第一章:全力疾走で逃げていたら、Aランクのイケオジ冒険者に拾われました 3/3
※次回は明日20時~20時半の間に更新
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怖いと言う感情に埋め尽くされたまま、ただひたすらに走っていたところで、由香の身体がふわりと浮く。
まるで大きな手で優しく支えてもらっているような、そんな暖かい風に身体が包まれる感覚にどこかほっとしたのも束の間、人間の温かさと力強い腕と耳元から聞こえる低い呼吸音に由香は慌ててそこから離れようとした。
「嫌……!」
「暴れるなって!」
「離して!」
「落ち着け!」
デヴィッドは無理に押さえつけるのではなく、逃げようとする身体を包み込むように抱き直した。
「大丈夫だ」
「……っ」
「俺はお前を傷つけねぇ」
低い声だったけれど、不思議とその声音は怖くなかった。
「大丈夫だ」
背中をゆっくり撫でる。
「怖くねぇよ」
「……」
「もう大丈夫だ」
由香の呼吸が少しずつ落ち着いていく。
「……だいじょうぶ?」
「ああ」
「……本当に?」
「本当だ」
「……」
「怖かったな」
その一言で由香の涙が一気に溢れた。
「…こ…怖かった」
「ああ」
「何も分からなくて……」
「そうだな」
「帰りたくて……」
「ああ」
「痛いのも嫌……怖いのも嫌……」
「分かった」
「……もう、やなの」
まるで子どものように泣きながら訴える由香に、デヴィッドはひとつひとつ相槌を打ちながらゆっくり背中を撫で続けた。
「俺が守ってやるから、もう大丈夫だ。よく頑張ったな」
顔を上げた彼女の頬に手を添えて親指で涙を拭い、濡れた頬をゆっくりと撫でる。
それでも溢れてくる涙で濡れる目元へ、デヴィッドは無意識に唇を触れさせた。
それは恋人にするような情熱的なものでもなければ、からかうようなものでもなかった。
ただ、泣きじゃくる由香をどうにか落ち着かせたい、そんな思いが言葉より先にデヴィッドの身体を動かしたような、あまりにも優しい触れ方だった。
けれど、そんなことをされた経験などなかった由香は何をされたのか理解するより先に、あまりにも突然の出来事への驚きが恐怖を上回った。
ついさっきまで、自分が置かれた状況も目の前にいる男も怖くて仕方がなかった。
追いかけてくる屈強な身体と鋭い目つきも、腰に下げられた武器も、何もかもが自分とは別世界のものに見えていた。
だからこそ、そんな相手から突然与えられた優しい感触に、頭の中が完全に追いつかなくなる。
けれど少なくとも、もう逃げなければという恐怖だけに支配されてはいなかった。
震えていた呼吸が少しずつ落ち着き、ようやく目の前の相手と向き合って言葉を交わせる程度には、彼女の意識が現実へ戻ってきていた。
「……え」
由香の思考が数秒止まった。
「……あの」
「そんな顔すんなって」
「い、今……」
「気にすんな」
「いや、気にします……!」
「お、涙止まったじゃねぇか」
「そういう問題じゃ……」
ちゃんと、自分の声が出て言葉が続いたことに由香自身が驚いていた。
怖いけれど、この人は自分を傷つけようとしているわけではないと思えるくらいには、デヴィッドの行動と纏う空気が少しずつ由香の中へ積み重なっていたのだ。
少しばかり落ち着いたと思った矢先、今度は別の感覚が身体を襲ってくる。
「……っ」
じくりと足裏が痛んだのを皮切りに、ふくらはぎ、腕、膝と身体のあちこちが、まるで今になって思い出したかのようにじわじわと痛みを訴え始める。
「……痛い」
「だろうな」
デヴィッドの視線が、由香の身体へ落ちた。
裸足で森の中を走り回ったせいで足裏は傷つき、木の枝や岩に擦った腕や脚には細かな傷がいくつも走っている。
服もところどころ汚れていて、短パンから伸びた傷ついた脚はむき出しのままだ。
先ほどまでは恐怖で頭がいっぱいだったせいで、そんなことを気にする余裕などなかったけれど、今になって感じる身体中の痛みと寒さに思わず由香が腕をさすっていると、その姿にデヴィッドが眉を寄せる。
「そりゃ寒いだろ」
「……?」
「そんな格好で森の中を走り回ってたんだからな」
小さく息を吐き、外套を外す。
「ほら」
「え?」
ふわり、と大きな外套が彼女の肩へ掛けられる。
そのまま前を合わせるようにして、由香の身体をすっぽりと包んでいく。
「肌出しすぎだ。これ巻いとけ」
「……ありがとうございます」
「それに、その傷じゃ見てるこっちが落ち着かねぇ」
ぶっきらぼうな言い方だったけれど、声には明らかな心配が滲んでいた。
由香は外套に包まれながら、改めて目の前の男性を見上げる。
落ち着いた色の髪と整った顔立ちで、鋭く見えた目元も今こうして落ち着いて見れば怖いというより凛々しい。
高い鼻筋に無精ひげの残る顎、屈強な身体に似合う低い声で、何より自分のことを心配してくれているのが伝わってくる。
あれ?
