第七十一話「帰還」
お待たせしました。
トリア暦三〇一七年十月六日。
アルス街道の交通の要衝、バルベジーの北門、俺たちは急ぎ故郷ラスモア村に帰還するため、開門を待っている。
俺たちの他には、オークの行方を追う騎士団の一隊と、彼らをサポートする十数名の冒険者たち――主にベテランの斥候職――が同じように開門を待っていた。
門の周りには、通行許可が出るかもしれないという一縷の望みを抱いてやってきた商人たちがいたが、彼らに許可は出されることはなく、何日も足止めを食らっている商人たちは、俺たちを恨めしそうに眺めていた。
カウム王国は二つの村を襲ったオークの群れから旅人を守るという理由で、バルベジーより北及び東への通行を禁止し、更に商隊については南行きも禁じている。現状では通行許可証は一部の冒険者にのみ出され、他にはほとんど発行されていない。
昨夜、このことについての噂話を宿で聞いた。
その話では、騎士団はオークの群れが魔族の先遣部隊であると考え、兵力を一気に投入し決着をつけるつもりでいるらしい。騎士団上層部は王都からの増援が到着次第、一気に街道を進められるようにするため、邪魔になる荷馬車を出させないようにしているというのだ。
更に、エイリース村を襲った集団だけでなく、それに呼応してカウム王国最大の防衛拠点トーア砦を襲撃してくる可能性を踏まえ、大規模な兵力の投入がなされるという話だ。
フリーの冒険者や傭兵の行動が制限されていることについても噂が流れていた。騎士団は魔族軍の規模が予想より大きかった場合に備え、冒険者と傭兵を徴用することを考えているというのだ。更に冒険者たちが捕えられることを想定し、敵に情報を与えないための措置だとも言われていた。
騎士団は魔族から逃げ切れるだけの技量を持つベテランの斥候だけを緊急依頼という形で索敵に使っているが、バルベジーにそれほど多くのベテランがいるわけではない。騎士団にも斥候はいるが、それでも広大な森に比べれば、あまりに少なく、未だにオークたちの足取りは掴めていない。
戦力の集中投入と機動性の確保、更には情報統制という考え方自体は間違ってはいないだろう。だが、魔族軍という前提条件が間違っていた場合、防備が貧弱な小さな村がオークたちに蹂躙されることになる。
更に敵の位置がいつ判明するとも判らないこの状況で、商業活動を停止し続けることは、経済損失が大きすぎる。
(失態を演じた国王辺りが一気に挽回しようと考えたんだろうな。バルベジー辺りで小さな村が全滅したり、商人たちが少々不満を漏らしたりしても、魔族軍を討伐できれば、王都での評判は一気に良くなる。もちろん、討伐できればだが……敵の位置すら掴めていない状況では街道の守りを固めるくらいしかできないんだろうが、魔族を警戒するならベテラン以外の冒険者も徴用して一気に索敵範囲を広げた方がいいんだが……いずれにせよ、王国の対応は中途半端な感じだな……)
そんなことが一瞬頭を過ぎるが、すぐに意識を戻し、開いた門から馬を進めていく。
普段なら荷馬車で賑わうアルス街道だが、今は馬の蹄の音だけが響く、侘しい山道と化している。その閑散としたアルス街道を北西に進んでいくが、俺たちがペースを上げたため、すぐに騎士団一行も見えなくなり、道を行くのは俺たち六人だけになった。
五kmほど進むと、全滅したエイリース村への分岐が見えてきた。
「ここから先はいつ敵が出てきてもおかしくないよ。油断するんじゃないよ」
ベアトリスが注意を促してくるが、俺たちの中に油断するような者はいない。彼女もそれを承知の上で言っている。
(俺が焦っているからだろうな……だが、どうしても胸騒ぎが消えないんだ……)
魔族が率いているかもしれないと聞いてから、どうしても悪い予感が消えない。強迫観念のような思いが心の中を占め、知らず知らずのうちに一刻も早く村に帰らなければならないと考えてしまうのだ。
俺は苦笑気味に「了解」と伝え、隊列を変えるよう指示を出す。
「先頭はダン。次に俺、メル、シャロン、リディ、ベアトリスで行くぞ。リディとベアトリスは後ろに気を配ってくれ……」
徐々に険しくなる山道を速歩ほどの速度で馬を走らせていく。馬に負担が掛かるが、宿場町を通るたびに馬を替えることにしているため、馬を潰すことは無いと考えている。
