第30話
アルケタがレイピアを掴むと、エルヴィラは誘うように奥へと後退した。
広めの部屋だが、移動できるのは入口から天蓋付きのベッドまで。
奥行き六メートル、幅は三メートル程度か。
すぐに壁にぶつかるだろう。
腰を落とし、エルヴィラに剣を向ける。アルケタの剣の切っ先が日差しにきらめいた。開け放たれた窓から風が入り、背中の深紅のマントがはためく。
彼女も半身の姿勢をとり、剣先をアルケタに向けた。
両者の震える剣の切っ先が微かに当たり、カン、カンと軽やかな金属音が鳴り響いた。さっと互いに距離を取り、また位置を取り直す。
エルヴィラは落ち着いているように見えた。
口元が笑っている。
戦うことを楽しんでいる。
落ち着いた呼吸、眠っているかのような半開きの目。余裕をもってアルケタに対峙している。確かに、金持ちのお嬢様の遊びではないようだ――。
――まったく、
なんでこんなことになった?
そう思った瞬間、エルヴィラが大きく踏み込み、剣を振ってきた。
アルケタは剣を受け止めたが、彼女は矢継ぎ早に攻めてきた。たまらずアルケタは後退した。壁が迫ってくる。
どうやって勝つ?
それも、彼女を傷つけずに。
戦意を喪失させ、剣を収めさせるしかない――。
だが、その方法が問題だった。
後退するとみせかけて、アルケタが反撃した。
さらに攻めたてると、振り払った剣先が、エルヴィラのふわりと広がったシュミーズの裾を切り裂いた。
彼女が動きを止めた。
その瞬間、アルケタは軽やかに反転し、動ける空間を確保した。
再びエルヴィラが剣を構え、足を踏み出すと、切り裂かれたシュミーズの隙間から真っ白な太腿が、付け根あたりまで露わになった。
獣の尻尾が描かれているのが見える。
太腿に刺青か。
まるで海賊の娘だな――。
しかし、これで彼女にも剣を収める口実ができるはずだ。
アルケタは剣先をゆっくりと引いた。
「そんな恰好じゃ集中できないだろう。これで勝負はおあずけに……」
エルヴィラの鋭い一撃が喉を掠める。
あわやというところを、アルケタは首の皮一枚で避けた。
俺を殺す気か?
この娘は狂っている――。
エルヴィラも最初は、軽い遊び程度のつもりだったのかもしれないが、いまでは頭に血が昇って、自分を抑えられなくなっているように見えた。
とっとと終わらせて、この娘から離れよう。
しかし、どうやって終わらせる?
せわしなく動くアルケタの視線が、壁にかかった見事な武器のコレクションを捉えた。大きく跳躍した彼は、壁に飾られた短剣を掴んだ。右手にレイピア、左手に短剣の二刀流になる。
エルヴィラは卑怯者!と叫ぶわけでもなく、冷静な表情を崩さない。
アルケタは円を描くように動きながら、鋭く剣を繰り出し、彼女を壁際へ追い詰めていった。
ここでアルケタは深紅のマントの裾を掴むと、ひらりと体を覆い、エルヴィラの視界を遮った。そのまま体ごと強くぶつかり、彼女の体を壁に強く押しつけると、短剣でシュミーズの左肩を大きく切り裂いた。
パッと後ろに飛びのき、距離を取る。
はらりとシュミーズがはだけ、エルヴィラの左肩から胸までが丸見えになった。鉤爪がある鱗の生えた手の刺青が、彼女の左の乳房を掴んでいる。
何か意味があるのか?
だが、それを確かめる前に、エルヴィラが左手でさっと隠した。
「もう十分だろう」
アルケタは、エルヴィラに剣を突き付けた。
「君は負けたに等しい。この部屋は調べさせてもらう」
きつく唇を噛むエルヴィラ。
「僕は……負けてなどいない!」
そう叫んだ彼女が、逆上して襲いかかってきた。
エルヴィラの死に物狂いの攻撃を、アルケタは二刀流で何とか受け止めたが、集中するのが難しい。どうしても揺れる乳房が目に入ってしまう。
くそっ、逆効果だったか――。
動揺しているのは、むしろ俺のほうじゃないか。
しっかりしろ!
アルケタは自分に喝を入れ、態勢を立て直そうとするのだが、エルヴィラの怒涛の攻撃がそれを許さない。アルケタの足が壁際のテーブルにぶつかり、その上の瓶が床に落ちると、ガシャンと粉々に砕け散った。
このままじゃまずい――、
とアルケタが焦り始めたところで、
「エルヴィラ、もうやめろ!」
とアルメディオンの声が背後から聞こえ、彼女がぴたりと動きを止めた。
「母上のようになるという、あの約束は嘘だったのか!」
驚いたことに、糸が切れた人形のように突然エルヴィラはがっくりと項垂れ、右手をだらりと下ろした。
十分に距離をとってから、ようやくアルケタも剣を下ろし、息を整えた。アルメディオンの言葉が、彼女の戦意を喪失させたらしい。
振り返ると、険しい表情のアルメディオンが腕を組んで仁王立ちしていた。その様子は、アルケタも申し訳ない気持ちになるぐらいで、そんな反応に気づいたのか、彼は頭を下げた。
「もっと早く私が止めるべきでした。エルヴィラ、アルケタ様に謝罪するんだ」
だがエルヴィラは、顔をぷいっと横に向けた。
「しょうがないな……後でよく言い聞かせますので、今回はお許しください」
「それより、調査を始めたいのですが……」
「ああ、そうでした」
部屋の中央で立ち尽くしている彼女に、アルメディオンが呼びかけた。
「エルヴィラ! アルケタ様は信頼できる方だ。調査に協力して差しあげろ」
かなり時間がたってから、
「……いいだろう」
と横を向いたままエルヴィラが、無念そうに答えると、
「やりましたね!」
と近寄ってきたサンガリアが、アルケタの腕を掴んだ。
「さすがはアルケタ殿、お手柄です! 後は私に任せて下さい!」
「この変態め!」
エルヴィラは剣を掲げながら、サンガリアへ向かっていった。
「お前は下がれ。調べていいのはアルケタだけだ。他の者はすぐに出ろ!」
背後に隠れたサンガリアを庇うように、アルケタはエルヴィラの前に立ちふさがった。この娘と二人きりになるのは身の危険を感じる――。
「それは困る。私だけでは大変なので……」
「いいや、絶対に駄目だからな!」
とエルヴィラが睨みつけた。
「僕に勝ったのはお前だけだろうが。そんなことは許さないぞ。もし他の者も調べるというのなら、僕に勝ってからにしろ! 誰かいるか!!」
彼女が腕を伸ばして剣を突き付けたので、サンガリアを含めて、入口にいた者たちは逃げるようにして部屋から出ていき、残ったのはアルケタだけになった。
エルヴィラが入口に歩み寄り、扉をバタンと閉めた。
扉を背にして立った彼女は、何回か深呼吸して顔を上げた。アルケタに燃えるような視線を向けると、覚悟を決めたようにエルヴィラが言い放った。
「さあ、好きなだけ、僕の部屋を調べるがいい!」




