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何度タイムリープしても死ぬ『完璧王子』の幼馴染を救うため、私は世話焼きオカンを辞めて悪魔になります。  作者: *しおり*


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ギギギ、と重い木材がフローリングを擦る不快な音が、狭い一階の室内に響き渡る。

 結菜は額に滲む汗を白衣の袖で拭うこともせず、本がぎっしり詰まったカラーボックスを、玄関のドアの前へと力任せに押し込んだ。


「……結菜。それ、本棚の底抜けるぞ」


ラグの上に座り込み、ノートPCの画面を見つめたまま湊が呟く。ブラインドの隙間から差し込む西日が、彼の色素の薄い横顔を鋭く切り取っていた。


「いいの。底が抜けようが床が傷つこうが、あいつが入ってこれないようにするのが先よ」


結菜は返事も待たずに、次はローテーブルを引きずっていき、カラーボックスの上に積み重ねた。さらには、入り口のドアノブにクリーニングのハンガーを複雑に絡ませ、わずかな振動でもガシャンと音が鳴るように細工する。


「それじゃ、俺たちも外に出れないじゃん。トイレの窓から脱出する練習でもしとく?」

「あんたは一歩も、ここから出ちゃダメなの。分かった?」


結菜の視線は湊を通り越し、玄関の扉一点を凝視している。その指先が、家具の角を掴んだまま白くなるほど震えているのを、湊は見逃さなかった。

 ドアの向こう側――自分を突き飛ばしたあの男が、今この瞬間も、ミントのタブレットを噛み砕きながら、死神のような足取りで階段を上ってきているのではないか。その恐怖が、結菜を物理的な「城」の構築へと駆り立てていた。


「……ふーん。じゃあ、これ。俺も少しは『城主』らしく協力してやるよ」


湊はキーボードを叩く手を止めず、顎で窓際を指した。そこには、先ほどネットスーパーの特急便で届いたばかりの安価なWebカメラと、いくつかのセンサーが設置されている。


「廊下と階段、それからベランダ側にも仕掛けた。俺のPCに全方位の映像が飛ぶようになってる。……あと、これ」


湊が窓枠に立てかけたのは、中身を空にして繋ぎ合わせたアルミ缶の束だった。


「即席の鳴子。鍵をこじ開けようとしたり、窓に触れたりすれば、システムが検知する前にこいつが物理的に鳴る。……これなら、お姫様も少しは眠れるだろ?」

「……誰がお姫様よ。あんたを守るって言ってるのは、私の方なんだけど」


結菜は毒づきながらも、湊の隣に膝を抱えて座り込んだ。

 部屋の中は、電子機器が発する熱と、二人の体温で、ひどく生温かい。換気扇の低い駆動音が、外の世界と自分たちを切り離す唯一の境界線のように鳴り響いている。


結菜は玄関のドアノブにクリーニングのハンガーをいくつも絡ませながら、ポケットの中で震えるスマートフォンを握りしめた。


「ねえ、湊。やっぱり警察に行こう。このUSBが専務の不正の証拠なら、これを警察に渡して……」

「無駄だよ」


湊はキーボードを叩く手を止めず、結菜の方を振り返りもしなかった。ただ、PCの冷却ファンがブォンと唸る音に混じって、ひどく冷めきった声が落ちる。


「専務の息がかかった警察に行っても、こんな得体の知れないデータ、適当な理由をつけてもみ消されるのがオチだ。逆に『俺たちはここから逃げられません』って居場所を教えるようなもんだよ」

「でも……っ、警察が動けば……!」

「俺たちには、あいつらが暗殺者を雇ってるっていう決定的な『証拠』が何一つない。……結菜だって、知ってるだろ」


その言葉に、結菜の喉の奥がヒュッと鳴った。

 脳裏にフラッシュバックするのは、あの雨の日の、冷え切った葬儀場の空気。

 湊の遺影の前で、専務たちが交わしていた会話だ。


『マスコミには、ただの不運な交通事故として処理するよう警察にも念を押してある』

『盗難車の運転手はすでに自殺したことになっているのだろう?』


あいつらは、警察の捜査網すらも手足のように操り、湊の死を「よくある悲劇」として完全に隠蔽していたのだ。ただの女子大生と法学部生が「命を狙われている」と交番に駆け込んだところで、狂人扱いされるか、最悪の場合、警察組織の中の「専務の犬」に処理されて終わる。

