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悪意の香る招待状

 コートの襟を立て、ページは重い一歩を踏み出した。

 スープの温もりが残る部屋の空気は、鉄扉を開けた瞬間に吹き込んできた夜の冷気に塗りつぶされる。


「ベル、俺が戻るまで絶対に扉を開けるな。誰が来てもだ」

 

「わ、わかったわ」

 

 有無を言わさぬ圧に、ベルは息を呑んで頷く。

 ページは部屋の隅で耳を伏せているアワユキへと振り返った。


「お前は来るんだよ」

 

「……ふぎゃッ!?」


 ページは遠慮の欠片もなく、アワユキの首根っこをガシッと掴んで持ち上げた。

 虚を突かれ、アワユキは短い抗議の声を漏らして身をよじる。


「な、なにをする! はなせ、このっ……!」


 牙を剥いて手首に噛み付こうとするアワユキの顔面に、ページは無造作に大きめのヘルメットを押し付けた。


「痛ぇな。大人しくしてろ。俺の飼い主様からのお呼び出しだ」


 アジトの重い鉄扉を開け、夜の底へと転がり出る。

 肺を満たすのは、冷たく湿ったスラムの煤煙の匂い。

 

 車庫に隠してあった、装甲の厚い大型のスクーターにアワユキを押し込む。

 スロットルを回すと、腹の底を震わせるような重低音がスラムの路地に響く。

 

 泥を跳ね上げ、急加速し、車庫から飛び出した。

 頭上を見上げれば、無機質な上層から伸びる白い光が、まるで猟犬のように街の屋根を舐め回していた。

 もうすぐそこまで上層の連中が迫っているのだろう。

 

 逃げ場はない。


「チッ……」


 ページはスロットルを全開にしながら、背後へ魔道具の煙幕を投げ捨てた。

 

 ――パンッ!

 

 魔石油を燃やした青鈍色の煙が膨張し、スラムの視界と魔力探知を強引に遮断する。

 煙幕の向こうで怒鳴り声が聞こえた気がしたが、スクーターの轟音がすべてを置き去りにした。

 

 たどり着いたのは、西区のさらに深部。

 複雑に交差する太い配管と、轟音を立てて落ちる地下水の巨壁に囲まれた、巨大地下浄水場だった。

 冷たく湿った空気が肌にまとわりつく。

 浄水場の重低音が、足元から骨を揺らしていた。


 ページはスクーターを止め、警戒しながら周囲を見渡す。

 そして、顔をしかめた。


 轟音を立てて水が滝のように落ちる巨大な垂直の壁。

 その壁面に『水平』に立ち、水飛沫1つ浴びずに優雅に佇む影があった。

 皺1つないスーツに、藍色の眼帯。

 

 ヘラルド。


「こんばんは。少し、手荒な招待だったかな?」


 上品な声が距離や轟音を無視し、脳髄へ直接滑り込んでくる。

 同時に鼻腔を突いたのは、スラムの煤煙を暴力的に塗りつぶす、不快なほど洗練された匂いだった。

 

 上質な香水。

 そして、その奥に消毒液の臭気。


 背後のアワユキの耳が激しく震えた。

 

 眩しすぎる白い壁。

 逃げ場のない冷たい拘束具。

 覗き込んでくる清潔すぎる白衣と無機質な笑い声――。

 

 肉体に刻み込まれた恐怖と憎悪が、理性を吹き飛ばす。

 アワユキの呼吸が浅く鋭くなり、爪が剥がれるような音を立てて剥き出しになった。


「待て、アワユキ!」


 ページの制止より早く、アワユキは本能のまま地面を蹴っていた。

 錆びた配管を次々と蹴り渡り、銀色の魔力の燐光を引きながらヘラルドへと肉薄する。


「……躾のなっていない獣だね」


 ヘラルドがステッキの先でトン、と足元の空間を鳴らす。

 ただそれだけの、最小限の動作。


 ――ガツンッ!!


