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何度タイムリープしても死ぬ『完璧王子』の幼馴染を救うため、私は世話焼きオカンを辞めて悪魔になります。  作者: *しおり*


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16

静かに上昇を続ける、最上階へと向かうVIP専用エレベーターの中。

 結菜は、隣に立つ湊の横顔を見上げながら、これまでの十数回のループを思い返していた。


(……どうして、最初からこれに気づかなかったんだろう)


思えば、これまでのループはすべて「逃げる」か「隠れる」ことの延長線上にしかなかった。結菜はただの女子大生としての常識に縛られ、彼を四畳半の密室に匿うことだけに固執していた。


一方の湊も、いざとなれば自分の命を盾にしてでも結菜を逃がすという自己犠牲の覚悟はあったものの、彼には「実家の権力を使って戦う」という発想が完全に欠落していた。幼い頃から両親に放置され、自分の命は会社の株価よりも軽いのだと冷めきっていたからだ。

 大企業の跡取りという忌まわしい肩書きなど、彼にとっては呪いでしかなかった。


だが、その「忌まわしい肩書き」こそが、最強の盾になる。

 専務たちの目的は、湊を暗殺すること自体ではなく、あくまで「会社の株価や世間体を守るために、不運な事故や自殺に見せかけて秘密裏に処理する」ことだ。

 だからこそ、白昼堂々、何百人もの社員の目がある本社の正面玄関から「次期社長」として姿を現せば、いくら専務でもその場で私兵に射殺させるような、隠蔽不可能な真似は絶対にできない。


