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何度タイムリープしても死ぬ『完璧王子』の幼馴染を救うため、私は世話焼きオカンを辞めて悪魔になります。  作者: *しおり*


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大学生編4

プラスチックのトレイがガチャガチャとぶつかる喧騒と、ガーリックや揚げ油の匂いが充満する文系キャンパスの学食。

 秋が深まってきたとはいえ、室内の暖房と人口密度でむせ返るようなこの空間で、結菜は首元にぐるぐると薄手のストールを巻きつけ、不自然に身を縮こまらせていた。


「……ねえ、結菜。あんたそれ、暑くないの?」


向かいの席で、山盛りの唐揚げ定食を頬張っていたリナが、黒縁メガネの奥から訝しげな目を向けてくる。


「あ、ううん。ちょっと風邪気味っていうか、ここの空調、直当たりして寒いから……っ」


結菜はストールの端をギュッと握りしめ、視線を泳がせながらプラスチックのコップの水を喉に流し込んだ。


(寒いわけ、ないじゃない……っ)


首筋に触れる布地の微かな摩擦が、昨夜の”熱”を容赦なくフラッシュバックさせる。


――『死んだ過去の記憶なんて全部消え失せるくらい、朝までじっくり体に刻み込んで、証明してやるよ』


狭いシングルベッド。逃げ場を塞ぐように覆い被さってきた、彼の大きく重い体。普段の気怠げな態度はどこへやら、大人の男としての独占欲を剥き出しにした湊が、結菜の首筋から鎖骨にかけて、執拗に、そしてひどく甘く口付けを落とし続けた数時間。


(ああもう、思い出しただけで顔から火が出そう……!)


頬の裏側からカッと熱が這い上がり、耳たぶまで火傷のように熱くなる。結菜は火照りを隠すように、さらにストールに顔を埋めた。

 そんな結菜の不自然な挙動を、隣の席で分厚い純文学の文庫本を読んでいたマキが、ページをめくる手を止めることなく横目でチラリと見た。


「……まあ、風邪なら仕方ないわね。熱さまし、いる?」

「い、いらない! 大丈夫だから!」


マキの凪いだ瞳の奥に、すべてを察したような微かな呆れと面白がるような光を見てとり、結菜はさらに小さくなった。


その時だった。


「おい、あそこ。あいつがあの桐生湊を連れ去ったって噂の女子らしいぜ」


背中合わせになった隣のテーブルから、男たちの下世話な笑い声が聞こえてきた。他学部の男子グループらしき数人が、こちらをチラチラと見ながら、わざと周囲に聞こえるような声のボリュームで話し始めたのだ。

 結菜の肩が、ビクンと跳ねる。


「は? マジで? 全然可愛くないじゃん。服も地味だし、ただの世話焼きのおかんって感じ」

「だよなー。桐生が実家捨てたのも、あいつが原因って噂だったけど……絶対デマだろ。あの動く現代アートが、あんな地味な女相手にするわけないって」

「ヒモ飼ってるとかイキってるらしいけど、どうせただの家政婦扱いなんだろ。痛いよな」


クスクスと響く、無遠慮で残酷な嘲笑。

 その言葉の刃は、結菜が昨夜まで抱えていた、最も惨めで柔らかい劣等感を、正確に深々と抉り取った。


(……おかん。家政婦)


昨夜、湊の圧倒的な熱量と強引なキスによって、女としての自信を与えてもらったばかりだった。彼は確かに「俺の女だ」と耳元で囁き、過去の死の幻影ごと結菜の不安を溶かしてくれた。

 けれど、一歩外に出れば、これが現実なのだ。

 客観的に見れば、誰もが振り返るような完璧な美貌を持つ彼と、安物のスニーカーを履いたただの地味な女子大生の自分。どう見たって不釣り合いで、滑稽なのだと、冷水を浴びせられたような感覚に陥る。


