第52話
イオアンは衝撃を受けた。
最初から、自分たちは罠に嵌っていたのか!
イオアンが呆然と眺めていると、三人は正面奥の蛸の石像を登った。蛸の左肩にニゲルが、右肩に骨董商が、頭のてっぺんにはシトルウィンが腰かけ、眼下の盗賊たちを見下ろしている。
蛸の頭からシトルウィンが頷くと、男たちが動きだし、イオアンたちは蛸の石像の前に連れていかれた。そこは祭壇のように一段高くなっており、蓮の形をした大きな水盤が置かれている。
イオアンたちの目の前で、大きな壺を持った女たちが、次々に水盤に海水を注ぎ込んでいく。さっきの磯の匂いの正体が分かった。ダゴン教が海を神聖視しているのは知っているが、これから儀式でも始めるのだろうか?
イオアンたちの周囲に老若男女が集まった。興味津々な表情だが、いままでにない圧迫感がある。見世物になったような感覚だった。
それとも公開裁判か?
少しずつイオアンの不安が高まっていく。
いや、まだ裁判ならいい。公開処刑にならないことを祈るばかりだ。
再び鐘が鳴ると、
「これから、あなたたちが嗅ぎまわっていた理由を聞かせてもらうわ」
とシトルウィンが凛とした声を響かせた。
「下手な嘘をつくと、帰れなくなるからそのつもりでね。私たちを総督府に売るためだったの?」
カルハースが蛸の石像を見上げた。
「あなたが〈暁の盗賊団〉の誉れ高き女首領だろうか?」
「いいえ、違うわ」
蛸の頭からシトルウィンが見下ろす。
「誉れ高いかはともかく、私たちのリーダーは気分屋なの。私はただの代理」
「それよりニナはどうした。返す約束だろう!」
とイオアンが上に叫んだ。
「後回しって言っただけでしょ!」
と言い返し、シトルウィンが骨董商へ顔を向けた。
「どうするの?」
「付き合う必要はないのう。あんたなんかに預けるより、よほど安全じゃよ」
「お前は分かっていて、ニナを騙したんだな!」
「いやあ、我々は問題を抱えていてね!」
と慌ててカルハースが割り込んだ。
「それで協力してもらえないかと、君たちを探していたんだ。イオアン君は、君たち〈暁の盗賊団〉が大好きでね。思い入れが強すぎて、いまはこんなに興奮しているが、どうか許してやってほしい!」
「その問題って?」とシトルウィン。
カルハースが、牢獄塔の地下に囚われているダマリと、その脱獄計画を説明した。そのうえでイオアンが〈暁の盗賊団〉に協力を求めようとしたことも。
「それで、協力を要請するために私たちを探していた?」
とシトルウィンが不審な顔をした。
「ずいぶん苦しい説明ね」
「お前たちの仲間も牢獄塔に囚われてるかもしれない!」
とイオアンが呼びかけた。
「いないわよ。初めて聞いたぐらいだもの」
「だが、総督府に対する憎しみがあるんじゃないか? ダマリを脱獄させれば、その鬱憤を晴らせるぞ!」
「べつに憎しみなんてないし……」
と肩を竦めたシトルウィンが断言した。
「脱獄なんて、そんな危険なことに手を貸したりしないわ」
「分かってる、分かってる」
とカルハースが手を挙げて応えた。
「イオアン君が自分のアイデアに夢中になっただけだ。君たちもいろいろ忙しいだろう。シチューは美味しかった。そろそろお暇させてもらうよ」
「でも面白そうだよな」
と闇エルフのニゲルが口を開いた。
「五人で突っ込むなんて、馬鹿げてるけどさ!」
「いや、明日なら可能なんだ」とイオアン。
「明日?」
「明日は〈死者の日〉のパレードがある。各地区に警備が分散するから、牢獄塔は手薄になるはずだ」
「〈死者の日〉って何?」
ニゲルはシトルウィンに尋ね、答えを聞いた。
