40.君はシンデレラ
──煌くシャンデリアの光に包まれる中、ステージに鎮座する漆黒の艶めくピアノ。
白と黒のコントラストに、金色に輝くフレームが黒い鏡に反射してその王たる風格を物語っていた。
先生が静かに椅子を引き、その美しい指が鍵盤に触れた瞬間──
大聖堂の鐘が鳴り響く──
何度も聴いたことがある『リスト作曲の ラ・カンパネラ』
鐘を意味するカンパネラが、静寂と沈黙を切り裂くように鳴り響く。右手続く鐘の音が正確なのに、何故か官能的で叙情的。
先生の指が旋律をなぞるように動き、流れるように連なる。
一箇所だった大聖堂の鐘の音が、街中の教会の鐘を鳴らし連鎖し、荘厳な音が渦となり打ち鳴らす鐘の音がついに爆発した。
こんなにも涙が溢れそうになるカンパネラは初めて聴いた。
まるで一本の映画を見ているような錯覚に陥る。
これが世界を感動させた御神 貴志のカンパネラなんだ……
先日の天野先生のカンパネラとは全く違うものになっていた。
ラストの夥しい音の洪水から静かに鐘の音が遠くになり、拍手を贈ろうとした瞬間だった。
愛の夢?
同じリスト作曲の『愛の夢 第3番』が甘く優しく始まった。
これって……リストが恋人に贈ったって言う曲よねえ?
「永遠の愛」として。
先生が、私の顔を見ながら微笑む。
椅子の端に先生が寄り、隣に座るように空いたスペースに視線を移した。
正調ではなく、よりスローテンポで紡がれる甘い調べ。
時折、私の顔を見ながら優しく微笑む。
甘過ぎる調べに、心の奥底が痺れ疼く。
左手だけになる旋律。
突然首に手を回され、そっと優しく甘い口づけをされた。
こんなことされたら……
ほんの一瞬だったけれど、頬が熱くなる。
愛の甘い調べが終わった時。
ピアノの奥にあった、ピンクの薔薇の花束を先生が手に取る。
「おめでとう」
甘く優しい声で微笑む顔は、とろけるほど極上なプレゼントだった。
何これ、先生かっこ良すぎじゃない。ズルい。
これじゃ、怒れないじゃない。
こんなことされたら。
会えない寂しさに怒れないじゃない。
もう。ズルいです……
静かに瞼を閉じてほんの少しだけ背伸びして待つ。
それに応えるように、何度も優しく啄むように繰り返し愛を注いでくれる先生に、我慢できず思いっきり抱きついた。
「俺さぁ。この後帰るんですけど。やめてもらえませんか? 行けなくなるから」
そう言って先生が笑いながら、私の手からスルリと逃げた。
「行くの止めるって言うのはどうですか?」
「そしたら、3月に帰って来れなくなりますけど?」
「ぇ?」
「契約上色々あるんだよ。大人の事情って面倒なのがな」
「私も、今日から大人だもーーん」
何ですか? その顔は?
むぅうう。
「せんせ? 記念撮影会しても?」
「……」
◇
「何でお前の誕生日なのに、俺の写真ばかり撮るんだよ」
「私の誕生日だから?」
「は? 意味分からん」
そんなの当たり前じゃないですか! もう何言ってるんですか!
先生が丸ごとプレゼントなんですから!
──「宜しければ、ご一緒にお撮りしましょうか?」
神降臨!
お店の方が声を掛けて下さり、撮影会が続いた。
至福の時。
◇
「もう充分だろ。飯食うぞ」
「やっぱり食べるんですね」
「昨日の朝から何も食ってませんので」
「ぇ?」
「夜乗って、着いて直ぐ来たから」
「すいません……」
先生って良く生きていられるわよねえ。
凄すぎるわ……
すごおおおいい!
なんか凄い料理来たーーー!!
「これ鶏肉?」
「羊」
え?
羊さん食べるの??
「メリーさんのヒツジ大好きだったのに……」
「お前それ言いだしたら、いくらでもあるだろ」
「他は知らないもん」
「三匹のこぶた」
「あれ歌ありました?」
「あるだろ?」
「鳥も、じゃあお前食えないな」
「………」
「素敵な料理を目の前にして言う内容では……」
「お前が言い出したんだろ? まあ感謝して食しなさい」
「羊さんごめんなさい」
「やめろそれ」
「ぁあああああああ!」
「な、何? びっくりするだろ
「先生ごめんなさい!!」
とんでもないことを思い出してしまった。
御神 貴志の長年のファンとしてとんでもない失態を!
