第37話
地下水路の側道に小舟をつけると、ドワーフの少年が荷揚げを始めた。
石材に丸太や縄といった資材から、鉄槌や棍棒のような武器までが、側道に積み上げられていく。舟が空になると少年は石段を昇り、扉をくぐった。
イオアンが案内されたのは、作業場と倉庫を兼ねたような広い空間で、大きなテーブルを囲んでいる屈強なドワーフたちに、ヒトの若者が指示を与えていた。少年はテーブルに近づくと、若者に小声で耳打ちした。
若者は、部屋に足を踏み入れたイオアンを見るなり、
「イオアン様!」
と驚きの表情を浮かべ、
「ほらっ、お前たちも頭を下げるんだ!」
と命じた。
正体が一瞬でばれたことにイオアンはショックを受けた。これではあからさまに脱獄の話題を持ち出せない。市民に人気のあるアルケタと違って、自分の顔を知ってる者は少ないはずなのに、どうしてこの若者は見破ったのか……。
「『地下水路の王』と呼ばれている男を探しているのだが……」
若者が困り顔で答えた。
「ああ、それは俺のことです。マルクスと言います」
にやにやと聞いていた髭面のドワーフが、
「俺たちの地下水路の王に万歳!」
と叫ぶと、まわりの武装した男女が笑いながら手を叩いた。
「うるさい! 静かにしろ!」
とマルクスが命じ、心配そうに尋ねた。
「イオアン様のような方がなぜこんな場所に……何か問題でも?」
「その……込み入った用事でね、二人だけで話せないだろうか?」
「分かりました、少しだけお待ち下さい」
一同に指示を与えているマルクスをイオアンは観察した。
地下水路の王と呼ばれるからには、もっと貫禄のある壮年の男を予想していたのだが、たぶん自分と同じぐらいだろう。痩せていて、いつも地下水路の低い天井に頭をぶつけないように身を屈めているためか、かなりの猫背だった。貧相と言わないにしても、人を威圧するような雰囲気ではない。
部下たちの装備は、兵士のように一律に支給されたものではなく、てんでばらばらで山賊の集まりのようにも見える。ただマルクスが羽織っている短めのガウンは、総督府の下級役人たちが着る見慣れたものだ。
しかし、ただの小役人にしては大勢の部下がおり、それも種族もバラバラな者たちがマルクスに心酔しているのが解せない。結束力のある集団に特有の、一致団結した雰囲気が感じられるのだ。
賑やかに喋りながら部下たちが出ていくと、部屋は急に静かになった。マルクスはワインのカップを二つ持って、テーブルにやって来た。
「お待たせしました」
地下水路では時間の感覚が失われる。カルハースとの会合までの時間を心配して、イオアンは焦りを感じていた。手短に情報を得たいが、この若者の正体がはっきりしない以上、慎重に話を進める必要があった。
「……会ったことがあったかな?」
「公文書室で図面を閲覧したときに何度か。でも俺が遠くから見ていただけで、イオアン様は気づいてないと思います」
「閲覧ということは……総督府の人間なのか?」
マルクスが困惑した表情を浮かべた。
「そうですが、水道局で聞いて、ここに来たんじゃないんですか?」
「いや、地下水路に詳しい人間を探していたら『地下水路の王』という名前を聞いてここに来たんだ。そんな名前だから、犯罪に手を染めている男じゃないかと君のことを想像していたよ」
「あー、部下が勝手に呼び始めただけで、俺はただの水道局の役人です」
「では、なぜあれほど武装した者たちが必要なんだ? 水道局の仕事なら地下水路の管理だろう?」
「間違いなく本来はそうあるべきです。俺もできることなら修繕に専念したいんですが、最近はそういう訳にもいかないんですよ」
「魔物退治か?」
「ええ。ここ数年、新市街に避難民が増えてるじゃないですか? 彼らは死んだ赤ん坊を水路に投げ込むんです。それが地下から湧き出す魔力に触れて、とんでもない数の屍喰鬼に成長しているんです」
「それほどにか?」
「驚くほどですよ。まあ、当局は公表しませんけどね」
とマルクスは肩を竦めた。
「あとは邪教の集会や、盗賊たちが棲みつかないように巡回も必要です。身を護るため、俺たちも仕方なく武装してるんです」
「盗賊というと…〈暁の盗賊団〉か?」
「例の盗賊団ですか」
とマルクスが苦々しげに口にした。
「密偵にも聞かれましたけど、それらしい隠れ家を見たことはありません」
「そうか……」
イオアンはワインを口にしながら、状況を整理した。
マルクスは有能そうだが、水道局の役人である以上、脱獄の話をするのはもってのほかだ。ただ地下水路が、ダマリが捕らわれている地下牢までつながっているのかだけは確認したい。
「じつは……」
とイオアンは、マルクスの表情を窺いながら切り出した。
「牢獄塔の周辺の地下水路について調べている」
「牢獄塔のまわりですか……」
とマルクスは怪訝な表情になった。
「あのへんの水路はずっと昔に遺棄されたままです。なぜいまさら、あんなところを? 上からの命令ですか?」
「いや、そうじゃない」
とイオアンは慌てて否定した。
「私の個人的な趣味だ。歴史に興味があってね」
「それで、こんなところまで? 俺も他人のことは言えませんが、イオアン様も変わった方ですね」
とマルクスは苦い笑いを浮かべた。
「歴史に詳しいのならご存じでしょうけど、あのあたりの建物はとても古くて、〈蛮寇〉以前のものです。魔物たちの大攻勢で帝国じゅうが滅茶苦茶になり、水路も封鎖されました。施設は残っていますが、水は涸れています」
「〈蛮寇〉以前か……では二百年以上昔になるのか」
「そうなりますね。そのあいだに、どれだけ魔物が増えていることやら……」
「どれぐらいいると思う?」
「牢獄塔のまわりなら、少なく見積もっても百匹は下らないと思います」
「グールがか?」
「奴らが厄介なのは、どこか封鎖を解くと、遠く離れた区画からも集まってくることです。血を嗅ぎつける鮫みたいに」
これでは絶望的だ――。
イオアンは額に手を当てて考え込んだ。
カルハースたちは手練れの騎士とはいえ五人しかいない。ダマリのいる地下牢に辿り着く前に、間違いなく全滅するだろう。
何か方法はないのか? 必死に考えていたイオアンは顔を上げた。
「君の部下たちならどうだ?」
「はい?」
「君の部下は地下水路にも、グールの退治にも慣れている。かなりの人数がいるようだし、君たちなら一気に制圧できるんじゃないか?」
「はははっ」
とマルクスが乾いた声で笑った。
「本当は俺の部下じゃないんです。あいつらは勝手にそう言ってますけど、自警団みたいな連中なんですよ。だから、そんな無理強いはできません」
「自警団?」
イオアンにはよく理解できなかった。
「自主的に、危険な地下水路で、魔物退治に励んでいるということか?」
「俺も不思議なんですけどね」
とマルクスは頷いた。
「なぜか近頃のイグマスじゃ、鍛冶屋が儲からないらしいんですよ。その鬱憤をぶつけてるみたいです。地下水路全域の流路が頭に入ってるのは俺だけなんで、俺の指示に従って進めてくれてはいますけど……」




