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妖怪画家と雇われ妻、そして狸 〜大正広告結婚はあやかしの色〜  作者: 平本りこ
第三話 この場所で生きるため、妖怪画家と雇われ妻そして狸は光を描く

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16 私にください

「敬意を示せとは言っていない。何をしているのかと訊いたのだが」

「穴を掘っておりました。父上にお会いするために」

「……つくづく愚かな。言葉も出ぬわ」


 盛大な嘆息と同時に、父龍が指を鳴らす。ぱちり、と軽やかな音が洞穴内にこだまする。


 刹那、暴風は止み、雨脚が途切れ、やがて空から光の筋が降り始めた。法螺貝の唸りは治まり、微かに震えていた地面も落ち着きを取り戻している。


 龍は、神にも近しい妖怪だ。露景(ろけい)のような、混血の半端者とは違う。本物の龍の力は圧倒的である。


「それで、何ゆえ私を呼んだ」

「巫女が、山神に奪われました」


 露景とほとんど変わらない年頃の容貌をした父は、眉一つ動かさない。彼はきっと、全てを把握しているはずだ。にもかかわらず、白々しく反芻する。


「巫女?」

「あなたが印をつけた娘のことです。龍の妖力を分け与えられた、龍の眷属。お忘れではないでしょう」


 自身の右腕を示しながら問えば、父は小さく鼻を鳴らした。


「印がついたのは、偶然だ。我が湖に落ちた時、あの娘は負傷していたのだ。傷から流れる血で水を汚されるのが鬱陶しかったゆえ、癒したまでのこと。あの娘に、何かの役目を負わせる予定はない。それゆえ別に、誰にやったところで些細な問題だ」

「誰にやってもいいのであれば、私にください」


 秀眉に皺が寄る。


「穴守風情が巫女を求めるか」

「穴守である以前に、私は龍。この身体にはあなたと同じ血が流れています」

「龍だと?」


 聞く者を凍えさせる声である。まるで、薄氷の張る湖面のようだ。


「鋭利な爪牙も堅強な鱗も持たず、ただ柔い肌に覆われているだけのおまえがか? それどころか、狸ほどの妖力もないくせに、何と身の程知らずなことか」

「そうおっしゃるのならば、なぜ彼女を私のところへ導いたのですか」

「……ほう?」


 父の冷え切った表情に、一筋の愉快が過ぎる。その反応に確信を得て、露景は推測に導かれた言葉を続けた。


「確かに、印がついたのは偶然かもしれません。ですが、那子(なこ)さんは新聞の広告を見て私の元へやってきました。たまたま半龍との縁談が浮上した女人が龍の印を得ていたなど、あまりにもでき過ぎた話です。那子さんをこの山に導いたのは、父上、あなたでは?」


 少し前から、疑念は抱いていた。だが、ただの憶測が明瞭な輪郭を形作ったのは、那子のことを語る父の反応だった。


 露景は乾いた唇を湿らせてから口を開く。


「穴守に据えた息子が救いようもなく劣っているとお考えになった父上は、半端者の息子ではいつか役目を果たせなくなると確信された。かといって、代わりとなるに相応しい者は手近に存在しない。そこで、父上は思い出した。以前、意図せず妖力を分け与えた娘がいる。無論、彼女に穴守の任は重たいだろう。ならば、二人で一人前。巫女を半端者の元へと送り、共に穴を守らせればいい。だから父上は、那子さんがここへくるように根回しをした。違いますか?」


 露景が結婚広告を出した東東日報(とうとうにっぽう)は安定的な発行部数を誇る有名な日刊新聞だが、那子が育った見澤(みさわ)家では定期購読していなかったという。ならばなぜ、那子の伯母は広告を見たのか。


 その理由について那子は以前、風に吹かれた紙面が庭に舞い込んできたのだと言っていた。この期に及んで、これら全てが偶然だと考えるのは滑稽ですらある。


 案の定、父は黙り込んでいる。露景は最後の後押しをした。


「彼女を山神の手元から連れ帰りたい。父上に、その手助けをしていただきたいのです。彼女と共にあるならば私は、あなたの愛息子である法螺貝を、飛翔の日まで穏やかに鎮めることができましょう。最初からあなたはそのつもりだった。ならば反対する理由はないはずです」