 空中で、アワユキの体が目に見えない分厚い壁に激突したように硬直した。

 圧倒的な『重力』が、彼女の小さな体を上から押し潰す。


「あ、が……ッ!?」


 肺から空気を絞り出され、アワユキは真下の冷たい鉄板へと無様に墜落した。

 鈍い音が響き、口から銀の血が吐き出される。

 それでも彼女は悲鳴を上げず、震える四肢で必死に立ち上がろうと、青銀の瞳で真っ直ぐにヘラルドを睨みつけ続けていた。


「……ッ!」


 その瞬間、ページの右腕に刻まれた銀の血の痕が、激しく疼いた。

 アワユキの痛みが、呪いを通じて直接流れ込んでくる。

 

 ページは全身から噴き出す冷や汗を気力で押さえ込み、右手をポケットに深く突っ込んで指先の震えを隠した。

 冷徹な運び屋の顔だけは、絶対に崩してはならない。


「それで――劇は面白かったか?」


 平坦な声を作って見上げるページに、ヘラルドは片眼鏡の奥で青い光を細め、愉悦に満ちた笑みを浮かべた。


「あぁ、すごく面白い序章だったよ。上層の研究所から逃げ出した『実験体』……これの規格外の魔力が、泥まみれの舞台によく映えていた。続きが気になって仕方がない」

 

 男の言葉に、絶望的な格差が滲む。

 

「と、いうことでページ君。次も面白い劇にするために、私が君たちに『ゴール』と『道具』を与えよう」


 ヘラルドの手から、一冊の古びた手帳が放たれる。

 手帳は青い光の膜に包まれ、重力を無視してふわふわと宙を舞い、ページの足元へと無造作に落ちた。

 

 ページは足元の手帳を静かに睨み下ろす。

 これを拾い上げれば、自分は悪趣味な台本の役者になる。

 

 だが、選択の余地はない。

 腕を貫く共鳴の激痛が、答えを突きつけていた。

 今この瞬間も、透明な壁が彼女の小さな骨を軋ませている。


(……クソが。採算も何もねぇ)


 喉の奥で、泥を噛むような重たい屈辱と共に、ページはゆっくりと膝を折った。

 これは契約だ。彼女が持つ情報を回収するための、致し方のない投資。

 自分にそう言い訳を重ねても、ギリ、と奥歯が軋む音は止まらなかった。


「……いいぜ」


 立ち上がり、血の滲むような思いで拾い上げた手帳を握りしめ、ページは低く唸るように言った。


「あんたの台本通りに踊ってやる。だから、そいつを放せよ」


 殺意を孕んだその声は、浄水場の重低音の水鳴りにあっさりと掻き消された。

 ヘラルドは満足げな微笑を浮かべ、ステッキを軽く持ち上げる。

 フッと、アワユキを押し潰していた見えない重圧が消え去った。


「期待しているよ、ページ君。せいぜい私を楽しませてくれ」


 言葉の余韻を残し、ヘラルドの姿は水飛沫の向こうの暗闇へと溶けるように消えた。

 

 浄水場に残されたのは、止まない水の轟音と、冷え切った空気だけだった。

 

 ヘラルドの消えた空間には、巨大な『穴』が開いたような不気味な真空が残っている。

 ページは手帳を強く握りしめ、荒い息をつくアワユキの肩を抱いた。

 

 スラムの夜は、昨日よりも一段と冷え込んでいる。

 ページは闇の奥、ヘラルドが消えた方向を見据え、一歩を踏み出した。

 死よりも過酷な逃走劇の、幕が上がったのだ。

ここまで読んでくださりありがとうございます!

小説投稿はまだまだ初心者なので、読みづらい部分もあるかもしれませんが、楽しんでもらえたら嬉しいです。

評価・ブックマーク・感想などいただけると、かなりモチベになります。

今後も少しずつ更新していく予定なので、よろしくお願いします。

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