第8話
翌朝、イオアンはイグマスの大図書館にいた。
カルハースに約束した通り、牢獄塔の図面を調べるためである。
公文書室は図書館の奥にあり、そのなかでも古い図面は見つけづらい場所にあった。一時間近く探しているが、牢獄塔の図面は見当たらない。
疲れ切ったイオアンは、書架を背にして座り込んだ。
足元には幾つもの図面と、収納する筒が散乱している。空気は黴臭く淀み、直射日光を避けるため、ほとんどの窓は閉ざされ、図書館は昼間でも暗かった。そばには図面を照らすための魔法のランプがある。
なぜ図面は見つからない――?
イグマスの牢獄塔は、城壁に組み込まれた防衛塔を改築したものだ。工事に図面を残すまでもなかったのかもしれない。
だが、色褪せた防衛塔の図面なら見つけることができた。中央に螺旋階段があり、幾つかの階は城壁への出入り口がある。つまり、そこから兵士が救援にかけつけるかもしれないということか――。
数百年前の羊皮紙を眺めながら、カルハースの仲間を助けだす手順を想像していると、不安で胸が苦しくなってきた。この防衛塔の図面だって、立派な軍事機密なのだ。なぜ調べているのかと問われれば、返事に窮してしまう。
イオアンは深呼吸して、心を静めた。
そして、さらに胃に穴が開きそうなのは、防衛塔の図面を密かに持ち帰ろうとしているからだった。石工でもない自分は図面の意味がよく分からないし、カルハースたちと一緒に見るほうがいい。
それでも心配だ――。
とイオアンはみぞおちのあたりを押さえる。
これは古い図面に過ぎない。図面は図面であって現実じゃない。やはり牢獄塔を下見したほうがいいんじゃないのか?
二階まで昇って、内部の構造を把握するのだ。
各階の独房の数、どれぐらい囚人がいるのか、扉の頑丈さ、鍵の仕組み、管理している獄吏たちの配置、そして出入口と逃走経路――それに脱獄を防ぐための魔法が付呪されているかもしれない。
そして、できることなら、ダマリというオークにも会ってみたかった。
仕方がない、牢獄塔を再訪しよう。
夜の会合まで時間はあるし、下調べをしないで酷い目にあうよりは、先に経験しておいたほうがいい――。
そう決心したものの、なかなか動けないでいるイオアンの耳が、何かを捉えた。
図書館の中に誰かいるのか?
時間が止まったような場所で聞こえる、遠くからの微かな足音――。
普段であれば閲覧者がいてもおかしくない。
タタリオン家の公爵夫妻が、エルフならではの知識と芸術に対する偏愛により、蒐集してきた膨大な書物や巻物、地図や図面などが、ここには収められている。
それを見るために、高名な学者や愛好者、歌の題材を求める吟遊詩人たちが、あちこちの属州から訪れており、すでに蔵書の充実ぶりは、帝都の帝国図書館を超えているという評判だった。
だが大図書館は、〈死者の日〉の前夜祭である今日から閉館していた。一般の者は立ち入ることはできない。緊急の仕事のため、写本室では学僧たちが作業に勤しんでいるが、自分のことは放っておいてくれと命じてある。
だからこそ臆病な自分でも、不安に慄きながら図面を探せていたのだ。それなのに何者かがいる――。
図面のことを知られるのはまずい。
ランプを消してやりすごすか?
この高さなら、下から見つかることはないだろう。
すると遠くから、
「図書館長様ー!」
と叫ぶ男の声が聞こえてきた。
この呼びかけ通り、イオアンは大図書館の館長だった。病弱なイオアンに配慮して、五年ほど前にタタリオン家が任命したのである。
では、あれは大図書館の学僧なのか?
しかし、聞き覚えのない声だった。とにかく自分がここにいるのを知って、誰かが探しに来たのだ。それに応えなければならない――。
「ここだ!」
とイオアンは短く叫んだ。
下を覗き込むと、窓からの日差しが届かず、底の通路は真っ暗だった。イオアンが目を凝らすとランプが見えた。ゆっくりと近づいてくる。
「降りるから、待っててくれ!」
と叫ぶと、了解したというように、下の通路でランプが上下に揺れた。
古い大聖堂を改装した大図書館は、天井近くまで書架が設置されており、高い足場が組まれている。いまイオアンがいるのは最上層の足場で、高さは四十メートルほど、十階建ての高さに相当する。
両手が塞がる梯子で昇り降りするため、大量の書物を運ぶのに、滑車式の籠が用意されていた。イオアンは防衛塔の図面を筒に入れると、籠で床に下ろした。何の変哲もない筒なので、中身は外から判別できないはずだ。
慎重に梯子を降りたイオアンは、床に着くと驚愕した。
防衛塔の図面が通路に広げられ、魔法のランプが照らしている。膝をついて図面を眺めている男の背中に、イオアンが怒鳴りつけた。
「おいっ、何をしている!」
ゆっくりと男が振り返った。
「ああ、イオアン殿。これはいったい……?」
イオアンはこの男を知っていた。
内務長官ギイス伯爵の懐刀とも呼ばれている、ダリル・サンガリアだった。