リナが唐揚げを突き刺していた箸をピタリと止め、眉間に深い皺を寄せた。マキが、静かに文庫本を閉じるパタンという音が響く。


「ちょっと、あいつら……」


リナが低くドスを効かせた声で立ち上がろうとしたのを、結菜はテーブルの下で咄嗟にその袖を引っ張って止めた。


「……いいの、リナ。ほっといて」


無理に口角を上げて笑おうとしたが、頬の筋肉がうまく動かない。

 本当は、少しも平気じゃなかった。彼に愛されている確信があっても、周囲から「不釣り合いな家政婦」と嘲笑われることは、結菜の胸をチクリと、ひどく惨めに刺し貫く。


結菜はストールの下に隠された赤い痕の熱を痛いほど感じながら、俯き、手元のプラスチックのフォークを、指の関節が白くなるほどギュッと握りしめた。


――その瞬間だった。


コトン、と。


結菜が俯き、手元のフォークを指の関節が白くなるほど握りしめた、まさにその瞬間だった。

 隣の空席に、水滴のついた冷たいペットボトルの水が無造作に置かれた。


「……へえ。俺がこいつ以外を相手にするわけないって、そんなに信じられない?」

 背後から降ってきたのは、ひどく気怠げで、地を這うような低い声。  

 結菜の肩がビクンと跳ねた。


 その瞬間。

 周囲の喧騒が、まるでそこだけ真空状態になったかのように一瞬でサーッと引いていった。  


 無理もない。 

 周囲の学生たちにとって、法学部の「リアル王子」である桐生湊は、遠くから眺めるだけの『動く現代アート』だ。


 どれだけ女子が群がっても完璧な愛想笑いで分厚い壁を作り、彼の方から他人に興味を持って話しかけることなど、これまでただの一度もなかったのだから。  

 その孤高の王子が今、自ら結菜の背後に歩み寄り、あんなにも独占欲の滲む重い声を発したという事実が、周囲の空気を完全に凍りつかせていた。


 振り返ると、いつものシワの寄った白シャツを気怠げに着こなした湊が、ポケットに片手を突っ込んだまま立っていた。  

 彼は、青ざめて完全に言葉を失っている隣のテーブルのモブ男子たちを一瞥する。  そのガラス玉のように色素の薄い瞳には、外の世界で見せる完璧な愛想笑いなど微塵もなかった。

 ただ絶対零度の威圧感だけを放ち、格の違いを思い知らせるように、人を小馬鹿にしたように冷たく鼻で笑う。


「き、桐生……っ」


男子たちから、ヒッと引きつったような声が漏れた。

 湊は、周囲から突き刺さる何百人もの驚愕の視線を完全に透過し、結菜の隣に当然のように腰を下ろした。

 ふわりと、彼特有の古い紙とブラックコーヒーの匂いが結菜を包み込む。


そして湊は、足を組みながらモブ男子たちに向けて、大企業の元・跡取りらしい、底知れない優越感と傲慢さを含んだ声で吐き捨てた。


「お前らみたいに目が腐ってる奴らが多くて、安心した。……こいつがどれだけ可愛いか、誰にも気づかれないで済むし」


怒るでもなく、声を荒らげるでもない。

 ただただ、結菜の価値を理解できない愚か者として、彼らを同じ土俵に立つ人間としてすら認識せずに完全に切り捨てる態度。その圧倒的な格の違いと威圧感に、男子たちは顔を土気色にして息を呑み、完全に硬直した。


そんな縮み上がった男子たちから、一秒で興味を失ったように視線を外し。

 湊は、コトンと結菜の肩に自分の頭を重そうに預けてきた。


「……なぁ、結菜。ここ、うるさい」


つい数秒前まで絶対的な支配者の顔をしていた男が、結菜の肩に顔をすり寄せ、まるで駄々をこねる子供のように不機嫌な声色に変わる。


「お前、昨日一睡もしてないんだから早く帰って寝ろ」


「〜〜ッ!」


その言葉が意味する昨夜の密室での夜。

 結菜の全身の血液が、一気に沸点を超えて顔面へと集中した。声にならない悲鳴を上げて完全にフリーズする結菜の横で、向かいの席のリナとマキが「ひゅっ」と息を吸い込み、目を見開いているのが分かった。


