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何度タイムリープしても死ぬ『完璧王子』の幼馴染を救うため、私は世話焼きオカンを辞めて悪魔になります。  作者: *しおり*


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10

小児科病棟からエレベーターで地下二階へ降りると、空調の効いた冷たい空気が結菜の頬を撫でた。

 無機質な蛍光灯が等間隔に並ぶ、広大な地下駐車場。タイヤの擦れるゴムの匂いと、微かな排気ガス。

 結菜の足取りは、ひどく軽かった。白衣のポケットの中でスマートフォンの角を握りしめ、小さく息を吐き出す。


(いけた。黒田をスパイとして取り込んだ。これで……逃げ切れる。湊を、助けられる)


サヤカの兄のミニバンが停まっているはずの、Bブロックの柱の陰へと向かう。

 情報網を持つ親友たちと、敵の中枢に潜む暗殺者。手持ちのカードはすべて揃った。あとは湊と合流し、このまま隣県へ抜け出すだけだ。


「サヤカ、ミオ、待たせ……」


車のシルエットが見え、結菜が小走りで駆け寄ろうとした、その時だった。

 コツン、と。

 結菜の足元に、何かが転がってきた。

 見下ろすと、それは見覚えのある温かいココアの缶だった。プルトップは開けられたばかりで、甘ったるいミルクとチョコレートの匂いが、地下の冷たい空気に溶け出している。

 ミオがよく「実習の後はこれに限るよね」と笑って買ってくれた、あのココアだ。


「……え?」


視線を上げた結菜の全身の血液が、一瞬にして凍りついた。


ミニバンのスライドドアが、だらしなく開け放たれている。

 その足元のコンクリートには、目を疑うほど大量の、どす黒い赤色の液体が水溜まりを作っていた。

 ポタ、ポタと。車内から、絶え間なく赤い雫が滴り落ちている。


「あ、ぁ……っ」


開いたドアから、力なく垂れ下がっている腕。

 つい数日前、カラオケでマイクを握りしめ、「この新色可愛いでしょ」と自慢げに見せてくれた、サヤカの指先。

 綺麗に塗られていたピンク色のマニキュアは無惨に剥げ落ち、どろりとした赤黒い血にべったりと染まっていた。

 車内のシートには、ココアの缶を落としたまま、首をあり得ない方向にねじ曲げられたミオが、焦点の合わない虚ろな目を天井に向けて倒れている。


「嘘……でしょ、なんで」


喉の奥がヒュッと鳴り、結菜はふらつく足で血の海に踏み込んだ。

 靴底が、ぬちゃりと嫌な音を立てる。


「……結菜、来る、な……っ!」


車の陰から、血まみれの白シャツを引きずりながら、湊が這い出すように姿を現した。

 いつも完璧にセットされていた髪は乱れ、額から流れる血が彼の色素の薄い瞳を赤く染めている。


その湊の背後、駐車場の薄暗い死角から、清掃員の灰色の作業着を着た男たちが、ぞろぞろと無音で姿を現した。

 一人ではない。五人、六人。

 全員が、手には鈍く光る凶器や、サプレッサーのついた銃を握りしめている。


「遅かったな、お嬢ちゃん」


男たちの中から、先ほど小児科病棟で別れたばかりの大柄な男――黒田が、両腕を後ろ手に拘束され、全身を血だるまにされた状態で引きずり出されてきた。


「黒田、さん……っ!? どうして……」

「……専務は、俺の裏切りを恐れて、とうの昔から……見張られて、いたんだ……ッ」


血反吐を吐きながら、黒田が呻く。

 桐生グループの巨大な監視ネットワークを、女子大生の情報網で欺けると思ったのが、すべての間違いだった。

 不自然な動きをしていたサヤカとミオは、とっくにマークされていたのだ。黒田が結菜の脅迫に応じ、娘のために専務を裏切ったという情報すらも、この地下駐車場に到着した時点で、すでに他の暗殺部隊に完全に筒抜けになっていた。


