
「これで積極的な手を打つこともできる。ザックたちならば敵に奇襲すら掛けられるからな」
祖父はやや明るい口調で、周りに聞こえるようにそう言った。
敵の正体、規模が判らない状況で五日も待ち続けており、自警団のみならず、村人全体の士気が下がりつつあったのだろう。
今までは森の中で魔物と戦うことが多かった。それに魔物が増える前に圧倒的な戦力差で討伐している。今回のような強力な敵、すなわち自分たちに匹敵する戦力を持つ敵が近くに現れるようなことは、ここ十数年間なかったことであり、若い村人を中心に不安に思っている者が多かったのだろう。
「明日からは、ベアトリス殿とダンにも索敵隊を率いてもらうぞ。近くにいるなら、こちらから打って出る!」
祖父の声に自警団員から「オウ!」という歓声が上がった。
だが、歴戦の祖父にしては早計な気がしていた。
敵の戦力が判っていない以上、打って出ることができるかは明言できないはずだ。更に魔族には翼魔族という闇属性魔法が得意な種族がいる。
屋敷に入ると、祖父と父、兄、更に主だった従士たちを集めた作戦会議が行われる。
祖父が最初に口火を切る。
「打って出るかはともかく、ザックたちが帰ってきたおかげで随分と楽になった。戦力の面でもそうじゃが、村の者たちの表情に余裕が出てきたことが大きい……」
祖父が打って出ると言ったのは士気の向上を目指した発言だったようだ。
一通り、村の状況を確認すると、
「ザック、最新の情報を教えてくれんか」
俺は祖父に頷き、帰ってくるまでに知り得た情報を皆に伝えていく。
「……カウム王国は自国内で一気に決着を付けるつもりのようです。噂程度の情報ですが、数千単位の兵力を投入するとのことです……カウムの対応は後手に回り続けています。一昨日のボグウッドの件とあわせて考えると、恐らくカウム王国内に敵はいないのではないかと。一つ気がかりなことが……」
俺が言葉を濁すと、祖父は「それはなんじゃ?」と先を促す。
「敵の狙いです。中鬼族が主体の二百から三百の軍……小さな宿場町や開拓村ならかなりの脅威ですが、先遣部隊であるにしても規模が中途半端すぎるのではないかと。後続部隊がいるとして、何を狙っているのかと……恐らく陽動で間違いないのでしょうが、本当にそれだけなのかと……」
今まで黙っていた父が口を開く。
「確かにな。ボグウッドのことがなければ陽動なのだろうと思うところだが、何を狙っているのかさっぱり判らん」
父の言葉に兄が頷き、
「こちらに混乱を与えるという策なら判らないでもないのですが……」
場に沈黙が流れる。
その空気を祖父が断ち切った。
「いずれにせよ、敵は近い。敵の思惑については、もう少し様子を見てから考えてもよかろう」
全員がその言葉に頷く。
重い空気を払拭すべく、話題を変えることにした。
「スコットたちについては、私の独断で帰還を遅らせました。勝手にウィルを護衛に残したことについてはお詫びいたします」
蒸留責任者のスコットと従士であるウィル・キーガンを独断で別行動させたことについて謝罪する。
父は「謝罪には及ばん」と笑顔で言い、
「この状況では酒造りもできん。それにスコットを一人にするわけにもいかんだろう。ウィルを付けたことは妥当な判断だ。まあ、カウム国内でスコットに手を出すような愚か者はおらんと思うが」
そう言ってから、俺たちの装備に話題を変えてきた。
「それにしても物凄い装備になったな。最初に見たときには目を疑ったぞ」
その言葉に祖父が頷く。
俺がウルリッヒの剣を渡すと、すらりと引き抜いた。その瞬間、従士たちから「おぉ!」というどよめきが上がる。
祖父は灯りの魔道具に剣身をかざしながら、
「凄まじい力を感じるのぉ。これほどの剣を見るのは初めてじゃ……これならば、伝説の古の竜すら斬り裂けるじゃろう……」
祖父にしては珍しく、物語にしか出てこないような魔物を引き合いに出す。
父も「まさに神器……」と呟き、兄も剣から目を離すことなく、感想を述べていた。
「私の剣も凄いと思ったけど、これはもっと凄いな。ザックに相応しいよ」
兄ロッドは自らの剣を引き合いに出すが、その言葉に一切の嫉妬はなく、ただ剣に魅入っているという感じだった。
俺はこの剣を打ってもらった時、兄がどう考えるか心配だった。彼の剣は結婚の祝いとして、ウェルバーンの鍛冶師ギルドから贈呈されたものだったからだ。
だが、それは杞憂だった。
