第42話
ロバが曳く荷車は、山の麓の曲がりくねった道を南下していった。
どうして〈陰の街道〉を通らないのかと老人に訊くと〈死者の日〉の祭りのせいで混雑しているからだという。イグマスの中心を離れるのに従い、風景はうら寂しい雰囲気を漂わせるようになった。
御者台のニナは初めての地区らしく、ずっと隣の骨董商に喋り続けている。黙って聞いている老人が、ときおり楽しそうに笑い声をあげた。
荷台の三人は無言だった。山から聞こえる蝉の音だけが喧しい。
イオアンは重苦しい空気を感じている。
昨日は地下水路から侵入できると喜んでいたが、今日中に〈暁の盗賊団〉と接触し、交渉し、協力を取り付けなければ、明日カルハースたちは五人だけで牢獄塔に突入してしまうだろう。
華やかなパレードの裏で、血を流して倒れる男たちの姿が思い浮かぶ。イオアンはエルの横顔を見た。覚悟を決めているような表情だった。首飾りの件以来ろくに話していない。まだ呪いにかかったような状態なのか?
「エル……」と声をかけたが、言葉が続かない。
エルは顔を向けたが、イオアンが何も喋らないでいると、怪訝そうな顔をして、また通りを眺め始めた。
崩れかけた建物のあいだの日の差さない狭い路地を、荷車が進んでいった。物陰から視線を感じるが、近づいてくる者はいない。おそらく荷台にどっしりと構えているカルハースの姿が怖ろしいのだろう。
やがてロバは苦しそうに山道を登り、白い漆喰の塀に囲まれた建物の前で止まった。あたりに人が住んでいる様子はなく、使われていない別荘のようだった。荷台から降りると、崖の上からイグマスの街並みを一望できた。
夏の日差しにイオアンは目を細めた。遥か遠くにファッシノ河が見える。ニナとエルが興奮したように小さく見える建物を指さし合っていた。
近づいてきたカルハースが囁いた。
「ここへは一本道しかない。見晴らしは最高だし、背後は山。盗賊たちが隠れ家に使うには悪くない物件だ」
頷いたイオアンは御者台の骨董商に声をかけた。
「部屋まで案内してくれ!」
「なんで儂が」
「金は支払ったろう」
「ここまでの料金じゃよ。中に入ると一つだけ黒い扉がある。そこが男の部屋じゃ。迷うことはない」
文句を言いかけたイオアンをカルハースが引き止めた。
「足の悪い老人は足手まといだ。あとは我々だけでいい。ご老人、そこで待っててくれ! 帰りの駄賃はイオアン君が払うから!」
御者台の骨董商は振り向かず、手を上げて応えた。
別荘の入口から覗き込むと、列柱廊に囲まれた中庭が見えた。やはり人の気配はない。カルハースを先頭に敷地に入ろうとすると、ニナもついてきた。
「駄目だ、ニナ」
とイオアンは荷車を指さした。
「何があるか分からない。老人と一緒に待っていてくれ」
「やだ、私も会いたい!」
「遊びじゃないんだ」
「私だって分かってるもん!」
とニナは頬を膨らませた。
「お仕事でしょ。いつもと変わらないわ。せっかくお爺さんの話を教えてあげたのに、どうして私だけ……」
ニナの目に涙が浮かび、カルハースとエルがじっとイオアンを見ている。
イオアンは正直、ニナの面倒までは見切れないと思った。〈フリュネの誘惑〉であれこれ計画を立てているぶんには問題なかったが、実際に盗賊たちと対面するかと思うと、すでに恐怖で胸が締め付けられていたのだ。
カルハースとエルは何度も修羅場をくぐり抜けてきたのだろうが、自分はそうじゃない。だが、ここでニナに泣かれても困る――。
イオアンは深呼吸すると、ニナの手を握った。
「絶対に離れちゃ駄目だぞ」
ニナは笑顔を取り戻し、四人は中庭に入った。
カルハースが三人を手で制し、注意深くあたりに目を配った。
列柱廊の下には幾つも小部屋が並んでいる。扉が閉じている部屋、開いている部屋、扉が壊れている部屋がある。中庭の奥に並んだ三つの部屋のうち、中央の閉ざされた扉だけが黒く塗られていた。
カルハースが頷き、四人は中庭を横断した。中央の池は水が涸れている。
黒い扉の前で耳を澄ませたが物音はしない。カルハースがイオアンたちに離れるように伝え、扉をノックした。
しばらく待ったが反応はなく、カルハースが命じた。
「エル、中を見てこい」
「え、俺?」
「私は二人を守らないといけない」
エルは何か言いたげだったが、そっと黒い扉を開いた。隙間から中を覗き込むと、扉を大きく開き、部屋に入っていった。入口には雑多な物が積み重なっており、中庭からはエルの姿が見えなくなった。イオアンが息を殺して待っていると、何かが崩れる大きな音がした。
奥から若い男が現れ、扉の前で立ち止まった。
黒ずくめのゆったりとした服を着て、ターバンのようなフードを被っている。浅黒い肌をした闇エルフだった。
中庭に踏み出した男は、引きずるようにして運んできたエルから手を放した。どさりと地面に落ちたエルは動いていない。




