第7話
「何が異常だって?」
とイオアンが声をかけると、シアの表情が凍りついた。
「わ、私は……」
「さっきの私の部屋でのことか?」
と訊ねながら、イオアンは階段を降りていった。
「ち、違います! 私、何も見ていませんから!」
とシアは頭を下げると、イオアンの脇をすり抜けて、ものすごい勢いで〈フリュネの誘惑〉に入ってしまった。
「ちょっと待て! まだ話が……」
とイオアンが声をかけたが、シアは戻ってこない。
「何なんだ、あの女は……」
イオアンは、シアが、エルの〈綺麗な首飾り〉を見ていたか確かめたかった。見ていたら口止めが必要になる。何が「異常」なのかも気になるが、それはまたの機会にしよう――。
イオアンがニナの前で片膝をつくと、まだニナはべそをかいていた。
「あの〈侍女〉に酷いことを言われたのか?」
「ううん……そんなことない」
とニナは涙を拭いた。
「シアは私のことを心配してくれるもの」
「そうか、それなら良かった。ところでニナ、頼みたいことがあるんだ」
「頼みたいこと?」
「いつもの仕事を、またお願いしたい」
「……」
「やはり何かあったのか?」
とイオアンは、真剣に考えているニナの顔を覗き込んだ。
「いつもなら喜んでやってくれるのに」
「イオアン様、私のお仕事っていけないこと?」
「どうしてそんなことを思う」
「だって、誰かの秘密を暴くのは悪いことでしょ?」
「そんなことはない。ニナの調査はとても役にたっている」
「本当に?」
「本当さ。この前だって、あのまま若い騎士の火遊びが続いていたら、それこそ複数の貴族を巻き込む大問題に発展していただろう。それをニナが密会の現場を押さえてくれたからこそ、あの程度の醜聞で済んだんだ」
「ならいいのだけど……」
「もっとニナは誇りをもっていい」
「そうよね!」
「ただし……公妃様の極秘の任務であることは、他の者には内緒だぞ」
「分かってる。誰にも言わないわ!」
ニナの機嫌が直ってホッとしたイオアンは、彼女の頭を撫でた。
イオアンにとって、ニナは重要な存在だった。伯爵家の嫡男という立場上、イオアンは白亜宮のゴシップなどもよく耳にするのだが、友人のいないイオアンは、それを分かち合う相手がいない。そこでイオアンは、話しても安全なニナに、そのような秘密の話題を「仕事」にかこつけて話していたのである。
物乞いであるニナが、どこまで上流階級の話を理解しているかは疑問だったが、彼女はいつも熱心に聞いていた。おそらく彼女にとって現実感のない、おとぎ話のようなものなのだろうし、話しているイオアンも楽しかった。
「ねえ、イオアン様?」
「うん?」
「それで、さっきのお仕事って……?」
「ああそうだ。ニナは〈暁の盗賊団〉を耳にしたことがあるだろう?」
「もちろん! 大活躍してるし、イグマスの人たちはみんな大好きよ!」
そうだった! 〈暁の盗賊団〉は市民たちに人気があるのだ。彼らは金持ちから盗み、それを貧しい者たちに分け与えることがある。ニナも盗賊たちを贔屓にしているのだろうし、頼むときは気をつけなくては――。
「今回は、その〈暁の盗賊団〉を調べて欲しいんだ」
「〈暁の盗賊団〉を! でもどうして?」
「その、ちょっと興味あってね……」
脱獄に協力してもらうためだとは言えない。
「市民に人気があるだろう? 私も一度は会ってみたくなったんだよ」
「ふーん。でも、みんなあれこれ言ってるけど、本当はあの人たちのことを、誰も何も知らないのよ」
「それは分かっている。だからこそニナの力を借りたいんだ。盗賊本人じゃなくてもいい。〈暁の盗賊団〉について詳しい人でもいいんだ。そういう人がいたら、是非とも私に紹介して欲しい」
「うん、分かった。調べてみる!」
「明日の夜また来るから、そのときまでに分かったことがあれば教えてくれ」
「じゃあ、さっそく準備するね!」
とニナは立ち上がり、下に敷いていた絨毯を丸めて、脇に抱えた。
「イオアン様、また明日!」
小走りで駆けていくニナの姿が、夏の夜の闇に消えていった。
ニナは今夜、どこで眠るのだろうか?
いつも不思議に思うのだが、イオアンはニナの暮らしについて立ち入ったことは訊いてこなかった。ニナもイオアンが偉い身分であるのは知っているが、それ以上は理解していないだろう。それでいいのだ。いまの関係を維持するためには、お互い適度に距離を保っているほうが――。
イオアンは夜空を見上げた。
月が丸い。あと四日で満月になるのか。
その前に、確実に脱獄を成功させる手立てを見つけなくては。
失敗したらカルハースたちは殺される。
私は運が良くても廃嫡され、追放されるだろう。
何者でもなくなった私が、危険な帝国で生きて行けるとは思えない。
鍵は〈暁の盗賊団〉にある。
彼らの協力が得られれば、すべて上手くいくはずだ――。
イオアンは思い詰めた表情で〈フリュネの誘惑〉に戻っていった。