不気味なほど静かな森に、馬の蹄の音だけが響いていく。
バルベジーを出て十kmほど進むと、飢えた魔物が現れ始める。だが、いずれも大した魔物ではなく、先行するダンの警告を受け、俺が馬上から魔法で排除していくため、馬を止めることはほとんどなかった。
バルベジーを出発して三日目の十月八日。その日の昼過ぎに、カウム王国の国境の町ボグウッドに到着した。
ボグウッドから故郷ラスモア村までは十五kmほどで、馬を駆けさせれば二時間も掛からない。この町もアルス街道の他の町と同様に、街道の封鎖の影響を受け、門の警備は物々しく、町の雰囲気は暗かった。
俺たちが南からやってきたと知ると、門衛を始め多くの人たちが情報を欲して声を掛けてくる。
歩きながら話を聞くと、早馬で中鬼族が率いているらしい魔族軍が現れたことと、街道の封鎖が伝えられたが、その後はほとんど情報が入っておらず、全く状況が判らないとぼやく者がほとんどだった。既に五日以上足止めされている商隊もおり、王国への不満を何度も聞かされる。
そんな商人の中にラスモア村の石鹸を扱う者がおり、俺たちがロックハート家の関係者だと気付いて声を掛けてきた。
その商人に村の状況を聴いてみると、
「三日前に出てきたのですが、その時は何もありませんでしたね。ご領主様は自警団を召集していたようですけど……」
ラスモア村にも五日前には情報が入っているようで、警戒を強めているという話だった。更にその後も異変が起きたという話はなく、とりあえず間に合ったことに安堵する。
冒険者ギルドや傭兵ギルドで最新の情報を確認するが、町の周辺でオークの群れの痕跡を見つけたという情報はなかった。だが、ここにいる冒険者たちも日帰りで行ける範囲、つまり半径数km程度しか森に入っておらず、本当にオークたちが近くにいないか確証はない。
礼を言って立ち去ろうとすると、
「そう言えば変な話を聞きましたね」
俺は立ち止まり、「変な話?」と聞き返す。
「ええ、一昨日のことですけど、ふらりと若い男がここにやってきたそうです。それも南からなんです。街道は封鎖されているんですけどね……格好は冒険者みたいなんですけど、どうやらギルドには登録してなかったみたいで、それでちょっと門のところで揉めましてね。門衛が捕まえようとしたら、森の中に逃げていったって話なんですよ」
「で、その男は捕まったんですか?」
商人は頭を振り、
「門衛が追いかけたんですが、中々すばしっこくて、百mくらい追い掛けたそうなんです。それでも門衛はその先に川が流れているのを知っていましてね。追い詰めたと思ったそうなんですよ。ですがね、そいつは自棄になったのか、屋根の高さほどの崖を飛び下りたらしいんですよ。慌てて門衛が見に行ったそうなんですが、打ちどころが悪かったのか、泳げなかったのかしりませんが、川の中で溺れて死んでいたそうなんです」
「オーブは確認したんでしょう? 盗賊か何かだったんですか?」
商人は「いえいえ」と大きく手を左右に振り、
「オーブは確認したんだそうですけど、唯の村人だったんです。ただ、そいつの住んでいた村がエイリース村だったんですよ。あの全滅した」
おかしな話だと思った。
エイリース村の生き残りがなぜボグウッドにいたのか。そして、町に入ろうとすれば、オーブ――身分証明書となる魔道具。ブレスレット型になっていることが多い――で身元確認が行われることは常識だ。この状況であれば、必ず身元がばれる。
一番の疑問は目的だ。
町に入れないことは判りきっているし、わざと捕まって中に入るならともかく、門のところで逃げ出すだけなら何の意味もない。門で揉めることが陽動なら判らないでもないが、この状況では門衛の数は普段より多く、隙が出来ることは考えられない。
「……おかしいのはそれだけじゃないんです。そいつの装備がかなりいい物だったみたいなんです。それこそベテランの冒険者か傭兵が使うようなやつだったんです」
俺はますます判らなくなり、「守備隊から何か発表はあったんですか」と尋ねる。
「いえ、この話自体、公になっていないんですよ。もちろん、小さな町ですからね。すぐに噂は広がりますが」
俺は商人に礼を言い、ボグウッドの守備隊の詰め所に向かった。
