48.悪魔健在
午後の教室。ぼんやり窓の外を眺めると、少しづつ春が訪れていた。
水仙の花が花壇を埋め、ピンクの寒桜が満開になっていた。
「来週か……」
あっという間の1年だった。
あの日、たまたま朝のニュースで神の帰国を知り、後ろ髪引かれる思いで飛び乗った学校への電車。
でも今は、それとは違う学校の生徒になっていた。
そして、色々な出会いと思い出が詰まったこの学校でこうして授業を受けるのも今日で最後になる。
◇
学生として利用する最後の食堂での時間。
先生が言ってくれた不安材料を考える。
なんだろう?
暫く考えてはみたが、思いつかない。
「あれ? 私って何が不安だったんだろう?」
音楽のこと?
不安がないと言えば嘘になるけれど、先生が「全て俺にまかせておけばいいと」
なら、将来のこと?
「ちゃんと考えているから」と。一年待てば?
先生に会えないこと?
3月20日には帰国すると。
ぇ?
不安って何だったんだろう?
思っていることを、取り敢えず箇条書きにした。
『・本当に私で大丈夫ですか? ただの素人なのにファーストの重責を。
・自分のこと、自分の音のことだけで良いって。そんなファーストで許されるんですか?』
後は何だろう?
『・先生って私の何処が好きなんですか?
・本当に好き?
・浮気しない?
・ずっと好き?
・お婆ちゃんになっても好き?
・好き?
・いつかお嫁さんに貰ってくれますか?』
書いちゃった……
言葉で聞くのが怖くて……
勇気を出して送信ボタンを押した。
◇
「何だこれ。あいつ阿呆か?」
思わず笑っていた。
──ヴヴッーヴヴ
『送信者ー神様』
先生だ!
『・本当に私で大丈夫ですか? ただの素人なのにファーストの重責を?
俺が育てた。他の理由は必要ない
・自分のこと、自分の音のことだけで良いって。そんなファーストで許されるんですか?
今はそれで良い
・先生って私の何処が好きなんですか?
痛みに堪えながら必死でしがみついてくるときの顔
・本当に好き?
YES
・浮気しない?
YES
・ずっと好き?
YES
・お婆ちゃんになっても好き?
先に俺がじいさんになるけどな
・好き?
YES
・いつかお嫁さんに貰ってくれますか?
はい』
せんせ。
その答えって……
思わず赤面してしまう。
画面をスクロールする。
じいさんって。先生のお爺ちゃん姿は到底想像できない。
最後の質問の答えを見て、思わずスマホを抱きしめた。
──ヴヴヴーヴヴヴ
せんせ?
急いで通話ボタンを押す。
『愛してる。卒業おめでとう。行けなくてごめん。じゃあな』
『せんせい!』
『ごめん。舞台袖今、もう出番』
『ぇ?』
『ツーツーツー』
えええええええ?
本番前の袖から掛けて来てくれたの?
◇◆◇
「先生時間! スマホ!!」
マネージャー佐々木は舞台袖口で悠長に座っているマエストロに困惑していた。
「分かってるよ」
それだけ言って、スマホを軽く投げ颯爽と出て行く男の背を見送った。
◇
感慨深い週末を過ごす予定。
だったはずが……
「何でまた学校に居るんですか? 高科先生!」
「あ? お前の彼氏様に言ってくれよ。あいつ何考えてるんだよ。あと1ヶ月足らずで出来るわけないだろ!」
い、今、彼氏って言いました? 皆さん居るんですけど……
そして私は悪くないです。多分?
先生からのメールを受けて高科先生から、緊急招集メールがオケメンに届いた。
プログラム内容の変更指示だった。
『一日目:ホルスト惑星より『木星ジュピター』
:モーツアルト『キラキラ星変奏曲』 アンコール『星に願いを』
二日目:ドボルザーク『新世界』
アンコール バッハ『G線上のアリア』
三日目:パガニーニ『カプリース#24』
バイオリンとビオラによるコンチェルト 弦全員
:リスト『ラ・カンパネラ』」
2台のピアノとバイオリンによる四重奏 ピアノ 天野 雪彦・御神 貴志 バイオリン 高科 和樹・ 桜井 花音 第二弦他
アンコール リスト『愛の夢 第三番』ー御神 貴志』
ぇ? 三日目これ?
先生ピアノ弾くの??
え? カンパネラ2台で弾くの?
「俺、帰っていいですか? 寧ろ熱出していいですか?」
天野先生が頭を抱えた。
「御神先生と一緒にカンパネラ? 無理無理。死ねる」
「でもこれだと、誰が指揮をするんですか?」
「引き振りだろ……頭おかしいアイツ」
高科先生も頭を抱えている。
「俺、カプリース苦手……しかもカンパネラお前と一緒とか。まじクソが……最悪」
しゃがみ込んでいた高科先生が立ち上がり、メンバーに言う。
「20日だろ? キチガイの帰国日? 最悪。取り敢えず、弦カプリース行くぞ」
「ぇ? 5月ですよね? まだ時間が?」
「馬鹿なの? あのキチガイが帰国して入ってないとか許されるわけないだろ?」
名前が既にキチガイに変換されている先生がちょっと可哀相だった。
「お前ずるくね? 既にカンパネラもカプリースも完全に入ってるし……間違いなく桜井シフトだわ……」
「高科先生……」
「冗談だよ。そこ笑うところです。カプリース教えなさい」
「ぇえええええ? 私がですか?」
あの、私悪くないですよ?
目が怖いです。
高科先生。
天野先生も……
そしてニ弦の方々、私を睨むのやめて貰っても良いですか?
ビオラの方も……
「ぇっと。何処からいきますぅ?」
恐る恐る高科先生に聞いてみた。
「取り敢えず独奏で」
え? その恐ろしい目は? どういう意味ですか? 先生?
いや、ママン怖い!
「さっさと弾けよ。録音するから。全員これ聴いて覚えるように!」
え?
えええええええええええ?
待って! 皆さんの前で?
そして私の音源で皆さんが?
「時間勿体ないから、さっさとしてくれませんか?」
高科様、怖いです……
その圧に押され、バイオリンを手にする。
「いつでも」
高科先生の声に、全員の視線が一斉にバイオリン、いや、私の指先に集中した。
舞台での「観客」から見られるのではなく、目の前の至近距離で「同業者」から舐めるように視られる中、弓を持つ手にいつもより力が入る。
無になれ。
先生が「最高」と言ってくれたあの「音」を。
再び再現することだけを考える。
私のカプリース。
私だけのカプリースをパガニーニと一緒に奏でる──