「へえ、確かにいけそうだな!」
「もう馬鹿じゃないの……」
とシトルウィンがうんざりしたように言った。
「みんなの命に関わるでしょ。家族がいるんだから、あなたとは違うのよ」
ニゲルがしょげた表情になった。
「俺だって、みんなのことを家族みたいに……」
「それより儂は、そのダマリが釈放されない理由が気になるのう」
と骨董商の老人が身を乗り出した。
「まわりでも、捕まった馬泥棒の名前は聞いておる」
エルが前に出て、ひと月前の出来事を話し始めた。
イオアンに命じられて、伯爵に見捨てられたブッケルムという馬を、女装してセウ家の屋敷から盗み出したこと。セウ家の騎士が乗った軍馬たちを、〈魔の馬〉として覚醒したブッケルムがやすやすと引き離したこと。大理石の採石場に追い詰められたエルを、追いかけてきたイオアンが救い出したこと。そして最後に二人で〈首なし騎士団〉の隠れ家に辿り着いたこと――。
エルが伯爵の声音をまねて、
「あの女を引きずり下ろし、生け捕りにせよ!」
と演技するのを、イオアンは複雑な気持ちで見守った。
自分はあの事件がなければ、エルやカルハースと出会うことはなかった。追いかけてきたセウ家の騎士たちが、エルを〈暁の盗賊団〉の女首領と勘違いしていなければ、この地下神殿にもいなかっただろう。
エルの臨場感たっぷりの物語に子供たちは目を輝かせ、ふたりの冒険談が終わると盗賊たちは拍手喝采した。
「すげえ、いい話じゃねえか」
とニゲルが涙ぐんだ。
「俺たちとは仲間みたいなもんだ。手伝ってやろう!」
「もう、すぐに影響されるんだから……」
興奮した盗賊たちの様子に、シトルウィンは決めかねているようだった。
「ねえ、親父さんはどう思う?」
「これは、儂らが決めるものでもないじゃろ」
と骨董商は腕を組んだ。
「リーダーの判断を仰がねばな」
「そうよねえ……」
と溜息をついたシトルウィンが下に向かって呼びかけた。
「フィオナ! あの子を呼んできてくれない?」
※ ※ ※
地下神殿の奥の暗がりから、薄紫色のドレスの裾を長く引きずった少女が現れた。このドレスは昨日、エルヴィラの衣装箪笥から盗まれたものだ。少女の後ろを、大きな壺を抱えたフィオナが歩いている。
イオアンたちはあんぐりと口を開けた。
深緑色のおかっぱ頭はきれいに整えられているが、黄緑色の肌、大きな黒い瞳は見間違うはずもない。ニナだった。
「ニナ……」
と前に踏み出したイオアンを、後ろからエルが押さえた。
「……なんか変だぜ」
イオアンは少女の姿に釘付けになり、エルはまわりの盗賊たちの様子を窺った。静まり返ってはいるが、驚いている様子はない。おそらくこれは、彼らにとって見慣れている光景なのだ。
イオアンたちの前にある祭壇に、しずしずと少女が上がり、蓮の形をした大きな水盤の脇に立った。フィオナがドレスを脱がせ、裸の少女が水盤に入った。両腕を水盤の縁に広げ、気持ち良さそうに浸かっている。
大きな壺からフィオナが、タコを取り出した。
タコを水盤に入れると、タコは少女のほうへ泳いでいき、腕に絡みつき、肩を伝って、彼女の頭の上に鎮座した。少女の髪の毛はぐっしょりと濡れ、タコの八本の触手のせいで、その表情も分からない。
何なんだこれは。
イオアンは頭がくらくらした。
いま見ているのは現実の光景なのか――。
混乱したままイオアンは、
「ニナ? ニナなのか? 一緒に帰ろう……」
と祭壇の上の少女に呼びかけた。
「イオアンよ……」
タコの触手の奥から、冷たい声が聞こえた。
「……我はナナだ。よく覚えておけ。お前が知っているニナはもういない」




