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黒焦げトースターと帰る場所

明日は二話投稿します!

 無事に期限内に荷物を配達しおえた後、夜の底を走り抜けてきたエンジンの熱は、夜明け前の湿った空気の中でもなかなか冷めなかった。


 スラムの朝は、綺麗に明るくなったりしない。

 

 煤けた煙突の向こうで空の色が少しだけ薄まり、濁った水路の面に鈍い光が浮く。

 

 その程度だ。

 

 鉄骨は夜の冷たさを残したまま軋み、どこか遠くで蒸気の抜ける長い唸りが聞こえていた。


 ページは黒いスクーターを細い路地から滑り込ませ、半ば崩れた壁に囲われた車庫へ入れた。

 肩の奥にはまだ妙な重さが残っている。血の匂いを吸ったせいか、ただ眠いだけか。

 たぶん両方だ。


 スクーターの鍵を抜き、アジトの重い扉に手をかけた瞬間、中から嫌な予感がした。


「おい、コグ。これまずくないか!?」


「いや、大丈夫、だよ。まだ耐えて、る」


「……朝から元気だな、お前ら」


 扉を開ける。


「おいおいおい!やばいって!爆発するって!」


「まだ、あと少しで、焼けるから!」


 ボーン!


 嫌な予感ごと景気よく飛んできた。

 

 焼けた金属の匂いと、焦げたパンの匂いと、何かちょっと駄目そうな匂いが一気に顔へぶつかる。


 黒焦げの塊が、べしゃ、とページの顔面に直撃した。


 数秒。

 部屋の中の空気が固まる。


 薄暗いアジトの中央では、薄い茶髪に縁取られた丸っこい顔を青くしたコグが硬直し、その隣で首に炭坑用の大きなヘルメットをぶら下げたフリントが口をへの字にしていた。


 テーブルの上には、パンを焼くための機械だったらしい物体が、ありえない角度に膨れた鉄板を震わせている。

 ページは顔からずるりと落ちた炭の塊を指でつまむと、呆れ果てたような、重い息を吐き出した。


「……コグ」


「は、はい」


 両手を胸の前で縮こまらせたコグの肩がビクッと跳ねる。


「変な改造はすんなって言ったよな?」


「で、でも早くパンがやけたらなって……」


「朝飯を手早く焼く機械で殺傷能力を高めてどうするよ」


 心底呆れているのに、怒鳴りきれない。

 怒鳴る前に、ぱっと見てしまったのだ。

 コグの頬もフリントの袖も黒く汚れているだけで、怪我はしていない。溶接マスクも、一応、使っていたらしい。


 ページは小さく息を吐いた。

 怒気というより、気の抜けた蒸気みたいなため息だった。


 コートの内側を探り、昨夜の仕事のついでに掠めてきた得体の知れない四角い魔道具を一つ、テーブルへ放る。


「はぁ、まあいい。一応、溶接マスクはしてたんだな。次はこれで練習しとけ」


「あ、ありがとう」


 コグの目が露骨に輝く。

 たぶん反省より先に好奇心が勝った顔だろう。

 

 新しい玩具を抱えたいそいそと自分の作業場へ消えていく後ろ姿を見ながら、ページは自分の判断がたぶん甘い方に転がったのを理解したが、いまさら訂正するのも面倒だった。


 その横で、フリントが吹き出した。


「おい、兄貴!顔が黒焦げになってるぞ!煙突掃除でもしたのか?」


 ページは無言で拳を振り下ろした。


 ゴンッ


「ッてぇ~。悪かったって。コートきれいにしてくるから許してくれよ~」


 煤を拭ったコートをそのまま投げると、フリントは頭を押さえながらそれを抱え、だぼついたズボンの裾をぼてぼて引きずるようにして奥へ引っ込んだ。


 騒がしい。

 本当に騒がしい。


 さっきまで路地の血の上を走っていた頭には、少しうるさすぎるくらいだった。

 けれど、そのうるささが嫌かと言われると、そこは少し黙るしかない。


 鍋の前から、ベルが振り向く。

 暗めの赤毛は黄色の髪紐でざっくり結ばれ、橙色のワンピースの上に重ねた緑のエプロンには、洗い物の水と湯気の匂いが移っていた。

 