だが、湊の追撃はそれだけでは終わらなかった。


結菜の肩に頭を乗せたまま、湊の長い指が、結菜の首元をぐるぐると隠していた薄手のストールに触れる。

 そして、熱を逃がすような何気ない動作を装いながら、その布地を無造作に、ズルリと引き下げた。


「あっ……!」


結菜が顔を真っ赤にして両手で首元を押さえようとしたが、遅かった。

 露わになったのは、華奢な首筋から鎖骨にかけて、点々と、そしてひどく生々しく刻み込まれた、赤紫色の『独占欲のキスマーク』。


昨夜、彼が過去の死体の幻影をすべて焼き尽くすために、狂おしいほどの熱量で結菜の肌に刻み込んだ、大人の男の所有印だった。


「ひゃっ……、みな、と……っ!」


周囲の視線に晒され、恥ずかしさで涙目になりながら身をすくめる結菜。

 湊は、そんな結菜の細い腰に長い腕を回してガシリと自分の方へ抱き寄せると、最後に、顔面蒼白になっている隣のテーブルのモブ男子たちを、鋭い氷のような視線で射抜いた。


「……ただの『おかん』相手に、こんな跡つける奴がいると思う?」


学食の喧騒が、完全に停止した。

 男子たちが、あまりの気迫と事態の異常性に息を呑んでガタガタと震え上がる中、湊は結菜の腰を抱く手にギリッと力を込め、冷たく吐き捨てた。


「こいつ、俺のなんで。……これ以上、気安く口出さないでもらえますか」


それは、噂や周囲の評価などというちっぽけなものを、根本から粉砕する絶対的な『公開所有宣言』だった。

 彼が結菜を女として見ていないどころか、誰にも触れさせたくないほどの狂気的な執着と独占欲で囲い込んでいることが、その一言と首筋の痕だけで、学食にいる数百人の人間に決定的な事実として叩きつけられたのだ。


向かいの席で、リナが口元を手で覆いながら「……ヤバ。これ、伝説更新だわ」と呆然と呟き、マキが「ごちそうさま」と小さく笑って文庫本で顔を隠す。


一方の結菜は、腰に回された彼の手の異常なほどの熱さと、彼が自分を守るために見せた容赦のない大人の男の顔に、心臓が肋骨を突き破りそうなほど跳ね上がり、ただただ彼の白シャツの胸元に顔を埋めて、真っ赤になった耳を隠すことしかできなかった。


ガタッ!!