「……到着だ」


チンッ、という澄んだ電子音と共に、最上階の分厚い扉が開く。

 湊が忌み嫌っていた権力を容赦なく利用し、結菜を救うためなら「代わりのきく駒」という自らの価値の否定すらも完全に捨て去った、真の覚悟。

 その二人の狂気が交わった究極の一手が、今、敵の中枢へと直接の物理攻撃を仕掛けようとしていた。


密室の死闘と、完璧な連携


最奥にある、豪奢な両開きの扉を蹴り開ける。

 広大な社長室兼、堂島専務の執務室。マホガニーの巨大なデスクの奥で、優雅に葉巻を燻らせていた初老の男――堂島専務が、信じられないものを見るように目を見開いた。


「……湊、くん……? なぜ、君がここに……」

「あんたの描いた陳腐な事故死のシナリオ通りにならなくて、残念だったな」


湊は、部屋の入り口のロックを内側から無造作にかけ、冷酷な笑みを浮かべた。

 白昼の強行突破に狼狽した専務だったが、部屋が内側から施錠されたことを確認すると、その顔にすぐにどす黒い狡猾な色が戻った。


「……なるほど。自らこの防音の密室に入ってくるとは、愚かな。ここで君たちが錯乱して暴れたため、正当防衛で処理せざるを得なかったと説明すれば済むことだ」


専務がデスクの裏のスイッチを押す。

 途端に、執務室の壁と一体化していた隠し扉が開き、サプレッサー付きの銃や警棒を構えた私兵たちが無音で雪崩れ込んできた。


だが、結菜の瞳に恐怖はなかった。

 これまでの「逃げる戦い」は、今この瞬間から「迎え撃つ戦い」へと反転する。

 十数回の死のループ。その凄惨な記憶の中で、結菜の脳髄には、彼らの突入タイミングから殺しの癖まで、すべてが骨の髄まで刻み込まれていた。


「湊、三秒後、右の隠し扉から二人! 次は左の観葉植物の裏!」

「了解」


結菜の氷のように冷酷な指示に合わせ、湊が手元のスマートフォンから専務の部屋の管理システムへ直接ハッキングを仕掛ける。

 私兵が飛び出してきた瞬間、天井の防火シャッターがけたたましい音を立てて落下し、右の二人の退路と進行を完全に分断した。


「なっ……!?」

「次、スプリンクラー作動させて!」

「起動」


湊の指が画面を弾く。非常用のスプリンクラーが誤作動を起こし、猛烈な勢いで室内に水しぶきが降り注ぐ。視界を完全に奪われ、水に濡れた床で足を滑らせる私兵たち。


結菜の「死の記憶の予知」と、湊の「天才的なハッキング」。

 この狂気に満ちた完璧な連携の前に、専務の誇る私兵たちは指一本触れることすらできず、次々と無力化されていった。


因縁の清算


部屋が水浸しになり、私兵たちが呻き声を上げて倒れ伏す中。

 奥の扉から、あの忘れもしない足音が響いた。


歩くたびに「コツ、コツ」と鳴る、硬い金属プレートのついた靴音。そして、水しぶきの匂いすらも掻き消す、強烈なミントタブレットと湿ったタバコの悪臭。


「……手間をかけさせるな、坊ちゃん」


暗殺者、黒田。

 これまでのループで、何度も湊と結菜を惨殺してきた死神が、ついにその巨大な姿を現した。力では絶対に勝てない、最強の物理的脅威。

 だが、結菜は一歩も引かなかった。


戦うのではない。ここで、すべての因縁を精算するのだ。


「湊!」

「ああ」


結菜の合図と共に、湊は水浸しの床を蹴って専務のマホガニーのデスクへと走り、鎮座するメイン端末に持参したノートPCの物理ケーブルを直接接続した。


「やめろッ!」


専務が、顔をひきつらせて嘲笑を交えた叫び声を上げた。


「無駄だ、湊くん! そのメインシステムには、軍事レベルの強固な暗号化が施してある! いくら君が天才ハッカーだろうと、それを解除するには最低でも一ヶ月はかかるぞ! その間に私の増援が到着して、君たちは終わりだ!」


専務の負け惜しみをBGMに、湊は濡れた前髪を鬱陶しそうに掻き上げ、青白いプロンプト画面に視線を落とした。長い指がキーボードを数回叩き、ピタッと止まる。


「……チッ。軍事レベルの暗号化か」


湊は、忌々しげに舌打ちをした。


「まともにやったら、解除に一ヶ月はかかるぞ。……いや、アパートで逆探知を警戒してプロキシを何重も噛ませてた時に比べれば、今こうして本丸のシステムに直接『物理接続(物理ハッキング)』してる分、余計な壁はない。……それでも、ゼロからパスワードの文字列を弾き出すには、あまりにも時間が足りない」


焦燥感が、湊の横顔に影を落とす。

 だが、その後ろに立つ結菜の心拍数は、ひどく穏やかだった。


(一ヶ月。……そう、一ヶ月かかった)


結菜の脳裏に、凄惨な幻の記憶が鮮明に蘇る。

 五回目のループ。あの薄暗い四畳半の密室で、いつ暗殺者がドアを破ってくるか分からない極限の恐怖に耐えながら、湊が三十日間命を削ってキーボードを叩き続け、ようやく辿り着いた『答え』。

 あの時、プログレスバーが100%に達し、画面に表示されたパスワードの文字列を、結菜は自らの魂にタトゥーのように深く刻み込んでいたのだ。


結菜は、湊の背中越しに身を乗り出して画面を覗き込んだ。


「キーは『A-X-I-S-0-9-1-4』。……ディレクトリはCの裏層よ」

「……は?」


湊の指が、完全に硬直した。


「早くして。……私が知ってるんだから、黙って打ち込みなさい」


湊は、ゆっくりと振り返った。ガラス玉のように色素の薄い瞳が、結菜の凪いだ横顔を捉える。

 ただの看護学生である結菜が、専務のメインシステムのパスワードなど知るはずがない。彼女がそれを知っているということは、つまり。


(……こいつ、前の世界で。俺と一緒にあの一ヶ月の地獄を耐え抜いて、その『答え』を見たのか)


自分の命を救うために。途方もない時間と、幾度もの惨殺される恐怖のループを、この小さな体で背負い続けてきたのだ。

 湊は、小さく息を吐き出すと、喉の奥で低く、ひどく優しく笑った。


「……反則だろ、それ」

「カンニングって言いなさいよ。大企業の御曹司様は、プライドが高くて他人の答えは写せないわけ?」

「いや? 満点が取れるなら、喜んでお前の答えを丸写しさせてもらうよ」


湊は再び画面に向き直ると、迷いのない手つきでキーボードを叩いた。


――ターンッ。


エンターキーが小気味よく弾かれ、青白い画面に『ACCESS GRANTED(アクセス承認)』の緑色の文字が浮かび上がった。専務が絶対の自信を持っていた軍事レベルの暗号の壁が、たった数秒で、いとも容易く粉砕された瞬間だった。


