第54話
立ち上がったアルケタが、寺院の入口へ目を向けた。
「このまま雨が降り続いてほしいよ……」
「どうしてだ?」
アルケタの剣帯を解いていたエルヴィラが、不思議そうに顔を上げた。
「明日の式が中止になるからさ」
「そんなに、ドルシアと婚約するのが嫌か?」
「そうじゃない。ただその前に、せめてひとりだけでも俺は……」
「……ひとりだけでも?」
と肩の紐を解きながらエルヴィラが促した。
「笑わないでくれよ」
とアルケタがはにかむように続けた。
「俺は、命を捧げたいと思える女性に出会いたかった」
手を止めたエルヴィラがごくりと唾を飲み込んだ。
「捧げるっていうのは……?」
「子供の頃から、兄上が読んでくれる騎士道物語が大好きだった。こんな雨の日には、兄上のベッドに寝転んで続きをせがんだものさ。そういう物語には、騎士が救うべき女性が出てくるんだ」
エルヴィラが恥ずかしそうに打ち明けた。
「ほとんど本は読んだことがないんだ。それはどんな物語なんだい?」
「その……純愛を捧げる話だよ」
アルケタが顔を赤らめると、エルヴィラも小さな声でそっと繰り返した。
「純愛……」
「俺でも分かる単純な話なんだ。誰も近づけない廃墟に悪い竜が棲んでいて、囚われているお姫様を助ける……そんな他愛もない話さ。でも俺は、それこそが騎士の使命だと思っていた」
腕を伸ばして前屈みになったアルケタから、エルヴィラが胴を外した。
「……困ってる女性を助けることがかい?」
アルケタが頷いた。
「ドルシアと結ばれても何の波乱もないっていうか……それだと市民の結婚と変わらないだろう? 自分でも馬鹿げてるっていうのは分かってるさ。だから、いままで誰にも話したことがない」
「それが、婚約式を避けてた本当の理由?」
「いままでも嘘をついてた訳じゃない……」
アルケタは、上着を脱がすエルヴィラの指先を感じながら喋り続けた。
「ただ、ドルシアとの婚約で、自分の扉が閉じていくような気はしていた……」
床に座ったアルケタの足から、エルヴィラが軍靴を脱がせた。再び立ち上がったアルケタが、脱いだシャツをエルヴィラに手渡す。アルケタの上半身は裸になり、下穿き一枚になった。
「馬鹿げていると思うかい?」
「ううん、分かるよ」
焚火でシャツを乾かしているエルヴィラが顔を上げた。
「……お姫様が助けを求めているのは確かだから」
熱い眼差しでエルヴィラがアルケタを見つめ、アルケタも見つめ返す。
「もちろん、ドルシアは愛している」
アルケタが目を逸らし、自分に言い聞かせた。
「それにいい加減、大人になる時期だっていうのも分かってるんだ」
「でも、それは明日の夜だよね?」
アルケタに近づいたエルヴィラが、彼の背中に身を寄せ、耳元でそっと囁いた。
「満月まであと一日。お姫様を救うには今日しかない」
「じゃあ俺は、君を救えばいいのかい?」
アルケタの体中の血が沸騰しだし、喉はからからだった。
「救ってほしいのは僕の心さ……」
エルヴィラの細い指先が、自分の背中を撫でるのをアルケタは感じた。
もう何も考えられない――。
アルケタが振り返ると、エルヴィラが食い入るように自分を見ていた。
「どうやって君を救えばいい?」
エルヴィラがシュミーズを脱ぎ捨て、背を向けた。
「悪い竜を倒して欲しい」
その背中には、竜の刺青が大きく彫られていた。
牙を剥いた口から炎を吐き、鱗の生えた尻尾は太腿までとぐろを巻いている。
「ずっと僕は……」
エルヴィラが肩越しに振り返った。
「……悪い竜を倒せる強い騎士を探していた」