この町はカウム王国の町だが、ロックハート家の恩恵――周辺の魔物の討伐と蒸留酒の販売による経済効果――を受けていることから、ロックハート家に対してかなり好意的だ。
当然、俺の名も知られており、すぐに守備隊の隊長と面会が叶う。
隊長はパーシングという名で、がっしりとした体格の四十歳くらいの男だった。商家の次男坊ということで王国の兵士という感じはなく、町の自警団の取りまとめ役といった印象が強い。本来なら微妙な関係になりやすい隣国の騎士であるロックハート家とも友好的に接してくれ、俺も一応面識がある。
パーシングは笑みを浮かべながら、「ご無沙汰しております」と言って右手を差し出してきた。握手を交わすと、早速用件に取り掛かる。
「噂で聞いたのですが、エイリース村の住民が門を通ろうとしたそうですね」
パーシングは僅かに顔をしかめ、「ええ」と頷く。
俺がどう考えているのかと尋ねると、
「正直な話、我々も掴みかねているのですよ。エイリース村が襲われてからすぐに街道は封鎖されましたから、ここに来ること自体、特別な許可がなければ無理なはず。無論、森を抜けてくれば来れないことはないのですが、それでもここまで百km以上離れています。魔物がうろつく森の中を八日ですよ。一流の冒険者でも二の足を踏むはず……」
守備隊で遺体を確認したが、町に流れている噂通り、かなり良い装備を身に付けていた。
「……冒険者なら三級から四級。傭兵なら五級程度ですかな。私の目で見てもかなり良い斥候の装備でしたな。まだ二十歳になったばかり、それも開拓村の村人。明らかにおかしい……それに部下が言うには、身のこなしは素人そのもので、すぐに追いつけると高をくくっていたようなのです……」
話をまとめると、エイリース村の若者がベテラン冒険者の装備を身に付け、町に入ろうとしたが、装備に見合う能力もなく、目的も判らないまま事故死した。
エイリース村からボグウッドまでは街道を使えば約百三十km。宿場町を使った形跡はなく、ここに来るまで俺たちと騎士団関係者以外が街道を通ってきたという話はなかった。街道を使いながら宿場町を迂回した可能性はあるが、街道沿いは比較的頻繁に巡回されており、ここまで見付からずに街道を移動できる可能性は低い。つまり、森の中を移動してきたとしか考えられないのだ。
ボグウッドからバルベジーまでは険しい森が続き、主要街道であるアルス街道ですら、魔物の脅威に晒される。夜間なら相当腕の経つ冒険者でも数名のパーティを組まなければ無事に移動することはできないし、まして危険な森の中を素人同然の若者が八日間で移動したなどとは全く考えられない。
「……我々では判断できないので、騎士団には報告したのですが……」
確かに昨日、南に向かう早馬とすれ違っていた。
(村人の生き残りがこの辺りにいたということは、魔族が関与していることは間違いない。何の目的かは分からないが、だとすると、オークの群れだという考えは完全に捨てるべきだ。一昨日の昼頃にボグウッド近くにいたということは、村は既に……)
パーシングに礼を言って立ち去り、すぐにラスモア村に向けて出発する。
「あと少しだが気を抜くな。さっきの話もある。いつもの西の森だと思わず、いつ敵が出てきても対応できるように。では行こうか」
俺の言葉に五人が大きく頷く。いつもならラスモア村の西の森は平和そのもので、野犬やはぐれ狼が迷い込む程度だ。だが、さっきの若者の話を聞くと、何が起こってもおかしくないと思えてしまう。
一時間ほどでアルス街道からラスモア村行きの分岐に到着する。
警戒しながら村へ向かう道に入るが、拍子抜けするほどいつも通りの平和な森だった。
先頭を行くダンが周囲を警戒しつつも「特に何もありませんね。いつも通りの西の森です」と報告してきた。確かに小鳥のさえずりや秋の虫の声が響いており、平和そのものだった。
(ダンの言うとおり、確かにいつもの森だ。だが、頻繁に森に人が入った跡がある。父上はかなり警戒しているようだ……)
警戒を緩めず、慎重に馬を進めていき、一時間ほどで何事もなく村の入口に到着した。
村が見えてくると、すぐに異常な雰囲気に気付く。
まだ午後四時頃で、普段なら村人たちが農作業にいそしんでいるはずの時間だが、丘の斜面の畑には誰一人いなかった。走り回る子供たちの声も、放牧されている牛や羊の鳴き声も聞こえてこない。
