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何度タイムリープしても死ぬ『完璧王子』の幼馴染を救うため、私は世話焼きオカンを辞めて悪魔になります。  作者: *しおり*


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医薬キャンパスの図書室は、アルコールのツンとした匂いと古い紙の匂いが微かに混ざり合っている。

窓の外では初夏の陽射しがアスファルトをじりじりと焦がしているというのに、空調の効いた室内は肌寒いほどだった。学食への「遠征」から戻ってきて一時間が経過したが、サヤカとミオの興奮は一向に冷める気配がない。


「いやー、それにしても本当に想像通りのイケメンだったね、法学部のリアル王子!」

「ね! 生で見たら破壊力やばかったー。もっと近づきたかったけど、人が多すぎてありゃ無理だね。取り巻きの壁が厚すぎるもん」


解剖学のテキストに蛍光ペンで線を引きながら、結菜は心の中で深々とため息をついた。

(よくもまあ、さっきからずっと同じ話で盛り上がれるなぁ……)


カチッ、カチッとボールペンの芯を無意味に出し入れしながら、結菜は呆れを通り越して感心すら覚えていた。

動く現代アート。リアル王子。

そんな大げさなフィルターを通して彼を見ている女子たちには悪いが、結菜にとっての桐生湊は、脱いだ服は散らかしっぱなし、野菜は避ける、生活能力皆無の「ただのだらしない男」でしかない。三日も同じ屋根の下で過ごせば、その美化された王子様像なんて木端微塵に砕け散るのに。

とはいえ、幼馴染だとバレたら面倒なことになるのは目に見えているので、結菜は「へえ、そうなんだ」と適当な相槌を打ちながら、その呆れをそっと胸の奥にしまい込んだ。


「あー、もう無理。イケメンの余韻だけで乗り切るには、来週からの早期体験実習の事前記録の量エグすぎて死にそう」


向かいの席で、サヤカが分厚いファイルを机に突っ伏すようにして倒れ込んだ。隣のミオも、赤ペンを握ったまま魂の抜けたような顔をしている。


「ほんとそれ。基礎看護の高橋先生、いくらなんでも厳しすぎない!? なんでこんな鬼みたいな量のレポート書かないといけないのよ……」

「あんたたち、また課題溜め込んでるんでしょ。文句言ってないでさっさと手動かしなさいよ」


結菜がテキストから目を離さずにたしなめると、ミオが赤ペンで机をコツコツと叩きながら唇を尖らせた。


「だってさー、来週からの見学、小児科病棟でしょ? なんでも最近、重い心臓病の女の子が転院してきて、特別室に入ってるらしくてさ」

「そうそう! うちらみたいな一年のペーペーが、そんな重症の子の見学させてもらえるのかなって。なんか緊張して筆が進まないわけよ」


サヤカのいかにも取ってつけたような言い訳に、結菜はペンの動きを止めずに短く息を吐いた。


「……言い訳してないで、まずはバイタルサインの正常値からまとめなさいよ。どうせ見学なんて、ナースステーションの端っこで邪魔にならないように突っ立ってるだけなんだから」


冷たく突き放しながらも、結菜は自分のノートの隅にまとめられた要点のページを、サヤカたちから見える位置へ無造作に押しやった。


結菜が呆れたようにたしなめると、サヤカが弾かれたようにガバッと顔を上げた。


「ねえ! 今日この後、夜駅前のカラオケ行かない!? もうパーッと歌ってストレス発散しないと絶対無理! 限界!」

「大賛成! 結菜も行くっしょ!?」


キラキラと期待に満ちた目を向けてくる二人に、結菜の顔もパッと明るくなる。


「えっ、カラオケ? 行く行く! 絶対行きたい!」


即答してから、結菜の脳裏に「ある男」の顔がチラついた。

――隣の部屋で、口を開けて寝転がっているであろう、あの世話の焼ける幼馴染の顔が。


(あ……そっか。あいつに『夜遅くなるから、夕飯はなんか適当に食べて』って連絡しなきゃ)