「何?」
「怒らないって約束してくれます?」
先生の顔をまじまじと見ながら聞いてみるが、その表情は変わらない。
「内容による」
「先生って逆に、怒る時って何ですか?」
何が怒る時なんだろう?
今まで大抵のことは許してくれた。
あんなことをしたのに、それでもこうして……
先生が本気で怒ることって何なんだろう?
「もう一回黙って逃げた時」
そんな目で見ないでください……
もうやらないですから。
「……もう絶対しません」
「で? 何だよ」
「怒らない?」
「さぁな?」
笑いながら言った先生の顔が優しすぎて、何をしても許されそうになってしまう。
「先生の誕生日……私。ごめんなさい……」
「あぁ、ちょうど逃亡中の時か」
「逃亡中って……」
その意地悪そうな目で見るのはお止めください。
胸が痛いです。
本当にごめんなさい。
もう二度としないってお約束しますから。
「俺から離れたくなったら、黙って去らずにちゃんと言いなさい」
「そんなことあるわけないじゃないですか!!」
「どうだか?」
「意地悪……」
「何ですか? じっと見て?」
「いや?」
「何ですか? ちゃんと隠さないで言って下さい。もう隠し事はしないって約束して下さい!」
「わかったって」
「で?」
「ん?」
「いや、さっきの続きです。何か言いたそうだったから」
「綺麗になったな。と思って」
突然の言葉に、驚いて息が止まりそうになった。
まさか、先生がそんなことを言ってくれるなんて。
何を聞いてもいつも、上手くはぐらかされてばかりだったのに。
「泣いてもいいですか?」
「駄目」
「だって……先生から、そんなこと言って貰える日が来るだなんて。私だけが先生のこと好きだと思ってたし」
「好きじゃなかったら5時間だけのために片道14時間掛けて来ないだろ」
「……はい」
初めてちゃんと言ってくれた……
それが嬉しくて我慢していた涙が止まらなくなった。
「泣くならベッドの中だけにしろよ」
「何でですか?」
「止める自信あるから」
憎たらしいぐらい格好良い顔で、優しく微笑んだその瞳に映り続ける大人の女性に早くなりたいと、心から願った。
「そろそろ時間かな」
「……はい」
先生が椅子から立ち上がり、両手を広げた。
その胸に飛びつくように走る。
強く抱きしめてくれた腕の中、このまま時間が止まればいいのにと。
「春までもう少し待ってろ。ちゃんと奪いに行くから」
「はい……」
そっと先生の顔が近づき、優しく口づけをしてくれた瞬間だった。
「教え子に手出すなよ」
「本当にもう」
「あら、お邪魔でしたかしら? 約束の時間よりちょっとだけ早かったかしら?」
「え?」
「誕生日にこのまま一人だと悲しいと思って呼んだ。帰りは由紀に送ってもらえ」
「ぇ? って、せんせ? 手……」
高科先生と天野先生、それにお姉さまの前で……
「いつまでイチャついてんだよ。エロ教師が!」
「ハグは世界共通ですよ?」
抱きしめられたままサラリと言う先生の涼しい顔が面白くて。そしてそれに怒る高科先生も。
「離れなさい。エロ教師」
「うるさい叔父さんだなあ。花音」
あ! 忘れてた! 叔父さんだったんだ!!
「早く帰れよ。エロ教師」
「エロ教師って、俺まだ手、出してないからな?」
「え?」
「嘘? あの御神先生が?」
「あらぁ?」
「せんせ? あのって? どういうことですか?」
「天野、カンパネラから鬼火に変えても良いぞ」
「い、いえ。結構です。はい。ささ先生、お時間がそろそろ?」
その言葉に、先生は私の額にそっと口づけした後、もう一度「おめでとう」って優しく言ってくれて、少し急ぎ足で去って行ってしまった。
でも今まで生きてきて、一番嬉しい誕生日になった。
ありがとう先生。
そして私の大事な愛しい人。
◆◆おまけ◆◆
フランツ・リスト作曲:ラ・カンパネラ
同:愛の夢第3番 ※同じシリーズで3曲ある3番目の曲
同:鬼火 超絶技巧練習曲第5番 変ロ長調「鬼火」が正式名称のその名の通り超絶技巧最高レベル曲