 息の音すら聞こえそうなほどの沈黙が訪れる。やがて、静寂の幕を揺らすように、父は微かにため息のようなものを吐き出した。


「確かに最初は、おまえの言う通り目論んでいた」

「ならば」

「だが今となっては無意味だ。おまえにはもう、この穴は守れぬ」

「そんなこと」


 反射的に反駁した、その瞬間。


 ――ブレイモノ。


 強烈な意思の塊に、がん、と頭を殴られたかのような心地がした。鼓膜を介さず直接脳に飛び込んできた声。滲み出る神威に総毛立つ。


 ほんの一瞬の後、世界が淡く発光した。やわらかな色調ではあるものの、喫驚に目を閉じてしまう。瞼を透かすほどの光条が落ち着いてから薄ら瞼を持ち上げる。洞穴の入り口には、黄金色の瞳をした白銀の山犬が優美に首を伸ばして立っていた。


「いったい何事か。龍ほどに力も分別もある妖怪が、神域荒らしの無礼を働くとは。山神様はいたくご立腹ですぞ」

「ほう、山神の神使か。それと」


 父は青緑の髪を揺らめかせながら振り返る。その視線を追って、露景の鼓動が一跳ねした。


 洞穴の岩壁の死角から、白い着物を纏った女が現れたのだ。


 周囲に気後れするように、目を軽く伏せている。やがて、躊躇いがちに睫毛が揺れて、瞼が持ち上がる。おずおずと向けられた黒い瞳を見て、露景の胸は、強烈な熱にかき乱された。


「那子さん」

「おっかさん!」


 露景の腿に張りついていたたぬ子が、半ば転がるようにして那子の元へと走る。那子は今にも泣き出しそうにくしゃりと顔を歪めて屈み、半狸姿のたぬ子を強く抱きしめた。


「おっかさん、たぬを置いていなくなっちゃうのかと思った」


 那子は口を開いたが、言葉が続かない様子である。彼女の葛藤が察せられ、露景は胸部を圧迫されたような息苦しさを覚えた。正式に巫女となったのならば、山神から許しが出るまでは、人の営みの中に戻れない。すぐにまた、露景やたぬ子から離れて山に戻ってしまう。


(そんなこと、受け入れられるはずがない)


 露景は込み上げる激情のまま、言葉を詰まらせる那子に手を伸ばした。


「那子さん、たぬ子と一緒にこちらへおいで」

「旦那様」


 弾かれたように持ち上げられた顔には、戸惑いと……確かな歓喜が宿っている。


「大丈夫。私が何とかするから。だから、帰ってきてくれ」


 那子の目がゆっくりと見開かれる。しかしその頬は、すぐに強張った。きっと、巫女としての己の責務が脳裏を過ったのだろう。葛藤する彼女の思いが、手に取るように理解できる。


 悩まなくていい。どんな宿痾を抱えていようと、全て受け止めよう。どうかその身一つで、戻ってきてはくれまいか。


 口下手な露景には、上手く言葉にできない思いの欠片たち。不器用な口を忌まわしく思いつつ、見つめる眼差しを筆にして、彼女の前に心を描く。


 真っ直ぐに視線を受け止めた那子は数秒、苦しげに眉根を寄せた。やがて意を決したように唇を引き結ぶと、たぬ子を抱えて露景の腕に飛び込んだ。


 躊躇いも恥じらいもなく、露景は腕の中の温もりを強く抱きしめた。


 儚くて柔らかくて。これほど薄い背中に、法螺貝と山神のいざこざを背負わせようとしていたことを知り、自己嫌悪がちりちりと火花を上げる。そして、彼女にその選択をさせてしまったのは露景の不甲斐なさゆえと思えば、行き場のない憤りが全身で暴れ回る。


(私が守るべきだったのに)


 合わさる体温で肌が溶け、このまま一つになってしまうのではないかとすら思われる。そんな抱擁の熱を、露景と那子の間で押しつぶされていたたぬ子が上げた抗議の声がちょうどよく冷ました。


「うう、たぬ、苦しい」

「あ、ごめんなさい」


 慌てて身体を離した那子の熱が名残惜しい。


 ふう、と息を吐いたたぬ子の頭を撫でてから、那子がおずおずと目を上げる。


 いつも通り、相手の顔色を窺うような上目遣い。素朴な野花のように可憐でか弱げだ。しかしその眼差しの奥には、どこか力強いものがある。涙の膜が張った那子の黒々とした瞳を見つめてから、露景は彼女の右腕を取って囁いた。


「那子さん、すまない。腕を見せてくれ」

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