第57話
緊張を解くように息を吐くと、アルケタは質問した。
「そのしきたりと、抜き取られた金の指輪に、何か関係があるのかい?」
「僕も同じことを思った。〈聖なる結婚〉の契約として、あの指輪があるんじゃないかと。だから父の部屋を探し、最後には直接問い詰めたけど、父は身に着けていなかったし、何も答えてくれなかった。
金の指輪についてはルキウスも知らなかった。でも、それとなく探ると、
『古代のドワーフに、そういう契約を固定する技術があったかもしれない。互いの誓いを強めるためにね……』
と教えてくれた。
僕は絶望した。
指輪を破壊しない限り、父から離れられないんだ――。
焦燥に駆られた僕に、
『でも、契約を破るのは簡単さ』
とルキウスはこともなげに説明しだした。
『そういう魔力のある指輪でも、その前提が崩れてしまえばどうしようもない。つまり誰かと不義を犯せば、自動的に〈聖なる結婚〉は壊れてしまう。その代わり罰は受けるかもしれないけどね』
僕は、どんな罰を受けても構わないと思った。
この古代の忌まわしい契約を破棄するためなら、どんなことでもする覚悟だった。でもやっぱり、僕がしたことをお前に話すのは辛い……」
エルヴィラの話から流れは想像できた。
「君を非難する資格は俺にないよ。俺だって聖人君子じゃないさ」
とアルケタが告げた。
ただ、楽しい話にはならないだろうと予感したアルケタは、革袋からワインをたっぷりとカップに注いだ。薬草臭かったが飲まずにはいられない。
「ありがとう。あの頃の僕は……」
エルヴィラは思い出すように焚火を見つめている。
「船がどこかの港に着くと、いかがわしい酒場を探し、男を誘うようになった。
とにかく誰でも良かった。
一夜の関係をもって、不義を犯したことになれば、父から離れることができる。ところが、いざベッドに入ると体が拒否してしまう……。
いや、心なのかな?
むさ苦しい髭面の傭兵、酒の匂いをプンプンさせた船乗り、洒落た格好をしたエルフの魔術師……でも結局、最後の最後には駄目になった。
もちろん男たちは怒り狂ったよ。殴られたこともあった。でも僕は甘んじるしかなかった。悪いのは確かに僕のほうだったから……。
こうして、男たちに声をかけては失敗し、僕は自己嫌悪の沼に嵌まっていった。
あるとき、しばらくのあいだ船が港町で留まることになった。父が商売で裁判沙汰に巻き込まれたんだ。小さな町で、名前は忘れた。ヤシの木がたくさん生えているのんびりした土地さ。
裁判を通じて知り合った若い公証人に、僕は声をかけられた。ほら、契約書とかを作る人間がいるだろう?
僕はからかわれてるんじゃないかと思った。真面目な、やさしそうな若者だったから。剣を腰に下げてる女に話しかけるタイプじゃない。ただ僕が物珍しかったのかもしれないな。
その頃の僕は荒んでいた。だけど、何度か外で食事をするうちに、しだいに彼とも打ち解けてきた。
僕からは誘わなかった。
彼を契約を破るための道具にしたくなかったから。
だから、彼の部屋に誘ってくれたときは嬉しかった。久しぶりにドレスを着て、精一杯、可愛く見えるように化粧をしたよ。そんな気持ちで、誰かの家を訪ねたのは初めてだった。
水色の壁の質素な建物で、それぞれ小さな部屋に住人たちが住んでいる。彼の部屋は二階で、窓からは潮風が入った。お互いに探るような会話をしたあと、ベッドの上で僕はぎこちなくドレスを脱いだ。
このときをいちばん恐れていた。
背中の竜を見た彼は、どんな反応をするだろう?
拒絶するだろうか? こんな刺青に覆われた女なんて欲しくないと……。
一瞬彼は驚いた表情になったけど、そのまま僕を優しく愛撫した。誰かの腕に抱かれたいと初めて思った。力を抜いて、彼がするままに任せた。押し寄せる快感に、自分がとろけてしまうような感じだった。
彼を迎え入れ、絶頂に至った僕は叫び声をあげた。
そのあとのことは覚えていない。
気がつくと僕はベッドで裸のまま、見知らぬ者たちに取り押さえられていた。我に返った僕は、部屋の隅に彼がいるのに気づいた。狂人を見るような目で僕を眺めて、赤くなった首筋を押さえていた。
どうやら、悲鳴を聞きつけて集まった住人たちが、彼に馬乗りになって首を絞めていた僕を見つけたらしい。
僕は彼に噛みつき、追いかけ回し、爪を立てて殺そうとしていたと教えられた。
服を着ると、僕は部屋から追い出された。
もう打つ手がない……。
僕は暗澹たる気持ちで船に戻った。
ようやく好きになった男に出会えても、背中の竜が邪魔をするんだ。たぶん僕が攻撃されたとでも思うんだろう。呪術師の魔法は本物だった。本当に僕に代わって、恐ろしい竜が姿を現すんだから……」
「分かるかい?」
エルヴィラが泣きそうな顔を、アルケタに向けた。
「この刺青が消えることはないだろう。だから、好きになった誰かと体を重ねることになれば、僕は相手を殺すしかないんだ」




