↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

33/62

第33話

シアは驚いた。

「えっ、イオアン様が禁欲中?」


「私が縛られていたのは見たでしょう?」

とヴィヨルンドが周囲を見回し、小声で続けた。

「でも、あれは特別なことじゃないの。他の〈貴婦人〉たちも、いろいろ実験台にされたけど、いままでイオアン様は、どの娘とも寝ていないのよ」


二人は昼時の旧市街を歩いていた。


シアは今日になって、突然〈フリュネの誘惑〉の女主人から、〈貴婦人〉ヴィヨルンドに付くように命じられた。いまはドレスを引き取りにいった仕立屋から、〈フリュネの誘惑〉に帰るところである。


ドレスの包みを抱えたシアは地味な恰好だが、〈貴婦人〉のヴィヨルンドは胸元も露わな青いドレスを着ていた。〈陰の街道〉の男たちが、ちらちらと好色な視線を投げかけているが、ヴィヨルンドはお構いなしに喋り続けている。


「……だからイオアン様は、強い意志で禁欲されていると思うの」


シアはイオアンの裸体を思い出し、顔を赤くした。

「でも二十代の男性が、そんな我慢をできるものでしょうか? まわりには最高級の娼婦ばかりなのに……」


「そうね、それは私も不思議なの」

とヴィヨルンドは頷いた。

「イオアン様を誘惑した〈貴婦人〉は、いままでも何人かいたのよ。愛人にでもなれたら一生安泰な暮らしですもの。でも、誰も成功しなかったわ。全滅……」


二人の視線の先には、旧市街を取り囲む灰色の高い城壁が見えてきた。


「禁欲はともかく、なぜイオアン様は実験するのでしょう?」


「学者みたいなものかしらね?」

とヴィヨルンドが首を傾げた。

「大図書館には、禁書になった性にまつわる書物も、たくさん所蔵されているらしいわ。イオアン様はそれが本当か確かめているのよ」


「禁書ですか! 怖い気がします」


「あら、そんなことないのよ……」

とヴィヨルンドが密やかな笑みを浮かべた。

「そういう古代の本には、女性のどこに触れれば最大限の愉悦を引き出せるか、事細かに書いてあるの。イオアン様の魔法の指でそれを試すと凄いのよ。ああ、快感のあまり何度失神したことかしら……」


「……ヴィヨルンド様!」

あられもない表情の彼女を、シアが小声で諫めた。

「まわりの人が見てますよ!」


セウ家の兵士が守るイグマスの南大門は、〈死者の日〉の祭りの初日とあって、いつも以上に混みあっていた。人の流れはゆっくりとしか進まない。


ヴィヨルンドは涎を拭った。

「ふふ。あなたもそのうち分かるかもね」


「私がですか?」


「だって、私に付くように命じられたんですもの、シアはまもなく〈貴婦人〉になるはずよ。イオアン様が実験台に選ぶのは、売れっ子の〈貴婦人〉なの。あなたも経験する可能性があるってことよ」


「この私が〈貴婦人〉……」


もちろんシアも〈フリュネの誘惑〉にいる以上、自分が高級娼婦である〈貴婦人〉に選ばれる可能性があることは分かっていた。だが、それはもう少し先だと考えていたので、急に現実を突きつけられた感覚だった。


「……でも私は入って三カ月ですよ。ようやく慣れてきたところなのに」


人混みの中の二人は、狭い南大門をくぐりつつあった。


「あら、そんなこと関係なくってよ」

とヴィヨルンドが笑った。

「見込みがあると思ったら、ルマンディア様はすぐに〈貴婦人〉に引き立てるわ。逆に駄目な子は、いつまでたっても〈侍女〉だけど」


シアは顔を曇らせた。

「あと、どれぐらいで私は……」


「〈貴婦人〉になるかってこと? そうねえ、いろいろ覚えなきゃいけないし、あとひと月ぐらいかしら?」

と答えたヴィヨルンドが勇気づけた。

「そんなに心配しなくてもいいのよ。最初のときは不安でしょうけど、〈フリュネの誘惑〉のお客様は、みんな優しい方たちだわ。シアなら、すぐに贔屓にして下さる男性も現れると思うし!」


「……そうですね」


南大門を抜けると、夏の日差しが降り注いだ。左側にはファッシノ河の船着き場もあり、風景は落ち着いた旧市街から、活気ある新市街へと変わった。


シアの胸に、未来への不安が重くのしかかる。いままでは、まだ貴族の娘の気分でいられた。だが娼婦になれば、二度と後戻りはできないのだ。


時間が足りない!

イオアン様とも少ししか話していないのに――。


「ほら、あそこ!」

思い詰めた表情のシアとは対照的に、背の低いヴィヨルンドは何かを見つけたらしく、楽しそうに人混みのなかでピョンピョンと跳ねた。

「いつもの物乞いの子じゃない?」 


シアも目を凝らすと、〈陰の街道〉を横切るニナが遠くに見えた。


そうだわ!

あそこに行けば、この気持ちも晴れるかもしれない!


そう閃いたシアは、

「すみません、これをお願いします!」

とドレスをヴィヨルンドに押しつけると、駆け出した。


「ちょっと待ちなさい、シア!!」

とヴィヨルンドは叫んだが、シアは人混みに消え、見えなくなってしまった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。