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妖怪画家と雇われ妻、そして狸 〜大正広告結婚はあやかしの色〜  作者: 平本りこ
第二話 まるで夏を切り取るように、妖怪画家は二人を描く

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1 英才教育というものかしら

「おっとさん、これね、だんご虫さん。それとこれがね、でんでん虫さん」


 りりりん、と涼やかな風鈴の音が響く。


 砂川(すなかわ)露景(ろけい)の仕事部屋。障子戸は開け放たれて、盛夏の強烈な陽光が、室内に金色の帯を投げ込んでいる。


 空の絵皿が積み重なり、瓶入り岩絵具の粉末がきらきらと光を弾く正面で、半狸姿をしたたぬ子が筆を握って畳にへばりついていた。


「でんでん、ぐるぐる……」


 少し動くのも億劫になるほどの気温である。たぬ子の額には汗が浮き、茶褐色の前髪がしっとりと濡れている。


 うだるような熱気の中、いったい何をしているのかといえば、お絵画きだ。それを見守るのは少々名の知れた妖怪画家、砂川露景。時折、露景自身も筆をとり、お手本らしき線をさらさらと書き加えていく。


「たぬ子のでんでん虫には愛嬌がある。そこで、ここをこうすると……」

「おおー」

「それと、でんでん虫は宙には浮かない。彼らはいつも、どこにいる?」

「うーんと、葉っぱ!」

「ならばここに葉を描いてみなさい」

「もっさもっさ!」


 午後の休憩に西瓜でもどうかと思い様子を見にきた那子(なこ)は、廊下と部屋の入り口辺りで覗き見をしながら、相好を崩した。


(英才教育、というものかしら)


 などと考えてから、いいや、多分違うだろうと首を振る。二人ともただ、楽しんでいるだけである。


 たぬ子を見守る露景の瞳は柔らかい。父と遊べて大興奮のたぬ子は、尻尾をばたばたさせて上機嫌。微笑ましい光景に、家族の団らんを見た心地がする。まるで水に浸された色筆の先から彩りがじわりと広がるように、確かな温かさが那子の胸を満たしていく。


(雇われでも、血がつながっていなくても、いつかきっと本当の家族に……)


「おっとさん、でんでんあげる! あーん」

「私はでんでん虫は食べないのだ」


 ややずれている感が否めないが、まあそれもいい。


 那子はふっと笑みを深め、室内に声をかけた。


「旦那様、たぬ子さん。おやつにしませんか? 新聞社の方がくださった西瓜があるのですが」

「すいかっ!」


 ぱっと顔を上げたたぬ子の隣で、露景が意外そうに眉を上げた。


「新聞……東東日報(とうとうにっぽう)か。いつきたのだ」

「今朝です。旦那様が川に写生に行かれて、ちょうどご不在だった時間帯に。またきますとおっしゃっていましたよ」


 東東日報は、露景によく、妖怪絵の注文をくれる新聞社だ。懇意にしていることもあり、時々差し入れが届くのである。


「東東日報の青木さん、転勤されるのですって。後任の方はまだ決まっていないそうで……」


 その時、那子の言葉に被さるように「ごめんくださーい」と蚊の鳴くような声がした。幻聴か、と思い再び口を開きかける。しかしどうやら、声の主は実在するらしい。


「ごめんくださーい。……ほら、あんたも声を張ってくれよう」

「うむ。おおい、砂川先生」


 那子と露景は目を丸くして顔を見合わせた。


「まさか、東東日報?」

「いいや、今日の今日でそれはないだろう」

「それもそうですね」

「ねえ、おっかさん、西瓜……」

「ちょっと待っていてね」


 汗だくのたぬ子のつぶらな瞳に後ろ髪を引かれつつ、那子はばたばたと玄関へ向かった。


「はい、どなた様でしょう」


 玄関戸を開いたのだが、誰もいない。あるのはただ、竹垣の向こう側に広がる緑の森と、目に染みるほど鮮やかな蒼天である。


「あれ、やっぱり気のせい」

「おおい、ここだよ。こっちこっち!」


 踵を返しかけた那子の足元から、ささやかな大きさの声がせり上がる。那子は耳を疑いながら視線を下ろし、目に映ったものに「ひっ」と息を呑んだ。


「ふ、風呂敷包みの妖怪!」

「違うって。あたいたちが風呂敷を持ち上げてんの!」


 那子のつま先辺りで、四角い何かを包んだ縹色の風呂敷が、ひょこひょこと揺れている。しかもそれは、地面から拳二つ分ほど浮いているではないか。よもや怪異かと腰を抜かしかけた時。荷物の下から、ひょいと現れた顔に、那子はほっと胸を撫で下ろした。