自分がいなければまともな食事一つとろうとしない彼を思い浮かべ、結菜は密かに唇を噛んだ。キャンパスが別になっても、結局あいつの世話から逃れられていない自分が少し恨めしい。

それでも、今日くらいは大学生らしい放課後を満喫してやる。結菜はテキストの下でこっそりスマートフォンを取り出すと、短いメッセージを手早く打ち込んで送信ボタンをタップした。



駅前特有の喧騒を分厚い防音扉で遮断したカラオケボックスの個室には、空調の人工的な冷気と、油の回ったフライドポテト、そして甘ったるいカシスオレンジの匂いが充満していた。


「あーっ! もう解剖学の用語なんて全部頭から飛んでいけーっ!」


マイクを両手で握りしめ、サヤカがシャウト気味に流行りのポップスを歌い上げる。隣でミオがマラカスを無茶苦茶なリズムで振り鳴らし、「最高! もっといけー!」と囃し立てた。

 結菜もソファの端に座り、タンバリンを叩きながら声を上げて笑った。早期体験実習の事前レポートという重圧から一時的に解放され、ただの大学生としての時間を貪るこの空間は、耳を劈くような大音量にもかかわらず妙な心地よさがあった。


曲が終わり、サヤカが「あー、喉渇いたっ」とマイクを放り投げてソファにどさりと倒れ込む。

 ミオは冷めたフライドポテトを数本まとめて口に放り込みながら、光るスマートフォンの画面を指で弾いた。


「ねえ見てこれ。うちの大学の裏掲示板、特定班の執念エグすぎ」

「なになに、また誰かの浮気暴露?」


サヤカが氷の溶けたグラスを傾けながら身を乗り出す。結菜もタンバリンをテーブルの端に除け、結露した烏龍茶のグラスを指先でなぞった。


「ううん、大学の監視カメラの死角マップと、医学部棟から大学病院の地下へ抜ける職員専用の裏ルートの完全版がアップされてるの」

「は? 何それ」

「高橋先生の鬼の巡回から逃れて、サボるためのルートだって。ほら、ここ通れば誰にも見られずに病院の裏口に出られるらしいよ」


画面に表示された複雑な見取り図を見せられ、結菜は「へえ……」と、気の抜けた相槌を打つ。


「すごいね。ただの女子大生の執念とは思えない情報網」

「でしょ? 文系キャンパスの噂から病院の裏構造まで、この掲示板と私らのネットワークにかかれば一瞬で丸裸だよ。実習で迷子になったり、先生から逃げたくなったらなんでも聞いてよね!」


得意げに笑ってポテトを齧るミオの言葉を、結菜は「はいはい、頼りにしてる」と適当に聞き流していた。


ふと、次の曲が入るまでのわずかな静寂。

 結菜はソファの上に放り出していたスマートフォンに目を落とす。

 時刻は二十一時を少し回ったところ。画面には、通知が一件だけ表示されていた。


『腹減った』


たった四文字。スタンプも絵文字もない、素っ気ないメッセージに結菜は小さく息を吐き出した。

(夕飯は適当に食べてって言ったのに……)

 心の中で悪態をつきながらも、指先は考えるより早く『今から帰る』と打ち込んでいた。


「ごめん、サヤカ、ミオ。私そろそろ帰るね」

「えーっ、結菜もう帰っちゃうの? 明日一限休みじゃん!」

「うん。ちょっと……アパートの隣人が鍵無くしたとか騒いでて、開けてあげなきゃいけないの」


とっさに口をついて出た嘘に、二人は「なにそれウケる」「幼馴染って大変だねー」と笑って見送ってくれた。結菜は少しの罪悪感を覚えながらも、荷物をまとめて冷え切った個室を後にした。