「ば、馬鹿なッ! なぜパスワードが……あり得ない、あり得ないぞ!!」


パニックを起こして醜く叫ぶ専務を完全に無視し、湊はシステムの最深部へとアクセスを確立し、執務室の壁に設置された巨大なモニターを強制起動させた。


そこに大写しになったのは、湊が命を削って抜き出した「黒田の娘のカルテ」と、真っ赤な警告が並ぶ「ドナー順位の不正操作ログ」だった。


「……な、なんだ、それは……!」

「あんたの娘の、本当のカルテよ」


銃を構えようとした黒田の動きが、完全に硬直する。結菜は、専務の目の前という一切の逃げ場がない密室で、残酷な真実を突きつけた。


「専務は、最初からあんたの娘を助ける気なんてない。あんたを都合のいい汚れ仕事の駒として使い潰すために、わざと順位を下げ続けてたのよ!」

「き、貴様ら、何をデタラメを……ッ! 黒田、そいつらを今すぐ撃て!!」


狼狽し、顔を青ざめさせた専務が絶叫する。

 だが、巨大モニターに映し出された専務自身の決裁印が押されたログの異常性に、娘の命を握られている黒田が気づかないはずがなかった。


「……堂島ォォォォォッ!!」


黒田の手から銃が滑り落ちる。

 自分が娘のために手を血に染めてきたすべてが、この醜悪な男に利用され、騙されていたのだという絶望と激怒。

 戦意を完全に喪失し、あるいはその殺意を専務へと反転させた暗殺者は、もはや結菜たちにとって何の脅威でもなくなっていた。


完全な破滅と、すべてを捨てる覚悟


最強の護衛を失い、完全に孤立無援となった専務が、水浸しの床を後ずさる。


「……終わりよ、堂島専務」


結菜が冷たく見下ろす中、湊は専務のメイン端末の前に立ち、持参したノートPCを接続した。

 十数回のループの中で、彼が四畳半の密室で命を削って構築してきた「裏帳簿と資金洗浄のデータ」、そして「全世界のネットワークへの一斉送信ウイルス」。


画面には、いつでもエンターキー一つで送信できる状態のコマンドプロンプトが明滅している。


「ま、待て、湊くん……! 考え直したまえ!」


専務が、這いつくばるようにして湊にすがりつこうとした。


「そんなものを世界中に送信すれば、桐生グループは完全に終わりだ! 次期社長である君の立場も、輝かしい未来も、すべてが塵となるんだぞ!!」


それは、権力と金にしか価値を見出せない男の、哀れな脅しだった。

 湊は、キーボードに指を添えたまま、ひどく冷たく、そして可哀想なものを見るような目で専務を見下ろした。


「……だから言っただろ」


湊のガラス玉のような瞳が、傍らに立つ結菜へと向けられる。

 その瞳の奥には、すべてを捨てる究極の覚悟と、途方もなく純粋で不器用な愛だけが宿っていた。


「俺の『帰る場所』は、結菜の隣だけだって。……こんな腐った会社も、次期社長の肩書きも、俺は最初から一ミリも欲しくなかったんだよ」


ためらいは、微塵もなかった。

 湊の長い指が、無慈悲にエンターキーを叩き込む。


――ターンッ。


巨大モニターの画面に『送信完了(UPLOAD COMPLETE)』の文字が眩しく点灯する。

 同時に、下層階からパニックに陥った何百人もの社員の悲鳴と怒号が響き始め、遠くの道路からは、警察のパトカーが発するけたたましいサイレンの音がいくつも近づいてくるのが聞こえた。


巨大な権力が、彼を縛り付けていたすべての呪縛が、完全に崩壊した瞬間だった。


「……終わったね、湊」


結菜は、震える足で湊の隣に寄り添い、その白シャツの袖をそっと握りしめた。

 湊は何も言わず、ただ結菜の肩を強く引き寄せ、自分の胸の中にすっぽりと閉じ込めるように抱きしめた。

 もう、防音ガラスに隔てられることも、彼の体が理不尽な肉塊に変わることもない。


初夏の眩しい陽光が差し込む最上階の執務室で、二人は生きている互いの心臓の音を確かめ合うように、静かに、そして強く抱きしめ合っていた。

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