「ただの女子大生が、裏社会の真似事とはな。……専務からの命令だ。このネズミどもは、ここで全員『処分』する」


先頭に立つ暗殺者が、冷酷に銃口を黒田に向けた。


「逃げろ……ッ! 娘を、頼むッ!!」


黒田は最後の力を振り絞り、結菜たちを庇うように暗殺者たちへ向かって体当たりを敢行した。

 しかし。

 プスッ、プスッという、くぐもった乾いた音が数回響いただけで。

 巨体はあっさりと膝から崩れ落ち、コンクリートの床にドサリと沈んだ。娘の命を救うため、悪魔の契約に乗った父親は、無慈悲な暴力の前にゴミのように処理された。


「あ……ああ、あああぁぁぁっ……!」


結菜は、後ずさりして床に尻餅をついた。

 生温かい血の感触が、手のひらを濡らす。

 自分のせいだ。自分が、警察や大人を巻き込むのを恐れ、サヤカたちの善意を、ただの女子大生である彼女たちの情報網を利用したから。

 あの時、空き教室で自分が「助けて」と言わなければ、二人は今頃、講義室で解剖学のテキストを開いて、文句を言いながら笑い合っていたはずなのに。


(私が……私が悪魔になったから。私が二人を巻き込んで、殺したんだ……っ!)


暗殺者たちの銃口が、床に座り込んで狂乱する結菜へと向けられる。

 迫り来る死の気配。

 その時だった。


「……結、菜ッ!!」


血まみれの湊が、床を蹴って結菜に覆い被さった。


――ズドォォォォンッ!!


凄まじい衝撃音が鳴り響く。

 結菜の体をすっぽりと包み込んだ湊の背中が、あり得ない角度で跳ね上がった。

 生温かい液体が、結菜の頬にボタボタと降り注ぐ。


「みな、と……?」


結菜の視界が、真っ赤に染まった。

 覆い被さってきた湊の口から、大量の鮮血が溢れ出し、結菜の白衣を赤く染め上げていく。


「……ハッ、……は……っ」


最初のループの時と、同じだ。

 彼は何も言わず、当たり前のように自分の命を盾にして、結菜を守ろうとしたのだ。複数のプロの殺し屋の銃弾を、その背中で文字通りすべて受け止めて。


「……ほんと、お前は……世話の焼ける、やつ……」


湊のガラス玉のような瞳から、急速に光が失われていく。

 震える彼の手が、結菜の頬に触れようとして――そのまま、力なく血の海へと滑り落ちた。

 ドサリと、結菜の上に全霊の重みがのしかかる。ドクン、ドクンと耳元で鳴っていた彼の心臓の音が、プツリと途絶えた。


「ああ……あああああああああああああああああああぁぁぁぁぁッ!!!!」


地下駐車場に、獣のような、人間のものとは思えない絶叫が木霊した。

 結菜は湊の亡骸を抱きしめたまま、血の海の中で狂ったように首を振り、泣き叫んだ。


自分が全部間違えていた。

 彼を守りたかっただけなのに。手段を選ばず、他人の娘の命を脅迫の材料にしてまで足掻いた結果が、これだ。

 自分の傲慢なエゴが、愛する男も、自分を心から心配してくれた親友たちも、全員をこの冷たいコンクリートの上で肉塊に変えてしまった。


(私のせいだ……私が二人を巻き込んだから! 私が湊を、こんな目に……っ!!)


精神が、完全に崩壊する音がした。

 涙と血と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を上げると、冷酷な目をした暗殺者が、結菜の眉間に黒い銃口を突きつけていた。


「仲良しごっこは、地獄でやれ」


恐怖は、もうなかった。

 あるのは、取り返しのつかない罪悪感と、黒く塗りつぶされた絶対的な絶望だけ。


――パァンッ!!


乾いた銃声が響いた瞬間、結菜の視界は完全に暗転し、耐え難い激痛と共に、最悪の三回目のループが終わりを告げた。

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