 結菜は握りしめていたスマートフォンの画面を暗くし、ポケットの奥深くへ沈めた。


「じゃあ……おじ様に連絡して! あんたのお父さん、桐生グループの社長でしょ!? 専務の暴走を止められるのは……」

「……卵焼き、焦げてる時の匂いがする」

「ちょっと、人の話聞いてる!?」


結菜が苛立たしげに声を荒げると、湊はカタ、とエンターキーを一度だけ強く叩き、ゆっくりと顔を上げた。

 そのガラス玉のような瞳の奥には、怒りでも絶望でもなく、凍てつくような自嘲の笑みが張り付いていた。


「……親父にとって、俺の命より桐生グループの株価の方が何万倍も重いんだよ。専務の裏帳簿が公になれば会社が傾く。なら、親父は俺を助けるどころか、専務とグルになって俺を『病死』か『事故死』として処理するはずだ」


淡々と紡がれるその言葉は、刃物よりも鋭く結菜の胸を抉った。

『これまでの教育投資が無駄になる。自己管理もできない欠陥品ね』

 幼い頃、高熱を出した湊を広い豪邸に置き去りにした、彼の母親の冷酷な声が耳の奥に蘇る。

 両親にとって湊は、ただの「手駒」なのだ。替えのきく、都合のいい装飾品。壊れれば捨てられるだけの存在。


「あいつらにとって俺の代わりなんて、分家を探せばいくらでもいる。……俺が殺されても、あの家で泣く奴は一人もいないんだよ」


自らの存在価値を完全に否定するその言葉を、彼はひどく平坦な声で言い切った。

 結菜は、ギリッと奥歯を噛み締めた。

 世界中で、あんなに完璧で美しいこの男を、無条件で愛しているのは自分だけだという事実が、強烈な絶望と共に結菜の中に『庇護欲』が湧き上がる。


(こいつの本当の味方は、世界中で私しかいないんだ……)


「……結菜の親なら、警察の偉い知り合いとかいないの? 結菜の母さん、俺が風邪引いた時、お粥作ってくれたし」


湊が、画面から目を離さないままぽつりと言った。やっぱりこいつの世界観はズレている。 普通の家庭の大人の知り合いに、そんな権力を持った奴なんてそうそういない。

 自分の両親を思い浮かべたその瞬間、結菜は自分の首を両手で強く掻きむしった。


「ダメッ!!」


鼓膜を破るような結菜の絶叫に、湊の肩が微かに跳ねる。

 結菜の全身の毛穴から、冷たい汗が噴き出していた。

 脳が、体が、あの夜の絶望を記憶している。


暗闇から現れた、あのミントと湿ったタバコの悪臭。

 万力のような男の指が首に食い込み、気管を潰された感触。

 ベランダから放り投げられ、宙を舞った時の、あの風の冷たさ。

 プロの暗殺者は、ただの女子大生である結菜を、虫ケラを捻り潰すよりも簡単に殺したのだ。


(実家に逃げ込んだり、お母さんたちに相談したりすれば……絶対に、親まで殺される)


自分のせいで、あの温かい両親が、血の海に沈む姿など絶対に想像したくなかった。

 一般人を巻き込めば、死体の数が増えるだけだ。警察も親も、絶対に頼ってはいけない。


「……誰にも、言わない。誰にも頼らない」


結菜は、震える足で湊の背後へと歩み寄り、その広い背中にしがみついた。

 白シャツ越しに伝わってくる、生きた人間の体温。

 それを確かめるように、彼に腕を回し、顔を背中に押し付ける。


「結菜、重い。タイピングの邪魔」

「うるさい。……あんたの命は、私がここで守るの。だからあんたは、その頭脳で、専務の首が飛ぶような絶対的な証拠を抜き取りなさい。あいつらがぐうの音も出ないくらい、社会的に抹殺できる完璧なデータを」


