黒パンと銀の獣
第二章からはスピードアップ!
ジェットコースターのような展開をお楽しみください!
毎日1話投稿の予定でしたがゴールデンウィークということもあり、お昼と夜の2話投稿に切りかえます!
ぜひお楽しみください!
空は、綺麗に赤く染まったりはしない。
上層階が垂れ流す黒い煙に塗れた厚い雲の向こうで、夕光が濁った血のように滲んでいる。
ギィィ……。
アジトの重い鉄扉が、ひどく錆びた悲鳴を上げた。
外の世界に蔓延る、冷たくて生臭い泥とヘドロの匂いが、一瞬だけ部屋の中に滑り込んでくる。
だが、扉を閉め切ると同時に、その冷たい空気はふっと途切れた。
「……はぁ」
代わりにページを包み込んだのは、黒パンの蒸し戻しの仄かに酸っぱい匂いと、安物のラジオが流す微かなノイズ、そして——。
「あ、兄貴! おかえ……うわっ!? ボロボロ!?」
「ページにぃ!? 血、血が出てるよ!」
コグとフリントの騒がしい足音と声だった。
ページは泥と血にまみれたコートを引きずり、気を失ったままの少女を肩に担いだまま、アジトの床に重いブーツを沈めた。
肺の奥をヤスリで削られるような呼吸を悟られないよう、小さく息を吐く。この煤けた部屋のうるささだけが、今の彼にとって唯一の安全地帯だった。
強張っていた肩の力が、ほんの少しだけ抜ける。
「大丈夫だ。俺の血じゃねぇから」
嘘だった。
胸から腕にかけて、内臓を直接焼かれているような鈍い激痛が絶え間なく続いている。だが、それを子供たちの前で顔に出すわけにはいかない。
「おかえりなさい……って、その子は?」
鍋の前から振り返ったベルが、ページに担がれた少女を見て目を丸くした。
「拾い物だ。……悪いがベル、少し綺麗にしてやってくれ。俺はちょっと、情報を探る」
ページは少女をベルに預けると、乱暴に布巾で手の汚れをぬぐい取り、ドカリと古いソファに深く沈み込んだ。
震えそうになる指先を誤魔化すように、テーブルに置かれた真鍮のアンティーク・ラジオへ手を伸ばし、ガチガチと乱暴にダイヤルを回す。
琥珀色の光を放つ真空管の奥に耳を澄まし、警備隊の通信周波数を探る。ノイズの向こう側に潜む、静かすぎる悪意の気配をページは追い続けた。
その間、ベルは手際よく湯気を立てる洗面器と手拭いを用意し、自室の寝台に寝かせた少女の汚れを拭い落としていた。
「……」
手拭いが泥と煤を拭い去るにつれ、ベルは静かに息を呑んだ。
現れたのは、少女の頭にピンと立った獣の耳と、豊かな尻尾。根元が雪のように清冽な白であり、そこから毛先に向かって鮮やかな黄金へと美しいグラデーションを描いていた。
だが、ベルの視線を釘付けにしたのは、その美しさではない。
古着に着替えさせようと布をまくった肌には、少女の細い体には不釣り合いな無数の古い傷跡と、まだ塞がり切っていない生々しい裂傷が刻まれていた。
そして、細い腕に焼き付けられた無機質な番号『13』の烙印。
(この傷、それにこの数字……まさか、研究所の……?)
ベルは察したが、それ以上は深く詮索しなかった。
哀れみを押し付けるようなことはせず、ただ淡々と、傷に障らないように泥を落としていく。
「……ん、っ」
不意に、寝台の上の少女が身じろぎした。
青銀の瞳がゆっくりと開き、見知らぬ天井を映す。
次の瞬間、野性の警戒心が弾けた。少女はバネのように跳ね起きると、ダボダボの古着を纏ったまま素早く部屋の隅へ滑り込み、壁を背にして身構えた。
「……近寄るな」
喉の奥から絞り出すような、完全な獣の威嚇。
青銀の瞳は極限まで細められ、見知らぬ環境に対する強い警戒心で張り詰めている。
そんな彼女に対し、ベルは一歩だけ後ろへ下がり、両手をゆっくりと胸の高さまで上げて敵意がないことを示した。
「大丈夫よ。安心して。汚れを落として、着替えさせただけ」
ベルの声は、張り詰めた空気を溶かすように穏やかだった。
少女はピクッと黄金の耳を動かし、ベルの言葉の真偽を測るようにじっと睨みつける。その際、ベルの視線が一瞬だけ自分の腕――『13』の烙印に落ちていたことに気づいた。
少女は反射的に、自身の細い腕を庇うように隠し、鋭く歯を剥き出しにした。
「……見るな」
「ごめんなさい。もう見ないわ」
ベルは静かに、けれどはっきりと首を振った。
「私はベル。あなたの名前は?」
アワユキはすぐには答えなかった。
青銀の瞳で、ベルの指先や呼吸の間合いをじっと観察する。
ただ、そこにあるだけの静かな気遣い。
値踏みするような沈黙の末、ようやく少女の唇が開いた。
「……アワユキ」
名乗ったあとも、警戒は少しも緩まない。ただ、喉の奥の唸りだけを少し弱め、アワユキはゆっくりと立ち上がった。
やがて、扉の隙間から、アワユキが居間へと出てくる。
だが、その足取りはひどくおぼつかない。
彼女の細い体には、ベルが用意した古着のシャツがあまりにも大きすぎた。長すぎる裾を足で踏みそうになり、袖は手が完全に隠れてしまっている。
居間には、食事の匂いとページたちの視線が充満していた。
アワユキは部屋の境界に立つと、無言でページを睨みつけた。
黒いソファに沈み込み、アンティークの機械をいじっている男。
自分を助け、この煤けた場所まで運んできた張本人。
ページとアワユキ。
二人の視線がぶつかった瞬間、獣の警戒心と張り詰めた魔力が無意識に漏れ出した。
ピキッ……。
アワユキの裸足の足元から、微かに白く冷たい霜が石畳の床を這う。
「ッ……」
それに合わせて、ページの腕に刻まれた銀の血を注がれた傷跡が、内側からチリッと焼かれるように疼いた。ページは咄嗟に顔をしかめ、右腕を押さえる。
さらに、彼の手元にあったラジオの琥珀色の真空管が不規則に明滅し、ただの環境音ではない、耳障りなノイズがジジジッと部屋に鳴り響いた。
何かが根本から狂い始めている。
その不吉な予兆が、煤けたアジトの温かい空気を冷酷に侵食し始めていた。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
小説投稿はまだまだ初心者なので、読みづらい部分もあるかもしれませんが、楽しんでもらえたら嬉しいです。
評価・ブックマーク・感想などいただけると、かなりモチベになります。
今後も少しずつ更新していく予定なので、よろしくお願いします。




