計算の外を駆ける獣
崩落する瓦礫の雨と共に、真っ逆さまに奈落の底へと落下していく。
風が刃のように頬を切り裂く中、ページの視界は火花のように明滅していた。
落下速度、予測される着地点までの距離、そして眼下に広がる廃坑の巨大な吹き抜けの構造。
かつて鉱石を運んだであろう錆びたレールが、縦横無尽に空間を切り裂く巨大な肋骨のように張り巡らされている。配管の継ぎ目からは、腐った呼気のような蒸気が絶えず噴き出していた。
「――舌を噛むなよ!」
ページは空中でシリンダーを弾き、黒い鋼糸を直近の支柱へと射出。
ワイヤーの張力を利用して振り子の要領で落下軌道を捻り曲げ、宙に架かる中層のレールへと強引に飛び込んだ。
衝撃を器用に分散し、着地する。
レールの腐食具合、結露による摩擦係数の低下、吹き抜ける風の流速。
夜明け前の湿った空気を切り裂き、立体的なチェイスへと突入する。
だが、その背後に迫る暴力は、ページの算術を嘲笑うかのように巨大だった。
「あははは!」
背後で、空気を物理的に押し潰すような衝撃波が走った。
ボタンの振り下ろした魔道ハンマーが、たった今ページたちが着地したばかりの錆びたレールを、巨大な爪で引き裂くように粉砕したのだ。
「ひゃはは! 逃げろ泥ネズミ! もっと跳ねろ!」
鼓膜を劈くような金属音と、幼い少女のものとは思えない狂気に満ちた笑い声。
ページは着地の勢いを殺さず、剥き出しの鉄骨を蹴ってさらに上方の配管へと飛び移った。
「アワユキ、右だ! 五歩先のバルブを蹴って対面の足場へ飛べ!」
ページの脳内では、廃坑の構造図が高速で再構築されていた。
結露した配管の滑りやすさ、自身の体重とアワユキの脚力、そして背後から迫る重圧の速度。
すべての数値を叩き出し、最も生存確率の高いルートを提示する。
だが。
「……っ、うるさいッ!」
アワユキはページの指示を無視し、逆に左側の、今にも崩れそうな細い足場へと跳躍した。
獣のようなしなやかさで空中を舞う彼女の動きは、確かに速い。しかし、それはページの『計算』の外側にある、あまりにも無防備な軌道だった。
「待て、そこは強度が――!」
ページの警告が響くより早く、アワユキが足をかけたボルトの抜けた鉄板が、自重に耐えかねて無惨に折れ曲がった。
空中でバランスを崩すアワユキ。
その隙を、俯瞰していた男が見逃すはずもなかった。
「おっと、足元がお留守やで、お嬢ちゃん」
頭上から、場違いなほど軽やかな声が降る。
ザックが指先で弄んでいた三本の裂傷の絵札を、鮮やかな手つきで宙に放った。
「風の札――『鎌鼬』」
不可視の刃が空気を切り裂き、アワユキの着地点をピンポイントで削り取る。逃げ場を失った彼女の体は、宙で翻弄される木の葉のように、奈落へと吸い込まれそうになる。
「……くっ!」
ページは迷わず、腰のシリンダーを逆方向へ射出した。
鋼糸がアワユキの腰を捕らえ、強引に自分のいる配管へと引き寄せる。二人の体が狭い足場で重なり、激しい衝撃と共に蒸気が噴き出した。
「……離せ! 私だけで十分だ!」
「黙ってろ!死にたくねぇなら俺の計算に従え!」
アワユキの拒絶を、ページは冷徹な一喝で封じ込めた。
だがその時、ページの視界の端で、ヒラヒラと何かが舞い落ちていくのが見えた。
(……白紙の札?)