「あ、鼠さんと、亀さん?」


 そう。風呂敷包を担ぐように持ち上げているのは、先ほどからちいちい声を上げている白い鼠と、金色の甲羅を背負った(まばゆ)い亀だった。鼠は人間の拳程度、亀は那子の顔面くらいの大きさである。


 それはそれで珍事だが、浮遊する風呂敷の怪奇は生き物の仕業だったと知り、いくらか気持ちが落ち着いた。たぬ子との同居のおかげで、不思議現象に耐性がついてきたのかもしれない。


 那子は目を瞬かせ軽い眩暈を振り切ってから、戸惑いながらも会釈する。


「失礼いたしました。お客様でしょうか」

「ああ、あたいら、ねずねと」

金助(きんすけ)じゃ。今日は、砂川先生に依頼がしたくてやってきたのじゃよ」

「ああ、それは。こんなに暑い日にご足労いただいて」


 砂川露景の依頼人ということは、彼らも絵を注文するのだろうか。


 ひとまず那子は、その場にしゃがみ、重たげな風呂敷を持ち上げた。ずっしりとした重量がある。たわみ方から推測するに中身は、書籍か雑誌か、とにかく紙の束らしい。


「で、人間の娘さん、あんた、誰だい? この前きた時にはいなかったけど」

「あ、私は……」

(雇われた母?)


 それはさすがに意味不明だろう。思い直して名を名乗る。


「那子、です」

「ふうん? 砂川先生のいい人?」

「あ、その」


 ねずねが、にやりと口の端を持ち上げた。人間じみた表情に、ぶわっと頬が熱を持つ。


 雇われとはいえ、対外的には一応妻なのだから、否定するのもおかしいか。しどろもどろになる那子を見上げ、亀の金助が、かぱりと口を開く。


「ほほう、初々しいのう。砂川露景も隅に置けんわい」

「砂川先生、やっとまともな暮らしをする気になったんだね」


 気心知れたような口調である。那子は軽く首を傾けた。


「失礼ですが、旦那さ……砂川とは以前からのお知り合いで?」

「うん、まあ、時々絵を描いてもらっていてさ。あ、その包みは謝礼だよ」

「そうでしたか。それはご丁寧に。さあ、どうぞ、中へ」


 那子に促され、ねずねと金助は、案外軽快な足取りで沓脱石に這い上がり、式台を経て上がり框に飛び乗ると、那子の案内で廊下を進む。


(ど、どうしよう。妖怪のお客様なんてどうやってもてなせば)


 再びくらくらと目が回る。那子はひとまず二人を客間に通してから、露景の仕事部屋に飛び込んだ。


「旦那様、ご依頼人でした! ねずねさんと、金助さんとおっしゃる……」


 再びたぬ子と筆を握っていた露景は、軽く眉を上げ「ああ」と大きく頷いた。


「あの夫婦か」

「じょ、常連さんなのですか?」

「まあそんなものだよ」


 露景は重たそうに腰を上げ、色の染みた筆をたぬ子に渡す。


「たぬ子、お片づけの時間だ」

「ええー。もっとお絵描きしたい」

「ずっと書いていると、目が紙にくっついてしまうぞ」

「! たぬ、お片づけする!」


 ぴょこん、とたぬ子の頭から茶色い耳が飛び出した。露景は娘の頭を軽く撫で、さらりと告げる。


「すまない那子さん。少ししたら向かうから、それまで客人の相手を頼む」

「あ、その」

「たぬ、お水汲みに行く!」


 引き留める隙すらない。縁側から飛び降りたたぬ子の後を追い、露景も庭の井戸へと向かってしまう。


 ぽかん、と二つの背中を見送って、那子は乾ききらない冷や汗でびっしょりになりながら、客間へと戻ることとなったのである。

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