 朝の薄い光と煮炊きの湯気を背にしたその顔だけは、この煤だらけの部屋の中でも妙に落ち着いて見えた。


「おかえりなさい。スープはできてるわよ。はい、これ」


 ベルはページにゆらゆらと湯気をだす、お茶を渡した。


「ん、あーありがと。はぁ、今日も疲れたわー」


 返事になっているようで、なっていない。

 自分でもそう思いながら、ページは部屋の古びたソファへどかりと座り込んだ。

 机に、小銭の入った布袋をひとつ。

 それから、食欲を誘う匂いを立ち昇らせた串の突き出た紙袋をひとつ置く。


「ほれ、お前らの報酬」

 

 使い勝手のいい情報網を繋いでおくための、安い出費だ。そう自分に言い聞かせる。

 

「もー、そういう時はただいまっていうのよ。しらな、い、の?」


 ベルはそう言いながら、最初こそしっかりページの顔を見ていたくせに、途中から紙袋の匂いに目を持っていかれていた。

 

 串の先から立つ肉の匂いは、この部屋ではかなり強い部類の幸福だ。仕方ないと言えば仕方ない。


 ページは受け取った濃い茶を一口飲んだ。

 渋い。雑草をそのまま煮たみたいな味がする。


「ちゃんと目を見てたら言ってたかもな」


 ベルがむっとした顔をしたところで、ぱたぱたと足音が戻ってくる。


「兄貴!今日の報告だ!今日の俺は西区を冒険してきたんだぜ!すごいだろ!」


 ページは堪えきれず、思わず喉の奥で茶を噴いた。


「ぶっ!西区!?あぶねぇから行くなって言ったよな?」


「なぁに、ちょっと冷やかしに行っただけだよ。そこですげぇもん見ちゃったんだぜ!」


「はぁ、どいつもこいつも言いつけ守んねぇ……。で、何見たんだ?」


 フリントは得意げに、拾ってきたらしい細い何かを掲げる。

 

 煤と埃の中でも、それだけは微かに色が違って見えた。


「これだ!銀色の化け物!月の光でぎらってして、目がこう、すっごい光ってて、でっかくて、でも足音は変に軽くて!」


「はいはい」


「あと上のほうの奴らもいた!妙に綺麗な外套着た連中!何か探してた!」


「おい、上の奴らには関わるなって忠告――聞くわけねぇよなぁ。お前の中の化け物は、先週はただの禿鷹だったよなぁ」


 言いながらも、ページの視線は一瞬だけその“銀色”に落ちた。

 ただの金属の削りカスか、あるいは犬の毛か。


「お前の話はだいたい盛られてる」


 フリントの拾い物はだいたい役に立たない。役に立たないのだが、ゼロと決めつけるには、妙に引っかかる時がある。


 いつもならその出処を詰問するところだが、徹夜明けの脳は、子供の与太話を真面目に検証する作業をあっさりと放棄した。


 ベルが皿を並べながら、二人の間に静かに割って入る。


「はい、スープ。フリントはほんとに冒険が好きね」


「あぶねぇことする前にお前が止めてくれよ。次からは……」


 そこまで言ったところで、ベルがふっと目を細めた。

 

 湯気の向こうから、まっすぐに顔を覗き込んでくる。


「ねぇ、今日は何があったの?ずいぶん疲れた顔してるけど」


 ページは無意識に懐へ手を入れ、小さな銅貨を摘み出した。

 指の上で、くるくると回す。

 

 錆びた縁が親指に引っかかるたび、胸の奥にざらついたものが残った。


 ばつが悪そうにそっぽを向いた。


「……ん?お前らの相手してたんだよ」


 ベルは「そう」とそっけなく返した。

 

 静かな視線が、こちらの誤魔化しを見透かしている。

 空気がほんの少しだけ止まりかけたところで、フリントが耐えきれずに身を乗り出した。


「うまそー!食っていいよな?」


「さっさと食え」


 許可というより追い払いに近い返事だったが、それで十分だったらしい。

 フリントは歓声を上げ、コグもいつの間にか戻ってきて、鍋の周りが一気に賑やかになる。


 木のスプーンが器に当たる音。

 肉串にかぶりつく音。

 熱いだの、ずるいだの、それ俺のだの。

 狭い部屋に声が跳ね回る。


 食事がひと段落すると、部屋の騒がしさは少しずつ形を変えた。


 フリントは肉串の最後の一口を飲み込むなり、もう次の冒険のことで頭がいっぱいらしく、落ち着きなく椅子を揺らしている。

 ベルは呆れた顔で器を重ね、鍋を片付けはじめた。

 コグはさっき渡された魔道具を胸に抱えたまま、そわそわと作業場の方を見ている。


 ページはその様子を眺めながら、ぬるくなった茶を飲み干した。


 こういう時間を何と呼ぶのか、彼はあまり考えないようにしていた。家でもない。家族でもない。契約だ。仕事だ。情報と報酬のやり取り。その形にしておけば、いろいろ楽だ。

 

