39.大人の階段
あっと言う間に訪れた冬将軍が居座り、既に気づけば半月。
今年のカレンダーも残すところ、あと二週間と迫っていた。一年で一番忙しい月。そして一年で一番ドラマが生まれる月。
「やばぁあい! 慣れない化粧をしてたら時間がああ!」
先生が予約してくれているタクシーの時間まであと10分しかない!
急いで着替え、走って部屋を出る。
「あ! 鍵掛けるの忘れたあ!」
ドアを開け、玄関の鍵を握るが、目の前に広がる光景……
廊下に脱ぎ散らかした部屋着が散乱していることに反省したが、今は目を背け、急ぎドアの鍵を閉めた。
何とか間に合いタクシーに乗り込んだ私は、何度も鏡で自分の見慣れた普通の顔を見て、少しだけ悲しくなる。
「何か違う。この前のお姉さんがしてくれた化粧と……」
ほんのちょっとだけ、リップの色を濃い目に引き直した。
走ったからか? 先生に会える気持ちからか? この化粧のせいか?
心臓の音がビバーチェのように早く鼓動している。
◇
「ありがとう御座いました」
タクシーの運転手さんにお礼を言って、車から降りる。
「ここ? よねえ?」
空港近くの大きなホテル。
世界が見下ろせるんじゃないかと思えるぐらい、高く聳える豪華なホテルのエントランスに向かう。
先生に言われたようにフロントに行き、先生の名刺を見せる。
「桜井様ですね。承っております。此方へどうぞ」
案内されるがままに後を付いて行く。
「此方にお着替え下さい」
部屋にいるお姉さんが、洋服ケースを私に渡す。
どういうこと? お姉さんを見るが何も言わずにっこりと微笑むだけ。
促されるように隣の部屋に連れて行かれ衣装ケースを開けた。
え?
恐る恐る手にしてみる。
チャイナドレスとは違うが、脚に大きく深いスリットが入っている。
大人っぽい濃い青色、裾に行くほど紫掛かったマーメードドレスだった。
濃い青地に無数の銀刺繍と輝くビーズは、夜空に浮かぶ満天の星。淡い紫色に輝く長い裾は、まるで宇宙を散歩しているようだった。
着替えて出て見ると、お姉さん達に今度は化粧台へと連れて行かれ、髪をアップに結って貰い、私の下手くそな慣れない化粧を丁寧に直してくれる。
その際に化粧の仕方も教えてくれたことは本当に有難かった。
魔法使い達の手によって魔法が掛けられた私は、お姉さんに手を取られ部屋の外に出る。
大理石の廊下をカツンカツンと鳴る高いヒールの音に、恥ずかしい気持ちと、転ばないようにしなければと、慣れないヒールに気をつけながら、手を引かれるがまま案内された場所に歩く。
レストラン?
誰も居ない広い部屋に円卓が何個も並び、正面には高級ピアノが視界に入る。
そして──
直ぐに、中央の席に座る愛おしい人の姿が飛び込んできた。
「先生!」
急いで走ろうとしたら、思わずよろけそうになったが、なんとか転ばずにすんだ。
「いきなり転けるとか縁起でもないから止めてください」
「……」
先生が優しく微笑んだ。
給仕の方が椅子を引いてくれ、促されるように席に着く。
「誕生日おめでとう」
「え? 何で?」
その言葉に私は驚いて、先生の顔をまじまじと見た。
「記憶力は昔から良い方なんで。面接時の書類」
あ! 思い出した! 入学試験の時のだ! あの時いきなり先生が、保護者が居ないと言った私に、自らが保証人と直し名前を書いてくれた。
何だか遠い昔のように感じてしまう。
まだあれから一年も経っていないと言うのに。
「このドレスも先生が?」
「チャイナドレスより良いだろ?」
「こういうのがお好みなんですね……」
若干胸のあたりが余っている用な気もするが……
こんな大人っぽいドレスを着たのは初めてだったので、恥ずかしい気持ちと、ちょっとだけ嬉しい気持ちで思わず頬が赤くなる。
「本当は夜が良かったんだけどな。夜景見える中が。ごめん」
先生がちょっとだけ辛そうな顔をしたので、私はその気持ちだけで充分だった。
給仕の方がやって来て、先生と何やら話しをしている。
その後直ぐに、冷やされた綺麗なピンク色のシャンパンが運ばれてきた。
「お前のアルコール入ってないから大丈夫」
「ああ、なるほど。ありがとうございます?」
グラスを手に取るように指差され、軽く乾杯を。
──チンッ
「18歳おめでとう」
先生が優しく甘く微笑む。
先生が何やらテーブルに置いた。
美しい濃紺の小箱にキラキラ煌く金色のリボンが掛けられていた。
「これは?」
「来年はちゃんと一緒に見に行くって約束するよ。今年はそれで我慢しろ」
「ぇ? 私にですか?」
「この状況で他に誰が居るんだよ」
広いレストランに今は、お客さんは私達二人しかいない。
まさか、貸し切った?
……嘘よねぇえ?
「開けていいですか?」
無言で頷く先生に、小箱を開ける。
「綺麗~~」
思わず声が出る。
大きすぎず小さすぎず、一粒のキラキラ光るダイヤモンドのネックレスと、2石ダイヤモンドが連なる豪華なピアスが、ふかふかのマットに鎮座していた。箱の上にある金色の文字。
これってお高いやつですよねぇ……
「付けても?」
先生が優しく微笑む。
キラキラ光るピアスを手に取り、耳に刺す。これだけで大人になれた気がする。
先生が立ち上がり、ネックレスを手に取り背後にそっと近づいた時、うなじに軽く触れた感触。
思わず振り向くと、頬に軽く口づけをしてくれた。
誰もいないとは言え……
こんな広い空間で……
手を差し伸べる先生の手に重ねる。
そのまま真っ直ぐピアノに向かう先生の後を付いて行くと、ピアノの椅子の直ぐ横の椅子を先生が指さした。
「カンパネラで良いのか?」
「え? 弾いてくれるんですか?」
「カンパネラ誕生日の曲に向いてるか? あれ?」
先生が苦笑いする。
うん。そうとも言う。素晴らしい曲ではありますが短調の曲です。
でも、先生の音でラ・カンパネラを聴いてみたかった。
「ラ・カンパネラを聴いてみたいです。御神 貴志で」
世界一を取った先生のピアノの音を。
天才音楽家、天才ピアニストと言われた先生が、私の為だけに弾いてくれる演奏会がこれから始まろうとしていた。




