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御神先生の秘蔵っ子  作者: 蒼良美月
第三楽章 乙女の祈り

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20/23

20.新たなる試練の予感

 長いと思っていた日々が「夏の夜の調べ公演」通称「夜宴」の練習や準備で、周りもバタバタし始めたこともあり、私も幸い忙しくなり、先生に会えない辛さや寂しさを何とか、それで気を紛らすことが出来ていた。


「桜井さん。原稿確認しておいてくれる?」

「はい、有り難うございます」


「この後14時から板付きリハになるから、移動になるけれど、学生さんは私達か先生で乗り合わせるから玄関に集合ね」


「はい。宜しくお願いします」


 夜宴に選ばれたことで、こうしてアカデミーの方々と話す機会が出来て、色々教わることも出来るようになったのはとても私にとっては心強く嬉しいことだった。


「お? 恭子じゃん。協奏曲だよなぁ?」

「高科先生、たまにはこっちにも顔出して下さいよ」


「ビオラは専門外だからなあ俺、あ、うちの姪っ子だ。頼んだよ?」

「ビシバシ行きます!」


「……」

「じゃあ、後でね桜井さん」

「は、はい!」


「恭子は良いぞ。腕も勿論確かだが、彼女の一番はみんなを纏めれる力だ。恭子をよく見て勉強するんだね。桜井も」


 高科先生の言葉に驚いた表情を私がすると、高科先生が続けた。


「いつかは貴志の指揮でオケに立ちたいんじゃないの? その時ファーストで貴志に指名されたいんでしょう?」


 第一バイオリン奏者。オーケストラの顔。そして指揮者の片腕ともいえるコンサートマスターを務める者。オケメンバーのリーダーで皆を引っ張っていく役目。


 そんな大事なポストに私が?


 指揮者からの直接の指示他、全ての意図はリーダーのコンマスに伝えられる。

 コンマスから皆に伝達される。


 その大事な役を、御神先生の舞台で私以外の他の人がその「役目」を行っている姿を想像する。


 嫌だ。そんなの絶対嫌!


「ファーストを務めるってことは、当然バイオリンの腕は当たり前のこと。だけどそれ以上に大きな重圧がある。それが担えてこそ、世界の御神 貴志に認められることになる。その意味が分かるね?」


「……はい」


 自分のことしか考えてなかった。

 早く上手になりたい!

 早く先生に認めて貰って、早く先生と一緒に舞台に立ちたい!


 幼稚で愚か過ぎる自分が情けなくなった。


「厳しいことを言うよ。貴志の性格上、自分に墜ちていく女性に手を差し伸べることはしないよ彼は絶対に。分かるよね?」


「はい」


 守られる女は要らない。その言葉に私は約束をした。


「君が彼の瞳に映り続けたいのであれば、彼を魅了し続けなければいけない。音楽でね」


「はい……」

 先生を魅了し続ける……

 私にそんな凄いことができるのだろうか。


 先生が言った言葉が蘇る。


「御神 貴志を超えてこい」あの言葉が先生の全てだろう。

 逆にそれが出来ないのであれば、切り捨てられる。

 そんな世界に私は飛び込んだ。


 高科は、妹を支えてやりたい気持ちと、強く育てないといけないと思う気持ち。

 そして「御神 貴志」から離れて彼女自身を持つことを教えていかないといけないと思うと、複雑な気持ちだった。


 今朝、早くに奴から届いたメール。


『金の目処がつきそうだ。ただ条件としてマイヤーを使うことになった。そのうち出ると思うがそれまでは極秘で。そっちもそのつもりで準備しといてくれ』


 マイヤー・グラスノー 18歳

 御神 貴志同様天才少女だ。

 現在、世界における若手バイオリニストの中では間違いなくトップクラスは彼女だろう。


 世界的有名な二人のタッグだ。スポンサーが付くのは納得いく。

 ただ、そこまでして? 御神財閥から離れてまで世界が欲しいのか?

 桜井ではなくマイヤーで?