 少なくとも、自分にはそういうことにしておいた方が都合がいい。


 それでも、肩の力が少し抜けたのは事実だった。路地に残してきた血の色も、追手の怒鳴り声も、いまだけは遠くに感じる。


「じゃ、俺ちょっと西の方もう一回見てくる!」


 言うが早いか、フリントは立ち上がる。


「だから、あぶねぇって言ってんだろ」


「じゃ、いってきまーす!」


「聞けよ。はぁ、これもってけ。気をつけてな」


 止めたところで聞かないだろうと思い、ページはフリントに残り物の煙玉を投げ渡し、見事にキャッチしたフリントは嬉しそうに飛び出していった。


 ベルは扉が閉まる音を聞いて、小さく肩をすくめる。


「ほんとに元気ね」


「無駄にな」


 返しながら、ページはソファから立ち上がった。

 立っただけで、背骨の奥に疲れがずしりと沈む。さっきまで誤魔化せていたのに、気が抜けた途端これだ。


 コグはもう限界まで餌を前に我慢した犬みたいな顔で魔道具を抱えていた。


「じゃあ、僕も作業に……」


「好きにしろ。ただし爆発させるなよ。今日は俺を起こすな。建物が半壊する時だけ呼べ」


「う、うん!」


 返事だけは妙にいいコグは魔道具を抱えたまま、いそいそと作業場へ消えた。

 数秒後には、奥から早速、金属を擦る細かな音が聞こえ始める。


 ページは静かになった部屋で立ち上がった。

 次の依頼のために車庫に戻り、スクーターの調子を確認する。

 指先につく油を布で拭い、逃走用の小物を補充し、消耗したワイヤーの残りを確かめる。

 

 やることは多い。

 眠いくせに、こういう手は止まらない。

 

 作業がひと段落したところでページは大きなあくびの後に伸びをした。


 ベルは洗い桶に水を張り、布を浸しながら横目でページを見る。


「寝るの?」


「寝る。もう無理」


「顔、まだちょっと煤ついてるわよ」


 優しい声のあと、濡れ布が飛んできた。ページは片手で受け取る。


「……ありがと」


「どういたしまして」


 素直に礼を言ったのが自分でも少し癪で、ページはそれ以上何も言わず顔を拭った。

 煤と汗が布に移る。拭っても、鉄と油の匂いまでは取れない。


 ベルはもう次の洗濯物を抱えている。桶の水音が、朝の薄い光の中でやけに静かに響いた。


 狭い寝台へ体を投げる。

 薄い毛布が、遅れて体の形に沈んだ。


 瞼が落ちる寸前、懐の銅貨がまた指先に触れた。

 温もりの残る部屋の中で、その感触だけが妙に冷たい。


 作業場からはコグの工具の音。

 外では、もうフリントがどこかで余計なものを見つけていそうな気がする。

 部屋の隅ではベルが洗濯物を絞っている音がする。


「はぁ、余計疲れた」


 誰に聞かせるでもなく吐き捨て、目を閉じた。


 部屋が寝息だけになり、ページが浅く息を吐いた、その時だった。


 かたん、と窓が鳴った。


 隙間風にまじって、一枚の白い紙がひらりと舞い込む。

 煤けた床の上で、それだけが妙に白く浮いて見えた。


 ページは黙ってそれを拾う。

 折り目の揃った紙を見た瞬間、顔が少しだけしかめられる。


「ったく。休ませる気ないだろ」


 ぼやきながら紙を寝台の脇へ放り、右腕で目元を覆う。

 今はもう読む気も起きなかった。

ここまで読んでくださりありがとうございます!

小説投稿はまだまだ初心者なので、読みづらい部分もあるかもしれませんが、楽しんでもらえたら嬉しいです。

評価・ブックマーク・感想などいただけると、かなりモチベになります。

今後も少しずつ更新していく予定なので、よろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
3話まで読ませていただきました!スラムの空気感、ページの淡々とした強さ、そしてアジトの騒がしい温かさの対比がすごく良かったです。2話の逃走劇はテンポがあり、3話の黒焦げトースターのコミカルさで笑わせつ…
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