カラオケボックスを出ると、初夏の生温かい夜風が首筋を撫でた。昼間にアスファルトが吸い込んだ熱が、足元からじわりと這い上がってくる。

 ネオンサインの瞬く駅前を抜け、学生アパートが点在する閑静な住宅街へと歩みを進めるにつれ、周囲の音は虫の音と自分の足音だけになっていく。


アパートの敷地に入り、鉄製の外階段へ足を向けた時だった。

カン、カン、と無機質な足音を響かせ、暗がりからふらりと一人の男が降りてきた。


結菜は壁際に少し寄り、すれ違うために道を譲る。黒いレインコートのような上着を羽織った大柄な男だった。目深に被った帽子のせいで、外灯の乏しい光の下でも顔はよく見えない。

すれ違いざま、生温かい風が男の方から結菜の鼻先を掠めた。


――ツンとした、強いミントタブレットの匂い。それに、ひどく湿ったタバコの悪臭が混ざっている。


思わず顔をしかめた結菜の横を、男は一切の視線を向けることなく無言で通り過ぎていく。アスファルトを踏む靴の底から、コツ、と硬い金属プレートが擦れるような不自然な音が夜の静寂に響いた。


(……こんな時間に、誰かの部屋の客?)


背筋を撫でた微かな気味の悪さを、結菜は小さく首を振ってやり過ごした。


気を取り直して鉄製の外階段を上り、自室のドアの前に立つ。鞄から鍵を取り出そうとして、結菜は手を止めた。

ドアの隙間から、薄く明かりが漏れている。

鉄製の外階段をカン、カンと上り、自室のドアの前に立つ。鞄から鍵を取り出そうとして、結菜は手を止めた。

ドアの隙間から、薄く明かりが漏れている。


(……またいるし)


鍵穴に鍵を差し込むと、やはり施錠がされていない。ギギギっとドアを開けると、玄関の狭い三和土には、彼の上質な脱ぎ捨てられた革靴。


「ただいま。私の部屋なんか寒いんだけど」


フローリングの廊下を抜け、居間兼寝室のドアを開ける。

そこには、結菜のベッドに背中を預け、床に直接座り込んでいる湊の姿があった。白シャツの袖を肘までまくり上げ、長い脚を投げ出している。

その周囲には、彼のスマートな外見には似つかわしくない、埃っぽい匂いを放つ分厚いファイルや書類の束が散乱していた。


「遅い」


湊は手元の書類から顔を上げず、機嫌の悪さを隠そうともしない低い声で言った。

結菜はカバンを床に置き、買ってきたコンビニのビニール袋をガサガサと鳴らしながらキッチンへと向かう。


「適当に食べてってLINEしたでしょ。コンビニ行くとか、出前頼むとか、いくらでも方法あるじゃない」

「結菜の飯じゃないと味がしないからヤダ」


子供のような駄々を、感情の抜け落ちた声で平然と言ってのける。外で見せる完璧な法学部の「王子様」の顔は微塵もない。生活能力が壊滅的で、一人ではろくに食事もとらないこの男を、どうして大学の女子たちはあんなに美化できるのか。


結菜は冷蔵庫から冷凍のうどんを取り出し、鍋に湯を沸かし始めた。換気扇のモーター音が、部屋の静寂を規則的に刻む。

ーー昔からこいつは、親が家にいない日や、息が詰まると決まってうちの勝手口から入り込んできた。うちの母さんも『湊くん、いっぱい食べなさい』って本当の家族みたいに扱っていたから、こいつの味覚は完全にうちの家庭の味になっているのだろう。


ふと、鍋底から立ち上る湯気の向こうに、不意に古い記憶が脳裏を掠めた。


まだ小学生だった頃の、ひどく冷え込んだ冬の日だ。湊が珍しく熱を出して学校を休んだ。心配になった結菜が、隣の豪邸の分厚い石塀によじ登り、そっと庭を覗き込んだ時のこと。

手入れの行き届いた芝生の上で、湊によく似た、彫像のように整った顔立ちの母親がスマートフォンを耳に当てていた。


『熱を出して明日の家庭教師を休むなんて、これまでの教育投資が無駄になるわ。……ええ、本当に。自己管理もできない欠陥品ね』


ため息混じりに吐き捨てられた、冷たい声。彼女は広い家の中に高熱の息子を一人放置したまま、門の前に横付けされた黒光りする高級車へと乗り込んでいった。肩を露わにした豪奢なドレスの裾と、冷たい風に乗って漂ってきた深みのあるあの香水の匂いは、間違いなくどこかのパーティーへ向かう装いだった。


