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第39話

ニナから話を聞いたイオアンは、暗い顔で〈フリュネの誘惑〉に入った。屋根裏部屋に上がると、すでに灯りがともり、〈首なし騎士団〉のカルハースが待っていた。そばには髑髏の仮面が置いてある。


イオアンは疲れたように椅子に座り込んだ。

「エルはどうした? 今夜は来ていないのか」


「通りで時間を潰している。イオアン君とは会いたくないそうだ」


「そうか……まあ仕方ないな」

イオアンは二日前を思い出した。無理やり〈綺麗な首飾り〉を取り上げようとしたから、それで避けられているのだろう。

「昨日は約束を守れず、済まなかった。急な用事があった」


「構わないさ。どちらにせよ事態は急変した」


「私もたったいまニナから聞いたところだ」

とイオアンは頷いた。

「まさか総督府の密偵に手をかけるとはな……殺された密偵はギイス伯爵の一族なんだ。伯爵は〈暁の盗賊団〉により厳しくあたるだろう。これ以上事態がエスカレートしなければいいが……」


「イグマスはその噂で持ちきりだよ。市民もショックを受けている。陰惨な殺し方だったからな。だが、こちらとしては好都合というものだ」

とカルハースはニヤリとした。

「総督府の注意が盗賊たちに移れば、それだけ牢獄塔の警備も薄くなる」


「そのことなんだが……」

とイオアンは身を乗り出し、ダマリが地下牢へ移されたことを話した。


地下牢の構造と、劣悪な衛生環境。だが、獄吏のスロルによる仕打ちについて話すのは控えた。カルハースの気分を悪くするだけだろう。


じっと話に耳を傾けていたカルハースが口を開いた。

「ダマリは何か言っていたか?」


「あんな酷い状況でも馬を心配していたよ」

イオアンは、ダマリの朴訥で優しい表情を思い出した。

「ダマリは昔、サーカスで動物たちの世話をしていたそうだな。お前がそこから助けてくれたと話していた」


「エルに連れていかれたんだ。そこで虐められていたダマリを見つけた。その前のことは聞いたか?」


「いや、そんな時間はなかった」


「あいつは、帝国の力も及ばない最果ての生まれなんだ。ずっと北のオークだけが暮らす土地さ。ダマリの親父も体がでかくて、まれに訪れる冒険者たちの手伝いをしては生活費を稼いでいた。彼らの荷物を数カ月かけて帝国内まで運び、また数カ月かけて故郷に戻る」


「出稼ぎのようなものか」


「そうだな。氷と雪ばかりの土地だから、それぐらいしか稼ぐ方法がない」

とカルハースは頷いた。

「ある年、ダマリの父親が帰ってこなかった。一族の者たちが帝国で探すことになり、まだ子供だったダマリも加わった。だが帝国語もろくに喋れないのに、見つけられるはずがない。そのうち病気や事故でみんな死んでいき、ひとりだけ残ったダマリは、拾われたサーカスで何とか生き延びていたんだ」


「昔を思えば、地下牢も耐えられるとダマリは言っていたが、そういう過去があったんだな……父親は行方知れずのままか?」


「魔物学者の下で働いていたそうだが、その学者の行方もイグマスで分からなくなった。だがダマリは諦めていない。いつか父親を見つけて、親子で北の故郷に戻れるといいんだがな……」


「正直、ダマリに会うまでは、お前たちの頼みを迷惑に感じていた……」

とイオアンはしんみりと語った。

「だが地下牢に降りて考え方が変わったよ。逃げ場のない状況におかれたダマリの苦しみが、自分のことのように感じられた。ダマリを助けたいお前たちの気持ちも分かる。だから、いい方法がないか私なりに考えてみた」


「いい方法? 盗賊をあてにするのはもう無理だぞ」


「そうじゃない。ダマリが地下牢に移ったことで、新しい方法が見つかった。イグマスの古い地下水路を辿って救出するんだ。これなら誰も傷つけず、警備のことも気にせず、ダマリを助けだせる」


イオアンは水道局のマルクスと部下たちについて説明した。


だが、話を聞き終えたカルハースは、

「私は賛成しないな。上手くいかないだろう」

と渋い顔をした。


「なぜだ、悪くない計画だろう?」


「不確定要素が多すぎる」


「そんなことはない。マルクスは総督府の役人だが真面目な若者だ。仕事は信頼できる。ドワーフたちだってグール退治の経験が豊富なんだ。時間さえかければ間違いなく成功すると思う」


「その時間という奴が曲者でね」

とカルハースは金髪の口髭を撫でながら答えた。

「君が都市参事会に議題を提出したからといって、すんなり通るとは限らんだろう? 却下される可能性もある」


「そんなことは……」


「君自身、総督府での政治力はないと話したじゃないか」


カルハースの指摘にイオアンは言い返せず、黙り込んだ。サディア公妃には直接献策できても、これまで人付き合いを避けてきたイオアンは、都市参事会のメンバーとは面識がほぼない。確かに多数決で負けるかもしれなかった。


「……仮に、君の案が通ったとしようか」

とカルハースが続けた。

「それから役人の手続きが始まるんだろう? 適切な金額がドワーフたちに支払われるか分からないし、支払われるのは何カ月も先だろう。そんな先まで、ダマリを劣悪な地下牢に放っておきたくない」


「じゃあ、どうすればいいんだ!」


「だから最初に君が計画した通り、祭りの最終日に君も含めて六人で侵入する。牢獄塔でも地下牢でもやることは変わらない。こういうシンプルな作戦がいちばん上手くいくのだよ」


「だが、獄吏たちに気づかれるぞ、お前たちも無傷ではいられまい」


「それはどうかな」

カルハースがフッと笑った。

「鎖につながれた囚人を相手にしている獄吏たちと、日頃から危険な魔物を相手にしている我々では、その差は歴然としていると思うのだが?」


「しかし……」

イオアンの脳裏には足の悪い獄吏長や、太陽を見たことがないスロルの姿が浮かんだ。彼らの一族はずっとあそこで働いてきたのだ。しばらく唇を噛んで考え込んでいたイオアンが顔を上げた。

「侵入するのは、いつ頃のつもりだ?」


「日が暮れてからかな。最終日のパレードでは、市民たちが夜を徹して踊り明かすんだろう? 太陽が昇るまでたっぷり時間はある」


「では、あと一日は猶予があるわけだな? それまでは動かず、パレードが始まる前にニナに会ってくれ。伝言をしておくから。私はアルケタの婚約式があるから、お前たちの計画には加われない」


カルハースが目を細めた。

「イオアン君、何を考えている?」


「私が〈暁の盗賊団〉を見つけてくる。彼らが協力してくれれば、お前たちが成功する可能性も上がるだろう」


「無駄なことだ。いまから見つかるわけがない」


「いや、昨日ニナから情報が入ったんだ。知り合いの骨董商に、闇エルフの男が盗品を持ち込んだらしい。〈暁の盗賊団〉の知り合いかもしれない。明日の朝、その骨董商から話を聞いてくる」


「聞いてどうする? その闇エルフに会うつもりか、無謀だぞ」


「話を聞いて、交渉するだけだ」


「〈暁の盗賊団〉が密偵を殺したのは今日なんだ。君には危険すぎる!」


「助けると、私は地下牢でダマリに約束した。頑張っているニナの働きにも報いたい……これは私の問題なんだ」

会話を打ち切るように、イオアンは椅子から立った。

「外まで送ろう」

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