元々、ロックハート家では武具に拘りは少ないし、俺自身も自分の武具にあまり拘りはなかった。実際、英雄と呼ばれる祖父ゴーヴァンでさえ、自警団の新米と同じラスモア村の鍛冶師ベルトラムの打った剣を使っている。もちろん、祖父と一般の自警団員が使う剣では品質は異なるが、領主である父も実戦部隊を指揮するベテランの従士たちも剣や槍は実用品と考えており、一般的な鋼の剣で十分であると考えていた。このことについて祖父に聞いたことがある。
「……無論、良い剣があればそれに越したことはない。じゃが、剣だけ良くとも何にもならぬ。腕を上げねば宝の持ち腐れになるだけじゃ。まあ、ベルトラムの打つ剣はそこらの剣に比べれば、遥かに良い物じゃしな」
ベルトラムはアルスの伝説的な鍛冶師たちに比べればまだ若く、超一流というところには達していないが、彼がアルスに行けば、三百人の鍛冶師の一人になると言われるほどの腕だ。祖父の持つバスタードソードはミスリルなど魔法金属こそ使っていないものの、アルスの最高品質の鋼を用いた一品であり、実用品としては十分過ぎるほどの性能を持っている。
その祖父や父たちでさえ、ウルリッヒの剣の美しさと力強さには魅了されていた。
「私には過ぎた剣だと思いますが、鍛冶師がたからの贈り物ですので……ですが、この村にもお爺様や兄上の剣以外にミスリル製の武器を揃えておいた方がよいと思います……」
この村には兄のバスタードソードと祖父の持つ儀礼用の長剣以外にミスリルなどの魔法金属の武器はなかった。
「お前の言いたい事は判る。アンデッドに対して無防備だと言いたいのだろう」
俺は遠慮気味に「ええ」と頷く。
「だが、ミスリルの武器は高価だ。まあ、それ以上に手に入らぬがな」
元々ロックハート領は貧しく、一振り数万C、つまり日本円で言えば数千万円相当のミスリル製の武器を購入するなど考えることすらできなかった。ここ数年はスコッチの販売などで現金収入が増えているものの、人口増加によるインフラ整備――住居や井戸の整備など――や、蒸留所や貯蔵庫の建設などに資金を投入しており、武器の品質向上にまで資金が回っていない。
今までアンデッドなど通常の武器が効かない魔物が村を襲ったことはなく、必要がなかったことも整備を遅らせている原因の一つだが、それ以前にミスリルの需要は大きく、通常の手段では入手が困難なことが最大の要因だ。一般的にミスリルが手に入るのは数万人規模の大都市だけで、この村のような田舎にミスリルのインゴットが回ってくることはない。もちろん、アルスの鍛冶師ギルドに相談すれば、トン単位で送ってきそうな気はするが。
そうは言っても俺がいる限り、この村に何が起こるか判らない。今回の魔族と思しき集団も俺の使命と係っている気がして仕方がない。
俺は「今後は何が起きるか判りません……」と注意を促そうとしたが、すぐに父が身を乗り出してきた。
「何か……お前の使命と関係があるのか……」
父の緊張した声音に、その場にいた全員が身を固くする。
冷静に考えてみると、“予感”などという曖昧なものだけで、明確に示唆する事実はない。ただ、神々が関係しているなら、予感という形で直接魂に訴えかけてきてもおかしくはない。
「はい……いえ、明確に何かあるというわけではないのですが……何かありそうな気がして仕方がないという感じなのです……」
全員が口を開かず、沈黙が場を支配する。
「……此度の魔族はその先兵ということか……だから、この村が危ういと……」
父の声は大きなものではなかったが、その場にいる全員が衝撃を受けていた。
俺が「いいえ、まだ決まったわけでは……」と否定しようとすると、祖父がそれを押し留め、
「確かに決まったわけではないじゃろう。だが、最悪の事態を想定しておけば、後手に回る恐れは少なくなる。仮に違っておっても何も問題はないのだ。後で笑い話になるなら、それはそれでよい……」
「はい。ですが、未だに私は神が遣わした者に出会っておりません。ですから、この村がすぐに危機に陥ることはないと思います。これについては、私の願望も入っているかもしれませんが……」
その後、今後の方針が話し合われた。
魔族と思しき集団に対しては、動向を探ることを最優先とし、明日の朝からガイ、ヘクター、ダン、ベアトリスの四名が斥候隊を率いて索敵を行うことになった。
「私も索敵に出ます」
俺も索敵に出ることを申し出たが、祖父が首を縦に振らない。
「お前は魔族の魔術師に対する切り札じゃ。どこから敵が現れるか判らぬ。お前とリディア、それにシャロンは村で待機すべきじゃ」
確かに魔術師三人が揃っていた方が戦いは有利に運べる。