氷のような凄まじい威圧感を浴びせられた他学部の男子たちは、弾かれたように椅子から立ち上がった。

「す、すんませんっしたぁっ!!」

 彼らは顔を土気色にして、トレイを片付けることも忘れて逃げるように学食から散っていった。


その直後、数百人が息を潜めていた学食中が、堰を切ったような阿鼻叫喚のざわめきと黄色い悲鳴に包まれる。

「やばい、今の聞いた!?」「俺の女って言った!!」「リアル王子があんな独占欲丸出しで……っ!」

 無数のスマートフォンが向けられ、興奮のるつぼと化した空間の中で。

 湊は、完全にフリーズして茹でダコのように真っ赤になっている結菜の手首をガシリと掴み、周囲の視線など一瞥もせずに、堂々とした足取りで学食を後にした。



* * *



夕暮れのイチョウ並木。

 秋の冷たい風が吹き抜け、黄金色の葉がカサカサと音を立ててアスファルトの上を転がっていく。

 人通りの少なくなった並木道まで引っ張られてきたところで、ようやく結菜の頭の処理機能が再起動した。


「〜〜〜〜ッ!!」


結菜は繋がれていた手を強引に振り解くと、足早に歩く湊の広い背中に向かって、バシバシと両手で連続攻撃を叩き込み始めた。


「ちょっと! なにあれ! あんな大勢の前で……っ、バカじゃないの!?」

「……痛い。やめろ」

「やめない! あんな公開宣言されたら、これから私がどうやって平和な大学生活を送ればいいのよ! 魔性の女どころか、狂犬の飼い主に昇格じゃない!!」


顔から火を吹きそうなほどの羞恥とパニック。

 文句をわめきながらポカポカと背中を叩き続ける結菜に対し、湊は不意に立ち止まり、ゆっくりと振り返った。

 結菜の小さな手が、彼の胸板にポンッと当たる。


見上げた先。

 夕日に照らされた湊の顔には、不機嫌そうな深いシワが刻まれていた。


「……バカはお前だ」


低く、どこか拗ねたような響きを含んだ声。


「外の連中がなんて言おうが関係ない。俺がこの数ヶ月間、お前と同じ部屋にいて、お前を女として意識して……どれだけ我慢してたか。お前、全然気づいてなかっただろ」

「え……」


結菜の手の動きが、ピタリと止まる。

 彼のガラス玉のような瞳が、夕暮れの光を反射して、ひどく熱っぽい色を帯びて結菜を見下ろしていた。

 無職のヒモを自称し、ただ「飯」「眠い」と子供のように甘えてきていた日々の裏側で。彼が、大人の男としての理性を総動員して、ギリギリのところで踏みとどまっていたという事実。


「……ッ」


湊は不機嫌そうにフンと鼻を鳴らすと、結菜の右手を再び強く握り直した。

 そして、自分が着ていた秋物の厚手のカーディガンの、大きなポケットの中へと、結菜の小さな手を強引に引き込んだ。


「え……っ」


ストン、と。

 秋の冷たい風が完全に遮断される。

 カーディガンのポケットという『小さな密室』の中で、彼自身のひどく熱い体温が、冷え切っていた結菜の指先をすっぽりと包み込んだ。

 かつて二人で引きこもった四畳半のアパートの防音室よりも、逃亡劇の最中に身を寄せ合ったラブホテルのベッドよりも。ずっと狭くて、温かくて、彼だけを強烈に感じられる絶対的な安全地帯。


ポケットの中で、彼の長い指が、結菜の指に絡められるようにきつく握り込まれる。


「……もう、お母さん扱いはしない」


夕風が、二人の間を吹き抜ける。

 湊は結菜から目を逸らし、イチョウの木々の方へ視線を向けながら、ひどく不器用に、ぶっきらぼうに告げた。


「でも、一生俺の面倒は見ろ。……愛してるから」


それは、法学部の天才的な頭脳を持つ彼から放たれたとは思えないほど、論理も何もない、ワガママで理不尽なプロポーズだった。

 けれど。

 彼がこれまで絶対に口にしてこなかった「愛している」というストレートな言葉の破壊力は、結菜の胸の奥で燻っていた劣等感や不安を、一瞬にして光の粒子に変えて吹き飛ばしてしまった。


結菜は目を見開き、彼の色素の薄い横顔を見つめた。

 よく見れば、そっぽを向いている彼の耳の先が、夕日と同じくらい真っ赤に染まっている。


(……この人、本当に)


結菜の口元が、自然と緩む。

 怒りも羞恥もどこかへ消え去り、呆れたような、けれどどうしようもなく愛おしい笑い声が、小さく吹き出した。


「……ふふっ。ほんっと、手のかかるやつね」


文句を言いながらも。

 結菜は、ポケットという小さな密室の中で、彼の大きな手をギュッと、力の限り強く握り返した。


「ピーマン、これからはちゃんと細かく刻んであげるから。……覚悟しなさいよね」


ひんやりとした秋の空気に、甘い体温が溶けていく。

 巨大な権力の闇も、絶望的な死の記憶も、もう遠い過去のもの。

 夕焼けに染まる黄金色のイチョウ並木の下を、不器用すぎる元・王子様と、最強の世話焼き幼馴染は、ポケットの中で手を繋いだまま、どこまでも続く平和な明日へ向かってゆっくりと歩き出した。

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