その後、熱でフラフラになりながら結菜の家の勝手口に現れた湊に、結菜の母は何も聞かずに温かい玉子がゆを作ってあげたのだ。あの時、スプーンを握る湊の小さな手が、微かに震えていたのを今でも覚えている。


コトコトと湯を立てる鍋の中で、冷凍うどんがゆっくりとほぐれていく。

結菜は小さく息を吐き出すと、あの日の小さな震えを振り払うように菜箸を握り直し、肩越しに振り返った。


「……で、その床に散らかってるゴミは何なの。掃除の邪魔なんだけど」


鍋にめんつゆを計り入れながら、肩越しに振り返って尋ねる。

湊は伏せていた長い睫毛をわずかに揺らし、手にしていた茶色い封筒を床にぽいと放り投げた。

その拍子に、書類の隙間からカツンと黒い小さな塊がフローリングにこぼれ落ちたが、湊は気にする素振りも見せない。


「親父の会社が昔やった、土地開発絡みの契約書とか裁判記録。実家から送られてきた」

「そんな物騒なもの、何に使うのよ」

「法学部のレポートの題材にでもしようかと思ったけど……」


湊はつまらなそうに書類の山を一瞥し、長い指で首の後ろを掻いた。


「活字ばっかりで目が痛い。 それにあんな家が関わったもの、触るのも嫌だね。 後ででいいや」


そう言って、彼は書類を足で適当に端へ押しやり、結菜の方へと顔を向けた。

ガラス玉のように透明で、どこにも焦点を結んでいないような瞳が結菜を捉える。


「それより、うどんまだ? 俺、本当に餓死しそうなんだけど」

「大げさなこと言わないの。ほら、できたわよ」


湯気を立てるうどんの入ったどんぶりをローテーブルに置くと、湊はのそりと身を起こして箸を手にした。

ズルズルと音を立てずに食べるその所作だけは、育ちの良さが染み付いていてどこか優雅だ。結菜は向かいに座り、彼が食べる様子をただ無言で眺めていた。


「……今日、カラオケ行ったんでしょ」

「え?」

「服から酒とタバコの匂いがする」


どんぶりに視線を落としたまま、湊が淡々と言う。結菜は思わず自分の服の袖の匂いを嗅いだ。


「別に、私はお酒飲んでないよ」

「……知ってる。楽しかった?」

「……普通よ」


湊は箸を置き、どんぶりの縁をなぞるように指を滑らせた。そのガラス玉のような瞳が、自嘲するように伏せられる。


「……そ。よかったね、普通の大学生みたいで」

「は……?」

「俺みたいなどうしようもない奴が隣にいない方が、結菜はちゃんと普通の幸せな世界にいられるんだな、って思っただけ」


本心なのか冗談なのか、ひどく諦めの滲んだ声だった。 室内の空気が、一瞬だけピンと張り詰める。開け放たれた窓から、夜の冷たい風が入り込み、床に放置された裁判記録のページをかさりと捲った。


