12 巫女になれますか?②
足元から、飄々とした声が割り込んだ。
山奥に戻ろうと、淡泊な後ろ姿を見せていた白銀の山犬が、声に応えて肩越しに振り向いた。
「何だ猿」
「けっ、相変わらず横柄だなあ。猿猿言うが、俺は覚だぜ。あんたら二人の心の中が読めるのさ。片方の心だけ読んでいたら意味を成さないおぼろげな記憶の断片も、二人並んでくれれば理解できることもある。神使殿が巫女の話をする時に必ず思い出す、月夜の血腥い出来事。それと、那子の記憶の底に封じられた母親との別れの記憶……なあ、俺、すごいこと知ってるんだ。聞きたいか?」
「もったいつけるでない」
不機嫌に言いつつ、山神は身体を反転させた。那子と山神に挟まれる位置に二足で立ち、覚は口の端をめくり上げてにやりと笑う。
「那子の母親は、先代の山神の巫女。許嫁と逃げた、あの女だ。巫女は山神から隠れて那子を産んだが、神使に見つかり追われることになった。最終的に那子は母親の手で湖へと逃がされたんだが、神使の一頭に噛まれちまう。あとはただ死を待つだけ、と思った時に、湖に潜む龍……この山の法螺貝や穴守の父親である妖怪の気まぐれで傷を癒され救われた。ほら、あんたが生臭いって言った龍の印の下には、あんたらの牙の痕があるはずだ」
山神が目を見張る。那子も、声が出なかった。
覚の言葉が真実ならば、那子は生まれ落ちた瞬間から、この山や露景と深いつながりがあったということだ。
(いったい何のでたらめなの。それほど都合のいい偶然なんてあるはずがない)
「でたらめじゃねえよ。かといって、偶然にしてはでき過ぎている。多分、那子がこの山にきたのは何らかの作為が働いているんだろうさ。それが何なのか、俺にはわからないが……おっと」
那子の困惑に答える覚を押しのけて、神使が再び接近する。有無を言わさず右袖を軽く噛まれ、捲り上げられた。きつく巻いたさらし布が、月光に青白く照らされている。それすらも強引に解かれて、抵抗する間もなく素肌が暴かれた。
赤黒い色の、醜い痣。まるで縄を強く巻き引き絞ったかのようなそれを見るだけで、嫌悪に吐き気が込み上げてくる。
神使は、それを凝視する。金色の瞳に驚愕を滲ませながら那子を見上げ、それから覚を見下ろす。
「では彼女こそが、山神様の巫女となるに相応しい血脈の」
「おっと、だめだぜ。軽々しく触れちゃあ」
那子に伸ばされた白銀の前足の前に身体をねじ込ませ、覚は豪胆に言った。
「取引だ、神使殿。巫女斡旋の報酬を寄越せ」
「報酬?」
鼻を鳴らしたのは神使だが、当惑は那子も同様である。
(私が褒美の種に?)
いいやそれよりも、急に声色を変えた覚の豹変振りに、思考が追いつかない。覚は那子に一瞥すら向けず、胸を反らせて神使と向き合う。
「俺の一族に縄張りをくれ」
「縄張り」
「そうだ。俺たち覚は根無し草。そろそろ、静かに腰を落ち着けられる場所が欲しいんだ。だからといって、他の妖怪の土地に横暴を働けば、山神は黙っていないだろ? それならさ、山神の神域になっている辺りを、ちょっと分けて欲しいんだ」
「ほう、ならばその娘は、そなたらの悲願を叶えるための取引材料ということか?」
「身も蓋もない言い方をすれば、まあな」
「そのために、娘に近づいたのか。何と利己的な」
「何とでも言え」
覚は悪びれずに答えてから、やっと那子に顔を向ける。呆然とする那子と目が合うと、一瞬だけ、何か鋭利なものに皮膚を薄く裂かれたかのように頬を引きつらせるが、すぐにいつもの飄々とした調子に戻った。
「悪いな、那子。だが、妖怪たちが俺ら覚をどんな目で見てどう扱うか、あんたも知っているだろ。ちび狸にしても鉱亀にしても、俺が覚だってだけで、信用ならない奴だと言って距離を置こうとした。だから、覚を気味悪がる者のいない、穏やかに暮らせる土地を手に入れるのは俺らの悲願なんだ。なあ、わかってくれるよな」
「じゃあ、覚は最初から……」
最初から、那子に山神の巫女となる素質があると知っていて近づいたということか。




