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第38話

「では、副業みたいなものか?」

とイオアンが訊いた。


「いや、副業にすらなりません」

とマルクスは首を横に振った。

「たいした手当も出せないんです。内務長官のギイス伯爵が盗賊を捕まえるのに熱中してるお陰で、水道局に予算がぜんぜん回ってこない。だから、イオアン様が話したような危険な計画を命令するなんて無理です。あいつらが好きなときに、好きなようにやらせるしかありません」


しばらくテーブルの上で手を組んで思案していたイオアンが口を開いた。

「もし、手当が増えるのならどうだ?」


「俺も昔はそう考えて、何度も申請しましたよ」

とマルクスは口元を歪めると、

「でも綺麗な白亜宮で働いている耳の尖った連中は、現場のことなんか何も分かっちゃいません。ああ、すみません」

とイオアンを見て謝った。

「エルフにだって、まともな人がいるのは分かってます。でも、ここを訪問した上層部の人間は、イオアン様が初めてなんですよ」


「……そうなのか」


マルクスは溜息をついた。

「知ってました? ここの上は宮殿前広場なんです。距離だけなら、すごく近いんですけどね……」


「心理的な距離かもしれないな。ドワーフと違って、こういう閉鎖空間を好むエルフはいない。それはともかく、予算が増える可能性がないわけじゃない」


「……そうでしょうか」

マルクスは冷笑的な表情を浮かべると、ワインを飲んだ。


「パレードの翌日、つまり三日後だが、今月の都市参事会が開かれる。そこで水道局への増額を議題として提案できる。金額までは保証できないが、それで手当が増えたなら、グールたちを『掃除』するのは可能だろうか?」


「それって……」

とマルクスがワインのカップを置いた。

「イオアン様が参事会に出席するってことですか?」


「今回、遠征中の父の代理として、初めて出席することになった」


「それなら話は変わってきます……」

とマルクスの頭が忙しく回転し始めたようだった。

「セウ家のイオアン様からの議題なら参事会でも通るでしょう……もし、もしですよ、兵士並みの俸給が出るんなら、参戦したいって奴はたくさんいます。へへへ、そんなことが実現するなら夢みたいな話ですよ!」


「もしその夢が叶った場合、牢獄塔のまわりの屍喰鬼を退治して、水路を復活させるのに、どれぐらい時間がかかる?」


「水路の復活っていうのは、下水道機能の復旧って意味ですか?」


「いや、ひとまず封鎖を解除して、人が通れればいい」


「それなら早いですよ」

とマルクスは腕を組んで、天井を眺めた。

「安全なルートを確保して、牢獄塔あたりまで到達するのに、昼夜三交代で進めれば一カ月、長くて三カ月ってところですかね」


「最短で一カ月か……」

とイオアンは落胆したが、よく考えれば、この方法なら焦る必要はないのだ。


牢獄塔に侵入するのと違い、警備の手薄な時期を狙うわけではない。魔物を退治して地下牢へのルートさえ確保できれば、いつでも侵入し、危険を冒すことなく、余裕をもってダマリを救出できるのだ――。


「何か問題でも……?」

とマルクスが、イオアンの表情を窺うように尋ねた。


「いや、おそらく問題ないと思う。ただ、本当に牢獄塔に関心があるのは、私の友人のほうなんだ。今夜これから会うから、その友人がこの計画に納得してくれれば、都市参事会に議題として提出するよ」


「ありがとうございます!」

とマルクスが立ち上がって頭を下げた。


「いや、礼を言うのは私のほうだ」

とイオアンも立ち上がった。

「恥ずかしいことに、これまで君たちの努力をまったく知らなかった」


「まあ、華々しい地上の戦いじゃありませんからね……」

とマルクスは少し寂しげな笑みを浮かべた。

「でも、知られていないということは、それだけ俺たちが、問題を未然に防げているということかもしれません」


「まったくだ。そろそろ私も地上に出たいんだが、誰かに舟で送ってもらえるだろうか? また取水口まで戻るのかな?」


「戻るのは、セウ家の屋敷ですか?」


「いや……〈浴場通り〉で友人と会うんだ」

とイオアンが歯切れ悪く答えると、マルクスは訳知り顔で頷いた。

「ははあ、楽しいところですからね。あのへんなら幾つか『井戸』がありますよ。つまり通気用の縦坑です。そこから昇れば、好きな店の前に出られます」


「それはありがたい」


「では、俺がお送りしましょう」


「しかし、君は忙しいだろう」


「予算が下りるのなら、こっちのほうが重要です」

とマルクスがニヤリと笑った。

「それに最短のルートを知ってるのは俺だけなんです。主水路だけだと、結構遠回りになりますからね」


こうしてイオアンは舟で送ってもらえることになり、そのあいだに、マルクスがドワーフたちから信頼されるようになった経緯も知った。


ドワーフでも、エルフでもないマルクスには暗視の能力はない。そのため、五年前に地下水路に配属された彼は、公文書室に何度も出向いては図面から水路の構造を叩き込み、くまなく地下水路を踏破して体に覚え込ませた。その結果、頭の中で立体的に地下水路をイメージできるようになり、その能力に驚いたドワーフたちから「地下水路の王」と呼ばれるようになったのだという。


マルクスが舟を縦坑の下で止めた。


イオアンが上を見上げると微かに明るい気がした。外は真っ暗なはずだが、どこかの娼館の灯りが届いているのかもしれない。


縦坑の壁には、鉄の足がかりが楔のように打ち込まれている。そこに手をかけて昇り始めたイオアンに、マルクスが下から声をかけた。


「蓋は男なら持ち上げられます。上に出たら戻しておいて下さい。誰か落ちたりすると危ないんで」


縦坑の上に到達したイオアンは、重い蓋を外し、地上に顔を出した。


知っている娼館のそばだった。遠くに〈フリュネの誘惑〉が見え、その前にニナが座っているのが見える。まったく自分に気づいていない。イオアンは何だか愉快な気持ちになった。


イオアンが完全に縦坑から姿を現すと、そばの〈浴場通り〉で客引きをしていた娼婦たちが悲鳴をあげた。


四つん這いになったイオアンは、縦坑の底に叫んだ。

「さっきの都市参事会の話は、まだ他の者には黙っていてくれ。また連絡する!」


縦坑の底で、カンテラが上下に三回動いた。


イオアンは重たい蓋を慎重に戻すと立ち上がり、夜空を見上げた。ほとんど満月に近い。もう明後日はパレードだ。


これで、ダマリを助け出す見通しも立った――。

イオアンは笑みを浮かべると、ニナのほうへ歩きだした。

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