第44話
闇エルフが動きを止め、短剣を下ろした。
恐る恐るイオアンが振り向くと、列柱廊の上のバルコニーから弓を構えた男女がイオアンを狙っていた。十人以上はいる。
目の前には闇エルフの男、上には武装した男女。本能的にイオアンが出口に向けて後ずさると、
「イオアン様も動かないで!」
とバルコニーの娘が叫んだ。
やがて、武装した男女が中庭に降りてきた。
年齢は様々で、どこにでもいそうな恰好をしている。弓を持ち、短剣を携えていなければ普通の市民だと思っただろう。ただ全員が金髪のエルフだった。
闇エルフとの関係はどうなっている?
彼らが〈暁の盗賊団〉で、あの男は客なのか?
不安そうにあたりを窺っているイオアンを、リーダーらしき若い女がじろじろと眺めた。凛とした雰囲気の娘だった。
「君が女首領なのか。私に敵意はない。ただ話したいだけだ……」
と懇願するイオアンを無視して、若い女が指示した。
「この子を連れていって」
「イオアン様!!」
としがみつくニナを、女たちがイオアンから引き離し、
「やめろ! ニナは無関係だ!」
と叫ぶイオアンを、男たちが押さえつけた。
「この子が無関係なわけないでしょう」
と娘が感情を表さずに言った。
「町じゅうを聞き回ってたんだから。悪い芽は小さなうちに摘まないとね」
まわりのエルフたちが笑い、闇エルフだけは黙っている。
「何をする気だ、ニナを返せ!」
「うるさいわねえ、お友達みたいになるわよ」
男に手を後ろに回され、膝裏を蹴られたイオアンは、がくりと地面に膝をついた。手を縛られ、顔に白い布を包帯のように巻かれた。中庭で転がっているエルとカルハースも同じ処理がされている。まるで白い布を巻かれたミイラのようだった。
やがてイオアンも包帯で視界を奪われた。何とか呼吸だけはできる。
何も見えなくなると余計に恐怖が増した。
「……私をどうする気だ」
と呟くように尋ねる。
「話がしたいんでしょ。誰にも邪魔されない場所に連れていってあげる」
「ニナだけは解放してくれ!」
とイオアンは娘の声が聞こえたほうに叫んだ。
「お前たちの調査もすべて私が頼んだことだ! 首謀者はこの私だ!」
またエルフたちが笑いだし、背中を小突かれたイオアンはよろよろと歩き出した。両腕を掴まれて中庭を抜けると、布を通しても感じられる眩しい日差しに、別荘の外に出たことが分かった。
まわりから馬のいななきと、蹄の立てる音が聞こえた。恐怖で上手く足が動かず、引きずられるようにして歩いていたイオアンは、両脇を抱えられ、どすんと荷台の上に引き上げられた。
肩を押さえつけられ、イオアンは荷台に座り込んだ。そのあとイオアンの両側にもどさりと何かが投げ込まれた。カルハースとエルだろうか。
荷車に乗せられたんだ。
では、骨董商の老人はどうしたんだ?
無事に逃げたのか、どこかに隠れているんだろうか。
「ニナ! どこにいる!」
とくぐもった声で叫んだイオアンは、荷台の誰かに平手打ちにされた。その誰かが荷車に鐘を取り付けた。
「行くわよ!」
という娘の声が聞こえ、まわりの馬が歩き出した。
やがて荷車も動きだし、坂道を下り始めたのが分かった。市場に売られる牛の首にかけられるような鐘の音が、カラン、カランと物悲しい音色を響かせた。
※ ※ ※
徐々に恐怖が収まると、荷車が大通りを進んでいるのが分かった。〈陰の街道〉だろうか。まわりから市民たちの笑い声や、楽師たちの陽気なメロディーが聞こえてくる。助けを求めようかと考えたが、無駄だろうと諦めた。
荷車のすぐ脇を盗賊たちが並走しているのだ。誰も近づけないだろうし、荷台にいる誰かに殴られるのがおちだ。
彼らが〈暁の盗賊団〉なんだろうか?
おそらく間違いない。
武装しているし、この状況で違うなんてあり得ないだろう。
ただし、全員がエルフだったのは意外だった。〈暁の盗賊団〉は虐げられた者の集団だろうとイオアンは予測していたのだ。だが、エルフの公爵家が治めているタタリオン領では、他の属州よりもエルフの地位は高い。
連中の狙いは何なんだ?
そんなことを考えていると、荷車の車輪が木の板を鳴らすのが聞こえた。涼しい風が吹き、川の匂いがする――おそらくファッシノ河の橋を渡っているのだ。つまりイグマスの東側、民家が減り、オリーブ畑が広がっている地区になる。
イオアンの胸に重苦しい感覚が広がった。
街中の廃墟に連れ込まれたなら、隙を突いて逃げ出し、助けを求められるかもしれないと考えていた。だが人里離れた場所ではそれもできない。すぐに馬で追いつかれ、連れ戻されるだろう――。
荷車が傾き、丘陵地帯に入ったのが分かった。遅いロバを置いて先に進んだのか、まわりの馬たちの気配が消え、荷車の軋む音と、鐘の音だけが聞こえる。のどかと言えば、のどかかもしれなかった。夏の日差しに汗をかいたが、包帯のせいで何もできずに不快だった。舗装されていない坂道は埃っぽい。イオアンがぐったりしていると、坂の下から蹄の音が聞こえてきた。
イオアンは耳を澄ませた。
いまなら、まわりの盗賊たちはいないはず。
ここで助けを――いや、駄目だ。
それではダマリの脱獄が失敗する。〈暁の盗賊団〉の協力が必要なのだから。
しかし、いまさら交渉とか言っている場合か。
それこそ〈鼬〉のようになぶり殺しに――イオアンが逡巡しているあいだに若い男女の声が聞こえてきた。
二頭の馬が近づいてきている。
イオアンは本能的に、助けを求めようと腰を浮かせた。
荷車のすぐ脇を、一頭が通り抜けた。
いまだ!とイオアンが荷台で立ち上がろうとしたところで、
「駄目だ、エルヴィラ、荷車から離れるんだ!」
という弟の声が聞こえた。
なぜ、アルケタが!?
とイオアンが驚いているうちに、もう一頭も荷車を追い越してしまった。
ハッとしたイオアンは、
「アルケタ、助けてくれ!!」
と遠ざかっていく蹄の音のほうへ叫ぼうとした。
だが、伸びきったイオアンのみぞおちを、誰かが殴りつけた。息ができなくなったイオアンはそのまま意識を失い、前のめりに荷台の上に倒れ込んだ。