「……俺の実家のことなんか全部忘れて、ほっとけばいいのに。いつか、結菜まで真っ黒に汚れちゃうよ」

本心なのか冗談なのか、温度の読めない声だった。


室内の空気が、一瞬だけピンと張り詰める。開け放たれた窓から、夜の冷たい風が入り込み、床に放置された裁判記録のページをかさりと捲った。


結菜は、その言葉の裏にある暗さから目を逸らすように、「はいはい、食べ終わったらさっさと自分の部屋に帰りなさいよ」と立ち上がり、空になったどんぶりを片付け始めた。


シンクで水が跳ねる音を聞きながら、結菜はふと思う。

いつまで、この手のかかる幼馴染との平穏な日常が続くのだろうか、と。


――明日、この退屈で愛おしい日常が、跡形もなく血に染まって崩れ去ることになるなど、この時の結菜は知る由もなかった。



* * *



『――本日の県内は、高気圧に覆われ一日中快晴となるでしょう。にわか雨の心配もありませんので、絶好のお洗濯日和ですね!』


テレビの中で、パステルカラーのスーツを着たお天気キャスターが満面の笑みで日本地図を指し示している。

朝のニュース番組特有の軽薄なBGMを背中で聞きながら、結菜は菜箸で卵焼き器の縁を小気味よく叩いた。ジュワッ、と卵の焼ける甘い匂いが、狭い1Kのキッチンに広がる。


「ちょっと湊。いつまでパジャマで突っ伏してんのよ。一限からでしょ、今日」


コンロの火を弱めながら肩越しに声をかけると、ローテーブルに突っ伏していた湊が、長い手足を邪魔そうに折り曲げながらのそりと顔を上げた。

寝癖のついた髪の隙間から、ひんやりとした色素の薄い瞳が結菜の背中をぼんやりと捉える。


「……今日、休講になんないかな」

「なるわけないでしょ。ほら、顔洗ってくる」


結菜が卵焼きを皿に移し替えていると、ローテーブルの上で無機質な振動音が鳴り響いた。

ブーッ、ブーッ、と反復するスマートフォンのバイブレーション。

フライパンをシンクに置きながら視線を向けると、画面には『堂島専務』という文字が黒々と浮かび上がっていた。


湊の父親が経営する巨大企業。その実質的なナンバーツーであり、父親の右腕として冷徹に会社を取り仕切る男。実家から逃げるようにこのボロアパートに越してきた湊にとって、決して逆らうことのできない学費のパトロンでもある。


「湊、鳴ってるよ」


結菜が顎でスマートフォンをしゃくると、湊は画面を一瞥し、長い指で無造作に端末を裏返した。

ブーッ、という振動音が、木目のテーブルに押し付けられてくぐもった音に変わる。


「……出なくていいの? また学費止められるわよ」

「卵焼き、ちょっと焦げてる」

「うるさいわね。出なさいよ、後で私が怒られるんだから」

「朝からあの人の声聞いたら、今日一日ずっと胃がもたれる。俺の胃薬代、結菜が出してくれんの?」


まるで今日の講義の文句でも言うような、フラットで感情の乗らない声。しかし、裏返されたスマートフォンを絶対に見ようとしないその視線が、湊の中にある実家の企業への埋めがたい嫌悪と、逆らえないという冷たい諦めを如実に物語っていた。


結菜はそれ以上踏み込むのをやめ、無言で二つのマグカップにコーヒーを注いだ。

立ち上る湯気を挟んで、二人は狭いテーブルで向かい合う。


「テレビ、雨降らないって。玄関に置きっぱなしのあんたのビニール傘、邪魔だから今日持って帰ってよね」


トーストをかじりながら結菜が言うと、湊はコーヒーの表面を見つめたまま、微かに首を傾げた。


「持ってかない」

「はあ? なんでよ。降らないんだから荷物にならないでしょ」

「どうせまたすぐここに来るし。それに、天気予報なんて当てにならないから」


湊は冷めたコーヒーを一口すすり、テレビの画面へと視線を流す。

画面の中では、依然として太陽のマークが画面いっぱいに輝いていた。


(ほんと、どこまでもマイペースなエリート様だこと……)


結菜は内心で悪態をつきながら、残りのトーストを口に押し込んだ。

平和で、鬱陶しくて、でもどこか安心するいつもの朝。

裏返されたスマートフォンが、再び無音のままテーブルを震わせていることなど気にも留めずに。


――この日の夕方。

天気予報の「100%の快晴」という言葉を嘲笑うかのように、息もできないほどの土砂降りの雨が降り注ぎ、あの日置き忘れたビニール傘がないせいで雨宿りをした路地裏で、湊の胸に冷たい刃が突き立てられることなど、結菜は知る由もなかった。

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