湊は、背中にしがみつく結菜を引き剥がそうとはしなかった。

 結菜の異常な震えが、自分の背中を通じて痛いほど伝わってくるからだ。

 彼は小さく息を吐き出すと、わざと自分の体重を結菜の小さな体へと深く預けた。


「……解析率、0パーセント。完全にロックを解除するまで、最低でも三週間はかかる」

「三週間でも一ヶ月でも、私がここで目を光らせててあげるわよ。あんたは一歩もここから出ちゃダメ」

「……はいはい。じゃあ俺が殺されないように、しっかり見張っててよ、結菜さん」


呆れたような口調とは裏腹に、湊の長い指が、再び恐ろしい速度でキーボードを叩き始める。

 外の光を完全に遮断した、四畳半の密室。

 警察も、親も、世界中の誰も味方ではない。八方塞がりの絶望の中で、二人の運命の時計は、互いの体温だけを頼りに、静かに、そして確実に破滅か救済へのカウントダウンを刻み始めた。


その夜。

玄関のドアの前に積み上げられた本棚やローテーブルのシルエットが、薄闇の中で異様な圧迫感を放っている。

窓際に設置された即席の監視カメラの小さな赤いランプが、外の暗闇をじっと睨みつけていた。


逃亡、監禁、そしてハッキングの開始。

怒涛のような一日目が終わり、深夜二時を回った四畳半の部屋には、ノートPCのディスプレイが放つ青白い光と、排熱ファンの低いモーター音だけが単調に響いていた。


「……解析率、まだ3パーセントか。先が長いな」


ラグの上に座り込んでいた湊が、深く、ひどく重い溜息を吐き出した。

死の淵から生還したアドレナリンが完全に切れ、極度の疲労が彼の全身を鉛のように重くしているのは、背中越しに見ている結菜にも痛いほど分かった。


湊はノートPCをそのままに、のそりと立ち上がると、シワだらけになった白シャツのまま、部屋の半分を占める結菜のシングルベッドへと倒れ込んだ。

スプリングが軋む音がして、すぐに微かな寝息が聞こえ始める。


結菜もまた、限界だった。

張り詰めていた緊張の糸が緩み、立っているのもやっとの状態だ。結菜は部屋の電気を消し、湊を落とさないように気をつけながら、ベッドの端にそっと横たわった。

シングルベッドに大人二人は、どう考えても狭すぎる。結菜は湊に背中を向けるようにして、毛布の端を握りしめて小さく丸くなった。


(……生きてる。本当に、ここであいつが息をしてる)


