第47話
エルヴィラが木陰に布を敷き、二人は昼食をとった。
食べ終えた彼女はアルケタに背を向けると、素足をひんやりとした小川に浸し、ちゃぷちゃぷと動かしている。兜を脱いだアルケタはマントも外し、樫の木にもたれかかった。うとうとしているとエルヴィラの声が聞こえてきた。
「お前は、婚約式に乗り気じゃないって聞いたけど、本当か?」
アルケタが眠たそうに目を開けた。
「いったい誰から聞いた」
「……アヤヤ」
ナイト家の女め――とアルケタは心の中でぼやいた。
「べつにそんなことはないさ。ただ、いまじゃなくてもいいだろって」
「ドルシアはいい子だ。早くしないと他の男に取られてしまうぞ」
「俺にとって妹みたいなもんなんだ。小さい頃から知っている。兄上にも訊かれたけど、なんて言うのかなあ」
言葉に詰まったアルケタは、首を振って諦めた。
「……うまく言葉にできない」
にやにやしているエルヴィラを見て、
「何かおかしいか?」
とアルケタは口を尖らせた。
「いや、お前も人の子なんだな。ナイト邸に行くたびに、ドルシアがお前を聖人のように褒め称えるから、疑ってたところだ」
「まだ十四歳なんだ。何か勘違いしてるのさ。俺は普通の男だよ」
「じゃあ、この前シルヴィアから聞いたんだが……セウ家は娼館を持ってるんだろ? そこに行ったりするのか?」
「あいつは何を教えてるんだ……まあ、行くときもある」
「……もてるんだろ、お前は?」
「〈フリュネの誘惑〉はそういうところじゃない。ちょっと楽しい時間を過ごすだけのところだ。金を支払えば、女たちもそれなりのことを……ごめん、ペラペラと喋るようなことじゃないな」
「べつに構わないさ」
「エルヴィラ、君はどうなんだ。いろんな場所を船で巡ったんだろ? 君こそ男にもてるんじゃないか?」
「も、もちろんさ! 僕には港々に男たちが……もうひとつ訊いてもいいか。お前も、その……男が好きなのか?」
「はぁ? 俺がかよ?」
「いや、ちょっと気になったから……」
「それも、アヤヤとシルヴィアから聞いたのか?」
「違う、違う。これはルキウスから聞いたんだ!」
とエルヴィラが否定した。
「エルエレム師だよ。お前が助けてくれただろ? 北宮でサディア様から聞いたらしいんだ、なんでも公爵様がそういう好みだって。だから帝国の若い男たちは、みんなそうなのかなって……」
「まったく祭司が何を教えてるんだか……俺にそんな趣味はない」
「いや、それならそれでいいんだ……あれ」
エルヴィラが空を見上げた。
「雨が降ってきた」
「向こうの空が真っ暗だ。下らないことを喋ってないで、イグマスに帰るぞ」
「ちょっと待ってくれ!」
と慌ててエルヴィラが立ち上がった。
「お前は、まだバクルスを試してないじゃないか!」
「もう君のを見たから十分だ。早くしないとびしょ濡れになる」
「ちょっとぐらい平気さ。バクルスは雨でも関係ない。それにお前が試さなきゃ、本当に戦場で使えるのか判断できないだろう」
「魔法みたいなのは俺には無理だよ……」
「だから、魔法じゃないって」
とエルヴィラが、バクルスを握らせた。
「絶対に撃てるようになるよ。ちゃんと僕が丁寧に教えるから!」
※ ※ ※
「ほら、しっかり握って」
バクルスを脇の下に構えているアルケタに、エルヴィラが背後からぴったりと体を密着させると、支える指の感覚を説明した。
「こっちは、触れてるか触れてないか分からないぐらいの優しさで……」
皮鎧を通しているので、エルヴィラの体が直接触れるわけではない。それでも、すぐそばに息遣いは感じるし、彼女が屈むと、はだけたブラウスから胸の谷間が見えるので、アルケタは目のやり場に困った。
「いいかい」
エルヴィラが両腕を大きく広げた。
「まわりのエネルギーを、自分の内側に大きな光としてイメージするんだ。それを指先を通して伝え、ため込んだ力を意識的に解き放つことで、バクルスの先端からは光の弾が発射されるわけさ!」
嬉しそうに話すエルヴィラを、アルケタが要領の得ない表情で聞いている。
「まあ、説明を聞くより、やってみたほうが早いさ!」
エルヴィラがアルケタから離れた。
「さっきの岩を狙ってみて」
だがアルケタには「自分の内側に光をイメージ」するという出発点から難しいらしく、できたとしてもバクルスから発射されるのは淡い微かな光だけで、すぐに空気中で霧散してしまうのだった。
こうして誰もいない草原で、エルヴィラによる厳しい特訓が続いた。
※ ※ ※
「もう無理だ……」
へとへとになったアルケタは、バクルスを手渡して地面に座り込んだ。
「頭の中が空っぽだよ。もう何も考えられない……」
「考えるとか、そういうことじゃないんだけどな。もっと感覚的なものさ。お腹が減ってるときに美味しいものを想像すると唾が出てくるだろう? それと同じさ。誰にでも備わっている能力なんだから」
「その喩えは余計に混乱する。とにかく俺には向かない」
「おかしいなあ」
エルヴィラは首を捻った。
「お前はエルフなんだから、ヒトよりよっぽど得意なはずなんだけど」
「なんでも、ひとくくりにするのはよせ。俺は一族でも失敗作なんだ」
「そんなはずないだろ」
「いいや、子供の頃からそうだった」
アルケタは抱え込んだ膝に頭を乗せ、暗い表情になった。
「絵を描いても伝わらない、歌うとまわりから失笑がもれる。本を読むのも好きじゃないし、ましてや詩なんてちんぷんかんぷんさ」
「花を見ても、美しいとは思わないのか?」
「そりゃ、きれいとは思うさ。でも名前なんてどうでもいいし、どっちかって言えば食べられるもののほうが俺は好きだね」
「目に見えないものの価値が感じられない、というのは不幸なことだな……」
「だから、そういう目で蔑むのはよせ! 君はそういう能力は強いんだろ? それだけバクルスを扱えるということは」
「母譲りなのかもしれないな……」
「君の母上か」
「いまは修道院に入って、おかしくなった姉の世話をしている。熱心なルラル教の信者なんだ。いつも〈光の王〉に祈ってばかりの人さ」
「昨日も船長が言ってたな、母上との約束とか……」
アルケタの問いに、エルヴィラが無言で空を見上げた。すでに空は重たい灰色の雲に覆われており、強い風が吹き始め、頬に当たる雨粒も大きくなっていた。遠くの森が不気味な黒い影になっている。