ザックが放った札のうち、数枚が発動せずに廃坑のあちこち――死角となる壁面や、足場の裏側へと吸い込まれるように張り付いていく。
まるで、二人が逃げる軌道をなぞるように、あるいは追い込むように。
(不発? 違う、配置の意図が……)
ページの中で警鐘が鳴る。だが、立ち止まって思考を深める猶予など相手は一秒たりとも与えてくれない。
「アワユキ、聞け。次のカーブだ」
ページは焦燥を押し殺し、走りながら指示を飛ばす。
前方に、巨大な蒸気タンクが錆びた鎖で吊り下げられているのが見えた。
「俺がワイヤーでタンクの固定具を外す。お前はあのタンクを足場に、さらに上の排気ダクトへ駆け上がれ。いいか、三、二、一……」
計算通り。
ページがシリンダーのトリガーを引き、鋼糸が固定具を弾き飛ばす。巨大な鉄塊が自重で落下し、完璧な『動く足場』となるはずだった。
――しかし。
「――まどろっこしいッ!」
アワユキは加速した。
ページの想定よりコンマ数秒早い跳躍。彼女は落下するタンクの側面を蹴り、その反動でダクトではなく、追手であるボタンの喉元へと鋭い爪を突き立てようと肉薄した。
逆襲。
最短で状況を打破しようとする一撃。
だが、それはページが必死に構築した脱出の計算を完全に瓦解させる暴挙だった。
「あはっ! 元気がいいねぇ!」
ボタンは空中でハンマーを旋回させ、盾のように構えた。
ガキィィィンッ! と、火花と共にアワユキの体が弾き飛ばされる。
本来ならダクトへ逃げ込むはずだった勢いは、今や制御不能な落下のエネルギーへと変わっていた。
「……アワユキ!」
ページは叫び、空中の彼女へ向けて再びワイヤーを放とうとした。
だが、その指先が凍りつく。
目の前に、いつの間にかザックが立っていた。
空中で、禍々しい赤黒い札を一枚、ゆらりと掲げている。
「計算通りにいかへんのが、人生のオモロイところやと思わんか?」
糸目が、残酷なまでに細められる。
「――めくりなはれ。『鬼札』」
ザックが指先で赤黒い札を弾いた瞬間。
廃坑の空間が、一瞬だけ止まったように錯覚した。
ページが先ほど違和感を覚えた死角、頭上のレール、足元の配管。
ザックが追跡の最中にまるでゴミのように撒き散らしていた無数の札が、一斉に――裏返った。
隠されていた文様が極彩色に発光する。
「……なっ、罠、だと……」
チチチチ……という、虫の羽音にも似た不気味な連鎖音。
直後、視界が純白に染まった。
連続する大爆発。
空気を引き裂く轟音と共に、廃坑の巨大な吹き抜けを支えていた中層の構造物が、無慈悲に粉砕される。
瓦礫がひび割れ、砕け散る絶望的な音に同調するように、己の血肉と信じて疑わなかった『計算』がガラガラと崩れ落ちていく。
「あぁ、クソっ……」
最初から、彼らはザックの手の平の上で踊らされていたのだ。
猛烈な爆風と熱波。
逃げ場など、どこにも残されていなかった。
二人の体は、完全に崩落した瓦礫と共に、最下層の水没区画へと真っ逆さまに落ちていった。
急降下。
ページは薄れゆく意識の中で、空中を漂うアワユキの腕を強引に引き寄せ、抱きしめた。
庇おうとしたのではない。そうしなければ、この爆炎と混沌の中で、自分という存在がバラバラになって消えてしまいそうだったからだ。
――ドォォォォォンッ!!
冷たい水。
肺から空気が搾り取られ、意識が濁った水の中に沈んでいった。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
小説投稿はまだまだ初心者なので、読みづらい部分もあるかもしれませんが、楽しんでもらえたら嬉しいです。
評価・ブックマーク・感想などいただけると、かなりモチベになります。
今後も少しずつ更新していく予定なので、よろしくお願いします。