背中越しに伝わってくる、マットレスの微かな沈み込み。

それだけで、涙が滲みそうになる。結菜はギュッと目を閉じ、強引に眠りへと意識を落とそうとした。


――その時だった。


背後でシーツが擦れる音がしたかと思うと、スッと長い腕が伸びてきて、結菜の腰に巻き付いた。


「え……っ」


驚く暇もなかった。その腕に強い力で引き寄せられ、結菜の背中が、湊の硬い胸板にピタリと密着する。

結菜の体をすっぽりと包み込むような、深く、逃げ場のない抱擁。


ドクン、と結菜の心臓が喉元まで跳ね上がった。

背中越しに伝わってくる、熱を帯びた体温。そして、彼の首元から微かに漂う、さっきのシャワーの残り香りであろう、自分の家のボディソープとシャンプーの匂い。


「……ちょっと、湊……狭いんだけど。もっとそっち寄ってよ」


結菜は動揺を悟られないよう、必死に平坦な声を装いながら、腰に回された彼の手首をペチッと叩いた。

だが、湊は腕の力を緩めるどころか、さらに結菜を自分の方へと深く引き寄せた。


「動くな。……お前の体温がないと、暗殺者が来たかと思って落ち着かない」


耳元で、ひどく掠れた、気怠げな声が降ってくる。

湊の顔が結菜の首筋に深く埋められ、彼が息を吐くたびに、柔らかな髪の毛が結菜のうなじをくすぐった。


「……っ、何それ。ただの言い訳じゃない」


抗議する結菜の声は、自分でも情けなくなるほど微かに震えていた。

怖かったからではない。外で見せるあの完璧な王子をすべて脱ぎ捨て、ただの一人の怯えた子供のように無防備に甘えてくる彼の体温が、結菜の理性をドロドロに溶かそうとしていたからだ。


「そうだよ。だから大人しく、俺の抱き枕になって」


悪びれる様子もなく、湊は結菜の首筋にすりすりと鼻先を押し付けた。

完全に、結菜を自分の所有物か安全地帯だと思っている人間の行動だ。大企業の跡取りとしての重圧も、冷めきった諦観もない。ただ、幼馴染のことが大好きでたまらない不器用な子どものような素顔がそこにあった。