村の入口に当たるフィン川の橋に差し掛かると、南が丘――村にある五つの丘のうちもっとも南にある丘――の頂上に完全武装をした自警団の姿が見えた。
その数は十人ほど。俺たちの姿が見えたのか、自警団の面々が一斉に武器を構え、警戒態勢をとるが、すぐに俺たちだと判ったのか、武器を降ろしていく。
数人が丘を下りてくる。その中には自警団の指揮を執っていた従士のイーノス・ヴァッセルの姿があった。
「お帰りなさい。ザック様」
いつものように明るい声で俺たちを出迎えてくれる。だが、目の下にはくまを作り、疲労が溜まっている様子が見てとれる。
「状況を教えてくれ」
俺の言葉に小さく頷くと、
「魔族の話は聞いておられると思いますが、今のところ何も。ガイさんが猟師たちを使って毎日周囲を探っていますが、奴らが近くにいる痕跡は見つかっていません」
斥候として優秀なガイ・ジェークス――ダンとシャロンの父――が痕跡を見つけられないのなら、今のところ村の近くにはいないのだろう。もちろん、彼と猟師たちだけでは、限定された範囲しか調べられないだろうから、見逃している可能性はある。
更にイーノスから情報を確認していく。
ボグウッドに不審な人物が現れたという情報があり、村人たちは“館が丘”――村の最も北にありロックハート屋敷がある丘――に避難し、周囲の丘に見張りを立て警戒を強めているとのことだった。
俺は安堵の息を吐き出していた。
(何とか間に合ったか……だが、奴らはどこにいるんだ?)
イーノスと別れ、館が丘に向かう。
最も賑やかである村の中心にも人の気配はなく、ゴーストタウンのような寒々しい雰囲気が漂っている。
懐かしい館が丘が見えてくるが、そこもいつもの長閑な雰囲気は微塵もなく、巨漢の従士、バイロン・シードルフが険しい表情で自警団に指示を出す姿があった。
夕闇に包まれるにはまだ時間があるが、既に灯りの魔道具や松明などが準備されている。
バイロンに声を掛けると、
強面のバイロンが「これで一安心ですな」と言って相好を崩す。
「父上やおじい様、それに兄上もいるんだ。俺たちがいなくても何とかなるだろう?」
バイロンは目立たない程度に頭を振り、小さな声で理由を説明する。
「いえ、魔族が相手ですから。魔術師がいるといないとでは大きな違いがあります。特にザカライアス様やリディアーヌさんのような優秀な魔術師がいらっしゃらなければ、かなり苦戦したはずです」
バイロンは十年前にカウム王国の要衝、トーア砦で魔族と戦った経験がある。それも砦が陥落するほどの大規模な侵攻で、魔法を使う小魔の大群に悩まされている。だから、俺やリディ、シャロンのような飛行系の魔物に強い魔術師の存在が余計に心強く思うのだろう。
自警団員たちも俺たちの登場は心強いと思ったのか、暗かった表情が随分明るくなっていた。
(歴戦のバイロンですら余裕がなかった。いや、魔族と戦った経験があるからこそ、余裕がなかったんだろう……)
日が傾きかけた丘の道を屋敷に向かって登っていく。
左手にある学校には多くの人たちの姿が見える。毎年拡張されているとはいえ、七百人以上の村人全てを校舎に収容することはできないため、テントのような天幕が張られている。蒸留酒貯蔵庫にも多くの村人が避難しており、丘のあちこちで大勢の女性たちが食事の準備を行っていた。
(真冬じゃなくて良かった。こうなることが判っていたら、もう少し校舎を拡張しておくよう父上に進言しておくべきだったな……)
学校の建設を考えたときから、緊急時の避難所として使うことは想定した。だが、この村は平和であり、実際に使うことはないと思っていたことも事実だ。今のところ、三十人用くらいの大きさの教室が六室と職員室兼教材保管室のような部屋が一つ、更に非常用の機材が保管されている倉庫が一棟あるだけだ。
(村全体に防壁は無理でも館が丘を防壁で囲むことは考えておいた方がいいな。今の防壁は脆すぎる……今さら言っても仕方ないことだが……)
館が丘を囲む木の塀はところどころ崩れたところがあり、補修されているが、防壁としての能力はあまり期待できない。精々狼やゴブリン程度の低級の魔物にしか効果はないほどだ。
そんなことを考えながら、屋敷に向かっていた。




