第45話
馬上のアルケタが振り返った。坂の下の荷車から鐘の音は聞こえず、荷台の黄色い旗が風に吹かれているのが見えるぐらいだった。
ここまで離れれば安全だろう――。
アルケタが速度を落とすと、エルヴィラも馬を寄せてきた。
「あの人たちは……?」
「竜鱗病患者だと思う。鐘を鳴らして近づかないように警告してたろう?」
「竜鱗病? 感染るものなのか?」
「そう言われている。肌が鱗のように固くなり、最終的には蜥蜴人間のようになってしまう。血筋だという人もいるけどね」
「可哀想に……」
とエルヴィラが振り返った。
すでに曲がりくねった坂道は森に入り、荷車は見えなくなっていた。
「患者の一人は立ち上がって、何かを訴えかけようとしていた。叫び声も聞こえたよ。痛いんだろうね」
「辛いのは家族から引き離されることさ。これから山を越えて、どこかの治療院に向かうのかもしれない。そこで新しい仲間ができるといいけど……」
分かれ道でアルケタは手綱を引いた。
「俺たちはこっちだ。君が望んだような場所だと思うよ」
二人は鬱蒼とした森に入っていった。
※ ※ ※
森を抜けた二人の前に、山に挟まれた夏の草原が広がった。
「ここが、お前が話していた場所か……」
とエルヴィラは目を瞠った。
道の先が見えなくなるほど草が生い茂っており、風に葉がそよぐと、草原に銀色の波が広がった。馬を進めると青臭い草いきれにむっとする。名も知れぬ黄色い花が一面に咲き誇り、ユリの花から漂う強い香りにくらくらした。
「ここなら試射に問題なさそうだろ?」
驚いているエルヴィラの表情を、アルケタは楽しんだ。
「飛距離も十分とれるはず。仮に、バクルスの弾道が大きく逸れたとしても誰かに当たることはない」
「うん」
エルヴィラはうっとりとした表情であたりを見渡している。
「ここなら高い草に隠れて、誰にも見られないな……」
「それで、頼みたいことってなんだ?」
「え?」
「バクルスとは別に、俺にやってほしいことがあるって言ってたじゃないか」
「ああ、それか。たいしたことじゃないんだ」
エルヴィラの白い頬がさっと赤く染まった。
「先にバクルスの件を済ませよう! 終わったら話すから。ただ、本当に誰かが通ったりしないよね?」
「まず人は来ないよ。でも、何でそんなに人目を気にする?」
「べ、べつにいいだろう!」
と怒ったようにエルヴィラが言い返した。
「バクルスは秘密兵器だから、誰かに見られたりしたら困るんだ。けど不思議だな。イグマスから近くて、こんなに素敵な場所なのに……」
「そりゃ、悪い霊が現れるからさ」
振り返ったエルヴィラの顔色が変わった。
「ただの噂だよ、噂」
アルケタは笑いながら、向こうの山に目をやった。
「あの山の頂上には寺院の廃墟がある。数十年前に焼かれて、そのときの邪教の信者たちの生霊が、いまもこのあたりを彷徨っているという。そんな噂を信じて、市民は近寄ろうとしないんだ」
「……やめてくれ。僕は古い呪いとか、そういうのに弱いんだ」
「ははは、大丈夫だよ。兄上と去年、その廃墟に足を踏み入れたけど、何も起きなかった。だいたい、遠出したいと言いだしたのは君だぞ」
アルケタが遠くに見える大木を指さした。
「あそこに馬をつなげよう」
※ ※ ※
樫の木は草原にぽつんと生えていた。そばには小川も流れている。せせらぎの音も心地よく、二人は馬に水を与えた。
木陰に広げられた荷物を眺めたアルケタは、釈然としない気持ちになった。ピクニックでもするつもりなのかという量の料理やワイン。
昨日ギイス伯爵に命じられ、仕方なくバクルス検証のためにやってきたアルケタは、公務なので巡察隊の総指揮官の恰好をしている。
いっぽうのエルヴィラといえば、金細工の星が散りばめられた白いジャケット、裾が大きく広がった白いズボンに白い革靴を履いている。短い髪も真っ白の雪エルフのエルヴィラが白づくめの恰好をすると、アルケタが大嫌いな奇をてらった貴族の若者のようで、自分の部下だったら殴っていたところだ。
エルヴィラが荷物からバクルスを大事そうに取り上げた。太陽の光を反射して銀色に輝く、槍のように細長い一メートルほどの筒。
「最初に言っておく」
と立ち上がったエルヴィラが断った。
「お前に教えるのは、父に命じられたからじゃない。僕の意志だ……」
その違いにどんな意味があるのか、アルケタには分からなかったが黙っていた。
「……いつもの僕だったら断っていただろう」
「それがどうして?」
「実際に剣を交わし、お前の強さが本当だと知ったからだ」
「やっぱりよく分からないな。どうして俺が強いと、君がバクルスを教えることになるんだ?」
「それは……」
エルヴィラの目が泳いだ。
「剣では負けたけど、バクルスで僕の凄さを証明するためさ!」
アルケタは、エルヴィラが握っているバクルスをうさん臭そうに眺めた。
エルヴィラの父親である貿易商のアグイレロは、魔法を使わない魔法の杖のような新兵器だと話していた。アルケタは保守的なところがあり、説明を聞かないと使い方の分からないような複雑な道具は好きではない。
「……まあ、いいけど。できたら俺は昼にはイグマスに戻りたい。君の頼みっていうのは、どれぐらいかかるんだ?」
「それは、お前しだいだ」
向こうへ行こうと、エルヴィラが顎をしゃくった。
「まずは、僕のバクルスの腕前を見せてやる!」