この人。
ものすごく格好いいのでは?
恐怖で完全に見落としていたけれど、落ち着いて観察してみれば、いわゆる「大人の色気」があるタイプの男性だった。
由香の脳裏に、これまで趣味に没頭する中で培われてきた妙な観察眼が一瞬だけ戻ってくる。
整った顔にがっしりした体格と低い声で無愛想に見えるが実際はものすごく面倒見がいい恐らく三十代後半男性。
――ただのイケオジじゃん!!!!
心の中でそれはもう盛大に叫んだ。
いや、待って。
今まで怖すぎてそれどころじゃなかったけど。
めちゃくちゃイケオジでは?
そんな場違いな感想が頭を駆け抜けた、その瞬間だった。
「悪いが少し我慢してくれ。ここは長居できる位置じゃねぇんだ」
「え?」
デヴィッドがしゃがみ込んだ次の瞬間、由香の身体がふわりと浮いた。
「……っ!?」
背中と膝裏を大きくたくましい腕に支えられ、まるで壊れ物でも扱うように慎重にデヴィッドに抱き上げられていた。
「ちょ、ちょっと…まっ…!」
さっきまで感じていた恐怖とは、まったく違う種類の動揺で由香の顔が一気に熱くなる。
趣味に没頭して自分の好きなものを追いかけて、気がつけば35歳になっていた彼女の恋愛経験はほぼないと言っても過言ではない。
男性と接する機会がなかったわけではないが、仕事や付き合い程度に話すことがある程度であって、それとこれとは話が違う。
男性の腕が自分の身体に触れていて、尚且つ軽々と持ち上げるほどの力を感じるうえに、間近に整った顔まであるのだから彼女の頭の中は完全に混乱していた。
「……あ、あの……!」
どうしていいのか分からず、由香は身体を固くして思わず彼から離れようとしたが、その反応を見たデヴィッドの表情がわずかに曇る。
――また怖がられた。
デヴィッドはそう思ったが、腕を緩めることなく由香を安心させるように声を落とす。
「大丈夫だから、大人しくしてくれ」
「……」
その低く、穏やかな声は先ほど聞いたときと同じ優しい声音で、その声を聞いた瞬間、由香の身体から余計な力が抜ける。
「いいこだ」
「……っ」
今度こそ、由香の思考が完全に停止した。
――いいこ?
男性にそんなことを言われた経験などなくどう返せばいいのか分からない。
恥ずかしいけれど、怖くはないし、むしろこの腕の中にいると不思議なくらい安心する。
「そのまま大人しくできるな?」
「……」
由香は真っ赤になった顔のまま、こくこくと頷いた。
「……はい」
「よし」
デヴィッドはそれだけ言うと、由香を抱いたまま急ぎ足で歩き始めた。
外套に包まれた由香の身体は、少しずつ温かくなっていく。
足はまだ痛いし身体のあちこちもじくじくと痛んでいるけれど、さっきまでのような恐怖は残っていなかった。
自分を助けて、落ち着かせてくれて、傷を心配してくれて、外套まで貸してくれた人。
そして今、自分を安全な場所へ連れて行ってくれている人。
――この人の傍にいたら、大丈夫なのかもしれない。
由香はそう思いながら、胸元の外套の端を小さく握りしめた。
その身体を抱くデヴィッドは、腕の中の由香がようやく大人しくなったことに安堵しながら、一刻も早く安全な場所へ戻るために周囲を警戒しながら脚を動かしていた。