 高科は何とも言えない気持ちで一杯だった。


 自分も世界の舞台に再び? そのことには正直嬉しかった。

 もう一度あの世界へ。あの感動を味わえると思うと胸が高鳴る。


 でもそれは御神 貴志が指揮する世界で、天野がピアノを弾き、自分がセカンドでまわりをサポートし、そして姫と王子をサポートする。


 そんな温かな仲間と一緒だからもう一度一緒に夢を見てみたいと思った。

 それが……


 まさか自分の愛弟子切るとはな……


 マイヤー・グラスノーかぁ……


「またえげつないの連れてきたな……」


 高科はつい本音がポツリと出てしまう。


「え?」

「あ、何でもない。板練習だろ? そろそろ用意しなよ?」

「はーーい」


 当然と言えば当然である。

 大金が一晩で消えるか、降ってくるかの世界だ。


 いくら世界の「御神 貴志」とは言え、無名の新人を抜擢する程、馬鹿ではない。

 全オケメンバーの生活を背負っているのだから。


 桜井には高すぎる壁に、彼女のこれからが心配になった兄であった。


「とりあえずは目の前の壁からだな。先のことを今から考えても仕方ない」


「何の話ですか? 高科先生?」


「ビシビシいくぞお。桜井!」


「ぇ?」


「今日の板付き完璧に仕上げること。ミスしたら明日から一時間毎日延長! あとレッスン中はスマホ没収!」


「う、嘘でしょ? せ、先生?」


「嫌ならノーミス! 時間は限られてるんだ! 一秒たりとも無駄にするな!」


「は、はい」


 どうしたんだろう? 高科先生。最初の頃の鬼に戻ったような。


 鬼と言うよりは、鬼気迫る感じ? でも、高科先生の言う話は正しい。今の私に一秒の余裕なんてない。




 ◇



「桜井! 二小節目からもう一回! お前舐めてんのか? 何処の世界にお菓子の国でそんな(しか)めっ面の女の子がいるんだ! 音が堅いんだよ!」


「天野、音抑えるな! 引き立たす必要ない! 自分で取らせろ!」


 勘弁してくれよ……

 高科先生、僕にまであたらないで下さいよ。

 いくら姫の為とは言え……


 天野は少しふくれっ面したが、高科に笑顔が消えた理由が天野にも分かっていたため、久しぶりに「伴奏者」として引き立て役として弾くことを止める決意をした。


「桜井! ピアノにつられるソリスト何処にいるんだ! 馬鹿やろう!」


 夜宴に向けての舞台稽古。学校主催の音楽祭に、収容人数2000人の大ホールで行うことは本来はありえない。


 御神財閥所有ホールの使用料が、今回無料で貸し出しされる利点があるから実現する特別な日。


 出演する生徒達やその家族達にとっては一年に一回の大イベントであった。

 いわゆる「学園祭」と同じぐらい学生達も熱が入る。


「た、高科先生? 申し訳ないのですが……そろそろお時間が。他の子も待っておりまして……」


 白井 恭子、アカデミー4年生。今回の夜宴のリーダーであった。


「あ、悪い恭子。すまなかった」

「は、はい。随分大事に育ててらっしゃるんですねぇ?」

「まだまだ素人に毛が生えた程度だからなあ」


「いえ。そういう意味では。先生が昔教えてくれた、楽譜の中に留まるな。あれで私、変われたんですよ?」


 俺は、恭子の言葉に頭を殴られたように、ハッ! っとした。 


 楽譜通り、基礎通りを教えなければならない。早く成長させなければいけない。

 あの御神についていけるだけの技術をつけてやらなければならない。


 でも、そんなのは「音楽」ではない。


 彼女が面接の時に弾いたパガニーニ。

 姿勢は無茶苦茶、ボーイングもアップダウン逆や、粒は揃ってない。


 弾き方自体は一目見てわかる「音楽学校生徒」には程遠いものだったにも拘わらず。

 俺達は言葉を失った。


 単に「御神音楽」が目の前で再現されたことに驚いたのではない。

 あの無茶苦茶な奏法から、紡がれる恐ろしい程の音の量。

 全てが叫んでいた。


「私を見て。私をもっと聴いて」と。


 その思いに俺達は引き込まれた。


 間違いなくあの日、あの時、あの部屋を支配していたのは、御神 貴志ではなく無名のド素人、桜井 花音、彼女であった。


 恭子が言った「大事に育てた」俺のせいだ。


 テクニックばかりに気をとられ、彼女の最大の武器である奔放さや危うさ、純粋さや激しさ。その良さを全て俺が消してしまっていた。


 彼女の翼を折って籠の鳥にしてしまったのは俺だ。


 貴志が、潰れてしまうかもしれない? と分かった上で今、手放すことに俺は憤りを感じていた。


 馬鹿なのは俺の方だ。


「やっぱりお前は凄いよ」


 初めて本気で愛した女を、自らの手で刺し殺してしまうかもしれないと分かっていて、踏み切った男に改めて、自分との格の違いを痛感していた。


 もし失えば……

 きっとあいつは。


 自分の音楽家生命の全てを捨てる覚悟で、ド素人と本気で心中する覚悟を決めたであろう男の潔良(いさぎよ)さに笑っていた。


「負けられないな俺も」



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