第48話
「そう、母のようになりたかった……」
エルヴィラが昔を思い出す表情になった。
「淑やかで優しい、他の人のことを思いやれる人間に。でも無理だと分かった。僕は母のようにはなれない……」
「でも、似てるところもあるさ。少なくとも父上と見た目は違うんだから」
「当たり前だ!」
エルヴィラがアルケタを睨みつけた。
「似てるわけないだろ!」
「ごめん」
「いや……」
エルヴィラは目を逸らした。
「父のことになると、すぐ感情的になってしまう。気をつけてるんだけど……」
「俺のほうこそ、口にすべきじゃなかった」
「でも、父には気をつけてほしい」
エルヴィラが真剣な表情になった。
「貿易商とは名乗ってるけど、要は武器商人だ。戦争のあるところに駆けつけ、戦争がなければ火種を起こす。人の不幸で儲けている人間だ」
「じゃあ、裏帳簿に関して、サンガリア殿は間違ってなかったわけか」
「すべて金儲けのためさ」
とエルヴィラが吐き捨てるように言った。
「伯爵家の君の気を引くため、僕にバクルスを教えさせようとしたのもそうだ 。もうアルメディオンとは別れたから、今度は君にくっつけようとした」
「じゃあ……船長とは恋人だったのか?」
「僕がそう思っていた時期があっただけ」
エルヴィラが苦い表情になった。
「父は僕と結婚させて、有能なアルメディオンを後継者にしたかった。それで親子そろって思惑が外れたわけだ。彼は優しいから僕はずっと勘違いしていた。でも、いずれ彼が船を降りると分かって、ようやく夢から覚めた」
「え、船長をやめるのか?」
「真面目なアルメディオンは祭司になるそうだよ」
とエルヴィラは微笑した。
「この航海で、ルラル教の祭司たちに感化されたみたいだ。でも良かった。汚れている僕なんかにはもったいない」
「……」
「でもアルメディオンを失うと、父が心配だ」
「有能な部下を失うから?」
「父の暴走を止められる人がいなくなるから」
エルヴィラの視線の先で、稲妻が光り、腹に響くような雷鳴が轟いた。
「父の出自は誰も知らないんだ。あの見た目だからドワーフの血を引いていると噂されている。若い頃にどこからともなくやってきて、一代で大金を稼いだ。そして没落貴族の母と結婚したけど、上流社会には受け入れられず、海賊まがいのことをやっていた……怖ろしいのは、父の本当の望みは金儲けじゃないってことだ。もっと大きな野望に憑りつかれている。まるで古い亡霊のような……」
アルケタが立ち上がった。
「雨が強くなってきた。いいかげん帰ろう」
エルヴィラが遠くの森を指さして叫んだ。
「今度は、あの樅の木を狙ってみせる! 最後に、気の済むまでバクルスを僕に撃たせてくれ!」
アルケタは目を凝らした。三百メートルは離れている。
「あんな遠くまで届くのか?」
「ふふ、僕の力をもってすれば不可能はない!」
エルヴィラは腰を低く落とすと、バクルスの狙いを、遠くに見える樅の木につけた。尖った先端が灰色の空に突き出している。
大きく深呼吸すると、
「はっ!」
という掛け声とともに、バクルスの先端から光が撃ち出された。
小さな光の弾が目にも止まらぬ速さで飛んでいき、黒い森に吸い込まれていった。その直後、樅の木には当たらなかったが、カラスの群れが飛び立ち、奥からくぐもった叫び声が聞こえてきた。
「……なんだあれは?」
とアルケタが動揺した表情で振り返った。
「あれが、あたりを彷徨っている悪い霊なのか!」
「まさか、そんなはずは……」
だが、あの声には、確かに助けを求めるような悲痛な響きが感じられた。アルケタの肌にも鳥肌が立った。
「さ、これで気も済んだろ、ここを離れよう」
「駄目だ! 悪霊なんかに負けてたまるか!」
エルヴィラが立て続けに光の弾を放った。
どの弾も樅の木には当たらなかったが、黒い森から人の叫び声のようなものが先程にも増して聞こえるようになった。荒い息に気づいたアルケタが隣を見ると、膝に手をついたエルヴィラが、苦しそうに呼吸を繰り返している。
「大丈夫か!」
「ふっ、これだけ一度に力を使うのは久しぶりさ……でも僕は、海賊船の横っ腹に命中させたこともある……」
エルヴィラは顔を上げたが、その肌は白いのを通り越して青白くなっていた。空にはまた稲妻が走り、雷鳴が鳴り響いた。雨脚も強くなっている。
「……君の凄さは分かったよ」
「ははっ、こんなのは序の口さ」
バクルスで杖のように体を支えると、エルヴィラは背筋を伸ばした。
「いまのは最大火力を出しただけの話。誰にでもできる。難しいのは、光の軌道を意図的に操作することなんだ」
アルケタが制止する間もなく、エルヴィラがバクルスを構えた。
「はあっ!」
光の弾は、樅の木のてっぺんに向かって飛んでいったが、わずかに逸れると、暗い空に消えていった。
「くっ、思ったほど曲がらなかった」
エルヴィラが無造作にバクルスから光を解き放った。
放たれた光の弾は、大きく左右に方向を変えて消えていった。不安定かもしれないが、確かに光の軌道を変えられることにアルケタは驚いていた。
隣のエルヴィラは、地面に突き立てたバクルスに寄り掛かるようにして、荒い呼吸を繰り返している。
「エルヴィラ……」
「このバクルスのせいだ。僕の特注品ならとっくに当たっていた。けど、壊れないように力を抑えてるから……」
「君のほうが先に壊れてしまうぞ!」
とアルケタは土砂降りの雨の中で叫んだ。
「僕が壊れるだって?」
死人のように青白い顔をしたエルヴィラが叫び返した。
「僕は姉のようにはならない! 母のように逃げたりもしない! 僕は負けない! 絶対に生き残ってやる!」
ぐらりとよろめいたエルヴィラを、アルケタは支えようとした。
「触るな! 汚らわしい!」
絶叫したエルヴィラがアルケタを突き飛ばし、ふらふらになりながらも構えの姿勢をとった。
「僕はっ、僕は汚れてなんかいない!!」
エルヴィラがバクルスから光を放った瞬間、稲妻が空を切り裂き、あたり一面が白い光に包まれた。数秒後、激しい雨の向こうで、樅の木が幹の根元から倒れ、草原に崩れ落ちるのが見えた。
「エルヴィラ、当たったぞ!」
だが返事がない。
アルケタが振り返ると、うつ伏せのエルヴィラが泥の中に倒れていた。