「判りました。敵の痕跡が見つかるまで村で待機します」
俺の言葉に従士たちから安堵の息が漏れる。
魔族の大部隊と戦ったことがあるバイロンだけでなく、祖父とともに戦っていた従士頭のウォルト・ヴァッセル、ニコラス・ガーランドらからも安堵した気配を感じた。彼らも魔法を使うルークス聖王国の聖騎士部隊に悩まされたことがあり、対抗できる魔術師の存在は心強いらしい。
ルークス聖王国の聖騎士とは光属性魔法を使う騎兵であり、疾走する馬上から光の矢を放ち、その後騎馬突撃を行う。イメージとしては、十八世紀頃の胸甲騎兵が突撃前に小銃やピストルを撃ち込むことに似ている。
聖騎士自体の練度は低く、光の矢も大した殺傷力は持っていないのだが、重装備の騎士が襲歩で突撃してくる姿は迫力があり、そこから光の矢が放たれると、初見の兵士たちに動揺が走るそうだ。弓兵と馬防柵で十分に対抗できるそうなのだが、指揮官が未熟な場合、それだけで陣形が崩れ、潰走することもある。
「地上を走る聖騎士どもの魔法でも厄介だったのじゃ。それが空から撃ち込まれてみよ。経験の少ない兵は必ず動揺する。この村の自警団でも恐らく恐慌に陥るじゃろう……」
そこで兄が大きく頷く。
「私もそう思います。ルークスとの戦いでも聖騎士の突撃の後の農民兵の方が厄介でした。魔族も同じではないかと」
祖父や父、従士たちは大きく頷いていた。だが、俺にはいまいち実感が湧かない。
ルークス聖王国軍の農民兵とは徴兵された農民たちが作る部隊のことで、槍と貧弱な防具だけで、ただひたすら突撃してくるという練度の低い兵士たちのことだ。確かにかの国の主戦力はその農民兵だが、彼らが勝利しているのは常に敵に数倍する戦力を用意できる点だと思っていたからだ。
「どういうことですか、兄上?」
兄は「ザックでも判らないことがあるんだな」と笑った後、
「聖騎士自体はそれほど脅威じゃないんだ。ルークスの主力は徴兵された農民兵なんだよ」
「ええ、確かにそう聞いたことがあります。常に大兵力で戦場を圧倒すると……」
兄は「確かにそうだね」と頷くが、
「でも、本当に恐ろしいのは聖騎士たちが混乱を与えた後にやってくる農民兵の突撃なんだ。なんと言っていいんだろう。そう、死を恐れない敵の突撃っていうのは、ベテランの兵士でも恐れを抱くものなんだ。私も初めて見たときには怖かったよ……」
農民兵たちは宗教による洗脳と薬物によって死を恐れない。このため、その突撃は侮れず、味方が混乱している場合、歴戦の兵士でも農民兵に刺し違えられることが多く起きる。
「ルークスもそうなんだけど、魔族に魔法が使える者がいるなら、魔法でこちらの陣形を崩してから、使役している魔物を無茶苦茶な勢いで突撃させてくると思うんだ。確か十年前はそんな感じで苦戦したはずだ。そうだろう、バイロン?」
兄が元カウム王国の部隊長バイロンに話を振る。
「ええ、おっしゃるとおりでした。小魔が魔法を撃ち込んでおいて、こちらが盾で防戦している隙にオークやゴブリンたちが砦をよじ登っておりました。どれだけ叩き落してもきりが無いという感じでしたね……」
そこで昔を思い出したのか、顔をしかめ、
「野戦ではもっと悲惨でした。矢の届かぬ上空から魔法を撃ち込まれ、混乱した隙にオーガが地響きを上げて突撃してくるのです……正直、あれは恐ろしかった……我々も最後の方では慣れてきたのですが、慣れるまでは分かっていても対処は難しいものでした」
「うちの村の兵たちも一対一なら負けないんだろうけど、混乱した部隊は脆いから。特に実戦経験の豊富な小隊長や班長クラスが少ないからね……」
確かに祖父とともに戦ってきたウォルト・ヴァッセルやニコラス・ガーランドらベテランはいるが、十人単位の班を指揮する人材が少ない。俺たちとともにウェルバーンに赴いたブレッドたちが班長を任されているが、大規模な戦闘で指揮を執ったことがなく、一抹の不安がある。
「……だから、味方が混乱しないよう、敵が空から魔法を撃ってくる前にザックたちに撃ち落としてもらいたいんだ。敵に損害が与えられると判れば、士気はそれほど落ちないものなんだ……」
急に兄が頼もしく見えた。
(兄上もウェルバーンで立派な軍人になっていたんだな。これでこの村は次の世代も大丈夫だ……)
「了解です。明日は自警団の皆に魔法を披露しておきますよ。少しばかり演技も加えて」
その後、俺たちの帰還を祝い、ささやかな宴が催されるが、準戦時体制ということで早々に解散となった。




