第50話
馬たちが鼻を鳴らす音、盗賊たちの抑えた話し声――そのあいだを二人の男に引きずられていたイオアンの視界がふいに明るくなった。森のひんやりと湿った空気から、草むらの匂いがする生暖かいものに変わった。
では、森の外に出たのか?
イオアンは顔を左右に動かし、包帯越しに何とか情報を掴もうとした。
「お、イオアン様がおいでなさったぜ」
と男の声がした。
別荘の廃墟でカルハースを倒した闇エルフの男だ。恐怖を感じたイオアンは足が止まった。やはり彼らの仲間だったのだ!
「そんなに怯えなくてもいいわ」
と若い女の声がした。リーダー格の女だろう。
イオアンが上ずった声で懇願した。
「もう関わらないと約束するから、ニナを返し……」
「そういう話は後にしてくれる?」
と若い女が遮った。
「ちょっと聞きたいことがあるの、もう逃げ出したりしないわよね?」
こんな状況で逃げ出そうとするはずがない。イオアンが頷くと、男たちが両腕を放した。だが手は後ろに縛られたままだ。
「隠れ家に戻りたいんだけど、途中で邪魔が入って進めないの。ひとりはあなたの弟のアルケタよ。もうひとりは雪エルフの女、知ってる?」
思わずイオアンは息をのんだ。
では、あのアルケタの声は空耳ではなかったのだ! そして、この森はイグマスからさほど離れていないということになる。もしかしたら――。
「ねえ、どうなの?」
「え?」
「その雪エルフの女よ」
「弟の女関係まで、私が把握しているわけがない」
とイオアンは慎重に答えた。
「それに雪エルフというのならルラル教徒だろう。弟はあまり良くは思っていないはずだし、少なくとも、私はそんな女を知らないな」
そう答えながら、イオアンは荷車での出来事を思い出した。そうだ、アルケタが女を呼んでいた! だが、名前までは思い出せない――。
「ちょっと、何か知ってるんじゃないの?」
「……それを私に聞いてどうする」
「別に危害を加えたりしないわよ。私たちを追いかけてるアルケタは、ちょっと面倒くさいけど、だいたい見当違いのことを調べてるしね」
と女は鼻で笑った。
「知りたいのは別のこと。銀色に光る細長い武器を知らない?」
「何だそれは?」
「知らないから訊いてるんでしょ。魔法の武器かしら? 筒から光の弾が飛び出すの。岩を砕くぐらいの破壊力よ」
思わずイオアンは、あっと声をあげてしまった。こうなったら教えるしかない。
「それはおそらく……バクルスという武器だろう」
「初めて聞いたわ」
「私も詳しくは知らない。雪エルフの貿易商から見せてもらっただけだ。魔法を使わない魔法の杖のような武器だそうだ」
話しながら、イオアンの記憶がつながった。
ナイト邸の晩餐会だった。醜い顔の貿易商が、しきりにバクルスをアルケタに薦めていた。娘に教えさせるとか言っていたが……そうだ、エルヴィラという名前だった! ということは結局そうなったのか? 上からの圧力なのか? アルケタも可哀想に、いやいや教わっていることだろう――。
誰かが駆け寄ってくる足音がイオアンに聞こえ、
「まもなく二人は帰りそうです!」
という声がした。
斥候役の盗賊か?
では、アルケタがいなくなってしまう!
「あら、良かったわ」
と若い女。斥候が続けた。
「どれほど練習してもアルケタは上手く扱えず、諦めた模様……」
突然眩しい光を感じ、その直後に誰かの悲鳴が聞こえ、イオアンの背後で盗賊たちが騒ぎ始めた。
何が起きたのかイオアンには分からなかったが、いましかないと感じ、明るい方向に足を踏み出すと、
「アルケターっ!!」
と助けを求めようとした。
だが、叫び声をあげようとしたところで、
「そういうのは無しの約束のはずだぜ、イオアン様?」
と闇エルフに口を押さえられてしまった。
後ろから羽交い締めにされたイオアンは、再び森に連れ戻されたところで、また眩しい光を感じた。今度は一つだけではなく立て続けに光った。上から落ちてきたらしい折れた枝がイオアンの頭にぶつかり、まわりからは狂乱状態の馬たちの嘶きが聞こえる。
馬たちを捕まえようとする盗賊たちの怒声が聞こえ、肩を掴んでいた闇エルフもどこかへ消えてしまった。手を縛られ、視界も隠されているイオアンは怯えを感じ、おたおたと歩き続けた。
ひときわ明るい光を感じた後に、雷が落ちたような物凄い音が聞こえた。金縛りにあったように動けないでいると、
「危ねえ!」
という叫び声とともに闇エルフに抱きつかれ、イオアンは地面に倒れた。
ドォンと地震のような強い揺れを感じた直後に、すべてをなぎ倒すような爆風が押し寄せ、あたり一帯に木が燃えたような焦げた臭いが漂った。
あまりの衝撃に呆然としたイオアンが立ち尽くしていると、男女の声がして地面から引き起こされた。周囲ではまだ騒ぎが続いている。
遠くから斥候の声。
「二人は寺院の廃墟に逃げ込みました!」
誰かに腕を掴まれたイオアンは、暗い森の中に連れていかれた。
背後から若い女の声。「みんな、出発よ!」
※ ※ ※
イオアンはまた縄で荷台にくくりつけられた。カルハースたちと言葉を交わす間もなく、荷車が動きだした。まわりからは盗賊たちの声。ふいに雨の匂いがしたかと思うと、降ってきた大きな雨粒が顔を叩いた。
雷の音で嵐の中にいるのが分かった。
ぬかるみに車輪を取られたのか、荷車は何度も上下し、荷台に固定されたイオアンは強く頭を打った。土砂降りの雨のせいで、濡れた布が口に張り付き、息をするのも苦しかった。
包帯越しでも上空で稲光が走ったのが分かる。まったく体を動かせずに嵐に翻弄されていると、まるで棺桶に入れられた死体のように感じた。このまま自分は生きながらに埋められるのだ――そんな暗い予感さえ脳裏をよぎる。
急に視界が暗くなり、雨の勢いが弱まった。
別の森に入ったのか?
荷台の角度から坂を登っていることが分かる――ということは山の中か?
やがて荷車が止まり、まわりの盗賊たちがひそひそと言葉を交わしだした。
荷台に縛られたイオアンには見えるはずもないが、いま盗賊たちは、山の麓から続く苔むした石段の前で状況確認をしていた。若い女を中心に話がまとまると、一同は石段脇の細い山道を進みはじめた。
曲がりくねった山道は、祠のような場所で終わった。山肌に巨大な岩が剥き出しになっている。馬から降りた若い女が巨石の前に進んだ。岩に穿たれた小さな穴に女が手を差し入れ、複雑な操作をした。やがて女は巨石から離れた。
巨石の表面には、渦巻のように複雑な文様が刻み込まれているが、その大部分がぼろぼろに崩れかけていた。
石臼を引くような音とともに、巨石が地面に沈みだした。
岩肌に大きな開口部が現れ、盗賊たちは無言で一頭ずつ入っていく。最後にイオアンたちを乗せた荷車も進んで見えなくなった。しばらくすると鈍く重たい音とともに巨石が地面からせり上がり、開口部は再び閉ざされた。




