13 お家へ帰るとそこには
平次に礼を述べ、山道を登り帰路につく。
やや行った辺りで、露景の腕の中の信楽焼が突然ぶるりと震え、白煙を上げた。煙が晴れるとそこには、茶褐色の毛皮に包まれた子狸の姿がある。
「うわああん。怖かったあ」
やはり、信楽焼はたぬ子であった。
露景の胸に頭をぐりぐりと擦りつけながら、たぬ子は呼吸が怪しくなるほどの勢いで泣いた。
たぬ子が嗚咽の合間に語ってくれたことによれば、騒動の経緯は那子たちが想定していた通りである。
かくれんぼの途中、つい楽しくなってしまい、ついつい家の敷地を出たたぬ子。那子を出し抜こうと置物に化けたはいいが、ぽかぽかと降り注ぐ陽光と軽快な小鳥のさえずりに眠気が湧いてきて、気づけばそのまま眠りに落ちていたらしい。
しばらくして目が覚めると、そこは見知らぬ民家の前であった。気が動転してしばらく硬直した後、狸姿に戻り山に戻ろうとしたのだが、その時ちょうど、露景たちがやって来た気配がしたため、咄嗟に再び置物に変化したのだとか。
「とにかく、怪我がなくてよかった」
無事を喜び、言いつけを破って遠くに行ってしまったことを叱り、最後に愛情いっぱい抱きしめると、泣き疲れたのかたぬ子は露景の腕の中で深い寝息を立て始めた。
異能を持ち、人間よりも逞しい妖怪とはいえ、まだ幼い子どもなのだ。そう思えば、那子の胸は愛おしさで満たされた。
だが、呑気に父子を見つめていられる立場ではない。今回の騒動は、那子の不注意が招いたことだ。一歩間違えば、たぬ子が大怪我をしたかもしれないし、命が危うい事態に陥った可能性もある。
那子はたぬ子が健やかな寝息を立てていることを確認すると、足を止めた。
「旦那様」
斜め前を進んでいた露景も立ち止まり、那子に目を向ける。
彼の肩越しに、砂川家の門が見える。帰宅してしまえば露景はまた、部屋に籠もってしまうだろう。ならばその前に、思いを告げなくてはならない。
「旦那様、この度は私の気の緩みでたぬ子を危険にさらしてしまい」
謝罪の言葉が喉の半ばまで出た時、露景がふと振り返り、那子の言葉は中断する。
自然と視線を追い目に入った姿に、那子は背筋を冷たいものに撫でられたかのような心地がした。
(山犬……?)
そう、砂川家の門前に佇みこちらをじっと見つめているのは、剽悍な獣であった。
咬合力の強そうな骨張った顎、ぴんと立てた三角の耳。なだらかに隆起する肩から背中の線は逞しく、豊かな体毛に覆われた長い尾は艶やかだ。
山犬、つまり日本の狼は那子が生まれるよりも前に絶滅したとされる。しかし、山深い地域ではなおも目撃情報が頻出しており、彼らはまだどこかで命を繋いでいるのではとないかと囁かれている。
だが、まるで露景たちの帰りを待っていたかのように視線を向けてくる山犬の体色は、神々しさすら覚えるほどの白銀だ。通常の山犬は淡い茶色をした個体が多いはず。ならばあれは、妖怪の一種だろうか。
「那子さん、たぬ子を連れて帰ってくれるか」
返事を待たずに、たぬ子の柔らかな身体が腕に押しつけられた。状況が読めずに目を白黒させている間に、露景は一足先に森を抜けてしまう。
山犬との間に、人一人の身長ほどの距離を空けて露景が立ち止まると、白銀の獣は人間じみた仕草で頭を垂れた。
「アナモリ殿。ご機嫌麗しゅう。お役目は順調なご様子で」
人語を操るということはやはり、ただの獣ではなく妖怪なのだろう。
山犬の言葉に露景の眉が軽く痙攣したが、それもほんの一瞬のこと。すぐにいつも通りの湖面のような顔に戻り、淡々と返す。
「ああ、シンシ殿も変わりなく」
聞き慣れない呼び名で交わし合う挨拶は、友好的な言葉の割に刺々しい。所在なく立ちすくむ那子に視線を向けて、露景は穏やかながらも断固とした調子で声をかけた。
「那子さん」
短い呼びかけに込められた意図を理解して、那子は主人と客に会釈をして、身を縮めながら門をくぐる。山犬の側を通った時、その鋭い眼光に身体の芯まで見透かされたような居心地の悪さを覚え、右腕の痣がぞわりと蠢き肌が粟立った。
何の声もかけられることはなかったが、山犬は、土間に上がり戸を閉める那子の一挙手一投足を奇妙なほどに凝視していた。




