27.テンペスト
──覚めなければ良いのにと思った「夢」は無情にも覚め、気づけば既に想い人は機上の人となっていた。
現実に引き戻された私は、今日も急いで朝の支度に追われていた。
ただ今日はいつもと違い、一学期終業式で明日からは夏休みとなる。寮生の中には帰省し、夏休みを家族と共に過ごす者もいた。
でも私には「家族」はもういない。
そして帰るところもなければ、行くところもない。
唯一保護者と言える保証人はイギリスに行ってしまった。
夏服にいつの間にか変わっていた制服に身を包み寮を出る。
何故かいつもと違い「おはよう」と声を掛けても「おはよう」と返事は返っては来るが、何処か皆が余所余所しく感じる。
「おはようございます!」
「あ、お、おはよう」
「お、おはよう」
皆、私の顔を見て視線を合わさず逃げるように去って行く。
何か私、嫌われることでも? 今まで受けた酷い意地悪? な感じではないのだけれど……
「あ、職員室に行かないと! 天野先生に夏期講習の申し込み出してなかった!」
急いで職員室に走る。
──ガラガラッ
「失礼します。桜井です」
「さ、桜井? ど、どうしたの?」
天野先生? 咄嗟に何か隠した?
御神って見えた気がしたような?
「夏期講習の申し込みに今日の11時までだったので」
「あ、ああ。そうだったね」
「先生?」
不自然に笑った天野先生の雰囲気と、先程チラリと見えた「御神」の文字が気になり、天野先生に詰め寄る。
「天野先生、何か隠しましたよねえ? 見せて下さいな?」
「い、いや? な、何も?」
天野先生の不自然過ぎる笑顔が、余計に気になってしまう。
「お、早いな? 終業式までまだ時間あるのに?」
「高科先生! おはようございます!」
「ん? 天野ちゃん? どうしたの?」
天野が桜井の後方で俺に必死でジェスチャーしている。その視線はデスクの上にある新聞を見ていた。
──なるほどな。
桜井のこの表情からして、奴が何も言わずに去ったことを察した。
奴から託された「依頼」を受けた以上、俺から言わなければならない。
「桜井、天野ちょっといい? 天野それ持って来て」
俺の決意を察した天野は無言で立ち上がり、職員室を静かに出た。
◇
レッスン室に珍しく鍵を掛ける高科先生の行動に、これから始まろうとしている事に不安がよぎる。
「天野、それを桜井に」
「高科先生!!」
天野先生が珍しく声を荒げ、高科先生に掴みかかろうとした。
私はその光景に驚いたのと、天野先生がそんなに取り乱すような内容が、それに書かれているのか? と思うと、不安さが一気に加速する。
『御神 貴志独立か? 新進気鋭、若き天才バイオリニスト マイヤー・グラスノーを連れて新たに始動開始! 御神に新恋人か?』
新聞の見出しに大きく書かれていた文字を見て、私は息の仕方を忘れていた。
「どういうこと?」
手足が震え出し、頭の中が真っ白になり、空気が薄くなった時、誰かの声が聞こえた。
「桜井! しっかりしろ!」
「桜井、大丈夫? 高科先生! 救急車を!」
「大丈夫か?」
真っ白だった世界の中に、ぼんやりと高科先生の顔が見え、段々と輪郭が鮮明になって行く。
その後ろで泣きそうな顔で見つめる天野先生の姿があった。
抱きかかえられた高科先生に、無言で頷く。
「すいません。先生。もう大丈夫です」
高科先生が私の言葉を聞き、ゆっくり気遣いながら椅子に下ろしてくれた。
「ごめんね。いきなりはちょっとキツかったね」
高科先生が頭を撫でながら優し掛けた言葉に、私は無言で首を横に振る。
高科先生だって辛かったに違いないことが、私にもわかっていたから。
「実は少し前に貴志から俺達にも誘いがあったんだ。御神財閥の援助ではなく、自力で自分のオケを作るから一緒にやらないか? ってね」
「先生達もですか?」
「全公演は流石に無理だけど、日本公演はじめとして、数カ所と今は思っている」
感情を押し殺したかのように淡々と語る高科先生の最大の気遣いが、優し過ぎて余計に胸を締め付ける。
「日本公演もあるんですね……」
高科先生は無言で頷いた。
先生はその「初めて」を私ではなく、他の女性を指名した。
しかも恋人って……
それは「神」からの決別の宣告だった。
夢はいつかは必ず覚めるもの。
その「いつか」が現実となる日がまさかこんなに早く来るとは……
「桜井、御神先生だってきっとこれには何か考えがあってのこと。だから君がバイオリンを続けていれば、きっといつか必ず……」
天野先生の言葉に、高科先生が途中で制した。
「辛いかもしれないが、これが今の現実だ。無名の新人「桜井 花音」と、各所のコンクールを受賞し、18歳でプロデビューを果たした天才少女マイヤーの何方を大事な初演に使うかと考えたら、俺でも後者を取る」
「はい……」
高科先生の言っていることは至極全うで正論だ。そしてその選択をした先生も当然のことをしたまでだ。
せめてソリストが男性バイオリニストであって欲しかった。と願うのは「音楽家」として失格だと言うことも。
「俺達はそれでも君が貴志について行く。いつか彼に認めて貰いたいと思う気持ちがあるのなら、全力でサポートするつもりだ。それだけは忘れないでね?」
「そうだよ? 面倒くさい子だけどね、乗りかかった船だからね」
「面倒くさいって……天野先生」
二人の気遣いが痛い。
涙が落ちそうになるのを必死に堪えるだけが、今の私には精一杯だった。
「ありがとうございます。終業式の会場に行きますね」
頭の中で分かっていてもどうすることも出来ない気持ちと、先生達の私を気遣う気持ちに申し訳なく、その優しさから目を背けるように部屋から逃げ去った。
いや、現実から逃げたかった。
「今話より第4楽章突入になります」
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