第53話
廃墟の寺院の入口から、アルケタは外を眺めていた。
降り続く雨で白くけぶっている。
魚人の石像も雨に打たれていた。ある石像は首より上がなく、別の石像は腕がもげている。横倒しになっている石像もある。だが、どの魚人も数週間ぶりの雨に気持ちよさそうだった。
寺院の軒下では、二頭の馬が仲良く並んでいた。長い石段の先は開けており、遠くに小高い山、その上には重たい灰色の空が広がっている。
これじゃ、しばらく雨はやみそうにないな――。
アルケタは振り返った。
暗闇を照らす焚火の前では、エルヴィラが眠っているはずだった。
バクルスの連射で朦朧となったエルヴィラを馬に乗せ、土砂降りの雨のなか、アルケタは廃墟になった寺院に駆け込んだ。廃墟といっても寺院の外側は壊れていない。だが、中に入ると黒焦げになっていた。
外の光が届く場所にエルヴィラを寝かせ、荷物を運び込み、焚火を熾した。破壊された椅子や聖典など、薪代わりになるものは幾らでも転がっていた。
火にあたると、エルヴィラの頬に血の気が戻ってきた。濡れたブラウスやズボンが彼女の体に貼りついている。落ち着かない気分になったアルケタは、彼女を置いて外を眺めていたのだった。
「アルケタ!」
エルヴィラの声が背後から聞こえた。
急いで焚火まで戻ると、シュミーズ姿のエルヴィラが、脱いだ服を火にあてて乾かしていた。どこから持ってきたのか、邪教の木像にブラウスを掛けている。罰当たりな気もしたが、アルケタは何も言わなかった。
彼女の露わになった胸元には鋭い鉤爪、白い太腿には蜥蜴の尻尾のような刺青が彫られている。視線に気づいたのか、エルヴィラが顔を上げた。
「お前は脱がないのか? 濡れて気持ち悪いだろう」
「もう大丈夫なのか?」
「少しふらつくが大丈夫だ。迷惑をかけてすまなかった」
草原で倒れる前、エルヴィラが叫んだことが気になっていた。家族と何か確執があるようだ。だが口出しすることでもないと思い直し、黙って焚火の前に腰を下ろすと、アルケタはあぐらをかいた。
エルヴィラも膝を抱えて座り込み、しばらくふたりは無言で焚火を眺めていた。微かに揺れる炎が、寺院の壁に奇怪な影を映し出している。
エルヴィラが不安そうにまわりに目を向けた。
「ここは何なんだ?」
「ダゴン教徒の寺院だった」
アルケタは弱くなった焚火に薪をくべた。
「深い海の神々を信じている者たちのことだ。彼らはユピテル神殿や教皇の権威を認めていなかった。それで俺が子供の頃、焼き討ちにされたらしい」
「じゃあ、森から聞こえた悲鳴は……」
「もしかしたらそうかもしれない。だけど、他に運び込む場所がなかった」
「責めてるんじゃない。あのまま冷たい雨に打たれていたら、僕は酷い病気になっていただろう。もし、お前がいなかったらと思うと……そうだ!」
エルヴィラが荷物をまさぐり始めた。
「今日は特別なワインを持ってきているんだ」
エルヴィラは革袋を二つ取り出すと、それぞれの中身を別のカップに注ぎ、片方をアルケタに差し出した。カップに口をつけたとき、エルヴィラが妙な目つきをしていたのが気になったが、アルケタはそのまま飲み込んだ。
「うわっ、薬みたいな味がする。なんだこれ?」
「体にいいんだよ、温まるから」
とエルヴィラは笑い、自分も恐る恐る口をつけた。
「……こっちは、それほどでもないな」
「それと交換してくれ!」
アルケタが、エルヴィラのカップを無理やり奪った。
「駄目だよ! それは僕に合わせた……」
と抗議したエルヴィラだったが、アルケタが一気に飲み干すのを、なす術もなく見ているしかなかった。
「ああ……なんてことだ」
「こっちはまだいけるな! ほら、俺のを飲んでみなよ」
アルケタは自分のカップを差し出し、ニヤリとした。
「とっても温まるぞ!」
エルヴィラが仕方なくワインに口をつけた。
「この寺院は、どこまで続いてるんだ?」
「この奥に地下に降りる階段がある。前に来たとき、調べてみたかったけど兄上に止められた。聖なる場所にみだりに足を踏み入れるべきじゃないって。そういうことに関して兄上は詳しいからな、素直に従ったよ」
「兄上というのはイオアンのことか?」
「知ってるのか?」
「いや、ナイト家で耳にしただけだ」
「屋敷でブッケルムという性悪の馬を飼っていたんだ。なぜか兄上のお気に入りでね。ふたりでよく草原まで遠乗りに来たものさ……その馬も〈暁の盗賊団〉の女首領に盗まれてしまったんだけど」
「僕のバクルスを盗んだ少女か?」
「ああ、俺たちセウ家の騎士が、一度は追い詰めたこともあった……」
アルケタは焚火の炎を見つめた。
「だが、ドワーフの採石場で見失ってしまった。あと一歩で取り逃したのは、昨日で二度目だ。何としてでも捕まえたかったのに……」
悔しそうなアルケタを、エルヴィラが見つめた。
「そんな濡れた格好では風邪をひくぞ。明日の夜には、大事なドルシアとの婚約式があるんだろう」
「むしろ暑くなってきた。ワインかな?」
アルケタが首を傾げると、エルヴィラは立ち上がった。
「巡察隊の革鎧だけでも乾かしたほうがいい。お前が脱ぐのを手伝おう」