青白いPCの光が、一定のリズムで明滅している。

ファンの低い唸り音が、二人の間に落ちた沈黙を埋めていた。


「……今日、よく足動いたね」


不意に、首筋に顔を埋めたままの湊が、ぽつりと呟いた。


「あんな大勢の前で、あんな顔して泣き叫んで。……結菜、案外図太いんだなって感心した」


からかうような言葉選び。だが、腰に回された腕の力は、結菜を絶対に手放さないと誓うように力強い。

結菜は、自分の腰を抱く彼の手の上に、そっと自分の手を重ねた。


「うるさい。……あんたが勝手に死ぬからでしょ。二度とあんな思い、ごめんだから」

「死んでないでしょ、生きてるし」

「私が時間を巻き戻したから生きてるんでしょ! 少しは感謝しなさいよ」

「……はいはい。命の恩人様には頭が上がりません」


言葉では適当にあしらいながらも、湊の唇が、結菜のうなじに触れるか触れないかの距離を彷徨っている。

くすぐったさと熱さで、結菜の体温が急激に上がっていくのが分かった。


「結菜のシャンプー、ずっと同じ匂い」


唐突に、湊が話題を変えた。質問の答えになどなっていない、彼特有のズレた会話のペース。


「……ドラッグストアの安物で悪かったわね。高級な香水をつけてる先輩のとこに帰れば?」

「……いや。この匂い嗅ぐと、なんか……全部どうでもよくなる」


湊が深く息を吸い込む音がした。

結菜の匂いを、肺の奥底まで刻み込むように。


「親父のことも、専務のことも、暗殺者のことも。……明日世界が終わっても、まあ結菜がここにいるならいっか、って思う」


結菜の肩口に置かれた湊の顎が、微かに動く。


「……昔さ。家から逃げ出して、公園の土管の中に隠れてた時のこと、覚えてる?」


 唐突な昔話。結菜は少しだけ目を見開き、腰に回された彼の手首に触れたまま「……小三の時でしょ。あんた、泥だらけになって泣いてたじゃない」と小さく返す。


「泣いてない。砂が目に入っただけ」

「はいはい」

 湊は不満げに鼻を鳴らすと、結菜の背中にさらに深く体重を預けてきた。

「あの時、屋敷の連中も誰も俺を見つけられなかったのに、お前だけが迷わず覗き込んできてさ。『私の家に隠れてればいいよ』って、無理やり手ぇ引っ張ってくれただろ」

「……そうだったっけ」

「そうだよ」

 首筋に当たる湊の吐息が、一瞬だけ熱を帯びて震えた。それは、暗闇の中でだけ見せる、彼の一番脆くて柔らかい部分。

「……あの土管の中から引っ張り出された時からずっと、俺の帰る場所は、お前の隣だけなんだよ」


それは、絶望的な状況下でこぼれ落ちた、彼なりの最大のデレ、本音だった。

彼にとってこの狭いシングルベッドの上だけが、世界で唯一呼吸ができる場所なのだ。


結菜は、重ねていた彼の手をギュッと強く握り返した。

ドアの向こうには、彼を確実に殺そうとする巨大な権力と暗殺者が潜んでいる。いつあのバリケードが破られるか分からない、ヒリヒリとした死の恐怖。

だが不思議と、今はもう怖くなかった。


背中から彼にすっぽりと包み込まれ、心臓の音を共有しているこの瞬間だけは、どんな凶悪な刺客だろうと彼に指一本触れさせる気はなかった。


「……バカ。世界なんて終わらせないわよ」


結菜は目を閉じ、彼の腕の中で小さく身をよじって、少しだけ彼の方へと背中を押し付けた。


「あんたは私が生かすの。だから、安心して寝なさい」

「……ん。おやすみ、結菜」


首筋に落ちた微かなキスの感触。

それが夢なのか現実なのか確かめる余裕もないまま、湊の規則的な寝息が聞こえ始めた。


PCの青白い光が照らす、四畳半の密室。

絶対に彼を死なせないという狂気的な愛と、夫婦のような甘やかな体温に包まれながら、結菜もまた、深く静かな眠りへと落ちていった。


* * *


それから、奇妙で歪な「監禁生活」が始まった。


三週間。結菜は一度も大学の講義には出なかった。

 買い物はすべて深夜のネットスーパーとコンビニのデリバリーで済ませ、届いた荷物はドアをわずかに開けて、湊を背後に隠しながら結菜が素早く受け取る。

 

 湊は、四六時中ノートPCと向き合っていた。

 画面には、桐生グループのサーバーからぶっこ抜いた膨大な資金の流れと、十年前の事故に関する隠蔽工作のログが、青白い光となって絶え間なく流れている。


「……結菜、コーヒー。ブラックで」

「今、お湯沸かしてる。……あんた、また猫背になってるわよ。肩、貸しなさい」


結菜は文句を言いながらも、湊の背後に回り込み、その広い肩に手を置いた。

 白シャツ越しに伝わってくる、生きた人間の体温。ドクン、ドクンと規則正しく刻まれる鼓動。

 それを指先で確かめるたびに、結菜の胸の奥を蝕んでいた血の海の記憶が、わずかに霧散していく。


「……解析率、七十六パーセント。専務の奴、本当に用心深いな。裏帳簿の本体に辿り着くまでに、あと一週間はかかる」

「一週間でも一ヶ月でも、私がここにいさせてあげるわよ。だから、あんたは一歩も動かないで」

「動かないよ。……ここ、結菜の匂いしかしないし。案外落ち着く」


湊は、肩を揉む結菜の手に自分の手を重ねようとして、思い出したようにキーボードに指を戻した。

 外は、逃げ出したくなるほどの快晴だというのに、この四畳半だけは、時間が止まったような薄暗がりに包まれている。


いつ、あのミントの匂いが扉の隙間から流れ込んでくるか分からない。

 いつ、バリケードの向こう側で「コツ、コツ」と金属の足音が鳴り響くか分からない。

 

 そのヒリヒリとした死の予感さえ、今の結菜にとっては、湊を独占し、彼と肌を接して生きるための甘美なスパイスでしかなかった。

 結菜は、寝る時でさえ湊の腕を離さなかった。

 暗闇の中で、彼の心臓の音を耳元で聞きながら、もしドアが破られたら、今度は自分が真っ先に盾になろうと誓う。


不自由で、狂気的で、けれど世界中のどこよりも純粋な、二人だけの密室。

データが解析できれば、証拠として提出できる。彼は助かり、この状況からは解放される。

 解析率を示すパーセンテージがゆっくりと上がっていく中で、二人の運命の時計もまた、破滅か、あるいは救済へと向かって、静かに時を刻み続けていた。

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